第八章(三)
昼食を終えると、園内の奥にあるイベントステージへ向かった。
淡い色の城を模した舞台の前には、すでに多くの人が集まっていて、俺たちは舞台前の立ち見スペースに立つ。
やがて音楽が流れ、白いドレスをまとった姫役の女性が現れた。続いて王子役や色鮮やかな衣装の踊り手たちも登場し、観客の歓声が上がる。
俺からは、人の頭のあいだから舞台がときどき見える程度だった。
前にいる朝宮は背が高いぶん、もう少し見えているらしい。それでも見えづらいところがあるのか、つま先立ちになって首を伸ばしている。
見やすい位置が見つかったらしく、朝宮はしばらく動かずにショーを見ていた。やがて一曲が終わり、辺りから拍手が上がる。
そのとき、朝宮がこちらを振り返って微笑んだ。
「楽しいね」
「ああ」
その姿が、最初に見た、坂の上から振り返った朝宮と重なった。
かわいい。
いまの顔も、覚えておこう。
そこまで考えて、思考が止まった。
……かわいい?
フィギュアはもう、作り終えている。覚えてどうする。
「…………」
俺は慌ててほとんど見えないステージへ顔をそらした。
そもそも、かわいいから覚えておきたいとは、何を考えているんだ、俺は。
姫役が何かを歌っている。王子役が手を差し出している。踊り子たちが大きく腕を広げた。
だめだ。何をしているのかは見えているのに、まるで頭に入ってこない。
コースターに続きショーまでもまともに楽しめてない。それどころか、さっきよりもそわそわとしてしまう始末だ。
前にいる朝宮は、そんな俺に気づかずショーを見ている。
できることなら、あと1時間でも2時間でも、そのまま舞台だけを見ていてほしい。
だが、そんな願いもむなしく、思っていたよりもずっと早くショーは終わった。
朝宮はすぐに、弾けるような笑顔で振り返る。
「よかったね!」
「う。……ああ」
「どうしたの」
「いや、なんでも」
「またいつものやつ?」
「いつもの?」
「考えごとして、こっちの話を聞いてないやつ」
話を聞いていないことはない。はずだ。
「違う。今回は違う」
朝宮は軽く首を傾げるだけで、深く追及はしてこなかった。
「それじゃ、次なんだけどさ、観覧車行こうよ」
なんだって。
観覧車なんて、聞いて……は、いた。が、さっきと今とでは事情が違う。
心の準備というものができていない。
しかし朝宮はすでに、観覧車の方向へ歩き出している。
「ま、待て。ほかのにしないか」
「え、なんで?」
「それは……」
反射的に出た言葉に、理由なんか用意できるわけがない。
「高いところ苦手じゃないでしょ? コースター乗ったし」
「そうだな。いや、もっと違う理由が」
「だから、なに?」
落ち着くというか、考えるための時間がほしい。今すぐ狭い箱の中で朝宮と二人きりになるのはまずい。
「だから……もう少し……あとに乗りたいということだ」
「あと?」
朝宮は一度、観覧車のほうを見た。
それから、何かに気づいたように言う。
「あ、もしかして、暗くなってからってこと?」
「そうだ」
勢いよく頷く。
断るでもなく、延期するだけなら問題ない。乗らないと言っているわけではないのだ。
ところが、朝宮の顔は嬉しそうにぱっと明るくなった。
「うん、いいと思う。最後に乗ろう。暗くなったら、上から夜景も見えるかもしれないし」
「……夜景?」
「ちょっとロマンチックだね」
はにかみながら言う朝宮の言葉をそのまま反芻する。
ロマンチック。
「じゃあ次は、そうだなあ、空中ブランコがいい。あと売店行っていい? お土産買っておくの」
朝宮はうきうきと園内マップを広げている。
これは、まずいのではないか。
暗くなってから、一日の最後に、観覧車に乗り、夜景を見る?
「五百蔵くんが言ってくれてよかった。あ、私が行きたいって言ってばっかりだから、ほかに行きたいところがあったら言ってね!」
「む……むむ」
これだけ嬉しそうにしている朝宮を前に、いまさら撤回などできない。せめて暗くなるまでに心の準備をしておきたい。とはいえ、心の準備とは具体的に何をすればいい。まずそれを考える時間が必要ではないか。
答えが出ないまま、朝宮に引きずられるように空中ブランコへ向かった。
空中ブランコが回り始めても、頭の中には「夜景」と「ロマンチック」が居座っていた。だが、座席が大きく外へ振られ、隣で朝宮が風に長い髪をなびかせながら笑っている。
心の準備については、降りてから考えることにした。
そのあとも、待ち時間の短い乗り物をいくつか回った。最初は朝宮に促されるまま乗っていたが、いつからか俺も園内マップを見ながら、次に乗るものを探していた。
一通り園内を周り、陽が傾きはじめたころ、朝宮が行きたいと言っていた売店へ向かった。
その途中で、中央広場にある大きなモニュメントが目に入った。
円形の台座に根を下ろす、巨大な樹を模した造形に、思わず足を止める。
数歩先を進んでいた朝宮が戻ってきて言う。
「……気になる?」
「ああ。少し見る」
「うん」
近づいてみると、太い幹には小さな扉があり、枝の間から小さな家が覗いている。根元ではうさぎや小人の像が、こちらを見上げるように配置されていた。
円形の台座に沿って歩く。見る位置が変わるたび、幹に隠れていた家や動物が現れる。
「なるほど」
「すごいの?」
「どこから見ても景色として成立してる」
身を屈めて、木の根元を覗き込む。
「こんなにじっくり見る人、初めて見た」
「見ないと分からない」
さらに角度を変えながら2、3周して、ようやく足を止めた。
そこでようやく、朝宮が「フィギュアもモデルも関係なし」と言っていたのを思い出した。
朝宮は少し離れたところに立ち、俺が見終わるのを待っている。
「どうしたの」
フィギュアではない。だが、造形の話ではある。
「……造形の話をしてしまった」
「え、いまさら? お弁当のときもしてたよ」
「そうだったか」
「してた。別に、造形の話したらだめって言ってないよ。五百蔵くん、ほんとに好きなんだね」
「小さいころから、これしかしてこなかったからな」
「それでも、好きじゃなかったら、そんなに夢中になって見ないと思うよ」
「……そうか」
これが好きということなら、そうなのだろう。
俺は立ち上がった。
「もういいの?」
「ああ。十分見た。売店に行く」
「うん」
土産物店へ入ると、棚にはモニュメントにいたうさぎのぬいぐるみやキーホルダー、菓子の箱が並んでいた。
朝宮はうさぎのぬいぐるみを手に取る。
「もふもふしてる。かわいい」
「買うのか」
「うん。今日の思い出。五百蔵くんはなにか買う?」
特に買うつもりはなかった。ほかの棚へ目を向けると、モニュメントを縮小した、手のひらほどの置物が並んでいる。
ひとつ手に取る。細部は簡略化されているが、枝に見せた支えまで再現されていた。
「これはよくできている」
特に必要なものではないが、朝宮の言うように、今日の思い出としてひとつくらい持っておくのも悪くない。
「俺はこれを買う」
「二人ともお土産できたね」
土産物店を出ると、日はすでに沈んでいた。空にはまだオレンジ色が残っていて、昼間は目立たなかった園内の照明が、少しずつ色を持ちはじめている。
心の準備は、結局何もできていない。それなのに今は、観覧車へ乗ることより、一日がもう終わろうとしていることのほうが惜しい。
「ほかに乗りたいものはないのか」
「ほか?」
「まだ見てないところもあると思った」
「もう、いいかな」
「……いいのか」
「うん。今日、すごく楽しかったもん」
「……そうか」
暗くなってから乗ろうと言ったのは俺だ。
「観覧車に行く」
「行こ!」
観覧車の前には、夜景を目当てにしているらしい人たちの列ができていた。15分ほど並んでいるあいだに、空に残っていた明るさも消えた。
ゴンドラへ乗り込み、向かい合って座る。ゆっくりと上昇し始めると、朝宮は窓へ身体を向け、地面が遠ざかっていくのに見入っていた。
朝宮の横顔を何度見ても、やはりかわいいと思う。
朝宮がふいにこちらを向いた。
「一緒に来れてよかった。今日はありがと。楽しかった」
「俺も楽しかった」
「それで、分かった? 五百蔵くんが必要なのは、モデルとしての私なのか、そうじゃない私なのか」
そうだ。それを確かめるために来たのだった。
今日はフィギュアを作っていない。朝宮の姿を何かの参考にする必要もなかった。ショーを見て笑う朝宮をかわいいと思ったのも、あとで何かを作るためではない。
「モデルは関係なかった」
「……そっか」
「朝宮といたから楽しかった。今日が終わるのも惜しいと思っている」
「そう? ふふ、よかった」
「それに、朝宮をかわいいとも思った」
「え」
「ショーで振り返ったときも、いまも」
朝宮は慌てて両手を振り、視線をさまよわせた。
「ちょ、ちょっと。ま、待って? そ、そんな……」
「フィギュアはもう完成しているのに、覚えておきたいと思った。だから」
今度は両手で頬を押さえ、ちらとこちらを見る。
「やはり明日からも美術室に来てほしい」
「う、ん……え?」
朝宮は目と口を開けたまま数秒固まった。
反応がない。
やがて、がくりとうなだれる。
「……ずるい」
「ずるい?」
朝宮が勢いよく顔を上げる。目元がうっすら潤んでいた。
「ずるいよ、それはだめ」
「……なにが」
「だって五百蔵くん、それ、どういう気持ちで言ってるの?」
「どういう?」
「五百蔵くんは、どうして私と一緒にいたいの?」
楽しかったから、また会いたい。それでは理由にならないのだろうか。朝宮が聞きたいのは、そういうことではないのか。
俺が答えられずにいると、朝宮は何かを決めたように頷いた。
「全国展の結果って、いつ出るんだっけ」
「来週だ」
「じゃあ、それまでに考えて。結果が出たら、もう一度聞くから」
「……分かった」
「それまでは、美術室には行かない」
「なぜだ」
「答えを聞くまで、私もどんな顔して美術室へ行けばいいか分からないから。……それに、こうなったら、ちゃんと五百蔵くんから言ってほしい」
「何を」
「それも考えて!」




