第八章(一)
夏休みが明け、新学期が始まった。
教室で席について間もなく、朝宮が俺のところへやってきた。
「おはよう、五百蔵くん」
「おはよう」
「作品の写真、ちゃんと出せた?」
「昨日、椿原から提出したと連絡があった」
「よかった。あとは結果待ちだね」
「ああ。朝宮は今日から助っ人に行くのか」
「今日はないけど、明日からバスケットボール部に行くよ」
「そうか」
「みなも、始業式行くよー」
教室の入口から友人に呼ばれ、朝宮はそちらを振り返った。
「またあとでね」
もう少し話したかったが、朝宮はそのまま教室を出ていく。
またあとで話せばいい。
放課後、俺は美術室へ向かった。
「——で、次はいつもどおり20センチくらいに戻して、この三人組とかどうよ」
快吏はすでに、次の動画のネタについて話している。
俺は旧校舎の美術室で、夏休み前と同じように、L字型に並べた作業机を挟んで快吏と向かい合っていた。机の上のタブレットには、赤、青、黄色を基調にした衣装のアイドルキャラクターが三人並んでいる。いま人気が出始めている作品らしい。
「まず一番人気のやつ作って、反応よけりゃ残り二人もやる。全員揃ったら集合でも1本出せるし」
「そうだな」
俺は画面を見ながら、赤い衣装のキャラクターを作り始めた。
芯が完成し、胴体に粘土をつけて、人らしいシルエットになってきたころ、ふと、まだ片づけていない簡易生徒会机に、朝宮が作った動物がいくつも並んでいるのが目に入った。美術準備室へ移すことになっていたが、どれが完成していて、どれがまだ作りかけなのかを聞いていない。
「朝宮が来ないな」
「来ないだろ。もうモデル終わったんだし」
快吏はタブレットから顔も上げずに答えた。
「……そうだった」
来なくていいと言ったのは俺だ。いつの間にか、朝宮が美術室にいることを当たり前に思っていた。
——となれば、話は簡単だ。
俺が機会を作るしかない。
翌朝、俺は朝宮の席まで行った。
「朝宮」
「あ、五百蔵くん、おはよう」
「ああ。……朝宮」
「なに?」
「今日から、バスケットボール部の助っ人だったな」
「え? うん。放課後に行くよ」
「そうか」
沈黙が流れた。
「……それだけ?」
「ほかに話すことを考えていなかった」
朝宮はきょとんとしたあと、なぜか口元を緩めた。
「うん。それじゃあ、またあとで話そ」
そこで予鈴が鳴り、俺は自分の席へ戻った。
話しかけることには成功したが、会話には失敗した。
昼休み、朝宮は友人たちと机を囲んでいた。今度こそ会話をしようと考えたが、朝宮を呼ぶ理由も、その輪へ加わる話題も思いつかないまま放課後になり、朝宮は運動部の助っ人へ行った。
俺も昨日と同じように、美術室へ向かった。
「全国展が終わったあとも、同好会は続けませんか? いずれは正式な部を目指すのもいいと思うんです〜」
椿原が快吏へ尋ねていた。
「いや、部にしてなんかメリットあんの? 朝宮さんは助っ人に戻ったし」
「部になれば活動費も出ますし、いまより活動しやすくなりますよ〜」
「活動費はありがたいけど、部にするなら全国展で終わりってわけにはいかないだろ。これからも実績作んなきゃじゃん」
「出展先なら、私が探しますよ? 生徒会としても、きちんと活動してくれる部が増えるのは歓迎ですから」
「なんなの、その執念。つっても実際に作品作るのは余だからさ」
二人の話はほとんど頭に入ってこない。それでも手は動き、イラストどおりにキャラクターの形ができていく。だが、うまく集中できない。
途中で、今朝は朝宮が作った動物のことを聞けばよかったと思い至った。もう遅い。
一息ついて、丸まっていた身体を起こすと、視界の端に朝宮らしき人影が映り、思わず目を向けた。
それは一次の結果を待つ朝宮のフィギュアだった。……朝宮と間違うくらい、よくできているということだ。そうだろう、朝宮を作ったのだから。
もう一度手元のフィギュアに目を落とす。
「快吏。悪い。今日はもう、作る気になれない」
「あら」
「……まじで?」
「ああ」
「余が作る気にならないことあんのか。まあ、あんだけでかいの作ったあとだし、大仕事ではあったけど」
快吏がそう言うあいだにも、簡易生徒会机に目が向く。合宿の夜、朝宮が頭をあずけていた場所だ。
「椿原、全国展の一次の結果は、明日の何時に出る」
「正確な時間は分かりませんけど、夕方ごろでしょうか」
「なに、結果そんな気になるんか」
結果が気になるのは本当だ。
だがそれ以上に、一次を通れば朝宮を美術室へ呼ぶ理由ができると思っていた。梱包を手伝ってもらうこともできる。
快吏と椿原が顔を見合わせた。
椿原が人差し指を立てる。
「そういえば、みなもちゃんも一次の結果をすごく気にしていましたよ」
「本当か」
「はい。結果が出たら、五百蔵くんから伝えてあげてください〜」
「……とりあえず、今日は帰る」
「了解」
翌日の放課後。俺と快吏が美術室で待っていると、椿原が入ってきた。
「一次審査の結果です。入選していましたよ」
「おお」
真っ先に声を上げたのは快吏だ。俺も椅子から立ち上がる。
「これから実物を搬入して、本審査で各賞が決まります。梱包の準備は今日して、明日には——」
俺は入口へ向かった。
「余、よかった——って、あれ。おい、どこ行くんだ」
「朝宮を呼んでくる」
椿原の横を抜け、そのまま美術室を出た。
朝宮は、今日はバスケットボール部の助っ人に行くと言っていた。
体育館の開け放たれた扉の向こうでは、色違いのビブスを着た生徒たちが、5対5の練習をしている。
体育着姿の朝宮は、コート脇の壁際に座って練習を見ていた。
「朝宮!」
俺が呼ぶと、朝宮と、その近くで休んでいた部員たちがこちらを向いた。
朝宮は立ち上がり、周囲の視線を気にしながら小走りで近づいてきた。
「ど、どうしたの」
「入選した。梱包を手伝ってほしい」
朝宮は目を丸くしたあと、すぐに笑った。
「ほんと? おめでとう! 私も嬉しい。うん、手伝う。……えっと、今すぐ?」
それについて、椿原がなにか言っていた。最後まで聞いていない。
「……確認してくる」
そして翌日の放課後。
美術室には、俺と朝宮と快吏と椿原、それに昼間先生も集まっていた。
「梱包やってくかー」
快吏の号令に合わせて、用意していた角材や緩衝材で梱包の準備を始める。
「フィギュアは学校から運送業者へ引き渡します。輸送中に揺れたり、ほかの荷物に押されたりする可能性もあるので、フィギュアに直接力がかからないよう梱包してくださいね」
昼間先生は窓際の椅子に座り、梱包を眺めている。監督のために来たらしいが、いまのところ「怪我しないようにねえ」と言っただけだ。
まずフィギュアの台座を、一回り大きな底板に固定する。その四隅に角材を立て、上部を横木でつなぎ、大きな長方形の箱になるよう木枠を作っていく。
椿原が角材を取りつける位置を測り、印をつける。朝宮に角材を支えてもらい、俺と快吏が電動ドライバーで固定していった。
1本のビスを締め終えると、朝宮が次の1本を差し出してくる。
「梱包するのも大変だね。やっぱり大きいし」
「そうだな。このあと、枠とのあいだに緩衝材を入れて、揺れても動かないようにする」
「無事に着くといいね」
「そのために梱包している」
「うん、そうなんだけど」
朝宮はおかしそうに笑った。
「そういえば五百蔵くん、机に置いてあるやつって、次に作ってるフィギュア?」
「そのつもりだった」
「だった?」
「作り始めたが、手が進まなかった」
「五百蔵くんでも、そういうことあるんだ」
「今回が初めてだ」
朝宮と何を話せばいいのか分からなかったはずなのに、こうして一緒に手を動かしていると、夏休みの続きのように話せた。
木枠を組み、外側を段ボールで覆った梱包箱ができたのは、完全下校が迫ったころだった。
後片づけを終え、校門の前まで来たところで、朝宮が足を止めた。
「これでほんとに終わりなんだね。……いい結果になるといいね」
あとは本審査の結果を待つだけだ。結果が出れば、朝宮に伝えることはできる。だが、それまでにはまだ日がある。結果を伝えたあとには、どうすればいい。
「朝宮。明日も——」
そこで椿原が、小さく「あっ」と声を上げた。
「そういえば私、同好会の書類を美術室に忘れてきました〜。快吏くん、取りに戻るのを手伝ってください」
「それ、一人で……ああ、はいはい。行こうぜ」
快吏は途中で何かに気づいたらしく、椿原と一緒に校門を引き返していった。
書類を取りに戻るだけなら、快吏の手伝いは必要ないと思う。
「彩ちゃん、分かりやすすぎ……」
朝宮が二人の背中を見ながら呟いた。
「何がだ」
「なんでもない。それより、五百蔵くんが言いかけたことって?」
「明日も美術室には来ないのか」
「来なくていいって言ったの、五百蔵くんだよ。モデルじゃないからって」
「言った。でも、次のフィギュアを作るときも、朝宮がいたほうがうまく作れる気がする」
「次も私がモデルってこと?」
「違う。だが、美術室には来てほしい。朝宮を見ていれば、何か参考になるかもしれない」
「五百蔵くんは、私にいてほしいの? それとも、モデルが必要なの?」
「……なに」
モデルとしての朝宮と、そうではない朝宮を、切り分けて考えたことがなかった。朝宮だからモデルを頼んだのだし、朝宮だからいてほしい。
「……そっか。困ったなあ」
朝宮は目を伏せ、何かを言いかけるように唇を開いた。
しかし、何も言わずに小さく笑った。
「じゃあ、一緒に確かめてみよっか」
「なにを」
「フィギュアを作るとか、モデルをするとか、そういうのなしで。今度の日曜、二人でどこか行こうよ」
「それで何が分かるんだ」
「五百蔵くんに必要なのが、モデルとしての私なのか、そうじゃない私なのか」
「……どこに行くんだ」
朝宮は「うーん」と視線を落とした。
「前、夏休みに、海とか遊園地とか行きたいって話したんだけど……海はもう無理そうだから、遊園地がいいな」
「遊園地」
それで確かめられるというなら、断る理由はない。
「行く」




