第七章(二)
思ったより長く休んでいたのかもしれない。
気づくと目の前に朝宮がいて、顔をしかめている。
どうしたんだ、と聞く前に、ぷいとそっぽを向かれた。
——やっぱり、私じゃないじゃん。
朝宮が怒っている。失望しているのか。
だめだったのか。あの出来でも。
「五百蔵くん」
誰かに肩を叩かれた。
「五百蔵くんってば!」
その声でびくりと体が跳ね、目が覚めた。
顔を上げると、目の前に朝宮がいて、覗き込んでいる。
「……朝宮……」
「大丈夫?」
こっちの朝宮は怒っていないみたいだ。……こっちとはなんだ。さっきのは夢か。
「……寝ていた」
体の感覚が戻ってくると、とりあえず尻が痛い。白み始めていた窓の外も、すっかり明るくなっていて、肩に当たる日差しが暑い。
「五百蔵くん、もしかしなくても、朝まで作ってたよね」
「作ってた」
朝宮がフィギュアのほうを向く。
そこには、朝宮の姿をした等身大のフィギュアが立っていた。
踏み出した脚は前を向いたまま、腰から肩へ大きくひねり、こちらを振り返っている。その動きに合わせてポニーテールが弧を描いていて、片腕は肘を上げ、頬にかかった髪を払うように指先を添えている。
頬が持ち上がり、目元を少し細めた表情は、誰かに呼び止められて、振り返った瞬間にこぼれたような満面の笑顔だ。
服装は最初に試作を作ったときの、夏服の制服に戻した。振り返る動きに合わせてスカートの裾が流れ、そこから伸びる脚の線も見える。
木も動物もなく、背後には体を支える支柱だけが残っているが、朝宮の動きと表情へ、自然に目が向くようになっている。はずだ。
確かめるように朝宮を見る。朝宮はひと言も発さず、フィギュアを見つめていた。
「朝宮」
さっきの夢が頭によぎって、どうだ、の一言が言えなかった。
なんとか言ってほしい。が、なんとも言ってほしくはない。
逡巡していると朝宮がこちらを向いた。
「五百蔵くん、これ……」
「む……」
「すごく、私っぽい」
朝宮は抑えきれないように笑った。少し目を潤ませながら、続ける。
「……私、かわいいじゃん」
「……ああ……」
朝宮の言葉を聞いた途端、一気に息を吐いた。
窓から差し込む朝日のせいか、単に徹夜明けで頭がおかしくなっているのか、朝宮の笑顔がやけに眩しく見える。
「かわいい朝宮を作ると約束したからな」
「……五百蔵くん、笑ってる」
「そうか?」
「うん」
言われて初めて、頬が緩んでいることに気づいた。
そこへ、美術室の引き戸が開き、大きなあくびをしながら快吏が入ってきた。その後ろに椿原が続く。昨夜の椿原の捜索は、成功したのだろうか。
「おはよ……余、できた?」
快吏は眠そうな目をこすり、フィギュアを見た。
「すげえ」
「ちゃんと見て言え」
「いや、本当にすごいって。削る方向でいったんだなあ。でもそれが、ちゃんと朝宮さんっぽくなってて、いいよ」
「たしかに、みなもちゃんらしいですね」
椿原も言う。
「正直、驚いてます。昨日からこんなに変わるとは。みなもちゃんのこと、本当によく見てるんですね」
「見ていないと作れない。いまさら……」
朝宮に目が行った。目が合うと、朝宮はにこっと笑う。
「嬉しい」
顔を伏せる。妙に気恥ずかしいのはなんでだ。
「で、これからどうすんだ」
快吏がフィギュアを見上げながら言う。
「まだ調整したいところがある。……彩色は……」
「写真撮るのは夏休み最終日だけど、間に合うのか?」
「彩色をするなら、これで切り上げないと間に合いません」
「彩色はしない」
はっきりと言った。
「時間がないからじゃない。俺はこれがいいと思う」
もう一度、フィギュアを見る。表面にはまだ整っていないところがあるが、形そのものには迷いがないし、何より今まで作った中で最高の出来だ。
それなら、わざわざ彩色を施さなくても、この造形で仕上げて出せばいい。
「表面を整えて、この朝宮で勝負する。造形だけで金賞を取る」
椿原は一拍遅れて頷いた。
「わ、わかりました」
「すげー自信」
快吏が茶化すように言う。
「私だからね、モデルが」
当然だ。他と比べて負けるとは思えない。
話がまとまったところで、昼間先生がようやく美術準備室から姿を見せた。
その日から撮影前日まで、できる限り手直しを続けた。朝宮と見比べながら、手や脚の長さ、体全体のバランスを確かめ、表面の粗い部分を削り、形の甘いところへ粘土を足した。宣言どおり、残った時間はすべて造形の調整に使った。
そして迎えた、夏休み最終日。
美術室で、椿原がプリントを見ながら言う。
「規定では、正面からの全景、斜め前方、それから背面の、合計3枚が必要です」
「写真、誰が撮るの?」
「オレやるよ。ちゃんと準備してきた」
快吏が足元に置いたボストンバッグから、大きなレンズのついた黒いカメラを取り出した。
「すげーだろ、一眼レフ」
「どうしたんだ、それ」
「昼間先生に撮影で必要だって言ったら、職員室の机の下から出てきた」
机の下から。
続けて快吏は、折りたたまれた銀色のものを取り出し、ばっと広げた。
「レフ板も用意してっと。これでばっちり!」
俺は言われるままレフ板を持たされ、快吏は位置を変えながら何枚か試し撮りした。
画面の中には、正面から見たフィギュアの全身が収まっている。顔や服にも濃い影がなく、実物の形がそのまま見えた。
「わ、うまいね辻くん」
朝宮も横から画面を覗き込んだ。
試しに俺も1枚撮らされたが、快吏の写真とは明らかに出来が違って見える。
「むう」
「撮影にもテクがいるのよ」
「本当に上手ですね〜。快吏くん、私も撮ってほしいです」
「いいけど、椿原のなにを撮るのよ」
椿原の笑顔が、わずかに深くなった。
「私を撮ってほしい、という意味ですけど〜?」
「あ、はい。ごめんって」
「じゃあさ、彩ちゃんも撮ってもらって、作品を撮り終わったら記念撮影しよ。みんなで!」
「記念撮影?」
「うん。この作品、完成したんだよね?」
まだ直したいところはある。だが、完成にすると決めたのだ。
「そうだな。完成した」
「だったら、撮っておきたい。作品だけじゃなくて、みんなも一緒に。この夏、みんなでこれ作ってたって、残しておきたいじゃん」
「誰が撮るんだ」
「昼間先生、呼んでくるね!」
朝宮がダッシュで美術室を出ていった。夏休みに入ってから、昼間先生は何かと俺たちに呼び出されている。
それから、フィギュアの撮影を終えた快吏が、椿原の写真も何枚か撮るあいだ、俺は邪魔にならない位置でレフ板を持たされた。
快吏が「おっけー」と満足そうに顔を上げたのとほぼ同時に、
「先生も写りたいです」
と、昼間先生が朝宮と現れた。
快吏がカメラを三脚に固定し、セルフタイマーを設定する。
「みんな、並ぼう!」
朝宮の掛け声で俺たちはフィギュアの前にぞろぞろと並ぶ。
「主役はまんなかね!」
朝宮が楽しそうに俺の腕を引く。
「主役は朝宮のフィギュアだ」
「作った人も主役だよ」
言われるまま、フィギュアの横へ立たされる。俺の隣に朝宮が並んだ。
快吏は当然のようにピースをしていて、椿原も控えめにそれに倣う。朝宮も笑いながら指を二本立てた。
肩が触れそうなところに朝宮がいて、かすかに甘い匂いがする。
「五百蔵くん、おつかれさま」
「……ああ」
一度目は、シャッターが切れるまでに昼間先生だけが間に合わなかった。二度目で、全員が写真に収まった。
「あとは提出だけ?」
「はい。書類もまとめてるので、昼間先生が出してくれるはずです」
全員の視線が昼間先生へ注がれた。
昼間先生はふわついている。
「やっとく、やっとくよ。まかして」
「大丈夫だ。合宿の許可も取ってくれたし、やるべきことはやってくれる」
やらなくていいこともやってはくれる。
「五百蔵くんだけだよ、先生を信じてくれるの」
「そこまで言ってないです」
「私が昼間先生に付き添って、ちゃんと提出するのを見届けますね〜」
信頼されているのかいないのかわからないが、昼間先生は嬉しそうに頷いていた。
「結果って、いつ分かるの?」
朝宮が聞いた。
「提出締切から3日後です」
「早いね」
「写真審査なので、去年もこのくらいでした。結果は学校宛てに届くので、分かったら私からみんなに伝えますね〜」
「通ってたら、すぐ実物を送るんだよな」
カメラをしまいながら快吏が言う。
「そうですね。一次通過から1週間以内に、実物を送る必要があります。最終結果は今日から2週間後に発表されます」
「それは結果が出るまで少しかかるんだね」
2週間か。
早く結果が知りたい。
「では、提出してきますね〜」
椿原に促され、昼間先生も美術室を出ていった。
「明日から学校かー。って、カメラ返すんだった。先生ー!」
快吏も、椿原たちを追って美術室を出ていった。
——今日で、夏休みが終わる。
フィギュアを作るために学校へ行くのも、モデルを頼んでいた朝宮に会うのも、今日までだったのか。最初からわかっていたはずなのに、ずいぶん急に感じる。
「早かった」
「そうだね」
なんとなく口にしただけだったから、返事が来るとは思わなかった。朝宮は窓の外を見ている。
「結局、夏休みのほとんどを朝宮に付き合わせた」
「ううん。楽しかったよ。粘土で動物作るのうまくなったし。助っ人代もたくさんもらったし」
「助っ人代を途中から渡していなかった」
「途中からは、私が来たくて来てたから、いいよ」
「……そうか」
朝宮の視線が、即席の生徒会机へ移った。そこには、朝宮が作った動物が16体並んでいる。中には、何日もかけて作ったものもあった。
「あの動物、どうしよう。持って帰ったほうがいいかな」
「美術準備室の棚に置いておけばいい。邪魔にはならない」
「……じゃあ、もう少し置いておこうかな。また作りたくなるかもしれないし」
朝宮は少し黙ってから、こちらを向いた。
「私、もう美術室には行かなくていいの?」
「ああ。フィギュアは完成した。モデルとして来てもらう必要はない」
「……そっか」
朝宮はまた窓の外へ目を戻した。
「じゃあ、明日から、どうやって五百蔵くんと話せばいいんだろ」
「どうやって? 明日から学校が始まる。朝宮と俺は同じクラスだ。いつでも話せる」
「……うん、そうだね」
朝宮はこちらを向いて笑った。
「じゃあ、明日、普通に話しかけるね」
「……ああ」




