第一章(一)
「どういうこと?」
朝宮は引き戸から手を離して、こちらへ向き直った。
「朝宮を見ながらフィギュアを作って、美術展に出したい。締め切りは8月末だ」
「……どういうの作るの。私をモデルにするってことは、かっこいいフィギュア?」
「違う。俺が普段作るのは、アニメやゲームのキャラクターフィギュアだ。かわいいと言われることが多い。だから朝宮のフィギュアも、かわいいものになる」
朝宮は開け放した窓の外へ視線をそらす。
「……私、そういう感じじゃないと思うんだけど」
「どういう感じだ」
「かわいいとか。さっきだって五百蔵くん、言ってたよね。堂々としてる、って。それって、その。かわいいとはちょっと違うじゃん」
堂々としていると、かわいいものにはならないのか。俺は朝宮を選んだ理由を話したつもりだったのだが。
考えていると、朝宮は声を小さくして言った。
「……あんまりかわいいって言われたことないし」
なるほど。朝宮は、自分をモデルにしても俺がかわいいものを作れないと思っているらしい。それなら、訂正しておく必要がある。
「フィギュアは高校に入ってからずっと作っている。完成させたものだけで10体以上ある。実際の人間をモデルにするのは初めてだが、かわいく作れないなら、俺の腕が足りないだけだ」
言うと、朝宮の視線が戻ってきた。
「私がモデルでも、かわいく作れるってこと?」
「もちろんだ」
俺が頷いたあと、朝宮はしばらく何も言わなかった。見定めるようにじっと見つめてくる。無言の中を運動部の掛け声とホイッスルの音が通り過ぎた。
「じゃあ、見せてよ」
教室の引き戸からこちらに近づいてきて、言う。
「五百蔵くんが作ったフィギュア」
引き受けてくれるのか。
いや、まだそう言ったわけではない。
「美術室に作ったフィギュアを置いてある。案内する」
「やっぱりホントだったんだ、噂」
「噂?」
「美術部じゃないのに、いつも美術室にいる人。なんだっけ、仙人って呼ばれてるんでしょ」
そんなふうに呼ばれていたのか。
「仙人ではない。フィギュアを作っているだけだ」
「黙ってると、けっこう目力あるし……ちょっと納得かも」
美術室へ向かう途中、朝宮と二人で渡り廊下を歩いていると、正面から女子生徒が小走りで近づいてきた。
「朝宮先輩!」
呼ばれて、朝宮が足を止める。
女子生徒は朝宮の前まで来ると、背筋を伸ばした。それから深々と頭を下げ、両手でスポーツドリンクを差し出す。
「昨日はありがとうございました。これ、助っ人のお礼です!」
「わ、ありがとう。昨日はお疲れさま!」
「朝宮先輩が入ってくれたから、すごく助かりました」
「それならよかった。大会、頑張ってね」
朝宮が笑いかけると、女子生徒は頬を赤くして、感激したように朝宮を見上げた。
「は、はいっ!」
再び勢いよく頭を下げる。そのまま廊下を走っていき、少し離れた曲がり角で待っていた二人の女子生徒と合流した。
三人で俺たち、というより朝宮を見ながら小声で騒いでいる。
「知り合いなのか」
「昨日、助っ人したバレー部で一緒だった子」
「後ろの二人は?」
「うーん……知らない子」
朝宮は受け取ったスポーツドリンクを鞄へ入れた。
バレーボール部では、贈り物をするときは三人で来る決まりでもあるのか。
「行こ」
深くは考えまい。
旧校舎の2階にある美術室の前まで来た。
朝宮は廊下をきょろきょろと見回す。
「……旧校舎のほうだったんだ。ほんとに毎日ここに来てるの?」
「ほとんど毎日、放課後はここにいる」
引き戸を開ける。中はいたって普通の美術室だ。正面の黒板に向かって作業机が何列か並び、壁際にはイーゼルや石膏像が置かれている。ただ、放課後になると、俺たちは最前列の作業机をふたつ動かし、黒板脇の窓際にL字型の作業場所を作る。
そのそばで、男子生徒が背を向けていた。開け放した窓の手すりにもたれるようにして校庭を見下ろしている。
「おー、負けて帰ってきたかー」
俺だけが戻ったと思っているらしく、男子生徒はこちらを振り向かない。
「お前ってときどき突っ走るよなあ。まあ当たって砕けるのも楽しい——」
ようやく振り向き、そのまま固まった。
俺より少し背が低く、焦げ茶色の短い髪は無造作に跳ねている。夏服をゆるく着崩したそいつは、ぷるぷると震える指で朝宮をさす。
「朝宮さん……?」
「……そうだけど。えっと……?」
「あ、辻快吏。こいつの友達」
「私のこと知ってるの?」
「運動部の助っ人で有名じゃん。2年ならだいたい知ってるって。……ていうか、余、お前、もしかして成功したのか?」
朝宮にモデルを頼むと決めたのは、ついさっき、この美術室で快吏と話していたときのことだ。
「まだ成功してない。これからフィギュアを見せて決めてもらう」
「んな……」
快吏が口をぱくぱくさせていると、朝宮が俺の腕を小突いた。
「ねえ、どういうこと?」
「快吏はフィギュアの共同制作者だ」
朝宮はよく分からないという顔をした。
「あっ、朝宮さん。ちょ、ちょっと説明させてくんない? 余のことだし、勢いだけで肝心なとこほとんど説明してない気する」
そんなことはない。ちゃんと説明したはずだ。
快吏は作業机に置いてあったタブレットを手に取る。何度か画面をスワイプさせて、朝宮へ見せた。
「オレと余、1年のころからここでフィギュア作って、制作動画も上げてんの。実際に作るのは余で、オレはなに作るか決めたり、撮影したり、編集したり、要は作る以外のことぜんぶだな」
画面には俺の手がスパチュラ——金属製のヘラ——で粘土を押し、形を整えている様子が映っている。
「チャンネルまであるんだ」
「登録者は、もうすぐ1万」
「1万? すごくない?」
「まだ1万だって。出来は悪くないし、見せ方次第でもっと伸ばせるはずなんだけど」
快吏は次の動画を開こうと指を伸ばした。
「快吏、動画の説明はあとでいいか。先に実物を見せたい」
「んー、それもそうか」
俺は美術室の奥にある扉を開けた。
「朝宮、作ったフィギュアはこっちだ」
そこは美術道具や使われなくなった備品が雑然と置かれ、ほとんど倉庫になった美術準備室だ。その一角を無理やり開けて作ったスペースにスチール棚を押し込み、フィギュアを並べていた。
「……学校って、こんなに私物置いていいんだっけ?」
「先生の許可はもらっている。使っていいのは、この棚ひとつ分だけだが」
「許可まで取ってる」
朝宮は棚の前に屈み込み、作品を1体ずつ眺めていく。
完成品は11体。
制服、ドレス、鎧、裾の広いアイドル衣装のフィギュア。どれも放送中のアニメや、有名なゲームで人気のキャラクターだ。快吏が「今なら伸びる」と持ってきて、俺が20センチくらいの大きさで作った。
棚の足元に置いた段ボールには、未彩色の頭部や腕、髪、台座、それに失敗した顔のパーツが山ほど入っている。
朝宮が一体の前で足を止めた。
「あ、この子知ってる。マンガで読んだことある。ドレスがすごくかわいくて」
顔を右へ左へ動かしながら、いろいろな角度から眺めている。
「ああ。ドレスは苦労した。だが、これを作って、布のひだや重なりも作れるようになった」
「これほんとに全部、五百蔵くんが作ったんだよね?」
「そうだ」
朝宮は「へえ……」と息を漏らした。
「普通に上手い」
「……普通に? 褒めたのか?」
「うん。すごい」
朝宮が肩越しに笑った。不意に目が合い、俺は視線を棚へ逸らす。
笑うと目尻がわずかに下がるようだ。教室での凛とした印象とは少し違う。
「わかったなら、モデルを頼みたい」
「待って。すごいのと、私がやるのは別でしょ」
「そこまで言っておいて何が不満なんだ」
朝宮は一歩離れて棚全体を眺めると、首をひねる。
「かわいいけど、ぜんぶ似てるっていうか」
「似てない」
顔の輪郭も、目の形も、口元も、それぞれ変えて、キャラクターを再現したつもりだ。前に作ったものは口角のくぼみを何度も作り直したし、その前はポーズが気に入らなくて、脚を根元から作り直した。
「違うのは分かるんだけど。でも、どの子も同じ『かわいいでしょ』って感じがする」
「む……」
もう一度言い返そうとして、言葉に詰まった。
以前、投稿した動画に『毎回同じ感じで飽きた』とコメントされたことがある。一度きりだったその言葉を、今になって思い出した。
「……そう見えるのか」
「え、ごめん。ただの感想だから、そんなに真剣に受け取らなくても」
「いや、いい。それなら、なおさら朝宮にモデルになってほしい。朝宮なら、俺が気づかないことに気づく。作っている途中でも、思ったことがあれば言ってほしい」
「やること増えてるじゃん」
朝宮は小さく笑った。
「モデルって、いつやればいいの?」
「夏休み中だ。この美術室で作る」
「私、夏休みは部活の助っ人がある日にしか学校来ないよ。モデルやるなら、その前かあとになるけど、それでもいい?」
「構わない。来られる日は多いほど助かるが」
「そっか。それでもいいなら……ひとつだけ、約束してほしいんだけど」
「なんだ」
朝宮は人差し指を俺の目の前へ突き出した。
「ちゃんと私らしくて、私が見てもかわいいって思えるフィギュアにして」
……朝宮らしくてかわいいとは?
「具体的にどういうものだ」
「それは……分かんない。ていうか私も知りたい」
「朝宮も分からないのか」
「五百蔵くんならかわいく作れるって言ったでしょ。約束してくれるなら、モデルやる」
本人にも分からないものを、正しく作る。ずいぶん抽象的な条件だ。
だが、ここに並ぶフィギュアは、動画でも何度もかわいいと言われてきた。俺にはかわいいものを作る技術があるし、かわいいかどうかは、朝宮に確かめながら進めればいい。それなら、作れないはずはない。
「約束しよう。絶対に、朝宮がかわいいと思う朝宮のフィギュアを作ってみせる」
朝宮の表情が、少しだけ緩む。
「うん。じゃあ、よろしく」
「朝宮は、自分がかわいく見えることに並々ならないこだわりがあるんだな」
そう言った瞬間、朝宮の目からすっと光が消えた。
「……そういうことにしておいて」
会話が途切れると、美術準備室のドアから快吏が顔を覗かせた。
俺と朝宮を交互に見る。
「え、まさか、契約成立か?」
「契約っていうか、モデルの助っ人やるよ」
朝宮が答えると、快吏は目を丸くした。
「まじか。これ、面白くなってきたな」
そこまで成功しないと思われていたのか。
朝宮が俺に向き直った。
「それで、モデルって私、何すればいいの?」
「モデルはモデルだ。……ここでは狭い。隣の美術室に移ろう」




