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第六章(三)

「とってきたよ、ほら、鍵!」

 美術室に戻るなり、朝宮は戦利品の鍵を掲げた。

「おめでとさん。にしても遅いぞ、なにやってたんだよ」

 快吏が言った。椿原とはもう言い争っていなかった。

「寄り道をしてたんだ」

「へー、どこ?」

「音楽室。朝宮が音がすると言うから確認した。窓が少し開いてて、楽譜のクリップが譜面台に当たっていただけだった」

「ふーん」

 快吏は気にも留めないようだったが、椿原が訝る顔をする。

「音楽室? 入れないですよね〜? 鍵がかかってるはずですけど」

「え? かかってなかったよ」

「あそこ吹奏楽部も使ってるじゃん。閉め忘れたんじゃね?」

「そうですけど、施錠を確認してから鍵を返すルールなので、忘れるとは考えづらくて」

 そこで全員がしんと静まり返る。

 もう終わったのだ。いまから疑問を増やして何になる。

 快吏も目を輝かせるどころか、椿原から目を逸らしている。

「きっと、今日、たまたま、たまたま忘れただけだよ!」

「……そうだな。それが一番現実的だ」

 現実的。大事な言葉だ。

 鍵は四人で職員室へ返しに行った。

 先にシャワーを済ませて美術室へ戻ると、ほかの三人はまだ戻っていなかった。時計はもう夜の9時を過ぎている。

 買い出しに大富豪、料理に肝試し。本当に今日、合宿が決まったのか。ほとんど顔の問題のことを考える間もなく、あっという間に時間が過ぎていった。

 そこに美術室の引き戸が開いた。

 入ってきたのは、タオルを首にかけた朝宮だった。ゆったりしたTシャツに、ジャージのズボンを穿いている。

「……髪を下ろしている」

「うん、髪洗ったからね」

 髪はまだしっとりとしている。普段は高い位置で結んでいて気づかなかったが、髪を下ろすと腰まであった。

「私、なにか変?」

「変ではないが、新鮮だ」

「もしかして、下ろしてるほうが好き?」

 結んだ髪か、下ろした髪かという問題か。どちらかと言われると、結んでいるほうが朝宮らしい気がする。しかし下ろした髪も悪くはなく、毎日交代でも良い。

「五百蔵くん?」

「ああ……うむ、どちらでも」

 朝宮は口を尖らせる。

「どっちかで答えてほしいの」

「む……いまは下ろしているほうがいいが、いつもの朝宮も良い」

「じゃあ、今日はこのままにしておくね」

「ん? ああ」

 朝宮は即席の生徒会机の椅子に腰掛ける。

「もうすぐ、消灯だって。夜の10時」

「そうか」

 フィギュアの顔は、今朝と同じように平らなままだ。ビニールを外して向き合うと、あれほど焦っていた気持ちが少し遠く感じた。

 なぜだろうか。大富豪で得意げに笑った顔や、音楽室で俺の手を強く握ったときの顔が浮かぶ。どれもフィギュアに当てはめてみたくなる。

「今日一日だけでモデルをしていたときとは違う朝宮をいくつも見た。どれが正解か、わからない」

 朝宮は机に頬を預け、独り言のように言った。

「……ぜんぶ私なんだけどな」

「ぜんぶ」

「うん。五百蔵くんは悩んでたかもしれないけど、今日は楽しかったから、私はいろんな顔してたんだと思う」

「……楽しかった、か」

「あ、モデルがつまらないってわけじゃないよ。ほんと、合宿してよかったなって」

 朝宮が顔を上げ、慌てて付け足した。

「そうだな。俺も、合宿をしてよかったと思う」

 口にしてから、自分でも意外だった。顔は一度も作れなかった。それでも、大富豪で勝とうとしたことも、音楽室へ一緒に戻ったことも、無駄にした時間だとは思わない。

「そういえば、これ」

 朝宮が机の上にある試作を手に取った。

「最初見たとき、すごく私らしいと思ったんだよね。顔はないけど、私だ、って。どうしてだろうね」

 そうだ。朝宮は最初から、顔のない試作を自分らしいと言っていた。顔を作り直すことばかり考えていたが、あの試作の何を見て、そう思ったのだろう。

「……何か」

「え?」

「思いつきそうな気がする」

「えっ、ほんと?」

 試作を受け取ってフィギュアと見比べようとしたところで、美術室の引き戸が開いた。ふわふわとしたパジャマに身を包んだ椿原が入ってきた。学校でその格好をしていても問題ないのか。

「そろそろ消灯時間です〜」

「……俺はもう少しここにいる。試作と見比べたい」

「言うと思ってました」

 椿原がタオルで髪をなでながら言う。

「昼間先生に、美術室をもう少し使ってもよいか聞いておきました。『あとで行くから、適当に使ってて』とのことです〜」

 適当。

「……使えるなら助かる」

「無理はしないでくださいね〜。ところで、快吏くんを知りませんか?」

「え、辻くん? 見てないよ」

「俺も知らない」

「おかしいですねえ。五百蔵くん、居場所に心当たりは?」

 快吏のいる場所など知らない。とはいえ、椿原の瞳が黒く大きくなっていて、なにかしら答えないといけない気がしてくる。

「……快吏はよくコーラを買いにいくことがある」

「あら、まさか外の自動販売機に? 分かりました。自由時間ではないので、勝手に行動しないよう連れ戻してきますね〜」

 その格好で探しに行くのか、と言いかけて、椿原を見送った。

「今からでも、モデルしようか?」

「……いや。今は自分で考えたい」

「そっか。じゃあ、先に寝てるね」

 朝宮は戸口でもう一度こちらを見てから、美術室を出ていった。


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