↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/25

第六章(二)

 美術室へ戻り、引き戸を開ける。

「おかえりー」

 そこには、昼間先生がいた。

 作業机のそばで、当たり前みたいな顔をして手を振っている。

「準備、できてるから」

「先生、俺はフィギュアを」

「あと雰囲気づくりのために、2階と3階の電気は全部消しておいたよ」

 聞いていない。

「段取りさすがっすね」

「先生だからね」

 昼間先生は、授業を始めるように黒板の前に立ち、即席の生徒会机に両手をついた。

「では、ルール説明をします。えー、スタートはこの美術室。3階奥の女子トイレ、その突き当たりの窓の下に、古い鍵を2本置いてきました。それを1本ずつ取って、この美術室まで戻ってきたらクリアです」

 もともと昼間先生の発案で合宿になったのだ。最初から制作は二の次だったのではないかとすら思えてくる。

「二人一組で行ってね。女子トイレだから、鍵を取るのは女の子。男の子は入口の外で待機」

 男子が女子トイレに入ってはいけない。なぜそこだけは正しく判断するのか。

「つまり、快吏くんと椿原さん。五百蔵くんと朝宮さん」

「待ってください。勝手に決めないでください」

「でも、椿原さんには先に安全確認してもらいたいんだよね。みんなを行かせて大丈夫か、見てきてくれない?」

「は、はあ。安全確認……」

 不本意そうに眉を寄せたあと、快吏をちらと見た。

「わかりました。私たちが先に行きます」

「お、椿原、勇ましい」

 快吏はけらけら笑いながら、椿原の後について美術室を出ていった。

「じゃあ先生、職員室にいるから。終わったら教えてね」

 先生はひらひらと手を振って、美術室を出ていって、俺と朝宮だけが残された。

 今回も、始めるだけ始めてあとは俺たちに任せるのか。

 急に静かになった美術室の真ん中には、ビニールシートをかぶったフィギュアがある。

 快吏と椿原が戻ってくるまで、時間はあるだろう。

 シートを外して、もう一度見てみるか。手をつけられるところがあるかもしれない。

「作りたいなら、作っててもいいよ」

 声を掛けられ、朝宮のほうを向く。

「……なに?」

「私、一人で行ってくるから。気にしないでいいし」

「一人で?」

「うん。もう夜だし、五百蔵くん、作りたいんじゃないかなって」

「否定はしないが」

 朝宮はさっき、二人なら大丈夫だと言っただけで、一人でも大丈夫だとは言っていない。

 このまま朝宮一人に行かせても、気になってフィギュアに集中できない。

「……行く」

「え」

「二人一組で行くと決まっただろう。フィギュアは戻ってから作る。俺が残ったら話が違う」

「……そっか」

 朝宮は一度俯いてから、顔を上げた。

「やった。ありがと」

 ふんわりと笑って、頬をかく。

「五百蔵くんの邪魔したくないのは本当だけどさ、一人って考えたら、やっぱりちょっとね。安心し——」

 きゃああああ!

 朝宮の言葉を遮り、旧校舎に悲鳴が響きわたった。

 まさしく椿原のもので、二人同時に廊下を見た。

 朝宮は微動だにしない。

「……快吏が、椿原にいたずらかなにかをしたんだろう。……そのはずだ」

「そ、そうだよね。うん。そうだよ」

 朝宮の目が泳いでいる。

 そうでなければ困る。まだ俺たちは行ってもいないのだ。

 それからしばらくして、快吏と椿原が美術室に戻ってきた。

 椿原は目元を赤くして、その後ろから入ってきた快吏は頬を手で押さえている。

「最低です。本当に。快吏くんが、後ろから急に肩を触ったんです。しかも、変な、すーっと撫でるみたいに!」

「そうなのか」

「違うって! オレ、なんもしてない! 触ろうととすらしてない! いきなり椿原にぶっ叩かれたの!」

 朝宮が喉をひくりと鳴らした。

「下手な言い訳を! あの廊下には私たちしかいなかったでしょう!」

「だから怖いんだろ!?」

「怖がらせた本人が言わないでください!」

 二人が言い争う間に、朝宮がじりじりと俺のそばに寄ってくる。

「え、えええ……怖すぎるんだけど」

 ぐ。むぅ。

 だが、ここでやめたら、本当に怖くて行けなくなったみたいになる。朝宮には一緒に行くと言ったのだ。そんな格好の悪いことをしてたまるか。

「……行くぞ」

「え、も、もう?」

「いま行かないと、余計に行けなくなる」

 まだ言い争っている快吏と椿原を置いて、俺と朝宮は美術室を出た。


 少し欠けた月が出ている。雲ひとつない。

 先生のはからいで消灯された旧校舎の廊下を、月明かりが照らす中、俺たちは歩いていた。歩くたび、床板がぎぎぃ、ぎぎ……とひどく不安げな音を立てる。

 後ろから、朝宮が息を潜めてぴたりとついてきているのがわかる。俺が足を止めればそのままぶつかる距離だ。

「朝宮、歩いているだけだ。もう少し離れても良いと思うんだが」

「無理。……やだ」

 明らかに声が震えている。

 二人なら大丈夫と言っていたはずだが、これは大丈夫ではない。

 早く終わらせよう。

「目的はトイレに置いた古い鍵だったか」

「そっ、そう。そう。えと、女子トイレにあるって」

「昼間先生の言うとおり、鍵は朝宮に取りに行ってもらう必要がある」

「そうだけど……そうだけど……っ」

 俺が代わりに女子トイレへ入るわけにもいかない。

 再び黙って歩き出した。見えない何かに警戒して進んでいるだけあって、3階の女子トイレが遠い。

 さっきの椿原と快吏のやりとりを思い出す。触ったという椿原と、触っていないという快吏。二人とも、嘘を言っているようには見えなかった。

 それなら、誰が触ったんだ。

 背筋がひやりとした。

 ……いや。そもそも、誰かが触ったとは限らない。暗ければ、何かに肩が当たっても見えない。服や何かが、引っかかっただけかもしれない。見えないのだから、触られたと決めるには——

「ぐえっ!」

 俺の声が意図せず出た。

 急に後ろに引っ張られた。

 なんだ、なんだ!?

 引っ張られる、ではない。思い切り首に腕を巻かれて、締め上げられている、といったほうが正しい。腕を振りほどこうとする間もなく、耳元で声がする。

「なんか音した! 音がした!」

 声の主は朝宮だ。それはいい。

 しかしこちらはそれどころではない。

「っ……」

「やだやだやだ、怖い怖い怖い〜!」

 朝宮の力がどんどん強くなる。背中に何か柔らかいものが当たっている気もするが、本当にそれどころではない。

「朝宮……」

 俺は必死に朝宮の腕をタップした。

「五百蔵くん、聞こえた!?」

「あ、朝宮」

「ねえっ、……あれ?」

 そこでようやく朝宮の腕から力が抜けた。

 俺は解放された勢いで前につんのめり、咳き込みつつ、なんとか体勢を整える。

「げほっ……朝宮に殺されるところだった」

「ごめんっ、抱きついちゃって……でもほんとに、なんか聞こえてっ」

 俺には、なにも聞こえなかった。

 抱きつかれた、というより締め上げられていたので、音を聞く余裕などあるはずもない。

 しかし、振り返って朝宮の顔を見上げると、半泣きだった。このまま、そんなの聞こえなかった、気のせいだと言い切るのは、さすがに憚られる。

 けほ、と咳をして、喉をおさえつつ朝宮に聞く。

「……どこから、どんな音がしたんだ」

「……あっち。あそこから絶対音した」

 朝宮が俺の袖を引いて指さすほうは、さっき通り過ぎた音楽室だ。少しの距離とはいえ、戻るのか。

「怖いんじゃないのか。音の正体をわざわざ確認しなくてもいいだろう」

「でもこのあと3階の女子トイレまで行くんだよ? 気になるじゃん。原因わかれば怖くなくなるかもしれないし」

 朝宮は音楽室を見たまま、俺の袖を握り直した。

「私一人で行くのは無理。だから一緒に確認しよ」

「……確認するのは良いが、また首を締められたくない」

 朝宮は少しだけ黙った。

「じゃあ、手。手、繋いでおいて」

 む。

 手を繋げば、首に腕を回される心配はない。俺が求めたとおりだ。

 俺は差し出された手を見ながら、ほかに方法はないか考えた。何も思いつかない。

「……わかった」

「ん」

 俺はその手をとり、朝宮を連れて音楽室に入った。

 ここも家庭科室と同様、旧校舎とはいえ、いまも授業で使われている教室だ。床に埃が積もっているわけでも、壊れた楽器が放置されているわけでもない。

 月明かりに照らされた机と椅子、窓辺のカーテン、壁際に並んだ譜面台、黒板の横に置かれたピアノがあるだけの、ただの音楽室だ。

 そのとき、音がした。きん、と高い金属のような音で、一瞬だが耳に残る音。

「ひっ」

 朝宮の手に力がこもる。

「痛い」

「ご、ごめん。でも今の!」

「ああ。今のは聞こえた」

 音は、窓際からだ。ピアノ側にある窓のカーテンが揺れている。

 近づいてみると、窓がほんの少しだけ開いて夜風が入り込んでいた。そばの譜面台には、楽譜が置き忘れられている。

 その隅に小さな金属のクリップが留めてあって、ときどき風で紙ごと浮き、戻るときに譜面台へ当たって、きん、と細い音を立てた。

 朝宮、こんな小さな音を廊下から拾っていたのか。

 空いているほうの手で窓を閉めながら、朝宮に言う。

「風で楽譜のクリップが譜面台に当たってるだけだ」

「……なっ、なーんだ」

 二人とも黙った。原因はわかったのに、朝宮は手を離そうとしない。さっきは原因がわかれば怖くなくなると言っていた気がしたが。

 ——手は離さなくていいのか。

 そう言おうとして目を落とすと、朝宮の指が目に入った。そのまま、言いかけたことを忘れた。

 朝宮の姿はモデルとしていろんな角度から見てきたが、手をここまで近くで見たことはなかった。俺の手を握る指は、思っていたより細く、長い。曲げた関節から指先まで、目でたどる。

「五百蔵くん? ど、どうしたの」

「手を見てる」

「へっ?」

「指が長い。作るとき、少し短く見積もっていたかもしれない。戻ったら修正しないと」

「……もう!」

 朝宮に思い切り手を振りほどかれた。

「そういうこと、手繋いでるときに言う!?」

「いま気づいたんだ。仕方ないだろう」

「そう、ですね! 早く女子トイレいこ!」

 朝宮は大股で足音を響かせながら音楽室を出ていく。

 なんなんだ。俺もその後を追った。

 階段を上り、3階へ出る。女子トイレは、そこから廊下を進んだ先にあった。扉のすりガラス越しでは中の様子はわからないが、男子トイレは普段から使っている。新校舎と違って改装されておらず、床も壁もタイル張りだ。こちらも似たようなものだろう。

 そのままの勢いでトイレに突入するのかと思ったが、朝宮は扉の前に立ったまま、すりガラスを睨みつけている。

「五百蔵くん」

「なんだ」

「開けとくから、見ててね。この入口から、見てて。鏡は、見ないようにしてくる」

 鏡に何かが映っても、見てはいけない。快吏はそう言っていた。

「……分かった」

「絶対だから」

 慎重に、女子トイレの扉に手のひらをついた朝宮。

 一呼吸置いた瞬間、ばんと扉を押し開けた。

 月明かりに浮かぶ女子トイレの間取り。まっすぐ進んだ先に窓があり、窓台の上に何かが乗っている。あれが鍵か。

 それからの朝宮は早業だった。一歩、二歩、三歩。軽やかなステップで窓まで近づいていき、置いてあった鍵を取る。

 そして無駄のない身のこなしで翻り、同じ調子で入口まで戻ってくる。俺の目の前で、体操選手のように両手を上げ、ぴたりと止まった。

「と、とったー!」

「すごい身体能力だ。動きがしなやかだった」

「これでミッション達成だね!」

 朝宮が鍵を握ったまま、俺に笑いかける。さっきまで半泣きだった人間とは思えない。

 まあ、怖くなくなったのならいいのか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。