第五章(一)
翌朝、俺は等身大フィギュアの前に立っていた。
乾燥と彩色を残すだけだったはずが、いまそれに着手するわけにはいかない。
顔が違う。
朝宮の言う「朝宮らしい顔」が何なのか分からないまま、気づけば30分もフィギュアを睨みつけていた。
今は9時10分。
朝宮を見て作るつもりだったが、フィギュアを前にただ立っているだけではどうにも落ち着かなくて、ほとんど無意識に手を伸ばし、まだ乾ききっていない顔の目、鼻、口をこそげ落としていた。
モデルとして立っていた朝宮の姿を、記憶をたどりながら作り直す。
しかし、できあがった顔も、削る前の姿とどう違うのかが判然としない。
やはり、本物と見比べなければだめだ。
美術室の引き戸が開いた。朝宮かと思って顔を上げたが、入ってきたのは快吏だった。
「快吏か」
「朝宮さんじゃなくて悪かったな」
「朝宮が映っている動画を見せてほしい。できるだけ顔が大きく映ったやつだ」
「大きく? 朝宮さんが映り込んでるのはあるけど、制作風景だからな……」
見せてもらった動画はフィギュアを真ん中に据えていて、朝宮は画面の端に見切れていた。
「顔を正面から撮ったものは」
「だから撮ってねえよ。本人に直接言って、間近で観察させてもらったほうがいいだろ、なんのモデルだよ」
「……ぐうの音も出ない」
俺は作り直した顔を削り取った。
次に来たのは椿原で、同じく「椿原か」と言ったら、「みなもちゃんじゃなくてごめんなさい」と返された。
朝宮が来たのは、それから間もなくだった。
「お、朝宮さん、おはよ」
「……おはよ。遅くなってごめんね」
朝宮が、顔だけがまっさらになったフィギュアを見て、表情を曇らせた。
「……顔、やっぱり、作り直すの?」
「そうだ」
「あと10日もないよ」
「それでも作り直す」
「……すごいフィギュアだったよ。このまま完成させたほうがいいよ」
「完全に作り直すわけじゃない。朝宮らしい顔になるまで作るだけだ」
「辻くんも、彩ちゃんも、すごいって言ってたじゃん。私が違うって言っただけなのに、どうしてそこまで……」
「俺が作ると言ったのは、すごいフィギュアじゃない。かわいい朝宮のフィギュアだ。ここでこのまま完成にしても、俺が一番納得できない」
朝宮は目を見開き、すぐに顔をそらした。何か言いかけたように唇が動いたが、声にはならない。
「……そうだった。最初から、そういうこと言う人だった」
しばらくして、朝宮がこちらへ向き直る。
「じゃあ、私ももういいなんて言わない。五百蔵くんが納得するまで、私も付き合う。だから、かわいい私をちゃんと作って」
「そのつもりだ」
「……うん」
朝宮が微笑む。
快吏も椿原も、表情を緩めた。
「よかったです〜。でも締切は変わりません。顔は今日中にできそうですか?」
「……できるとは言えない」
「あら困りました」
「椿原、困ってそうに見えないんだよなあ」
「作業時間を増やすにはどうしたらいいのか、考えています」
「え、なに、そんな方法あんの」
快吏が椿原に近づいて、顔を寄せた。
何をするつもりかは分からないが、今は作業を進めるほうが先だ。朝宮へ向き直る。
「今日は朝宮の顔を観察しながら進める。ここに軽く腰掛けてほしい」
俺は腰より低い作業台を叩いた。朝宮が来る前に用意しておいたものだ。
「机に腰掛けるってこと?」
「そうだ。足は床につけたままでいい」
朝宮が作業台の縁へ浅く腰掛けたところで、その正面に立つ。手を伸ばせば頬に触れられるくらいまで近づいた。
これで、朝宮とフィギュアを見比べながら作れる配置ができた。
いつもは朝宮のほうが背が高いが、今は朝宮を見下ろす形になる。この位置からならよく観察できる。
「よし」
その矢先、朝宮の顔が手のひらによって遮られた。
「ちょ、ちょっと待って?」
「……朝宮の手しか見えない」
「ち、ちかくない?」
「顔を見る必要がある。近くないと観察できない」
「っ……そうかもしれないけど、準備があるっていうか」
「ただ座ってこちらを見るだけだ。なんの準備もいらない」
「う〜……」
謎のうめき声を上げて、ゆっくりと手を下げる。
見上げてくる朝宮はしかし、表情に力が入っている。視点も定まらず、俺の肩のあたりを彷徨っている。
「いつもの朝宮らしくない。普段どおりにしてくれ」
「できないの! ……一瞬待って」
それから、朝宮が落ち着くまで10分はかかった。
落ち着いてからも、作り直している途中で何度か顔をそらされた。朝宮によると、普段どおりにできない原因は距離らしい。仕方なく、少しだけ離れて観察することにした。
距離を取ったから見えなくなったわけではない。が、何度、朝宮の顔と見比べて作り直しても、結果は変わらなかった。
完全下校の夕方5時が迫り、その日最後に作った顔を朝宮に見てもらう。
朝宮はフィギュアと俺を何度も見比べたあと、言いづらそうに目を伏せた。
「やっぱり、違うと思う」
「……そうか。明日、もう一度作る。片づける」
「私も手伝う」
俺はその顔も削り落とし、朝宮と二人で、フィギュアにビニールシートをかぶせた。そばでは快吏がカメラを片づけながら、椿原と話している。
「明日ですねえ」
「間に合うか? 日曜は学校閉まってるぞ?」
「はい。でもやれることは進めましたよね」
「やったけど許可取れてないだろ」
日曜も作業できるよう、二人で動いているらしい。聞きかけてやめた。許可が下りるとは限らないし、何より俺が朝宮の顔を作れなければ、時間を増やしても意味がない。
ビニールシートの向こうにあるフィギュアは、朝とほとんど変わらない状態だ。
朝宮を見ないで作っても、朝宮を見て作ってもうまくいかない。
作り方を変えるべきなのか。
だが、どうやって?
変えたところで、また同じ顔になるかもしれない。
それどころか、明日、フィギュアを目の前にしても手が動かなかったらどうする。
これまでいろんなものを作ってきて、そんなことを考えたのは、初めてだった。
翌朝。昨日より、来るのが少し遅くなった。
階段を上り、美術室へ続く廊下へ出たところで、足が止まる。
廊下の先、美術室の前に朝宮がいた。しかし、入ろうとしない。
引き戸に手をかけたまま、固まっている。
「朝宮、どうしたんだ」
ぱっと振り向いた朝宮は、見てはいけないものを見てしまったような顔をして硬直している。
「あっ……あ」
「なんだ」
「ひ、人が」
朝宮が引き戸の向こうを指した。
「た、倒れてる!」
「……なに?」
「その、少し開いてたから。中、覗いたら……」
朝宮の言うとおり、引き戸は腕を差し入れられるくらいに開いている。
壁に背をつけ、中を覗く。
白衣を着た何者かが、フィギュアの隣でうつ伏せに横たわっていた。
「む……」
白い服で床に伏せていると、怪談に出てくる何かに見える。いや、幽霊やあやかしの類ではないはずだ。少なくとも、まだ朝なのだから。
引き戸へ手をかけ、途中何度かつっかえながら、人が通れるところまで開く。その音でも白衣の人物は微動だにしない。しかし、後ろで束ねた髪には見覚えがある。白衣もだ。
「……む?」
慎重に近づいて、声をかける。
「昼間先生」
入口で様子を窺っていた朝宮が「えっ」と声を上げた。そろそろと近づき、俺の肩越しに覗き込んだ。
「ほんとだ、昼間先生」
「……ぬあ」
朝宮の声に反応したのか、昼間先生が寝返りを打った。
半開きの垂れ目が、うつろに天井を見つめる。
「いま、なんじ?」
「あっ、朝の8時45分です」
朝宮が小声で返事をした。
「そっかぁ」
「……なぜ寝ていたんですか」
俺が聞くと、5秒くらい間を開けて口が動いた。
「ああ……昨日、椿原さんと辻くんに呼ばれてね」
「呼ばれた?」
昼間先生は仰向けのまま話しだした。
「五百蔵くんが悩んでるから、話を聞いてほしい、みたいな?」
「みたいな」
「それで今朝、頑張って早く来たんだけど……待ってるうちに寝ちゃった」
「……なるほど」
椿原と快吏は先生にも連絡していたのか。
先生はのろのろと床に両手をつき、立ち上がる。
「よいしょっと……それじゃ、なにか困ったことあるなら聞くけど」
「はい、困ってます」
そのとき、椿原と快吏が美術室に入ってきた。先生の姿を見るなり、快吏は目を丸くしていた。
「先生が朝早くから動いてる! 雪降るわ」




