第四章(二)
反論しようとしたとき、人波の隙間から、十数メートル先の屋台に掲げられた『ベビーカステラ』の文字が見えた。
「あった」
指さすと、朝宮もそちらを見る。
「あったー! ベビーカステラ!」
朝宮はさっそく駆け寄り、俺もあとをついていく。
ちょうど前の客が買って離れたところで、屋台のおばさんに声をかけた。
「ベビーカステラ30個ください!」
「あいよー」
おばさんは手際よく鉄製の型から丸いカステラをぽんぽんと袋につめていく。
「……30個? それが一人前か」
「うん。あとこれはほら、みんなにも分けるぶんも入ってる。3、4個くらい、みんな食べたいでしょ」
俺と快吏と椿原が4個ずつ取っても、朝宮のぶんは18個残る。
計算しているうちに、おばさんが袋に詰めたカステラを朝宮に渡していた。
「900円ねー。まいど!」
「ありがとうございます!」
朝宮は、今日いちばん嬉しそうな顔で袋を受け取った。さっそくひとつ取り出し、口へ放り込む。
「これこれ。おいしー!」
続けてふたつめへ手を伸ばしかけた朝宮が、はっとして巾着からスマホを取り出した。
「やばい、あと5分! 急ご、五百蔵くん!」
カステラの袋を抱えた朝宮を追って、俺も集合場所へ向かった。
集合場所は、本殿に向かう長い石段の途中にある踊り場だ。踊り場から見下ろした先には町並みが広がり、その上に大きく空が開けている。花火を見るにはちょうどいい場所だ。
夜7時を過ぎ、薄暗くなった踊り場を石灯籠の明かりがぼんやり照らしている。そこにはすでに、歩き疲れたらしい家族連れや、スマホを見ながら花火を待つ同年代の姿があった。
その人影の向こうで、快吏がこちらへ手を振っていた。
「おーい、いたいた」
もう片方の手には食べかけのフランクフルト。追加で買ったのか。
隣の椿原は、白いビニール袋を提げていた。
「間に合ったー! いま何時?」
朝宮が息を弾ませて聞く。
「7時20分。カステラ買えたんだ。すげー量だけど」
「みんなのぶんだから」
俺も持っていたたこ焼きを四人で分けた。
「私たちも飲み物を買ってきましたよ〜」
椿原が袋からラムネを取り出し、全員に配る。
「助かる」
ずっと歩き回っていたから喉が渇いていた。
栓を開けて口をつけると、冷えた炭酸が喉を通り抜けて心地が良い。
隣では朝宮がごくごくと喉を鳴らしてラムネを飲んでいる。
「はーっ、おいしい!」
「いい飲みっぷりですね〜、みなもちゃん」
「うん。これと一緒にカステラも食べたら合うよ、きっと!」
朝宮が袋を開き、まず快吏と椿原に差し出した。二人がいくつか取ってから、俺の前にも袋が回ってくる。焼きたての匂いが鼻先をかすめる。
「たこ焼きのぶんも取ってね」
たこ焼きひとつはベビーカステラ何個になるんだ。
「……3つにする」
ベビーカステラは、外側は少しだけ香ばしく、中は思ったよりふかふかしていた。ほんのりと柔らかい甘さが口の中に広がる。
朝宮も口に入れ、満足そうに頷いた。
「やっぱりおいしい。でしょ?」
「悪くない」
朝宮は続けてふたつ、みっつと口へ放り込んでいく。
「朝宮さんそれ、みんなの分って言ってなかったっけ」
「ひとつが小さいから、気づいたらいっぱい食べちゃうんだよね。形もかわいいし」
朝宮はひとつをつまみ上げ、俺たちに見せる。
「……どういうことだ」
形がかわいいと、つい食べてしまうものなのか。
「かわいくない?」
ベビーカステラは、丸くて、小さく、表面には均一な焼き色がついている。どの点にかわいさがあるのか。共通点だけで言えば、さっき食べたたこ焼きも同じだ。なんなら、たこ焼きのほうがソースや青のりで装飾まで施されている。
「すごい怖い顔してるよ」
「たこ焼きとの違いを考えていた」
「たこ焼き?」
「どちらも丸くて小さい。だが、俺はたこ焼きをかわいいと思わない」
「たこ焼きは、私もかわいいとは思わないかなあ」
「む、う……」
「別に理由なんてないんだって。見つけた瞬間に、わー、これ好き! ってなる感じ」
「……余計にわからなくなった」
「五百蔵くんだって、フィギュアを作ってるときに、かわいいって思うことあるでしょ?」
言われて思い返す。かわいいものを作ろうとは、いつも考えている。狙いどおりにできて満足したこともある。だが、作っているものを見て、朝宮のように「わー、これ好き」と思った瞬間があったかというと、思い当たらない。
「かわいく作ろうとはしている。ただ、できたものを見るときは、狙った形になったかどうかを考えている」
「へー……?」
「まあ、余が今まで作ってきたのって、ほとんどキャラクターのフィギュアだしな。元の絵と違ってたら動画見た人の反応もよくないし」
快吏がベビーカステラを口へ放り込みながら言った。
そのとき、遠くで、どん、どん、と腹に響く音がした。花火の始まりを告げる合図だ。
朝宮が弾かれたように、音のしたほうを振り返った。
「始まった! 花火!」
袋を抱えたまま踊り場の端まで駆け寄って空を見上げる。
次の瞬間、ひゅう、と音を引きながら光が昇っていく。濃紺の空に白い大輪が咲き、遅れて腹の底まで響く破裂音があって、ぱらぱらぱらと崩れていく。
ひとつめの光が消えきらないうちに、次の花火が上がる。赤、青、金。石段で待っていた人たちから歓声が上がった。
俺は朝宮の少し後ろに立った。
その横で快吏がスマホを空に向けている。
「やっぱ花火は動画に使いづらいわ」
「それも配信に使うんですか〜?」
「いやー。これは思い出的な」
思い出、か。俺は再び花火を見上げた。
朝宮が振り返り、頬にかかった髪を指先で耳にかけた。
「きれいだね」
「……ああ」
微笑む朝宮の後ろで、今度は赤と、金色の花火が打ち上がった。
なぜか、次の花火が上がっても、朝宮に目が行った。
それから俺たちは、最後の一発が空から消えるまで、並んで花火を見ていた。
花火の感想を交わしながら帰る人の流れに混じって、石段を下りる。
「あー、楽しかった!」
鳥居まで戻ったところで、朝宮が伸びをしながら言った。
「そうだな」
俺が言うと、朝宮は勢いよく振り返った。
快吏と椿原まで、驚いたように俺を見ている。
「……なんだ」
「ううん。よかった。制作してたほうが良かったって言われたら悲しいし」
「思わない。来てよかった」
そう答えると、朝宮はほっとしたように笑った。
「明日からまた制作だ。腕と、顔や髪も残っている。一気にやる」
「……うん。私も朝から行くよ」
「助かる」
「私は生徒会の用事が終わったら寄りますね〜。予定の確認もしたいですし」
「顔なら余の得意分野だろ。期待してるわ」
「まかせろ」
◇
夏祭りが終わって4日ほど経った。
旧校舎の美術室で、俺たち四人は快吏のタブレットを囲み、画面を覗き込んでいた。
「最初のと比べると違いがわかっていいな」
動画用に撮りためていた制作過程を、静止画で並べたものだ。快吏が画面をスワイプし、写真を一枚ずつ送っていく。
作り始めたころは人の形すらなく、正方形の板から水色のスタイロフォームが突き出しているだけだった。それが脚、胴、頭と輪郭を持ちはじめ、次いで下半身から白い石塑粘土に覆われていく。
「んで、このあたりから木とか、動物が入ってく」
快吏の言葉どおり、画面には補助支柱が追加された。角材は粘土に覆われて木の幹へ変わり、その周囲へうさぎと小鳥が配置されていく。
「これだけ予定外のものを増やしたのに、締切に間に合いそうでよかったです〜」
「よく作り替えられたよな。顔はでも、朝宮さんに寄せてるだろ?」
快吏が背後を振り返る。
美術室の中央には、ドレス姿で身体をわずかに捻り、動物たちへ視線を向けた人物の等身大フィギュアが立っている。高い位置でまとめた髪をゆるく波打たせて流し、片手を動物たちへ差し伸べている。少し大きな目と、きゅっと上げた口角で動物たちへ微笑む姿は、童話に登場する姫のようだった。
「デフォルメはしているが、朝宮をもとにしている」
そう答えると、タブレットを見つめていた朝宮がわずかに眉を寄せた。
これまでの朝宮にはない反応だ。何か気になるところがあるのか。
「やっぱ、お前うまいな。これなら全国展、まじで金賞いけんじゃね?」
「金賞を取るために作っている」
「五百蔵くんに実力があるとは聞いていましたけど、ここまでとは思いませんでした」
「まだ造形が一段落しただけだ」
乾燥と彩色を考えれば、締切まで余裕はない。
だが、朝宮はなにも言わない。
「朝宮はどうだ」
朝宮がこちらを向く。しかし、すぐにフィギュアへ視線を戻した。
「……すごく上手いと思う」
「上手い? かわいい、ではないのか?」
朝宮が今度は下を向いた。
「ちゃんとかわいいよ。私が言った木も、動物も、ドレスも……全部、びっくりするくらい上手だし、かわいい」
「それなら、どうしてそんな顔をする」
朝宮はしばらくフィギュアを見つめたまま、小さく言う。
「ただ……私っぽくないなって、思っただけ」
そんな答えが返ってくるとは思っていなかった。
「どこが朝宮らしくない?」
「どこっていわれても」
「具体的に言ってほしい」
「……わからないよ」
なぜわからないんだ。なにが違うかは形を見て観察していればわかるはずだ。
「それだと直しようがない」
「おい余、なに怒ってんだよ」
快吏が間へ入る。
「……悪い、朝宮」
朝宮は顔を上げ、こちらを見返した。
「顔」
「なに」
「顔だと思う。……前に見せてもらったフィギュアと、同じ顔に見えるの」
「そんなはずはない。輪郭も目の位置も、朝宮を見て作った」
「でも、私には同じに見える」
同じに見える。朝宮と初めて話した日にも言われたことだ。
同じなのか? 同じではないように作っているのに。
朝宮と交わした約束を思い出す。
——私が見ても、ちゃんと私らしくてかわいいって思えるフィギュアにして。
朝宮が自分らしいと思えないなら、たとえ彩色を施しても、これは完成にはならない。
誰もすぐには口を開かなかった。
「どうすんだ、余」
「……顔を作り直す」
「今からですか?」
「どこを直すか、分かってんのか」
「まだ分からない。もう一度、朝宮を見て確かめる。朝宮、明日も来てほしい」
朝宮は何か言いかけて、やめた。
「……うん」




