第四章(一)
翌日。夏祭り2日目の、花火大会当日。
午後6時ちょうどに水守神社の鳥居前へ着いた。
約束の場所にいたのは快吏だけだった。鳥居横の低い石垣にだらりと腰かけ、スマホゲームをしている。
「朝宮と椿原はまだ来ていないのか」
「少し遅れるって連絡来てたぞ。準備に時間かかってんだろ」
画面から目を離さないまま、横に置いていたコーラの残りを飲み干した。
「ずっといたのか?」
「ずっとじゃねえよ。昼はファミレス。そのあと適当に時間潰して、ここ来たのは30分くらい前」
「一度、家に帰ればよかっただろう」
「兄貴が大学の夏休みで帰ってきてんの。話すの面倒だし」
「そうか」
俺は快吏の隣の空いているスペースに座る。
8月半ばの午後6時は、まだ明るい。傾いた西日は強く、粘りつくような空気に涼しさはない。座っているだけで背中の服にじわじわと汗がにじむ。
朝宮と椿原を待つあいだ、親に手を引かれた浴衣姿の子どもが、道の向こうから歩いてくる。鳥居をくぐり、石段を上っていくのを眺めていると、隣からうめき声が上がった。
「あー……しくった」
負けたのか。
「尻痛っ……つーか腹減った。あ、そうだ余、宿題やった?」
尻と腹と宿題につながりはない。が、最後だけ答える。
「やってない。夏休みはまだ2週間近くある」
「去年それ言って前日までやってなかったよな」
言いつつ、快吏は再びスマホゲームを始めた。
「今年もお前に見せてもらうことにする」
「ふはは、潔いな。2学期、1週間昼飯おごりなら見せてやる」
「見せられるということは、もう終わらせたのか」
「まあね。撮ったぶんの編集終わって暇だったし、宿題もついでに片づけた。家より美術室のほうが静かだしな」
美術室は毎日、窓を開け放している。だから蝉の声も、グラウンドで部活動をしている生徒の声も入ってきて、俺は静かではないと思っていたが。
「暇でも勉強をする理由がわからない」
「できるからやってるだけ。宿題くらい終わってて当たり前って空気、あるだろ」
「ない。どんな空気だ」
「うちにはあんの。オレが残してると、親が『お兄ちゃんはこの時期にはもう終わってたわよ』ってさ」
「それは面倒だ」
「そ、面倒。まじでそれ」
俺を指さした快吏が、道の向こうへ目を留めた。
「あ、来た」
快吏の視線の先には、こちらへ歩いてくる二人の姿がある。朝宮と椿原だ。
「ごめん! 遅れて! 帯がうまく結べなくて、彩ちゃんに直してもらってた」
「髪型も2回やり直してましたけどね〜」
「それは言わなくていいから!」
二人が鳥居の前まできたところで、俺たちも立ち上がった。
快吏が笑って答える。
「いいって。暇だったし」
「ほら余。朝宮さん、ちゃんと浴衣で来てくれたぞ」
言われて、改めて朝宮を見る。
朝宮は生成り色に、朱色と桃色の朝顔が咲いた浴衣だった。紺色の帯から足元へすらりと落ちる線に、大ぶりな朝顔の柄がよく映えている。
いつも高い位置で結ばれている髪も、今日は左耳の下でまとめられ、そのまま肩へ流している。
うむ。
隣の椿原は、濃紺に小さな紫陽花を散らした浴衣だ。笑顔なのはいつもと変わらないが、朝宮とは違って落ち着いて見える。
「へー。二人ともいいじゃん。似合ってる」
「ほんと? よかった」
「快吏くん、それだけですか? 私へのコメントをもう少し」
「追加コメント? 苦手だ、こういうの。えー……暗い色で、椿原っぽい、とか?」
「うん、10点ですかね〜」
「低っ。似合ってるって言っただろ」
朝宮は笑ってから、俺のほうを見た。
「五百蔵くんは?」
「大きな朝顔の柄が朝宮によく合っている。髪型もいつもと違う」
「……褒めてるよね?」
「もちろんだ。前も言ったとおり参考になる」
「じゃ、花火が始まるまで屋台回ろうぜ。オレ、まじで腹減った」
快吏を先頭に、俺たちは鳥居をくぐった。
神社は地元の人たちで賑わっていた。参道の両脇にわたあめ、お面屋、お好み焼きなどの屋台がずらりと並んでいて、人気の屋台には短い列もできていた。
「やっぱ定番といえば焼きそばだよな」
前を歩く快吏が言う。その横に椿原が並んでいる。
「りんご飴はありますか? こういうところでしか売っていませんし」
俺の隣を歩く朝宮が、参道の先を指さした。
「焼きそば、あそこにあるよ。私はベビーカステラが食べたいんだけど」
「やっぱみんな、食いたいもん違うよな」
「五百蔵くんは?」
「考えている」
「それなら、せっかくだし、四人で違うもの買って、分けて食べない?」
「りんご飴は、どうやって分けるんです?」
「あ。分けられないね……」
「朝宮さん、4種類食べたい思惑が透けてる」
「ち、違うよ。四人いたら、ちょっとずついろいろ食べられるかなって。私のベビーカステラもみんなに分けるし」
朝宮が慌てて言い足すと、椿原がふふ、と笑った。
「それなら、お祭りを楽しみにしていたみなもちゃんのために、わたあめにしましょうか」
快吏が買った焼きそばと椿原のわたあめを、朝宮の希望どおり四人で少しずつ分けた。どちらも食べた朝宮が、満足そうに俺を見る。
「五百蔵くん、食べたいもの決まった?」
「フライドポテトにする」
「なんかもっと祭りっぽいやつ選べよ。いつでも食えるじゃん」
「お前の焼きそばもいつでも食べられる」
「そーだったわ」
「あ、あそこにポテトって書いたのぼりがあるよ。行こ行こ」
近づいてみると、長い串に、螺旋状に切られたじゃがいもが刺さっていた。同じものが何本も並んでいる。
「……これじゃない」
「え? フライドポテトだよね?」
「俺が食べたいのは細長い棒状のほうだ。これはフライドポテトではない」
「フライドポテトだよ。揚げた芋だろ?」
快吏が横から突っ込む。
すると椿原が、ぽんと手を叩いた。
「ポテトチップスもじゃがいもを揚げていますけど、フライドポテトとは呼ばないでしょう? 五百蔵くんが言いたいのは、そういうことですか?」
「そういうことだ」
食べたいものではなかった。
となると目的のものを変えるしかない。
「たこ焼きにする」
「たこ焼きですか〜。ここまでに見た屋台には、ありませんでしたね」
「私のベビーカステラもまだ」
屋台の並びはそこで途切れ、本殿に続く石段の前で俺たちは立ち止まった。
「向こう側の参道はまだ見てないから、そっちにあるかも」
朝宮は、来た道とは別方向に延びる参道を指さした。そちらにも屋台が並んでいる。
快吏がスマホを見る。
「もう7時前だ。屋台見て回ってたらけっこう時間食ったし、そろそろ花火の場所、取っとかなくていいの?」
「そうですね〜。それなら、私と快吏くんで先に場所を取っておきます。みなもちゃんと五百蔵くんは屋台を探してきてください」
「分かった。何時に戻ればいい」
「花火は7時半からなので、7時20分にこの石段の途中の踊り場で」
「余、朝宮さんのベビーカステラ見つけるまで帰ってくんなよ」
快吏と椿原は、石段を上がっていく。二人を見送ると、朝宮が歩き出した。
「五百蔵くん、行こう」
「へい、たこ焼きね! 800円!」
屋台のおやじが、小舟のような容器を手渡してきた。中にはたこ焼きが8個。上にはソースと青のりと、薄いかつお節が踊っている。
「……たこ焼きのほうが見つかるの早かったね……」
朝宮は小舟を見つめたまま、残念そうに言った。
ベビーカステラが見つからないのはそんなに悲しいことなのか。
「屋台はまだある。探せば見つかる」
言いながら、たこ焼きをひとつ食べる。熱かったが、味は予想どおりだ。
ベビーカステラの屋台を探して、並ぶ屋台の先へ目を凝らす。心なしか人が増えていて、すぐには見つからない。
「五百蔵くん」
「なんだ」
見ると朝宮の視線はたこ焼きに釘付けになっている。
「ね、ひとつだけちょうだい。ベビーカステラ見つけたら、ちゃんと分けるから。去年食べたとき、感動するくらいおいしかったんだよ」
たしかにさっきも分けていたのだから、たこ焼きも分けるべきだ。
俺は小舟を朝宮のほうに差し出す。
「ありがと!」
爪楊枝でたこ焼きを一つ取った。
「おいひい!」
はふはふと熱そうに口元を手で覆いながら、笑っている。
たこ焼きひとつでこんなに笑う朝宮が、感動するくらいのベビーカステラ。一体どういう味がするんだ。
「あれー! みなもじゃん!」
後ろから、よく通る声がした。
振り返ると、浴衣姿の女子二人組がこちらへ歩いてくる。
まだたこ焼きを頬張ったまま、朝宮は手を振り返した。知り合いらしい。
「来てたんだ。今日もどこかの部活に助っ人行ってるのかと思った」
「今日は休み。お祭り好きだし来るよ!」
「そうなんだ」
と頷いた隣の女子が、今度は俺を見た。
「そっちの人は?」
「五百蔵くん。同じクラスの友達。今日は四人で来たんだけど、いまは別行動中」
朝宮は、俺を友達だと思っていたのか。
「ていうか、みなもがそういう浴衣着るの意外だね」
「……そう?」
朝宮が聞き返す。
「うん。いつもきれい系ばっかりだったからね。あ、でもすごく似合ってる!」
「そっか、よかった。……うん、たまにはね」
よかったと言う割には、たこ焼きを食べたときほど笑ってはいなかったが。食べ物と比較するのも違うか。
「私たち、まだ探してる屋台があるから、そろそろ行くね」
「うん。夏休み中、またどっかで遊ぼ」
「遊ぶ! 連絡して!」
女子二人は手を振って、人の流れの中へ戻っていった。
二人が見えなくなるまで、朝宮は動かなかった。
「時間がない。行かないのか」
「あ、そうだね」
参道を進む。それらしい屋台を探しているうちに、徐々にもう一方の鳥居が近づいてきていた。もしかしたら見落としているのか。
隣を歩く朝宮へ目を向ける。探しているのが朝宮なら、見落とす気はしない。背が高いからだろうか。それでも男性客まで含めれば、朝宮くらいの背丈は珍しくない。浴衣姿の客も大勢いて、朝宮だけが特別目立つ格好をしているわけでもない。
そう考えて、さっきの女子の言葉を思い出した。
——みなもがそういう浴衣着るの意外だね。
あれは、何が意外だったのだろう。
「五百蔵くん、見つけた?」
「なにを」
「ベビーカステラの屋台、見つけた?って」
「……忘れていた」
「フィギュアのこと考えてた?」
「いや。それも考えていなかった」
「じゃあ、なに考えてたの?」
「朝宮のことを考えていた」
「えっ」
「さっき、朝宮が意外だと言われた理由がわからなかった」
「……あ。さっきのあれ?」
頷くと、朝宮は屋台を探しながら言った。
「浴衣っていうか、私のイメージのこと、かな。中学のときからずっと、私といえばかっこいいんだって」
「かっこいい?」
「ほら、背、ちょっと高いでしょ。だから……どうしてもモデルみたいでかっこいいとか、そういう感じになっちゃうの。嫌じゃないんだけど、中学の文化祭で王子様役やってから、余計にそういう印象がついちゃって」
王子役なら朝宮にも合っていると思うが。
「私も楽しかったし、似合うって言われるのは嬉しかったよ。ただ、お姫様のドレスも着てみたかったな、って思っただけ」
「なぜ言わなかった。朝宮なら姫役もこなせるだろう」
「……『みなもはそっちじゃないでしょ』って言われそうで」
「言われたのか」
「ないよ、ない。でも、今日みたいに意外って言われると、こういうかわいい柄は私らしくないんだなって」
「そうか。あの二人は、朝宮がその柄を選ぶと思っていなかっただけか」
これで理由はわかった。
「それなら情報が古かっただけだ。朝宮がかわいいものを好きなのは、俺には意外でもなんでもないからな」
「え……そう、なの?」
「最初にモデルを頼んだときから、朝宮がかわいいものにこだわっていることはわかっている」
「……五百蔵くんには、ちゃんと見えてたんだ」
朝宮は目を伏せ、それから、微笑んだ。
「見えているというか、スカルピーで動物を作るたび、かわいいかどうか俺に聞いていた」
「……私、毎回聞いてた?」
「聞いていた」
「あれ? でも……『うん、かわいい!』って言ってもらった覚えないけど」
「何の動物か当てれば、答えたことになると思っていた」
「そこはかわいいでいいじゃん!」




