拒絶
由希と遊んだ翌日は決まって足が重い。映画の時間座っていたとはいえ、あれだけ歩き回れば無理もない。
だが、新しい学年がスタートし、少し疲労を感じ始めていたので、昨日はとてもいい気分転換になった。今日からまた頑張っていこう。
そう思っていたのだが……
「小テスト?! 」
「お、おう...元気だな。そんなテストが嬉しいか? 」
「俺、幸一達と来年一緒に卒業できるかな」
「大袈裟だなー」
朝、幸一と校門で遭遇した俺は、ホームルームで小テストがあることを聞かされた。
どうやら昨日、帰宅前に職員室に行ったクラスメイトが担任からその旨を伝えられたらしく、夕方にはクラスのグループにも情報は流れてきていたらしい。
昨日、疲れてすぐ眠ってしまった俺は、グループが動いていたことは知っていたものの、結局スマホを見るのを忘れてしまっていた。
つまり、このクラスにいる生徒の中で、少なくともこの時間まで小テストという存在すら把握していないのは俺だけということになる。
こういう時の焦りと冷や汗は尋常ではない。
だが、過ぎてしまったことは仕方ない。今からの短時間でもやれることはあるはずだ。
俺は席に着くなり、すぐに教科書を開いた。
範囲を確認するためスマホを取り出し、電源ボタンを押した。俺はそこでまたも心拍数が一気に上がった。
「充電し忘れてる……」
落ち着け俺。そんなに焦ることではない。周りに聞けばいいだけの話だ。近くに聞ける人を探そう。
軽く周りを見回すと、みんなテスト前の勉強で集中しているのでとても声をかけづらい。
こういう時に限って幸一も陽菜も、なぜか教室にいない。
その時、教室の後ろの扉から入ってくる人影に目がいった。
————大垣!!
席を勢いよく立ち上がり、教室に一歩足を踏み入れたばかりの大垣に詰め寄った。
「大垣! まじでいいところに来た! 」
「なになになに?! 」
俺は人が本気で驚く顔というものを初めて見たかもしれない。とはいえ、まだ眠さの残る朝にいきなり他人に詰め寄られたらこんな顔になるのも無理はない。
「小テストの範囲教えてくれないか? 」
「ああ……そんなこと……びっくりするなぁ」
俺は無事に大垣からテストの範囲を教えてもらい、残りの少ない時間で範囲をとにかく頭に詰め込んだ。
約二十分後に担任の先生が教室に来たタイミングですぐにテストは始まった。
直前まで集中して叩き込んだ甲斐もあり、なんとかそれなりの手応えで小テストを終えることができた。
だが、朝から振り回されたので一限を終える頃には既にぐったりしていた。
「よう悠人! 元気か? 」
「幸一、今は労ってくれよー」
「ははっご苦労さまだったなー。大垣に感謝しとけよー」
「見てたなら助けてくれよ」
「いやあ。大垣凄い顔してたな」
「大垣には悪いことしたな。昼飯くらい奢らないとな」
「私がどうかした? 」
「大垣、ちょうど良かった。悠人が言いたいことあるらしいぞ。良かったな」
「なにが?! 」
大垣は顔を赤くして幸一に言い返した。元々驚きなどの感情が表情に出やすいタイプなのかもしれない。それはともかくお礼はしっかりしないとな。
「大垣、朝はほんとに助かった。ありがとうな」
「大したことしてないよ! それよりなんであんなに焦ってたの? 」
「昨日遊びに行ってたんだけど、グループメッセージ見る前に寝ちゃってさ」
「なるほどね! 楽しくてメッセージ見るの忘れちゃうのあるあるだよね」
「それでお礼でご飯くらい奢らせてもらえないかなって」
「そんな! わざわざ大丈夫だよ! 」
「貰いっぱなしも俺の気持ちが収まらないんだよね。ご飯嫌なら別のことでもいいからさ」
「んーー。じゃあお言葉に甘えて……」
「ありがとう」
「でもどうしようね? 食堂だと周りの目が気になるし……」
「俺は気にしないよ」
「私が気にするんだよー! 」
「す、すまん」
大垣は少し考えたあと何かを閃いたようにこちらに向き直した。
「今日さ。四限で終わりだよね? その後って悠人君暇してるかな? 」
「うん。何もないよ」
「じゃあ食べたいクレープのお店があるんだけど一緒にどうかな? 」
「いいね! 行こう! 学校終わりにそのまま行く? 」
「うーん。そうだね。時間もったいないもんね」
「了解。また声かけるよ」
大垣と学校終わりの約束をした俺は、結果的に二日連続で違う女子と出かけることになった。何も知らない人が見かけたら変な噂が広まるかもと自意識過剰な不安を感じつつも、四限までの時間を無難に過ごすことにした。
今日の授業は午前の四限までで終わることになっている。さらに、四限目は掃除なので実質三時間しか授業がない。毎日忙しそうにしている部活動も全て休みのはずで、ただでさえ今日は金曜日ということもあり、周りのみんなもどこか浮き足立っているように感じる。
そんなどこかふわふわとした空気がさらに強まった四限の掃除中に事件は起こった。事件といっても、ほとんどの人には関係なく、理科準備室の清掃の担当だった俺と篠森の間での出来事だ。
理科準備室は危険な薬品なども置いてあるため、普段からそれなりに整頓されており、特別汚れている場所などもなかった。
だがその中で、俺は気になるものをダンボールの横に見つけた。
「音符のキーホルダー……? 」
心の中で言ったつもりがどうやら声に出ていたらしく、それに篠森が反応した。
「それ、大垣さんがなくしたって言ってたものじゃないかな」
「大垣が? 仲良いのか? 」
「前にグループワークをした時に話していたのを思い出しただけ」
「それにしてもなんでこんなところにあるんだろうな」
そもそも、理科準備室は普段生徒は立ち入り禁止で、簡単に入ることのできる場所ではないのだ。もちろん大垣も例外ではないはずだ。
「誰かが隠したって考えるのが普通じゃないかな。こんなところ誰も来ないし」
「いやいやまさか。大垣に恨みがあってもそんなことするやつなんていないだろ」
「成瀬君は最悪な想定はしないタイプなの? 」
篠森は少し嫌な顔をしてこちらを見てきた。
「そういうわけじゃないけど、誰かがこんな嫌がらせをしたなんて考えたくないからな」
「あまり人を信じすぎると裏切られた時の傷も大きくなるよ」
篠森の返答に少し自分を否定されたように感じた俺は、強い口調で篠森に問いかけた。
「じゃあ篠森は誰かがやったって言いたいのか? 」
「そうは言ってないけど」
「誰かもわからない犯人を探したって俺たちになんのメリットもないだろ」
少し強く言い過ぎてしまっただろうか。だが俺も、少し傲慢で頑固なところがあるので譲れない部分はある。
俺の言葉のあと、数秒目を合わせていた俺たちの沈黙は、明らかに表情が変わった篠森の言葉で、解かれることになった。
「それは見て見ぬふりをしているのと同じだと思うんだけど」
俺は篠森の唐突な棘のある言葉に、ただ篠森を見つめることしかできなかった。
「人間は私たちが思っているより自己中心的な人たちばかりだと思うよ。私たちがここで見て見ぬふりをした出来事が後から誰かのことをとんでもなく傷つけることになるかもしれない」
篠森は間違ったことは何も言っていないのかもしれない。だが、俺には簡単に納得できるものでもなかった。
俺は今まで、人を信じ、人に信じられることで毎日を上手く生きてきた。そこに誰かの嫉妬や妬みからくる裏切りや、負の感情の加担を考えたことなど一度もなかった。
いや、この世にそれらの感情が存在していることには気づきつつも、考えることで目の前に一気に見えてくることを恐れ、避けていたというのが正しいのかもしれない。
だが今の俺は、自分が上手く蓋をして見ないようにしてきたものを目の前につきつけられているのだ。
「俺は毎日一緒に過ごしている人たちの裏の顔なんて知りたくない。見えてるものだけを見てたい」
そうだ。これが俺の本音だ。俺が望んでいるのは、篠森の言った通り見て見ぬふりをすることなのかもしれない。
「私は成瀬君みたいに何でも簡単に信じるような人が一番苦手なの。成瀬君を見てると何が本当で何が嘘か分からなくなる」
二人しかいない空間でのこの空気は、とても耐え難いものだった。
お互いに目を合わせることはできず、各々のプライドが邪魔をして、言いすぎたことを一言謝ることもできなかった。沈黙の時間が一秒、また一秒と進んでいった。
冷えきった空気を無理やり切り裂くように俺は「キーホルダーのことは俺が聞いておく」とだけ言い残して、理科準備室を後にした。
教室までの足取りは重かった。顔もこれ以上ないくらい引きつっていたように思う。教室に到着するまでの三分にも満たない時間の中で、篠森の言葉が何度も何度も俺の頭の中を駆け巡った。
ここまで明確に、誰かから拒絶の目を向けられたのは初めてかもしれない。良くも悪くも安定を望んでいた俺には少し重すぎる出来事だった。
こんなことを考えていても時間は過ぎていくだけだ。こんな顔のまま大垣に会うわけにもいかない。お礼をすると言っておきながら、ずっとこんな顔をしていたら余計な心配をかけてしまう。この感情は一度自分の中にしまっておかなくては。
教室の前に辿り着いた俺は、一度大きく深呼吸をして自分の頬を二度叩き、教室に入った。それから数分もしないうちに篠森も教室に戻ってきたが、その日、俺たちが目を再び合わせることはなかった。




