日常という名の非日常
映画というコンテンツを楽しむことができる。それは紛れもなく俺たち人間の特権であり、人類の進化の賜物でもある。
しかし、映画は楽しく笑えるシーンばかりではないし、逆に涙を流すくらい悲しい瞬間も多くある。そして、そのシーンが映画の一番のクライマックスになることも少なくない。
もしも自分の人生が涙で終わるとわかっていたら、これからの人生をうまく楽しむことはできるのだろうか。
きっと映画の中の登場人物たちも俺たちと同じように、目の前で起きていることに一喜一憂しながら生きていて、自分の最期はとても良いものだと想像しながら過ごしているのだろう。
現実世界に生きる俺たちが、映画の悲しいシーンや残酷なシーンを楽しむことができるのは、それがほとんどフィクションであると同時に、他人の人生だからなのだと思う。
俺の人生にも映画の世界のような美しい結末があって、笑顔ばかりの毎日じゃなくても最終的にはまとまりのある人生を送っていきたいと思っている。
————と、映画のあとはだいたいこんなことを考えている。
「映画の中でこんなハンバーグ出てこなかったっけ」
「確かに出てきたかも。てか、映画の感想の一発目それ? 」
「由希も最初の感想食べ物のことだったぞ」
「あれ、そうだっけ」
「映画終わってすぐ炭酸が飲みたいとかなんとか」
「海辺で炭酸一気飲みしてるシーンなんて見せられたら飲みたくもなるよ! 」
映画を観て、カラオケで二時間ほど歌ったあと、俺と由希は地元にある洋食店で夕食をとっていた。
ちなみに歌に関しては二人ともあまり得意ではなく、ジャンケンで負けた方が常に歌うというルールでやっていた。歌うことが嫌なのではなく、二人とも人の歌を聞くことのが好きだからだ。
「カラオケでカロリー消費したからご飯たくさん食べないと」
「俺がジャンケン弱すぎてほとんど由希聞いてただけだったけどな」
「ねえ。最近私かなり太ったと思わない? 」
「社交辞令か本音かどっちで答えればいい? 」
「それもう答え言ってるよ! 最近いろいろ言い訳にして食べ過ぎてるの自分でも気づいてるんだ」
「まだ全然問題ない範囲だと思うけど、そんな簡単なもんじゃないんだろうな」
「あーあ。なんでこんなことでいちいち落ち込んじゃうんだろうね」
俺も、篠森に嫌悪感を抱かれたことがあったのでその気持ちは本当によくわかる。
これまで話したこともない人なのだからそこまで落ち込む必要もないし、気に病む必要もないのだ。だけど、その日は寝る前に、いつもの数倍寝返りを打つくらいには落ち込んでしまったし、今日、自販機でコミュニケーションを取れた時は嬉しくてすごくホッとした。
他人が向けるちょっとした違和感が自分には猛毒で、逆にほんの少しの優しさはスーパーヒーローの登場のような安心感を感じてしまうのだ。人間は俺たちが思っているよりも本当に繊細で優しい生き物なのかもしれない。
熱々で届いたハンバーグを一口食べて、正面を見ると由希がこちらを不思議そうに見ていた。
どうやら俺は、何かを考える時にぼーっとする癖があるらしく、それを見て気になったらしい。
俺が考えていたことを話すと、由希はハンバーグを美味しそうに食べながらも、珍しいものを見るような顔をしていた。
「俺なんか変なこと話した? 」
「ううん。ただ、悠人くんが女の子の話するの珍しいなって」
「そう? 」
「悠人くんから女の子の匂いしたことないもん」
「俺そんな臭う? 」
「そういう意味じゃないってわかってて言ってるでしょ」
由希に女子関連の話をしたことがあるかどうかはさておき、俺が本音で会話できる女子は由希だけなのは間違いない。陽菜も信頼はしているが、まだ会って一年なので知らないことのが多いし、陽菜も俺にどこまで本音を話しているかはわからない。誰にでも優しい人ほど本音を引き出すのは難しいように感じる。
食事を終えて帰る頃には外は真っ暗になっており、街中も自分たちの足音が聞こえるくらい静かだった。こういう時は不思議と自分の話し声も静かになってしまうものだ。
横並びで歩く二人のコツコツという足音は、たまに重なることで一人の足音よりも少し多く、二人の足音よりかは少し少なかった。
そこからの帰り道では、由希が入学式の帰りに思いっきり転んで足が血だらけになった話や、帽子が風で飛んで川に流された話などを聞いてクスクスと笑いながら家までの道を歩いた。
家まで角をあと一つ曲がるだけというタイミングで、由希がこれが今日最後の話題と言わんばかりに俺の顔を見て口を開いた。
「悠人くんはなんでも私に話してくれるね」
「そりゃ由希だからな。隠し事もする必要ないし」
「私もそうだよ!基本的にはね」
「基本的には? 」
「私、悠人くんに隠し事なんかしたことないけど一つだけ隠してることあるの」
真っ暗な住宅街にささやかに光る街灯の下、不覚にも一瞬胸が高鳴った。
俺はあえて返事をせずに、続く言葉を待った。
「待って待って! 告白とかじゃないよ! 雰囲気すんごいけど! 」
一瞬、異世界に引っ張られた気分になったが、現実世界にすぐに戻ることができた。俺は少し安心していた。
「私は悠人くんに隠し事をしています。それは何か。そしてなぜ隠しているか」
「まさかクイズ? 」
少しずついつもの笑顔になり、由希は言葉を続ける。
「わかったら教えてね。今日は楽しかった! ありがとう。おやすみなさい」
由希は小さい頃、俺によくクイズを出していたが、ここ最近はマイブームが過ぎたのか、そのような機会はなかった。
別れの挨拶をした俺は、由希のクイズの答えを考えながら家のドアを開けた。
声がするリビングに向かうと、家族は夕ご飯を食べ終えたタイミングだったようで、食器類を片付けていた。
「悠人おかえりー。由希ちゃん大きくなってた? 」
「ただいま。高校生になったら突然でかくなるわけじゃないだろ」
「お母さんてっきりもっと遅くなると思ってた」
「これでも『だいぶ遅くなっちゃったね』って話してたんだけどね」
「もう少し手間のかかる息子の方が私も育てがいがあるんだけど」
「あっちの家族も同じこと話してるかもな」
「お父さん今お風呂だから上がったら悠人も行っちゃってね」
父親がお風呂からあがるまでの間に、自分の部屋を少し片付けることにした。昼は準備してすぐに由希が来たので、散らばった服などがそのままだった。
そこまで散らかっていたわけでもないので、幸い、片付けは一瞬で終わった。
服を片付けたあと、俺は地面に横になって天井を見つめた。
こうやって横になると、急に体が重くなって疲れていることに気付かされる。
今日はすごく一日が長く感じた。
まだしっかりと分かり合えていない人との会話と、よく知る人との会話。後者の方が長くコミュニケーションを取っていたはずなのに疲労感は前者が圧倒的に大きかった。
この国にいる一億人以上の人達に、それぞれどれだけの気を使うか。それは人と関わり生きていく中で考えない訳にはいかないことだ。
今日の由希のような気の知れた相手だと、丸一日一緒に過ごしても、ノーストレスで夜布団に入ることができる。初対面の人には、正直、当たり障りのない接し方をしておけば、特別ストレスを感じることも少ない。
問題は、今日の篠森のようなどちらかが相手にマイナスの感情を抱いている場合だ。このような相手とのコミュニケーションはかかる負担も計り知れないものがある。少しでも印象を良くするために積極的に、もしくは消極的に動くのか。あるいは現状維持で、これ以上のリスクを負わないという手も一つだろう。
だが俺は、そのような相手との現状維持はあまり好まない性格だ。なんだか問題を先延ばしにしているだけのように感じてしまう。結果的にさらに印象が悪くなってしまったとしても、何もやらずにずるずると中途半端な関係を続けるよりかはいいと思ってしまう。
きっと現状維持がいい場合もたくさんあるのだと思う。それでも『停滞は衰退』と言うように、現状維持をすることで悪い印象だけがどんどんその人に根付いていくことを俺は恐れている。
あれこれと考えていると、時刻は帰宅してから一時間以上が経過していた。少し眠ってしまっていたようだ。俺はお風呂に入るため、急いで洗面所に向かった。
すると、ちょうど母親がお風呂から出てくるところで、寝起きの俺の顔を見て、開口一番「顔むくみすぎじゃない? 」と言った。俺はからかう母親を軽くあしらってお風呂に入り、自分の顔をもみもみしながら湯船に浸かった。
俺は寝る瞬間よりも、湯船につかって一息ついた瞬間に一日の終わりを感じる。正確にはこの後ココアを飲んだり、好きな本を読んだりする時間があるのだが、その時間は今日の延長戦のようなものだ。十五分ほど身体を温め、俺の今日は終了した。
今日はいい一日だった。
だが人間、幸せな日はだいたい続かない。
翌日、しばらく俺を悩ませる種となる出来事があるのだが、幸せそうに寝ている俺はまだそのことを知らない。




