第3話 アカリちゃんも、異世界へ落ちる
【アカリ視点】
私は助かった。
でも、ユウタくんは帰ってこなかった。
薄暗い自室のベッドの上で、私は膝を抱えたまま、ただ声を殺して泣き続けていた。
あの日、川で溺れかけた私を助けるために水へ飛び込み、代わりに命を落としたのは、同じクラスのユウタくんだった。
ユウタくんは、クラスの中では決して目立つタイプの男子ではなかった。
でも、私が朝の挨拶をすると、いつも小さく手を振り返してくれていた。
授業でプリントを後ろへ渡す時も、なぜか少しだけ慌てたような顔をして受け取っていた。
私はそんな彼を、『ちょっと変わった、大人しい子』くらいにしか思っていなかったのだ。
けれど、彼は自分の命を懸けて、私のために川へ飛び込んでくれた。
そして、冷たい水底へと沈んでいったのだ。
(どうして、私が助かって……ユウタくんが死ななきゃいけなかったの……?)
最初は、クラスメイトたちも「生きていてよかったね」と優しく声をかけてくれていた。
しかし、状況はすぐに悪化した。
悲惨な水難事故としてネットニュースやSNSで話が広がると、見ず知らずの人間たちから、私に向けた無数の悪意が飛んでくるようになったのだ。
『助けられた女子は何をしていたのか』
『なぜ彼だけが死んだのか』
『ヒロイン気取りか』
『一人の男子を犠牲にして生き残った』
スマートフォンを開くたびに、そんな言葉が目に飛び込んでくる。
やがて、クラスの空気も明確に変わっていった。
あんなに心配してくれていた女子たちは、腫れ物に触るように次第に私から距離を取るようになった。
男子の一部は、あからさまに「ユウタがかわいそうだ」と口にするようになった。
ユウタくんの人気は、彼の死後に急激に高まっていた。
彼は『身を挺して女子を救った勇敢な英雄』として、メディアでも連日のように取り上げられていた。
それに反比例するように、私はだんだんと『助けられた可哀想な被害者』ではなく、『ユウタくんを死なせた人間』として見られるようになっていったのだ。
家族もまた、限界を迎えていた。
夜中、リビングの前を通った時、疲れ切った母の声が聞こえた。
「どうして、こんなことに……」
母が私を直接責めたわけではない。ただの悲痛な独り言だった。
それでも、その言葉は私の胸に深く突き刺さった。
全部、私のせいだ。私が川に行かなければ、私が調子に乗って深い場所へ行かなければ、ユウタくんが死ぬことも、家族が苦しむこともなかったのだ。
私は、ユウタくんのお葬式にすら行くことができなかった。
私が顔を出せば、ご遺族や周りの人たちに多大な迷惑をかけてしまうと思ったからだ。
「ごめん、ユウタくん……」
暗い部屋の中で、スマートフォンの画面に流れるユウタくんの名前を見つめながら、私はぽつりとつぶやいた。
もう、どこにも私の居場所はなかった。
気がつくと、私は家を抜け出し、あの川へと向かっていた。
あの日と同じ、静かで冷たい川の音がしていた。
私は、もう一度だけユウタくんに謝りたかった。
本当に、ただそれだけだったのだ。
◇◆◇
目を覚ますと、私は真っ白な空間に立っていた。
目の前には、輝くような金色の髪と青い瞳を持つ、神々しい女性が立っている。
不思議なことだが、私は自分がすでに死んでしまったのだと、スッと理解することができた。
「ユウタくんは……ユウタくんは、どこにいるんですか?」
私が真っ先にそう尋ねると、女神と名乗ったティア様は、少し厳しい表情で首を振った。
「彼はすでに、別の世界で新しい生を歩み始めています」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で張り詰めていた糸が切れ、その場に泣き崩れてしまった。
「会わせてください。謝りたいんです……! あの時、私が溺れなければ……私が助けられなければ、彼は……!」
「あなたが彼を殺したわけではありません。けれど、あなたは救われた命を、自分で手放しました」
ティア様の静かな声が、真っ白な空間に響き渡る。
「ユウタは自己犠牲によって命を落としたため、私の力で願いを一つ叶えられました。しかしアカリ、あなたは救われた命を抱えきれず、自ら手放したのです。だから、転生は許しますが、特典はありません」
ティア様は、まっすぐに私を見下ろして告げた。
「あなたには、特別な力を与えません。魔王を倒すような強い魔法も、剣の才能も、莫大な財宝も、女神の祝福もありません。ただ一人の少女として、彼のいる世界に生まれ直すことになります。……それでも、行きますか?」
私は涙を拭い、しっかりと顔を上げた。
「何もいりません。ユウタくんに、謝れるなら……」
私の決意を見たティア様は、わずかに目を伏せ、少しだけ哀れむような表情を浮かべた。
「彼は、あなたの知っている彼のままとは限りません。そして、彼のそばに行けば、あなたもまた彼の過酷な運命に巻き込まれますよ」
「それでも行きます」
迷いはなかった。私が犯した罪を償うためには、それしかないのだから。
ティア様は小さくため息をつき、私に向けて手を差し伸べた。
「では、行きなさい。あなた自身の罪悪感に潰されるのではなく、今度こそ、救われた命をどう使うのかを選びなさい」
その言葉とともに、私の体は温かくまばゆい光に包み込まれていった。
◇◆◇
次に目を覚ました時、私は見知らぬ森の中に倒れていた。
体を起こして自分の服装を確認する。村娘が着るような、簡素で麻布のようなワンピースだった。
体は、前世と同じ十七歳くらいのままだ。
(ステータス画面とか、出るのかな……?)
ライトノベルのような知識を頼りに空中で指を動かしてみたが、何も表示されない。
手から火を出そうと念じてみても、魔法が使える気配は一切なかった。武器のようなものも見当たらない。
女神様の言葉通り、本当に『特典なし』のただの少女のようだ。
私は頼りない足取りで、薄暗い森の中をさまよい歩いた。
どれくらい歩いただろうか。ふと、遠くの方から大勢の人々の声が聞こえてきた。
「ユウタ様ー!」
「若様ー!」
その名前に、私はハッと息を呑んで立ち止まった。
「ユウタ……?」
声のする方向へ向かって駆け出すと、やがて視界が開け、夕暮れに染まる小さな村が見えてきた。
その広場の中心で、大勢の村人たちに囲まれて困ったような顔をしている少年。
間違いない。
「ユウタくん……本当に、生きてた……」
自然と大粒の涙がこぼれ落ちた。
しかし、私はその場から一歩も動くことができなかった。
彼は村人たちから「ユウタ様」と呼ばれ、すでに小さな王様のように熱烈に慕われているようだった。
そこへ、可愛らしい村娘がユウタくんにスープの入った器を差し出した。
ユウタくんは少し照れたように笑って、それを受け取っている。
その光景を見た瞬間、私の胸の奥が、ちくりと痛んだ。
(私は助けられた側なのに……今さら私が現れて、どうなるの?)
もう、彼はこの別の世界で、誰かに必要とされているのだ。
立派な英雄になった彼に、私のような罪悪感まみれの人間が声をかけていいはずがない。
私は名乗る勇気を持てず、木陰に隠れてただ見つめることしかできなかった。
――バキッ。
突然、私の背後で太い木の枝が折れる音が響いた。
ビクッとして振り返ると、森の奥の暗がりから、真っ赤な目をした野犬型のモンスターがヨダレを垂らして現れたところだった。
(嘘……!)
恐怖で喉が引きつり、悲鳴を上げかけたその時。
「誰かいるのか!?」
広場の方から、異変に気づいたユウタくんの鋭い声が飛んできた。
私は震える体を抱きしめながら、泣き出しそうな声で小さくつぶやいた。
「ユウタくん……」
村人総出で魔獣は追い払われた。
そのまま腰が抜けて、動けなくなっていた。
「大丈夫か?」
差し出された手を見て、胸が苦しくなる。
あの日、川の中で私を押し上げてくれた手と同じだった。
「ユウタくん……ごめん、なさい……」
それだけ言うと、私は彼の前で泣き崩れてしまった。
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