9 婚約破棄①
まさか自分が最近大流行中の、婚約破棄なんてものをされるなんて思ってもいなかった。
優秀な人物ではないけれど、愚か者ではないと思っていた。
だけど、それは見込み違いだったようだった。
「おまえとの、婚約を破棄する!」
これまたお約束の卒業式の夜会で、開幕早々、私を指差し、片腕に、男と女の前じゃ、ころりと性格の変わる女をぶらさげたまま、馬鹿はそう宣言した。
婚約破棄よりも……
「……おまえ?」
低く、私の声が、シーンと静まり返ったホールに響いた。
眦がいつもよりもさらにつりあがるのを感じた。
可愛げがない、いつもなにに怒っているのか、綺麗だけど表情が怖い。
今まで何度となく言われた言葉が思い起こされて、優しく持っていたはずの扇子が、ベキッと音をたてた。
婚約者だから仕方ない。何を言われても、ある程度までは我慢してやろうと、腸が煮えくり返りつつ、そののどきり裂いてやろうかと思いつつも、想像するだけで、我慢していた。
だが、もういいわよね?
アホから言い出したことだし、証人もたくさんいる。
「…ふふ」
自然に笑みがこぼれる。
赤い紅を塗った唇はさぞかし嬉しげに弧を描いていることだろう。
カツン、私のヒールの音が静まり返ったホールに、響く。
先程から誰も硬直したかのように動かない。
ホールに響くのは私が発した音ばかり。
楽団は音楽を奏でるのをとうにやめている。
カツン、私が、また一歩進んだら、どアホと付属品女が、三歩ほど後に下がった。
「な、何する気だ!」
みっともなく、うわずった声でアホが叫んだ。
女はわざとらしくプルプルと震えている。
「なにって?……どうしてもらいたいのかしら?」
小首をかしげつつ、私にしては優しく問いかける。
「一刀両断? なぶり殺し? 手足とさよなら? それとも脳天から」
「な! なんと恐ろしいことを! 悪魔のような女だ。僕にそのようなことを。何様のつもりだ! こ、この無礼者が!」
「…」
無言で、召喚する。
右手に現れたのは、私の愛剣。
魔物には切れ味抜群。人間では試したことないけどどうかしらね。
「さて、無礼者はどちらかしらね? 婚約破棄を宣言してくれたことだし、もう、おまえには私の婚約者だったから存在した身分の底上げはないわ」
「そんなわけ」
「あるにきまってるでしょう。バカなの?皇帝の娘である私の婚約者だったから、でかい顔ができたんじゃない?
ん?そういえば、もともと貴方、自分で美形だという割に、小顔ではないわね?」
「な」
あほ、ばか? どっちでもいいけど、元婚約者の顔が羞恥のため、赤くそまる。自覚があるみたいね。
「なんなら、その、ちよっとさきが割れてるあごから、けずってあげましょうか?」
「わ、割れてない。われてないんだ!」
「確認する? 鏡貸してあげましょうか?」
そういうとぴーって泣き出して面白かったのにと、10年ほど前のことを感慨深く思い出す。
小さな頃は、こんなアホでバカではなく、普通のまともな子供だった気がするのに、どうしてこうなったんだろうか? 一緒に遊んだ記憶もある。
「やめて! お願い」
突如、男の、腕にしがみついていた女が顔をあげて、叫んだ。
「やめてください! 私のために争わないで」
……その台詞、なんか違うと思ったのは、私だけではないだろう。
「私のために、お二人が争うなんて、私、悲しいです。でもでも、許してほしいのです。私と彼の真実の愛を!」
お約束の言葉きた!と思ったのは、私だけではないだろう。
昨今、流行中の、婚約破棄、その理由、真実の愛。
しかし、それは物語のなかで許される話であって、現実ではそうはいかない。
恋愛脳にそまっているお花畑な一部の若者が妄想するだけならいいかもしれない。
だが、それを実行してはいけない。
よりによって、国内外から来賓が集まる卒業式の夜会で。
そんなことを実行するのは、やはり……
「みなさん、お願いします。聖女である私の真実の愛を認めてくださいませ」
「おお、僕の愛しい聖女! 愛してる!」
……なにか、盛り上がっている、アホと聖女? 性女?は、ひしっと抱きしめ合い、二人の世界を作っている。劇でも見せられているのか?
なにか、もう……力が抜けるというか、殺る気が失せるというか、ねぇ、帰っていいかな……と心から思った。
久しぶりに着たドレスなんぞは脱ぎ捨てて、ふて寝したい。心底疲れた。
出したままだった愛剣を自空間に還す。
あいつらを大事な私の剣で斬るなんて、ぞっとする。なんか、へんなものがついて落ちなくなりそうだ。
「そうか、そうか、きさまも私たちの愛の前に、頭をたれるか」
「私たちの愛を認めてくださるのですね。私、うれしいです。ついでに、お断りされてた私の護衛になってください、お姉様♡」
めざとく私が剣を戻したことに気づいた珍獣二人が、ほざく。
……やはり殺るべきだわね。わが国の恥、はじめから存在しなかったことにするため、消滅魔法でもぶちかましましょう。
ちょうど試してみたかった古代魔法があるし。
半ば本気でそんなことを考えていた時、私とアホと聖女(一応)以外、固唾をのみ息を潜めている人垣が割れた。
その間を、歩いてくる二人連れ。
突発的に注目を集めているバカ二人とは違い、現在、世界から注目を集めている隣国の聖女と、その婚約者である隣国の第一王子だ。
なぜそんな大物がわが国の卒業の夜会にいるかといえば、この王子の妹が今回の卒業生の一人であるから、父である皇帝が来賓として呼んだからだ。
国力でいえばうちのが上だから、皇帝に呼ばれれば、断れるはずもない。
「何か、面白いことが起こっているようですね、これは卒業を祝う余興か、なにかですか?」
婚約者をエスコートし、近くまで来た第一王子が不思議そうに問う。
余興? そんな事かけらも思っていないくせに、問いかける第一王子は、前から思っていたが、絶対に性格が悪いだろう。
めんどくさい。しかし、無視するわけにはいかない。
ため息をつきたいのをぐっとこらえつつ、私は答えるしかない。
「余興? それなら、よかったのですが、私は、婚約破棄をされたようです。
前皇帝陛下が決めた幼き頃からの婚約者殿に」
そう、私の婚約者は、前皇帝が決めた。
何でも流れの予言者……その女が唯一の女孫である私の婚約者は、あのアホがいいと。なにか御大層な託宣つきで、いったそうだ。
予言者の言う事など一笑に付すべきだったろうが、その前にいくつものことを的中させており、前皇帝の信頼は絶大なものだった。
それで物心つく前から決められた婚約者。
一度たりとも異性として好意を抱いたこともなく、私の邪魔をしなければそれでいいと思っていた。
邪魔どころか、最後の最後に強烈な恥をかかされるとは、夢にも思っていなかった。




