61 魔王②
魔の森、太古の森、原始の森、呼び方はいくつもある。
どこまでもどこまでも果てしなく続く大森林。
そこには獣も魔物もいて、人間の国、その他種族の国、魔族の国もあるという。
大森林の中、白い霧がただよっている場所が、いくつもある。小さな場所もあれば、辺り一面を白く包み込むように広がっている場所もあった。場所を周知されているところもあれば、突発的に白い霧が現れる場合もあった。
それに触れることができ、それを通り抜け、白い霧のむこうの場所へ行けるのは、異世界人だけだといわれていた。
白い霧の中に、何があるのか、この世界の人間は知らない。
・
バシンっと音をたてて、はじかれて、伸ばした指の先から、赤黒い血がつうっと伝い落ちた。
「………」
白い霧に触れて、拒絶されることはわかっていた。
わかっていても、手を伸ばしてみた。
万が一、受け入れられて、この先に行けるかもしれないと思わなかったわけではないが、案の定、はじかれた。
指が落ちなかっただけ、よかったのかもしれない。
崖下に続く階段。白い霧のなかへ、下へと続いている。
召喚を多用するために、召喚国と呼ばれることもある、女王が支配する国が、自分たちの手に余り、かといって殺すこともできない異世界人を白い霧の向こうに、捨てるための場所だ。
ここで、エリスの気配は消えている。
愚かな人間たちが、娘を捕らえ、魔封じの輪をつけられたときでさえ、かすかな気配を感じることはできた。
その糸のよう細い気配を探り、やがてエリスの下へたどり着くことができただろう。
その前に、エリスは私の下へ、転移され、逃がされたのだが。
今回はあの時とは違う。完全に、ここでエリスの気配は絶たれている。
地下で、血まみれで、瀕死になっていた人間の子供。生命が尽きるのは、時間の問題だった。
エリスは必死に、傷に薬を塗り、効かないとわかったら、ポーションをなんとか飲ませようとしていた。
人間たちへの報復を他に任せ、首謀者たちを魔界へ送るように指示したあと、エリスを地下まで迎えに行った私にも、助けてあげてくれとすがってきた。
だが、薬、ポーションが効かないのであれば、どうすることもできない。
魔族と呼ばれる我々には、癒しの魔法は使えない。
あきらめるしかない。
エリスがどうして、そこまで必死になるのか、わからなかった。
人間は、弱い。生きる時間も違う。我らとは相容れない。
日々の変わらないさまに飽きていた幼いエリスが、城を、国を、魔界を抜け、人間の町にいっていることはわかっていた。
そこで出会い、わずかな時間の交流を積み重ねているのも、わかっていた。
害を加えないならと、目をつむっていた。
幼くとも、魔族。本気を出せば、あんな守護を失った町など、エリス一人で滅ぼせることはわかっていた。
まさか、エリスがあの子供を人質にとられ、無抵抗のまま、囚われ、あろうことか売り飛ばされることになるとは思っていなかった。
人が造った魔封じの輪など、それで封印できる魔力以上の魔力を持つエリスなら、玩具も同然なのに、足首にはめられたという。
魔界に戻ったエリスの記憶を読んだときは、愕然とした。
普段は記憶を読んだりはしない。
だが、戻ってすぐ、私と話をすることもなく、子供を助けるんだと転移魔法で飛ぼうとしたから、そうした。
そして、部屋に閉じ込めた。……はずだったが、ぬけ出し、あの子供の、傍らにいた。
元の顔がわからないほど血まみれで、傷だらけの子供。
子供にここまでの暴力をふるうとは、人間とは醜いと不快に思った。
子供の血が大地に染みて、眠っている存在が血の味で、ゆっくりと、怒りによる目覚めを迎えようとしているのがわかった。
関わるには厄介な存在だ。
エリスを強引にでも、子供から引き離し、連れ戻すために動こうとした時だった。
しゃべれないあの子の必死の願いが届いたのか、白い光が輝き、瞬時に、目の前のエリスと子供の姿がきえた。
二人を引き寄せた力の一部に、おぼえがあった。
エリスの記憶のなかで見た、彼女を私のもとへ逃がした異世界人の少女の力だ。
彼女は、この目の前の、霧の中へ、追放されたという。
エリスの気配もここで途切れている。
おそらく……、いや、間違いなく、エリスと子供は、異世界人の少女のところにいる。
記憶の中で、エリスの傷を容易く癒していたあの少女なら、とっくにあの子供の傷を癒すことができているはずだ。
目的は達成されたはず。
なのに、なぜ、戻らない? 戻ってこない?
白い霧に触れさえすれば、あの世界に拒絶されている我らは、こちらへ戻ることができるはずだ。拒絶され、外にはじき出されるはず。
「……なぜ」
崖下から、風が吹き上げ、金色の髪を乱暴に後ろに流す。
血の色をした瞳で、階段を見下ろす。
数段降りれば、白い霧の中だ。先はみえない。
目をあげれば、広がる白い霧の向こうは、どこまでも続く大森林だ。
ここから、はるか遠くはなれているが魔界へ続く場所もその先の、自国も、果てのない大森林の中にある。
白い霧の中と外では、世界が違う。
自分の手の届かない場所に、愛娘がいると思うと、焦燥感が募る。
こんな気持ちを抱くのは、久しぶりだ。
千を超える年月、感情を揺らすことなく、ただ、在り続けた日々。
ときおり、下剋上だなんだと、魔界の外の者たちが来ることがあったが、埃を払うように、追い出した。
だいたい、他の生き物の命をすすり、力を増やしたとて、始祖の私に敵うはずもない。
魔界を出た純血の魔族達がおこした国は、それがわかっているから、わが国に、牙を向くことは、ほぼない。
長きにわたり、沈黙を守り、動かない始祖の国には、皆、触れずにいる。
それぞれの魔族の国では力を競い、争っている。その中の国々に、魔王退治だといって、ときおり、人間の勇者が討伐にくることがあるそうだ。それは少し面白そうだなと思ったこともある。
しかし、何事にも例外はあって、わが国に何度も攻め入ろうとした純血の魔族がいたな。私の息子だが。
ここ、数百年は来てないから、さすがに、大人になったのか?
沈黙のなかで、生き続け、どれだけの歳月が過ぎたのか、日々を数えることをやめていた頃、エリスが生まれた。
忘れていた感情を取り戻していっているかのようだ。
それは、私の側近たちも同じこと。
孫とはこういうものなんでしょうか? 無条件で可愛いと、子供もいない千年超えの魔族がいうのには、同意しかない。
だが、エリスは孫ではなく、娘。
娘は、無条件で可愛い。息子は……ため息しかでないな。
エリスには兄がいると教えたことはないが、いまさらだろう。
会うたびに、
「死ね!クソジジイ!」
と言うような輩など、紹介する価値はない。
ギラギラとした炎のような目をして、大剣を振りかぶり、感慨にふけっている私の背後から、切りかかってくる、バカ息子など、本当に、紹介も、会わせる価値もない。
「久しぶりだな、アーレス」
「っ。この」
振りかぶった刀身を血のついた私の指先で押さえられ、振り下ろすことはもとより、引くこともできなくなり腕を震わせている。
濃紺のマントが背後にたなびく。
「変わらずで喜ぶべきか、進歩のないことに嘆くべきか……どちらがいいだろうね」
「……ふざけんな」
「風の噂で、立派に、王様をして、国を大きくしていっていると聞いていたのに、……どうして、私の前では、そんなざまなんだろうね?」
「うるせぇよ!」
「親の前ではいつまでも、子供に戻ってしまうのかな? 大きくなって、まったく可愛くないけどね」
「誰が、子供だよ! この浮気ジジイが!」
「は?」
思わぬことをいわれて、加減を忘れて、バッキリと刀身をふたつにしてしまった。
「げっ! おれの、剣が。ドワーフ王に頼み込んで、酒、貢いで貢いで、ようやく打ってもらったのに。おれの魔力を通しても、耐えれた……剣が、バキって……」
折れた半分がのこった剣の柄を握りしめ、呆然としている。
……ドワーフ気難しいから、依頼受けてもらうの、大変だったろうね。壊したってバレたら、ハンマー振りかざして、追いかけ回されるかもしれない。
「……城の宝物庫。きみが小さい頃入りたがってた、あそこには、銘のある魔剣、色々あるが……」
おわびにひとつ、あげてもいいかもしれない。
大地に膝をつきそうな勢いだったアーレスがこちらをみた。
「……宝物庫……魔剣」
ゴクリと喉を鳴らした。
かなり、そそられる内容だったようだが、はっとしたように顔を上げ、後ろに飛び退った。
持っていた折れた剣は、私の前に投げつけ、硬い地面に突き刺さった。土ぼこりが舞う。
「あぶねぇ。罠にはまるところだった……」
罠なつもりはなくて、大人になって、きちんと武器を制御できそうだから、あげてもいいかなと思ったんだが。
「そんなつもりはないんだが……」
「仕切り直しだ。魔王。宣戦布告だ。おれも力をつけた。おまえを、今度こそ、その地位から引きずり落としてやる」
ビシッと指を、私に向けて、つきつける。
地位? 喜んで、引きずり落としてもらいたいが、そういうわけにはいかない。
「母上にかわり、オレが、復讐してやる」
「……」
妻のことで、なぜ、息子に、復讐されねばならないのだろう?
成人前に、かなり厳しく叱ったら家出をしてしまったアーレスとは、前から思っていたが、行き違いがあるような気がする。
じっくり話をしたいが、話よりも切りかかってくる有様だから、どうにもならない。
「覚悟して待ってろ、クソジジイ」
三下もしくは、雑魚のような台詞を吐き捨てて、アーレスが転移した。
親子の、数百年ぶりの再会は、わずか数分で終わった。
「……しかたないな」
放置していった大剣を引き抜く。残りの折れた刀身も拾う。
「修復は厳しいが、鋳溶かせば、材料にはなるだろう」
ふりむいて、再び、目に入れる白い霧。
その中から、エリスは、今日も出てきそうにはない。
「また、明日だな」
もし、外に出てきたら、見逃さないように、魔法陣は敷いておく。
「さて、ドワーフのところに行ってくるか。千年以上ぶりだから、あまり、騒がれぬとよいのだが。息子が、剣をだめにした詫びと、もう一度、作ってくれないか頼まねばな」
自身の空間収納に折れた剣を納めながら、その中に、ドワーフ達の気に入りそうな酒はあったかなと思いを巡らす。少なくとも、千年物の酒だから、大丈夫だろう。……空間収納を開くのも、千年以上ぶりだった。
「親の心、子知らずだな」
どちらも家に、……この場合は城に帰ってこない子供二人を思い、ため息をついて、転移する。
城の方も、何か……牢に放り込んで放置している人間が危ないと、家臣達が訴えていたが、何が危ない? あの牢で、死んでも構わないだろう。今は、そっちにかまう時間はない。かってに死ねばいい。
エリスが自由に動き出してから、私の止まっていた時間も動き出した。
――落ちきっていた砂時計をひっくり返して、もう一度、砂を落とすかのように――止まっていたことが、再び、動き出したかのようだった。




