56 友達⑥
目を開けて、夢じゃなかったんだと、安堵する。
「……」
幸せな夢をみて、苦しい現実をつきつけられる――そんな日々を過ごしていたから、夢を見るのが、こわかった。
『レイ? 起きた?』
僕の顔を上からのぞき込む、大きな赤い瞳。つやつやしてて、赤い宝石みたいだ。
名前は、エリス。僕の友達。
魔法が得意で、たぶん、僕よりずっと強い魔族の女の子。
ふわふわした金色の髪を、リボンでふたつに結んでいる。
そのまま髪を流した姿しか見たことなかったから、すごく可愛らしいと思う。
肩に手が触れている。
エリスの声が頭に聞こえてくる。
喋れないと言っていたエリスは、触れることで意思を伝えるのだと知った。
今までは、僕の魔力が、魔封じの輪によって、封じられていたから、できなかったんだろう。
小さな頃は当たり前に感じられた魔力が、今は身体中を巡っているのがわかる。
急に取り戻した感覚に、慣れなくて、戸惑う。
それに身体が重い。力がはいらない。
これは怪我をしたせい? 魔力を取り戻したせい? 僕にはわからない。
まるで、まだ眠っていなさいと、いわれているかのようだ。
起きていようと、意識しないと、また、眠りそうだ。
でも、今は起きていたい。
頭に合った枕、軽くて、でも、温かい布団が僕を眠りに誘おうとする。
上半身だけでも身体を起こさないと、また、寝てしまいそうだ。
『まだ、身体がきつい?』
心配そうな声に、僕は首をふった。
枕の上でだから、少ししか動かせなかった。
肌触りもとてもいい寝具だ。
僕なんかが寝ててもいいのかな? 僕は血とか泥とかで汚れきっていたと思う。
エリスが、前にしてくれたように、クリーンの魔法を使ってくれたのかな?
真っ白な掛け布団の襟元が、僕のせいで、黒く汚れている様子がないから、よかった。
『大丈夫だよ』
『本当に? リンをよんで、熱、はかってもらう』
『え? 熱?』
僕の疑問をそのままに、エリスは軽い足音をたてて離れて、誰かを連れて、すぐに戻ってきた。
「起きたんだね。よかった。きっちり癒やしたから、大丈夫だとは思ってたけど、それでもやっぱり、心配してたんだよ」
少し、ゆっくりとした口調でいいながら、エリスと一緒に僕の寝ている寝具の横に座った。
「ちょっと、触るね」
言いながら、細い指が額に触れた。
この指は、おぼえてる。
目が開けられなくて、身体がしんどくて、そのときに、僕に触れた指だ。
「うん、熱くないね。熱は下がってると思うよ。これは、はがしちゃおう」
えいっというかけ声とともに、僕の額にはられていたものがはがされた。
とても冷たくて心地よかったそれは、時間が経って、貼られていても冷たさは感じられなかった。
「体温計でも測ってみるね」
一度聞いたことがある、ピっという音がして、脇に差し込まれたものは、体温計というらしい。
しばらくして、ピピピと音がして、ぬかれた。
「まだ、36.8……微熱に近いかな?」
『熱があるの?』
エリスの声に、首を頑張って横に向けてみた。
左手は僕に、右手ははリンと呼んでいた少女に、エリスの手は触れていた。
そうすることで、三人で会話ができる。
「もう一度、魔法を使うか、薬かな?
うーん、ここきて、覚えたポーションでも作ってみるかなぁ。森にね、図鑑にのってた薬草、……草のフリしてるみたいに、雑草に紛れて、たくさんあったんだよ」
『リン、ポーションつくれるの?』
「うん。授業があってね、なかなかいいできだっていわれてた。
失敗しなかったし、材料も無駄にしなかったから、余分にできた分、こっそり売ってた。店で買うと高いらしくて、希望者に、内緒ってことで安めで売ってた。だから、あの国の硬貨も、実は持ってるんだ」
『すごい。私も作ってみたい』
「うん、教えるよ」
「えっと、……薬、ポーション、高いし、横になってればなおります」
「遠慮は、必要ないよ」
『リン、すごいから、心配ないよ』
エリスの横に座る少女、リンさんは、10歳の僕より、5歳くらいは年上だと思う。
つやつやとしたの黒色の髪、紺色の大きな瞳は夜になったばかりの星空みたいだと思った。
すごくすごく綺麗な人だ。だけど、なんていうか……おばさんみたいな自己主張の激しい美人ではなくて、静かに凛とした、何か他とは違う雰囲気のする、綺麗な人だ。周りの空気が静かですごく透明な気がする。
それに魔力というか、彼女から、なにか、底しれない力を感じる。敵わないと思わされるほど、大きな……。
取り戻したばかりの魔力でそう感じさせられた。
小さな頃、僕はスキルで鑑定を持っていた。
手当たり次第なんでも鑑定して、許可なくそんなことをしてはダメだとお父さんにおこられたことがある。何よりも、人を鑑定してはいけないといわれた。
僕はそれを思い出して、慌てて、勝手に人を視てはだめだと、自分に言い聞かせる。
許可なく、鑑定しないこと。特に、人に対しては鑑定してはいけない。
それはお父さんとの絶対の約束だ。
『レイ? 大丈夫?』
「レイくん? 大丈夫?」
二人が同じ方向に、首を傾げて、僕をみていた。
おそろいの仕草が、可愛いと思う。
「……っ、だ、大丈夫」
僕の声は、かすれてた。しばらく寝てたからだよ。ほほ笑ましくて、笑うのをこらえたからじゃないよ。
「ごめんなさい、心配かけました。えっと……、エリスと、リンさんが僕を助けてくれたんですよね」
リンでいいよ、敬語もいらないよと、あっさりといわれる。
すぐに、敬語を外すのは難しい。
「えっと、僕は、レイ……レイモンドといいます。家名はながくて、忘れてしまいました。助けてくれてありがとうございました」
僕の正式な名前は、今の、エリスよりも小さい頃に奪われて、はっきりと覚えていない。
おまえに名前はないと、昔は忘れろと、言われ続けて、忘れてしまった。
大事な、大事な名前だったはずなのに……ごめんなさい、お父さん。
「私は、凛。家名というか、名字はあるけど、リンでいいよ」
『私は、エリスでいい。本当はね、エリスティアラっていって、そのあと、長いんだけど、エリスでいいの』
二人が口々にいう。
誰にもかけてもらえなかった、久しぶりの、優しさ、気遣いに目がうるみそうになる。
「こほん……」
リンさんが居住まいを正した。
真剣な眼差しが僕を見つめる。
「……それで、レイくん。お話しをしてほしい。
きみを怪我させたのは誰なの? あんなにひどいことをした、加害者を、こととしだいによっては、絶対許さないから」
ここからでも、何か報復方法はあるはずと、リンさんはぎゅっと拳をにぎった。
ちょっと、紺色の目がきつくなってる。綺麗な人が怒ると、怖い。
……ここ?
そういえば、ここってどこだろう?
いまさら、気がついた。
「えっと、いまさらなんですが、ここってどこなんですか?」
『ここは、リンの領域だよ。リンの結界の中で、ものすごく安全だよ』
「?」
それから、エリスは話してくれた。
あの崩れ落ちる穴蔵の崩壊を、結界で止めたこと。
瀕死の僕を、傷薬とポーションで治そうとしたが、できなかったこと。
諦めろといわれたが、諦めきれなくて、エリスを王都から逃がしてくれ、そのとき、傷も治してくれたリンさんのことを思い出したこと。
心のなかで思いっきり助けを求めたら、気がついたら、リンさんの領域に飛ばされていたということ。
そこで癒しの魔法をかけてもらって、今に至るということを話してくれた。
「エリスちゃんが、私のことを思い出してくれてよかったと思う。
たぶんだけど、望む人はここにきていいよって、アパートの入居者募集してたから、これたのかな? 今は募集は休止中だけどね。安全確保が、先だよね、うん」
アパートって、この部屋のある、建物のことかな?
少しせまい部屋は、真新しい匂いがする。歪みのない大きな窓硝子、照明は天井にあって、丸く平坦だ。蝋燭でもなく、魔道具でもなさそうだ。
床は、傷一つなく、クギのあともない。丹念に磨かれたみたいにつやつやしている。
ほかにもドアがあり、あっちはトイレとお風呂だよと、教えてもらった。
こんな狭いなかに、浴室、トイレも?
あの、少し小さいものは台所? かまどはないけど、どうなってるんだろう?
なんだか、すごいところに来てしまったみたいだと思った。
僕は、物置代わりの、穴蔵で暮らしていたのに……。
「……!」
そうだ。
町はどうなったんだろう。魔族に、襲われていた。
お父さんが護っていた――僕が、いつかお父さんのあとを継いで護らなければならなかった町。
おばさんや、僕に成り代わっていた子はどうなったんだろう。彼らには、できない。
「町はどうなったの?」
『レイは、考えなくていいよ』
いつもと違う冷たい口調で、エリスが吐き捨てた。
『あんな、誰も、レイのこと、助けなかったところのことなんて、考えなくていい』
「……」
お母さんが亡くなったあと、突然、屋敷に来たおばさん。母を求めて泣く僕を慰めて優しく接してくれた。
お父さんの、義理の姉だという。
あなたが、あなた達が、心配なのよ、ここで私ができることがあるはずだわ、と、熱心にお父さんに訴えていた。
お父さんは、心配はいらないから帰って欲しいと、何度も、断っていた。
それでも、帰らなかった。
おばさんは気がつくと、お父さんのそばにいつもいた。
幼い僕には、優しい人だった。
だけど、お父さんの死によって、何もかも変わってしまった。
初めて、人に叩かれた。頬を爪で引っかかれた痛みを、忘れられない。
知らない子に名前を奪われ、働かされ、殴られている僕をみても、使用人も、町の人も、皆、みないふりをした。
僕は、彼らには見えない、透明な人間に、なったかのようだった。
おばさんがこわかった? おばさんと一緒にやってきた男たちがこわかった?
僕も、怖かったよ。苦しかったよ。痛かったよ。
だけど、誰も助けてくれなかった。
だからかな? 穴蔵まで聞こえていた騒動が……町が、魔族にエリスのことに対する報復を受けていたからだったと知っても――憤ったり、怒りの気持ちが起こらなかったのは。
魔物が攻めてきた? それとも、帝国が攻めてきたのかもしれないと、横たわりながら思っていた。
護りの魔法は、お父さんが亡くなってから、消えてしまっていた。
何年も、平穏が続いて、誰も気がついていなかったけど、僕はわかっていた。
燃えている匂い、聞こえてくる悲鳴。破壊音。激しく振動したあと、天井から落ちてくる石礫。
一方的に蹂躙されているかのようだった。
このままでは町が滅ぼされてしまうと、思った。
穴蔵の中、血まみれで横たわりながら、町がそんなふうに終わってもそれでいいと思ってしまった。
このまま、僕も、天井が崩れて、瓦礫に埋まってしまっても、それでいいと思っていたんだ。
ごめんなさい、お父さん。護りたいと思えなくて、ごめんなさい。
『レイ、魔族の、私はいや? こわい?』
黙り込んだ僕に勘違いしたのか、悲しそうにエリスが、赤い目を潤ませて言う。
すぐに否定した。
「そんなことない! エリスは、僕の友だちだよ」
『本当?』
「本当だよ」
『よかった』
「うんうん。仲良くて、いいね。
事情は、よく分からないけど――レイくんに怪我させた人たちは、きっちり罰を受けているということかな?」
『うん。ちゃんと、罰を受けてると思う。魔界に、連れて行くって言ってたから。もう、レイが会うことはないよ』
「……そうなんだ」
穴蔵にいたから分からないけど、ちゃんと罰を受けることになったんだ。
大きな破壊音が何度も聞こえていたし、剣戟の音や悲鳴も聞こえていたから、大変なことになっていると思っていたけど、そうじゃなかったんだね。
……よかった。怪我人はいるかもしれないけど、生きているのなら、頑張って、町を復興してほしい。
僕はどこか他人事のように、そう思う。
僕は、あの地の領主の血筋だけど、僕をいないものとして、救いの手を誰一人差し伸べてくれなかった人々にたいして、いまさら何も思うことはない。
復讐しようとか、そういう気持ちもおこらない。
僕は、あの地に帰る気はないという気持ちだけは、確かだ。
僕はこれからどうしよう。
本で読んだ冒険者みたいに、自由に生きるのも、いいかもしれない。
動けるようになったら、僕は、僕として、生きるんだ。
「……身体が治るまで、ここにいてもいいですか?
けがをなおしてもらったうえに、図々しいことをお願いして、ごめんなさい。僕ができることは、何でもします」
「なにいってるの?」
優しく笑いながら、そっと僕の頭をリンさんがなでた。
頭をなでてもらったのは、いつぶりだろう。覚えていない。
「ここにいていいんだよ。ここは、レイくんの部屋だよ」
「え……でも」
「遠慮は、必要ないよ。子どもなんだから、甘えなさい」
ポンポンと頭を優しく叩かれる。
「急いで、大人にならなくてもいいんだよ。……ふふ、未成年の、私が言うことでもないけどね」
「……」
目が熱い。泣いてしまうなんて、恥ずかしいのに。
我慢できなくて、涙がこぼれ落ちた。
柔らかな布がそっと目に当てられた。ふわふわした手ぬぐいかな? 柔らかい。
止まらない涙と嗚咽を、吸い取ってくれる。
「……エリスちゃん、レイくんのそばにいてね。ご飯の用意してくるよ。レイくんのは、おなかに負担にならないものを考えなきゃね。おかゆかなぁ」
『プリンもほしいな』
「いいけど。ほかにも、おいしいデザートあるんだよ。待っててね」
ドアが開いて閉まる音がした。
静かな部屋で、僕の嗚咽だけが聞こえる。
『隣はね、エリスの部屋なんだよ。リンがぬいぐるみとか、いろいろ用意してくれたんだ。レイの部屋も、ちゃんとしてくれると思う。ね、一緒にいるよ。もう、泣かないで』
――ここにいてもいいんだよ。
――ね、一緒にいるよ。
それは、一人ぼっちだった僕がずっと欲しかった、言葉だった。
――もう、泣かないで。
うん、そうしたい。
でも、涙が止まらないんだ。
悲しいと思うことで流す涙は、もっと小さい頃に枯れてしまった。
嬉しくて、流す涙は、今の僕には止められそうにないんだ。




