46 桜
――桜の花がみたいわ。
綺麗なのよ。咲いてるときもだけど……それがね、風で散って、アスファルトにたくさんたくさんおちて、薄紅色の布を広げたようで……とてもとても、幻想的で、美しいの。
当たり前のようにあった春の景色をみれなくなってから、時が過ぎて、苦しいくらい懐かしく思い出してしまう。
ああ、私はとてもとても遠くに来てしまった。
帰りたいと思ってしまう。
私がいなくなったら、あなたを一人にしてしまうのに……帰りたいと思ってしまうの。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
こんなところに、一人残していく、私を許さないで。
ごめんなさい。
だけど、あなたを愛している。
この気持ちだけは、嘘ではない。
あなたとともに、帰ることができたのならいいのに。
そしたら、あなたを一人にすることはないのに……。
……ごめんなさい。
『謝らないで。泣かないで、お母様』
私の声は、届かない。
過去に聞いた声でも、これは夢だから、私の声は届かない。
「……また、この夢。目覚めはよくないわね。たまには、笑顔をみせてくれたら、いいのに」
笑顔の記憶は遠くて、泣き顔と悲しく弱々しい声で、何度も謝る姿しか思い出せない。
夢のせいで目が覚めた。窓の外をみると、まだ夜だった。
再び、眠りにつけそうにないので、寝台から出ることにする。
テラス窓から外に出て、夜空を眺める。
銀色の、星空が広がっていた。
空気はひんやりと冷たい。
なにか、羽織ってくればよかった。
「え? お姉様?」
隣のバルコニーから、驚きの声があがった。
寝台の掛布を肩から羽織った、私を姉と慕ってくれている、異世界人の少女アヤが手すりから身を乗り出すようにしていた。
「身を乗り出したら、危ないわ」
「大丈夫ですっ」
そう言って、アヤはヒョイッと手すりに乗って、私の方に飛んだ。
とんっと、軽やかな音をたてて、私の横に降り立つ。
「私、とろそうにみえて、運動神経いいんですよ。わ、お姉様!」
私はギュッと、アヤに抱きついた。
心臓が騒がしい。驚きすぎて、とっさに結界など守護の魔法をかけることができなかった。
まだまだ私は未熟だ。
「おちたらどうするの。高いでしょう。無事では済まないわ。もちろん、怪我なんてさせないし、したとしても、私がすぐに治すわ」
「ふふ、ごめんなさい」
「謝ってるわりに、嬉しそうね」
こんなに心配させておいて、嬉しそうってどういうこと?
私は意識して、怖い顔をする。
「わ、怒らないで、お姉様。美女が怒ったら、怖いですぅ」
「こんな危ないことしたら、怒ります。反省なさい」
「反省します。ゴメンナサイ。でも」
アヤは背が低いから、私を見上げる形になる。
私に顔をむけて、本当に嬉しそうに笑った。
「だって、嬉しいんです。誰かに、私だけを心配してもらったことなかったから」
「アヤ……」
いつも笑顔で、本心を覆い隠しているような……くるくるとその場の状況において、違う自分を演じているような子。
心に影がある。
それは異世界に来てから生じたものではなくて、もとからあったものだろう。
「これからも、アヤを心配するわ。もちろん、悪いことをしたら、叱ったりもするわよ。だって私は、あなたのお姉様ですものね」
「はい、お姉様」
帝国で婚約破棄騒動を起こし、断罪されかけていたアヤを、皇帝と交渉しつれてかえった。
なぜ、そんなことをしたかといえば……。
誰にも話したことはないが、私の母は異世界人だった。
望まず異世界に召喚され、濡れ衣をきせられ、追放された。
誰かを恨むことなく、望まず妊娠し、産んだ私を愛し、ただ、いつも悲しげに微笑んでいた人。
アヤと母は、まったく似ていない。
それでも同じ異世界人だから助けたいと思ったから、無理を押し通して、帝国から連れ帰った。
母が帰りたいと願っていた異世界の話を聞ければ、それだけでいいと思っていた。
だけど、だんだんと本心で、私を姉と呼ぶようになったアヤにほだされた。
あの家から出て、白い霧の外、この国に戻ったときは、大切なものなど、なにもつくらないと誓ったはずなのに。
「クシュン」
アヤが小さく、くしゃみをした。
夜はすっかり冷えるようになった。
冬はすぐに来るだろう。
「中へ入りましょう。明日も儀式があるし、寝不足はまずい。早く寝ないと。
教会とは違って、城の寝台は二人で寝てもじゅうぶんひろいわ。眠くなるまで、お話しを聞かせてくれる?」
「はい、もちろんですっ。ふふ、お姉様と寝れる。ふはっ、王子様、悔しがるかなぁ」
「?」
「何でもないです。お姉様」
アヤは楽しそうに、ふふふっと笑っている。
たくさんの話を聞きたい。
桜の話を聞きたい。
本当に、母が語っていたような花の咲く木なのか。美しいのか?
でも、私が、桜ってどういうものなの?って聞いたら、なぜ知っているのって話になるわね。
いつか、何かのきっかけで話してくれたら嬉しい。
帰りたい――お母様がいつもいっていた異世界の話を、聞きましょう。
追放されてから、一度たりとも帰りたいといったことのない、お母様が召喚された城で――聞きましょう。




