36 思うこと 願うこと⑥
「今日も入居者さんはゼロだよ、ね?」
玄関ドアを開けて、私は文字通り、固まった。
「え? ……え?」
目を瞬かせ、それから、ゴシゴシと目をこすった。
ワンルームの、アパートは、見通しがいい。特に家具とかパーテーションとか、のれん、とかなければ、部屋の中を把握するのはとても簡単だ。
「ふたり? え、こども?」
フローリングの上、あお向けに横になってる男の子。
手をにぎって、そばにぺたんとすわっている女の子。
女の子がうつむかせていた顔をあげて、私の方に顔をむけた。
大きな、赤い目。うるんでいて、泣いていたのがわかる。ふっくらとした頬がぬれている。
この目、この子を知ってる。
王都で、逃がした魔族の女の子だ。
どうして、ここにいるの? ここって、異世界人しかはいれないんじゃ……ぐるぐると疑問が頭にいくつも浮かぶ。
でも、それを考え続けることはできなかった。
魔族の女の子が立ち上がり、私に向かい、駆けてくる。
「わっ!」
体当たりするかのようにぶつかり、私に手をのばして、しがみつく。
『お願い! 助けて。あの子を助けて』
頭に直接響くかのように、声が聞こえた。
念話? この子の?
女の子の、必死な声が頭に響く。
『傷がいっぱいで血が止まらない。傷薬塗ってもきかなくて、ポーションも飲んでくれない。私を友達っていってくれた。いなくなったら、いやなの! 助けて、お願い』
「え?……あ」
いわれてはじめて、気がついた。
血の匂い。あの国で、癒しの魔法をかけるときに、どうしても嗅いでしまう匂いだ。怪我人の、香り。
しかも、かなり濃い。
フローリングの床に、ポタポタと血の跡がある。
私が立っている玄関の床にも。
女の子のドレスにも血がついている。小さな手はよく見ると、血まみれだ。
出血量、多いよ、これ。危険だ。
私は女の子を抱き上げて、数歩を、走る。
傍らに、彼女をおろし、私は男の子のそばに膝をついた。
「これは、ひどい」
思わず、口に出てしまった。
あきらかな暴力のあと。両目とも殴られたのか、まぶたが腫れている。髪の毛はベッタリとして、たばになっている。おそらく、たくさん出血して固まっている。足は、本来向くはずのない方向へ足首が曲がっている。足骨折してる。口端にも血がついてるから、吐血した? 内臓もダメージがかなりありそうだ。
ぱっくりと開いた額の傷は、薬草の匂いがする軟膏がべったりとぬりつけられている。女の子が塗ったんだろう。傷口がひどすぎて、効いてない。これは縫わないとだめな傷口だと思う。
ポーションを飲んでくれないと言っていたけど、意識がない。胸がかすかに上下しているから、生きているのだろうけど、それがなければ、とても生あるようにはみえない。
こんな、ひどい暴力を、誰が。こんなまだ小さな男の子に。
子どもの年齢ってよくわからないけど、10歳にはなってないよ、この子。
しかも、不自然なほど痩せてる。ご飯、もらえてなかった?
「……」
私は、私にまったく無関心な母親がいる。お金さえ渡しておけば、それで義務は済んだと思っている。
世話は家政婦にまかせ、私と顔を合わせようともしない。
それを虐待だと言う人はいるだろう。
だけと、こんなふうに身体に暴力は受けたことがない。心が痛いことはあったけど、身体に痛みを覚えたことはなかった。
ひどい、ひどい、ひどい。なんてひどい。
沸き上がる怒りに、胸が苦しくなる。
だけど、落ち着いて、私。怒りに取り乱すのはあとでいい。
今の私にはできる。ここに召喚されて、ずっとずっと、癒しの魔法を使ってた。
あの将軍は、まだまだ、普通ですね、もっとできるでしょう、と、認めてくれることはなかった。
だけど、通い詰めてた、城の治療院の人達は違う。
あなたのおかげで、命をつないだものがいます。
あなたの癒しの魔法は、素晴らしいと褒めてくれた。
ろくでもない異世界に召喚されても、純粋な感謝の言葉は嬉しかった。
今の私は、ここに追放されてきて、魔法の力がずっと強くなってる。
自分自身びっくりするくらいに。
思い願うことという、よくわからない魔法も使える。
なら、私は全力で、思い、願うよ。
思うこと、願うこと。それが私の魔法。
すがるように、私を見上げる女の子に、安心させるように、強くうなずく。
「大丈夫。絶対、助ける。うん、絶対、助かるから」
たとえ、この男の子が、死の世界に足を踏み入れようとしても、私が、全力でひっぱり戻してみせる。
私は男の子の上に手をかざす。
全身に視線をめぐらす。
悪いところがなくなりますように。
痛いところがなくなりますように。
骨や血管、内臓なんてわからないです。でも、もとに戻りますように。きれいにきれいに治りますように。
詠唱なんてしらない。あの城では、教わったとおりに唱えてたけど、それは私には必要ない。
思うこと、願うこと。
それが私の魔法。
パキンって、小さな音がして、男の子の足首にはめられていた足輪が、きれいに真っ二つにわれた。
この足輪って、魔封じの輪? そういえば、女の子も、逃がしたあのときはしてた気がする。今はないけど。
こんな小さな子たちに、魔封じの輪って。胸糞悪い。
こんな小さな子に暴力を振るった奴は、因果応報だよ。
報いを受けるべきだ。
こんな、暴力は許されていいわけない。
とてもとても痛かっただろう。頑張ったね、よく生きてた。
女の子に助けられて、どういうわけかだけど、ここに来れてよかった。
ここは安全だよ。私が作った安全地帯だからね。絶対防御に自信ありだ。
だから、きみを誰も傷つけない。
心配ないから、戻っておいで。
男の子の身体を、私の、癒しの魔法が包む。
柔らかな白い光が身体をなおしていく。
深い傷も、殴られた傷も、みえない傷も全部全部、なおしていく。
『すごい……。すごい、こんなのみたことない』
まだ、身体が触れているので、女の子の念話がきこえてくる。
『すごい。なおってく。血が止まってる。傷が、なくなってく。……ふっ……ふぇ』
女の子がしゃくりあげる。涙がポタポタ流れ落ちる。フローリングの床をぬらす。
私は女の子の頭を撫でた。
「よく頑張ったね。きみが頑張ったから、この子助けられたんだよ。きみが友達を助けたんだよ。えらかったね。こわかったでしょう、でも、よく頑張った」
ぷるぷると頭をふるって、それから泣き顔のまま、私にしがみつく。
『あ、ありがとう。たすけてくれて、ありがとう』
「どういたしまして」
男の子はまだ目を開けないけれど、寝ているだけだと思う。
たくさん出血して、身体が休息を求めているんだ、きっと。何日間か目覚めないと思う。治療院でも重症だった人は、1週間以上目を覚めさない人もいた。なくなった血液や魔力は、癒しの魔法では戻せない。少しずつ、回復して取り戻すしかない。
男の子は何日眠り続けるかはわからない。
けど、フローリングの床に直に寝るのは、回復に良くないよね、うん。
寝場所をセッティングせねば。
私は泣いてる魔族の女の子に声をかける。
「ね、このまま床の上じゃよくないと思う。彼が寝るとこ作ろう、手伝ってくれる?」
顔をあげて、女の子がこくりと首を縦に振る。
「えっと……私は、凛。リンっていうの。きみは?」
『エリス』
「よし、エリス。手伝って。まず、床をきれいにして、あ、彼もきれいにしなきゃ」
『私、クリーンの魔法はできるよ』
クリーンの魔法? 浄化魔法だね。それは今の状況では便利だ。
男の子の着替えの服もない現状では、魔法できれいにするしかない。
これ以上の魔法は、彼の身体に負担かもしれないから、慎重に行こう。
「じゃ、エリスは、彼に負担のない程度に、クリーンの魔法かけてあげて」
「わかった」
「私は、お布団の用意するよ」
よかった。お布団とかアメニティとか用意しておいて。
あとでコンビニ行くかな? たしかオリジナルTシャツとかあったはず。
いっそのこと、私の謎魔法で、ドラックストアとか、そういうの、思い、願っちゃうかな。
私は、久しぶりの、私以外の存在にかなりテンションあがっていたのだと思う。
おわん型結界の中の、空きスペースにしっかりと、ドラックストアが出現していたことを、今の私は知らなかった。
……ようやく、二人、名前でました。




