29 友達①
……悲鳴が聞こえる。
逃げ惑う足音。
どーんとものすごい音を響かせて、がらがらとなにかが崩れ落ちていく音がする。
焦げ臭いような匂いもする。
燃えているのかな?
僕が投げ込まれているここにも届くくらいだから、ひどく燃えているのだろうな。
ここにも、火がくるかな?
地下とはいえ、穴をほって、崩れないように木材で補強しているだけの、簡素な穴蔵だ。
まわりには、雑多に、不要な物、季節ごとしか使われない道具が放り込まれている。
火が燃え移るというより、先ほどから響く衝撃音。魔法だろう――それによって、入り口が塞がれてしまう方が、先のような気がした。
僕は、縛られたりして、逃げられないわけじゃない。
ただ、いつもより、もっと、何度も何度も殴られて、たぶん、骨も折れていて、動けないだけ。
片手だけがおれたときは、なんとか動けたのにな。
さすがに、両足だと、動けない。ずきずきと、お腹も痛い。
めずらしく、おばさんが、やりすぎだ、死んだら面倒だと、止めてくれないのに、うろたえていたなと、思う。
おばさんは、僕が悪い。おまえのせいでと、いつもいう。
お父さんの、腕の中で、僕だけが生き残ったから?
だから、ずっと、たたかれたり、蹴られたり、されてきたのかな?
顔も覚えていないお母さん、肖像画がかざられているから、顔を忘れていないお父さん。
僕の、なにが悪かったの? 僕が、一緒に死ななかったから?
あのおばさんは、お父さんが死んで、なぜ、おまえが死ななかったと、ものすごい怖い顔をして、泣きながら、僕をひっかき、たたいた。
今でも、その赤い爪でひっかかれた跡は残ってる。
でも、傷が増えて、僕も考えなきゃ、どの傷跡だったか、わからなくなっていた。
僕はお父さんが生きていたときはしあわせだったと思う。
おばさんも、優しかった。あんな怖い人になるなんて思わなかった。
僕は、殴られて、悪いこといっぱいいわれた。
僕は僕じゃなくなったといわれて、それからは、この地下が僕の部屋だった。
勉強しなさいではなく、働けといわれるようになった。
誰にも、名前を呼ばれなくなった。
僕の名前で、ほかの子が呼ばれるようになった。
優しくしてくれていた使用人たちはいなくなって、怖い人が増えていった。
僕は屋敷の外に出ることを許されず、ただひたすら働かされて、気まぐれに、ののしられて、叩かれるようになった。
僕が、僕じゃなくなったというのなら、ここから追い出してくれたら、よかったのに。
絵本で読んだ冒険者みたいに、自分で、頑張って、生きていけたかもしれないのに。
僕はさみしくて、ひとりぼっちで、時々、真夜中にこっそりと塀の隙間からぬけだしていた。
ここは、お父さんが、修繕しなきゃいけないんだと、いいながら教えてくれた場所。
お父さんの子供の頃からあって、――実は、お父さんもここから、でていってたんだよ。おまえは、するなよって、片目をつむって、いたずらっぽく笑いながら教えてくれたんだ。
だから、僕はそこから夜に抜け出しては、戻ってきていた。
本当は、どこかへ逃げ出してしまいたかったけど、まだ子どもで、お金もない僕にはそうすることができなかった。
そこで、僕は小さなきみに出会ったんだ。
僕がひとりぼっちになった頃と、同じくらいの背丈の女の子。
にぎやかな町中に行けず、町を囲う防壁に背中を預けて、ぼんやりとしていたら、ふわりと壁の上の方に、女の子は浮かんでいたんだ。
じいっとにぎやかな町中の方を見ている。
珍しいものでもみるように、飽きもせず、見ている。
あんなに小さいのに、浮遊魔法なんてすごいなぁと、単純にそう思った。
自分がそうだからなのか、女の子が一人でいることに、不思議と疑問はうかばなかった。
女の子は町中をみていて、僕はそんな女の子をみあげていた。
やがて、ほんとうに真夜中になって寝静まった時間、僕が戻ろうと立ち上がった時、初めて、女の子と目があった。
可愛いというより、綺麗な顔立ち。
真っ赤な目が、とても大きくて、宝石みたいだった。
真っ赤な目は魔族の目だなと思ったけど、僕にとっては、まわりの大人の方が怖かったので、魔族の女の子に対して、怖いとは思わなかった。
僕は、無表情で、こちらをみている女の子に手をあげて、またねと、唇を動かした。
それからだ。
空と地。離れていた距離をだんだん女の子が縮めて近づいてきたのは。
警戒心いっぱいの、飼いはじめの動物みたいな様子で、僕の近くに、だんだんと近づいてくる女の子。
声が届くだろう位置に来た時、僕は、一方的に話しだした。
この町のこと。食べ物のこと。読んだことのある本の中の話。楽しかった頃に出かけた王都の話。とりとめなく話した。
女の子は、なんにも答えてはくれなかったけど、ちゃんと話を聞いているというのはわかった。
そんな日々を過ごし、さらに距離が近づいて、気がつくと隣に座ってくれていた。
綺麗なドレスが汚れるだろうに、僕と同じように、壁に背を預け、地べたにぺたりと座っていた。
「汚れちゃうよ。洗濯って大変なんだよ」
洗濯って本当に大変なんだ。冬は水は冷たいし、汚れは落ちにくいし。
あかぎれになると、ぱっくりと切れて、指を曲げるたびに痛いんだ。
女の子は首を傾げて、立ち上がった。
案の定、ドレスの裾に土汚れがついてる。
小さな手のひらで、ぽんぽんとそこをたたくから汚れをはらったのかと思ったら、違った。
土汚れが消えた。これって、昔、異世界人がつくったという、クリーンの魔法?
「きみって、小さいのにすごいねぇ」
ただただ、僕は関心してしまった。
僕もお父さんが生きていた頃は魔法の授業を受けていたけど、いまは足首に魔封じの足輪をつけられていて、水滴ひとつ、出すことはできなかった。
女の子の、小さな手が伸びて、僕にふれた。
ふわっとなにかが身体を、そっとかけめぐった。
僕の、ボロとしかいいようのない服の、昼間新たに加わった泥汚れがきえた。身体も、スッキリした気がする。
もしかして……。井戸の水を頭からかぶることしかできなかった僕は……。
「ご、こめんね。石鹸とか使わせてもらえないから、汗臭かった?」
僕の言葉に、女の子が慌てたように、ぶんぶんと首をふった。
声に出せないかわりに、一生懸命、首をふることで、否定しているようだ。
「そんなにしたら、目が回っちゃうよ。わかってるよ。きれいにしてくれてありがとう」
――僕にとって、大切な、小さな小さな友達。友達だと、宣言したわけではないけど、勝手にそう思ってる。
身体は小さいけれど、魔法がとても得意で、だけど、癒しの魔法はできないと悲しそうにしょんぼりとしていた。
殴られてケガをしている僕に気がついて、ためそうとしたけど、できなかった。
慣れてるから、大丈夫だよというと、さらに悲しそうな顔をした、優しい女の子。
次にあったときは、小さなガラス瓶に入った軟膏をもってきてくれて、それをベッタリと頬に塗ってくれた。すぐに痛みが消えて、とっても驚いたんだ。
優しい、優しい、赤い目をした魔族の小さな女の子。
魔法が得意で、たぶん、とても強い女の子。
僕のせいで捕まって、どこかへ売られてしまった。
――殴ったはずなのに傷がすぐに治っている。ボロだけど、汚れがない服。石鹸を使えず、パサパサで、ときにあぶらぎっていた僕の髪が、清潔につやつやしている。
僕のことが大嫌いで憎んでるおばさんと、その仲間たちが、その変化に気がつかないわけないんだ。
女の子と出会って、忘れていた楽しさとか喜びを思い出して、……僕は油断していたんだ。
おばさんたちは、夜に会う、僕らの様子を、監視していたんだ。
もしかしたら、女の子は気がついていたかもしれない。時々、目を細めて、視線を投げかけることがあったから。
それでも、僕に会いに来てくれていた。
僕が気がついていたら、もう、来なくていいよって、言ったのに。
あの夜、出かけようとした僕は、おばさん達にさんざん殴られ、そのまま、引きずられ、防壁のところに連れて行かれた。
おばさん達が、僕の首に、刃物を当てながら、言った。
見ているんでしょう? こいつを、殺させたくなければでてきなさい、と。
でてこないでいい、こないで、僕のせいで、きみまでもなぐられたらどうしようと思った。
あんなに小さいのに、そんなの、ゆるせない。
でてこないで。お願いだから。
だけど、女の子は、出てきて、そして、つかまった。僕と同じように、魔封じの足輪を、大人しく足につけられる。
「やめろ! 逃げて、逃げて! 早く。こんなヤツらにつかまっちゃいけない!」
ふりしぼるように、叫んだと思う。
直後、後頭部にものすごい激痛が走った。
殴られたんだ。
意識が途切れる前、女の子が真っ赤な目を見開いて、僕に手を伸ばしているのがみえた。
僕が目を覚ましたのは、地下の穴蔵で……。
生死を確認しに来たおばさんたちに、あの子はどうしたと聞いた。
おばさんが楽しそうに、魔族の女の子は、王都に、高い値段で売り飛ばしたといった。
子供でも魔族だ。魔族研究にちょうどいいだろうし、かわいかったから、ほかの用途にも使えるだろう。
その言葉に、怒りが込み上げて、どうしようもない気持ちになった。
だから、思ってても、言わなかった言葉をさけんでやった。
最後の力を振り絞った。これで死んでもいい。
「クソババア! ばけものより、はるかに醜い。きたない!
おとうさんは、あんたなんて、好きじゃなかった。だって、オークよりみにくいよ!きたない、バケモノだ!
そこの、僕に成り代わった子なんて、泥棒だ。やがて、血筋の簒奪者として、裁かれるよ。
おとうさんは、この古い血を大事にしなさいといってた。
ただの、ニセモノのおまえは――」
黙れ! と、叫ばれて、それでも黙らないから、立ち上がれない僕を、さらにおばさん達は蹴り上げていく。
途中、血を吐き続け、動かなくなった僕に、青ざめたおばさん達は後ず去って、立ち去っていった。
それから、どれだけ時間がたったのか……感覚がなくて、わからない。
ねぇ、僕は、もう、大丈夫だから。
きみは逃げて。
遠い王都に売られていったという、女の子にむけて、思う。
僕は、もう、たてないし、もう、無理だと思うから。
もう、我慢しなくていいよ。僕のためにつかまっている必要はないんだ。
早く、逃げて。
もう、人間のところになんて、きちゃだめだよ。
目がかすむ。絶えることなかった痛みが、分からなくなっていく。
――やっと、お父さんに会えるのかな?
外からの激しい音、パラパラと天井から石が落ちて、僕に当たったけど、何も感じない。
眠い気がする。
腫れて、閉じにくい瞼を閉じていく。
――幻かな?
泣きそうというより、泣いている、赤い目がみえた気がした。




