15 夜の色
あれを、この腕に抱くようにと渡された、その時、思った。
何か、が違うと。
髪は夜の色、まぶたは閉じたままで、生まれ落ちたときに赤子は産声をあげると聞いていたのに、それもなく、でも確かに生きていて、そう、手を、まるで確かめるかのように、閉じたり開いたりしていた。
産まれた直後でも、はっきりとわかるくらい、綺麗な顔立ちだった。
息を呑み、文字通り、腕に乗せたまま、抱きしめることもできず、その顔を凝視していた私に気づいたのか、それはゆっくりと目を開けた。
髪が夜の色なら、瞳も夜の色だった。
そばで見守っていた産婆や、侍女が、驚きに、悲鳴をあげた。
ふたつの夜の色を持つものは、この地にとって、災いだといわれていた。
災厄を、魔を呼ぶのだと、いや、魔性、そのものだと。子供の頃から、何度も言い聞かされていた。
恐ろしい。なんて恐ろしいものを私は産んでしまったのだろう。
「……この子は産まれなかった。そうだわ。処分しなさい」
私はこの古き地、かつて大国の都があった土地の、数百年は続く領主家の一人娘。
婿をとり、おまえが、この地を治め、守っていかなければならない、今は亡き祖父の言葉が思い出される。
「ですが、旦那様にはなんというのですか! おうまれになるのを、楽しみに、それを希望に、戦地にいっておられるのに!」
まだ若い侍女が思わずというように叫んだ。
この侍女は、片親は他領の出身。この地の言い伝えなど、本気にしていないのか、知らないのかもしれない。
そして、夫も、この地に生を受けたものではない。
優しいあの人は、私が災いについて話しても、子を処分することなど、決して、認めないだろう。
愛しいあなた。でも、ごめんなさい。
私は、この地を守らなければならない。
「黙りなさい。――子はまた産めばいいわ。これはいらない。だれか、はやく、これを」
「わかりました、姫様。私の息子に、させましょう」
私の乳母が前に進み出て、腕から、それを取り上げた。
重みがなくなった瞬間、不意に、きゅっと、なにか、心がしめつけられるような痛みをおぼえた。
楽しみに、大きくなっていく自分の腹を撫で、元気に健やかに生まれてきておくれと、願っていたのは、私も、同じだったのに。
「姫様、お疲れでしょう。お休みください。なにも、憂うことはありません」
乳母は、それを抱え、一礼し、出ていく。
自分の息子、私の幼なじみでもある騎士に、それの処理をまかせるのだろう。
私の、子。たった一人の子。だけど、夜の色を持って生まれた、災いの子。
本当に?
この地では、そうだと言われてきた。
――だけど、やはり、貴方にとっては違った。
打たれた頬を押さえて、床に倒れ伏しながらも、彼を見上げる。
「死産だなんて、嘘を、よくも! 処分だと! そんな恐ろしいことを、よくできたな。わが子だぞ! ずっと、生まれてくるのを楽しみにまっていたではないか! それをどうして!」
だれが、貴方に本当のことを教えたのか、きかなくてもわかる。
あなたの後ろにうつむいたまま、立っている、あの侍女だ。
「……仕方がないのです。わが一族では、ふたつの夜の色を持って生まれてきた子は、災いをもたらすと言われているのです。私はこの地を守らねばならないのです」
「何が、わが一族だ! 迷信に囚われ、子を処分など! おそろしい」
「大丈夫です。また、産みますから。今度はちゃんと」
そんなことをいえば、あなたを失うとわかっていた。
「触るな!」
伸ばした手を、痛いほど強く、払われた。
なにか恐ろしいものをみるように、私をみる、あなたの目から、私に対して、確かにあった愛情が、消え失せているのが、わかった。
「古き一族。新しい血をいれ、かえたいといった、そなたの言葉はまやかしだった。
そなたらは、自分たちだけで生きるといい。私は、無理だ」
「…」
「離縁だ。もう、私は、きみを愛すことはできない。むしろ、殺したいほどに、憎い」
激情をこらえるようにぐっと拳を握りしめ、彼は踵を返した。
足音が遠ざかっていく。
私をみて、彼の背中をみて、それから一礼して、侍女も、彼のあとを追った。
共に行くといい。この地では、裏切り者は、許されないから。
「お母様。大丈夫です。私が必ず、お助けします」
くるしい、全身を苛まれる痛みを、矜持だけでこらえながら、寝台に横たわる私に、私の子だという、娘が言う。
「私、お兄様に、会いに行ってきます。きっと助けてくれます」
いつの頃からか、聞こえてきた噂。国境を超えたさきにあるどこの国にも属さない自由都市に、奇跡を起こす医師がいるという。
彼は、不治と言われた病の薬をいくつも作り、解毒不可能といわれた眠りの毒から他国の王族も救ったという。
奇跡といわれる薬を作るだけではなく、癒しの魔法を使うことなく、傷を癒すこともできるという。
魔物との戦いで、腕を食いちぎられた将軍の、腕を魔物の腹を裂くことで取り出し、つなげ、完全に治るようにと、普段は使わない癒しの魔法を使い、戦線に復帰させ、勝利の一因をになったという。
薬を作り、魔法がなくとも癒し、けれど、必要となれば癒しの魔法も使えるという。
女であったなら、聖女と呼ばれたかもしれないという――彼は、夜の色の髪と瞳をもつ、見目麗しい姿ではあるが、出身は孤児だという。
その噂を耳にしたとき、秘密裏に、あれの処理をまかせた騎士を呼び、問い詰めた。
「…もうしわけございません。おれにはできませんでした。姫様の子をなんて。……どうしてもできませんでした」
膝をつき、平伏して、謝り続ける騎士を見おろしながら、何年も抱え続けていた胸の奥の痛みが、消えた気がした。
生きている? 私の、たった一人の子。
「お許しください、姫様」
「許すも何も、私の子はいません。どこにもいないのです」
あのとき、乳母に託した時、私は、母となる資格を失った。
「お母様、行ってまいります」
行かないで。
その言葉は、弱った私の唇から発することはできず、息が漏れただけだった。
もしあの子だというなら、あの子のところに行かないで。
病の、この痛みも苦しみも私は甘んじて受けて、あるというなら災いごと、地獄へ連れて行くから。
行かないで。
私の願いは何も叶わない。
愛されることも。
わが子を慈しみ育て、愛する人と生きることも。
「大丈夫です、必ず、お薬を持って、お嬢様は戻ってきてくださいますよ。それまでは、私が変わらず、お世話をいたしますから」
うつる病だというのに、私のそばを離れずにいる、すっかり年老いた乳母は、自分が処理を息子にまかせた赤子が生きていたということをしっていたのだろうか?
私の子、だというなら。
ここにきてはだめ。
遠く、遠く、手の届かぬ、遠くで、生きていて。
ここに戻ったら、きっと、災いが、あなたをつかまえてしまうから。
遠く、遠くにいて。
痛みで苦しくて、熱くて、寒くて、眠れなかったはずの意識が堕ちていく。
だめ、まだ、伝えていないの、災いのことを。
当主だけが口伝で伝えていく、それを、伝えていないの、誰にも。
――災いだといわれた、あの子にも。




