かってに源氏物語 桐壺編
アマゾンより発売している 「かってに源氏物語 桐壺編」の一部を掲載します。
内容が良いので、買って下さる気持ちになって下されば幸いです。
価格は700円です。
また夕顔編も販売されております。桐壺編同様、是非ともご期待下さい。お求めはアマゾンのホームページより「かってに源氏物語(ひらがなと漢字)」の題名で検索して下さい。700円です。
かってに源氏物語
上鑪幸雄
桐壺編 原作者紫式部
桐壺編前半の一部と後半の一部を掲載します
あれはいずれの御ん時にか・・・私の記憶も定かではないのでございますが、確か今から千年も前の、桐壺帝がおわしましたころのお話だったと存じます。
そのころの帝王様におかれましては重臣どもが献上つかわしました女御の御方々、公卿が差し出しました更衣なる女人があまたお仕えしておりまして、
その中に大して際立つほど重要な女人でもない者の中に、優れて御心をときめかせるほど美しい女性がおったのでございます。
その方は桐壺御殿にお住まいの方で、名前を小桐と名乗っておりました。この頃の桐壺帝の御寵愛はこの小桐様のみ注がれておったのでございます。
初めから我こそ我こそはと、他の女人に負けてたまるかと思い上がりしあばたなる良家の御方々、
帝王様の御寵愛を独り占めに致そうと、目障りな者あればねたみ陥れようと、責めぎあいに明け暮れておりました。
同様なるほどにすざましきものありますれば、それより下郎となる身分の低い更衣なる小桐様は、心休まるときなど一時もありません。
朝夕の宮仕えにつけても、人の心のみ気遣い、帝王妃様や、側室の女御様に無礼な振る舞いがありはせぬかと、殺気立った取りまきに目を動かし、
恨みや反感を負うつもりはありけなんと、気配りを続けておったのでございます。
余りにも重苦しさに疲れはて、頭がいと熱くなるほどに病に侵され心細げになりますれば、いよいよ実家に帰りたいと里がちになるのを帝王様は名残惜しいと哀れに思われまして、
これでは冷たくあしらったら男としての体裁がが悪いと、世間の悪い噂も気になさり始めまして、この世で何回も繰り返されました例のごとく、
優しい御もてなしで、里心を引き留めようとなさるのでございます。
三位以上の身分の高い上達部や四位五位蔵人の上人などは、おせっかいにも白い眼をなさいまして、顔をそむけ、これはまばゆいほどはしたない御寵愛と、唐の国で起りました伝説に掛かる事の不吉な兆候に見立て、
世も乱れ悪しき状態に思えなくはないけれど、いよいよ帝王様がおわします天の下にも、無謀な振る舞いをなさる御人の醜い悩み仕草になりはしないかと、楊貴妃の例も引き出でて、
「きっとあのような不幸な成り行きになってしまうだろう」
と、不安を感じてはいましたが、とてもはしたなきこと多かれど、優しい御心映えのたぐいなき清らかな心に、
国の安泰を委ねるのも悪くはないのではないかと、様々な思いが入り混じらいたまうのでありました。
重臣どもが危惧致しておりました桐壺更衣におかれましては、父君大納言は亡くなっておりまして、母君の北の方なむ方におかれましては、
旧家の出身で教養に満ち溢れた親しき器量の持ち主であられましたので、その保護下で育てられました更衣におかれましても、差し当たり世の覚えなき華やかな御方々に比して、
痛み入りますほど少しも劣らず、何事の公けの儀式にも、何の障りなく立ち振る舞いできる知識を持ち給いしかれど、取り立てて経済的にはかばかしい後見人がおらぬとなれば、
事あるいざという時には、なお拠り所もなく心細げになってしまうのでありました。
桐壺の更衣が住んでおりました平安京の内裏の中では、中宮を務めます帝王妃の弘徽殿の女御様を中心に、それに劣らぬ身分の高い側室様が十人ほどおったのでございますが、
帝王様は女好きで何をやっても自由の御身分・・・
「ホホホ・・・いいえ、いいえ」
そうばかりとは申し上げられないのでございますが、宮中内で気に入った女官を見染めることがありますれば側女として迎え、内裏の奥の部屋に住まわせておったのでございます。
その頃の帝王様のお名前は、桐壺帝と呼ばれておりました。桐壺のお名前は、宮中・内裏にある桐壺御殿の名前からとったものでございますが、
住まいの正式名は淑景舎、そのお住まいの中庭に桐が植えられておったので、桐壺御澱と俗的に呼ばれておりました。
桐壺帝はその建物で生まれ養育されましたのでそう呼ばれておったのでございますが、この桐の御殿はみかどが寝起きする清涼殿からしますと、かなり奥の部屋にございました。
このことからしても、桐壺帝の母君は、決して身分の高いおなごではなかったのでございます。
桐壺帝には腹違いの兄君がおりまして、その兄の母君は先帝の王妃様で、今の左大臣の伯母上にあたる方でかなりの実力者ございました。
若き桐壺帝の兄君は、皇太子として、妃の六条の御息所と共に東宮殿で暮らしておられたのでございます。
桐壺王子は幼少で世間知らずでございましたので、内裏を抜け出してはよく東宮殿へ遊びに出掛けておられました。東門から東宮殿を覗きますと、
兄君は決まって池の泉澱で、皇太子妃の六条の御息所様と共に、勉学に励まれ、書物を読んでおられることが多かったのでございます。
そこの勉強の方法というのは他の貴族の者と比べますと、かなり違おうておりました。王族と貴族が七歳になって学問を習う場所は、内裏の外にある学門院と決まっておったのですが、
皇太子夫妻はそれとは別に、付き人の女人から勉学を学ばれておられることが多かったのでございます。
そしてその勉学に励まれていた場所が、池の中にある泉殿という人のわづらわしさから隔離された建物でございして、そこは池に囲まれた中島の中にある一等地の場所でありました。
四方を遮るものがなく、正殿や築山を一望にして見渡せる、御殿でも一番眺めが良い場所でありまして、
こうした所で学ぶことができますれば、学問は苦しむどころか、むしろ楽しい遊びにさえ思えるのでしょう。
このことは桐壺王子がたびたび東宮殿へ足を運ばせ給う理由とも重なったのでございますが、その光景はまるで夢のようで、
雅楽師が池の舟の上から奏でる笛や琵琶の音色が流れる中で、あやしき女人が和歌や漢詩を詠みあげる歌声が、知恩院の御坊様のように、
厳かなお経に似た旋律となって池の周りに響き渡り、安らかなる時が流れておったのでございます。
「青に良し 奈良の都は 咲く花の 薫うが如く 今盛りなり」
女人が和歌を詠み上げる高い響き声が聞こえました。美しい横笛のような流れです。それは雅楽の響きに合わせたかのような旋律がありましたので、
桐壺王子はそれをまねて口ずさみ、すらすら覚えたのでございます。
「青に映え 奈良の都は 桜いろ 薫うが如く なお盛りなり」
すかさず皇太子様が答えます。そこに仕えておりましたのは黄緑色の十二単を着た皇太子妃と、淡い水色の十二単をまとった付き人でした。
「まあ、皇太子様、良うゆうてくれはりました。『今盛り』と、閉じましては不吉でございますもの」
すかさず六条の御息所が皇太子様の歌を批評します。
「そうでございますね。私めもその所が気になっておりました。さすがでございます。皇太子様。奈良の都は、この歌が詠まれた後に滅びてしまいましたもの」
御息所の付き人はにこにこしながらはべりました。
「二人の美女に誉められおっては、わしも首筋がかゆうなるわいな」
皇太子さまは照れくさそうに鳥帽子下の髪を掻きます。
「まあっ」
二人の女人は扇を口に当てて笑い転げます。
「お幸せな方でございます、この方は。ほほほ・・・」
「ははは・・・」 皇太子様が余りにも照れくさそうにするものですから、二人の女人も笑っては、体を揺り動かしておられました。
「所で『青に良し』の青は、何を意味しているのでございましょうな。青い空か、深い緑の山々か」
皇太子様が尋ねます。
「私は杉か檜の青い木立ちに囲まれた中で、ポツリと咲く山の桜は美しいと解釈しておりますの」
「そうでございますね。私もそのような情景かと」
「それでは都の松や樫に囲まれた花も、ここの築山に咲く桜も美しいということでございますな」
「まあ、分かっておいでじゃございませんか、東宮様」
「ははは・・・」
それはそれは楽しそうで、勉強の合間合間に笑い声さえ聞こえて来たのでございます。桐壺王子はそうしたお二人の勉強のようすが羨ましくてたまりません。
東宮殿の衛兵に御座をもってこさせ、泉殿の回廊の下で勉学の様子を聞いて、自分も仲間に加わったようなお幸せを感じておられたのでございます。
そこで勉学を教えて講義をしておりましたのが、何と申しましょうか、小桐という女房だったのでございます。
その当時の宮中では、王族が学問院以外の教授官はおろか、女人などから教育を受けるなどあり得ないことでございまして、皇太子様が
女房と言う使用人から教えを請うなど考えられないことでありました。女は汚れた身分の低い卑しい者、無教養な者と思われていたのでございます。
小桐は大納言様の北の方であられます母君から、和歌や漢詩の教育を受けておりましたので、勉学の才能に優れ、天才的な感覚を持っておりました。
そうした御殿にこっそり来た桐壺王子は、護衛兵が東宮殿の内務官に取り次いでいる間にも、学問の内容が面白くて、知らず知らずの間に盗み聞きなさりました御蔭で、学問が身についたのでございます。
桐壺王子はそばで聞いているだけで、書物のお手本がなかったにも関わらず、内容を良く理解することができました。
そして橋の下から密かに勉強の様子を伺い、理知的で美しい小桐の女房にひそかに恋しさも感じておりました。
でもそれはとうてい叶わぬ夢でありました。小桐様は皇太子妃の付き人であると同時に、兄君が思いを寄せている相手でもありました。
兄君は自分が帝王の位になるのを待って、この女房を王妃に次ぐ側室にするつもりだったのでございます。
しかし、そうした皇太子様の幸せは長くは続きませんでした。皇太子様の母君が急に重い病気を患いまして、この世からお亡くなりになりますと、その王子の皇太子様も、
何者かに呪われていたかのように、ひと月も経たない間に、この世からお隠れになされたのでございます。
それはそれはその時の御所内は大騒ぎで、食事を世話しておりました下家の女官達や、護衛の者の何人かは処刑されて、痛ましい悲劇があったのでございます。
そして結局は桐壺王子が御世継ぎとして皇太子様におなりにあそばしまして、右大臣の娘・春子様と共に東宮殿に住まわれることになりました。
桐壺王子が華やかな衣装で東宮殿へ入宮する一方で、前の皇太子妃の六条の御息所様が宮中を出て行く姿は、誰もが可哀そうで涙を流したものでございます。
さてさて、お話は大分脇道へ逸れてしまいましたが、その桐壺王子が帝王様なられましてから十年経った後の話でございます。
帝王様と妃の春子様の間にはすでに王子と王女様が、何人か誕生しておりました。
王子様は右大臣の孫に当たりますから後ろ盾も十分でございまして、次の御世継ぎとして皇太子様になることがほぼ決まっております。
ですが、なにしろ弘徽殿にお住まいの王子は、まだ幼い年齢で病弱ぎみ、まだまだ御一人で暮らせるような年齢でもありません。
ですから東宮殿で誰もお暮らしておられないということは、桐壺帝の世継ぎは正式に誰とも決まっていない・・ということになります。
一方、次の帝王様の叔父上として権勢をふるうはずでありました左大臣は、前の皇太子がお亡くなりになられましたことで孤立感を高め、途方にくれておりました。
「せめて、先の皇太子妃の世話役ありました付き人の、小桐だけは内裏で暮らせますようお計らい下さいませ」
と、先帝に願い出たのでございます。
先帝様は左大臣の願いを聞き入れ、小桐を養女として迎え、空き部屋になった桐壺御殿に住まわることにしたのでございます。
そして世継ぎに決まった今の桐壺王子をひそかに呼び寄せ、
「そなたにくれぐれもよろしゅう御頼み申し上げるわいのう。その胸の中ほどに、良く良く刻み込んで賜もうれ。わし亡き後も桐壺の更衣である小桐が、暮しに困ることのなきよう面倒を見てやってはくれぬか」
と、そう申されたそうでございます。
更衣とは身分の低い家柄の御側女のことで、更沙織の綿の衣や、麻の着物を着ていることが多かったのでそう呼ばれておりました。
小桐様は左大臣家の教育係、家臣の娘だったので贅沢はできません。その御両親もよみの国人となられていたので孤独な身の上だったのでございます。
「あのものは身分が低うなれど、美しゅうて繊細な心を持った女人じゃ。美貌もさることながら教養も高うて心が休まる。あのものと語り合うことがあればこそ、そなたの学識に深みが増して、人としての思いやりや、勉学に一層研きがかかるというものよ」
先帝はそのように仰せになられまして、小桐を引き取るように御命じになられたのでございます。
「それはそれは、しかと心に命じておきまする。私ごときも、あの更衣の小桐の歌には、何かと感服いたしておりました。帝王様の口添えがありますれば、あの者の和歌の弟子として習いとうございます」
桐壺王子は先帝に願い出ました。そしてその願いが叶えられたのでございます。
「それは良い心掛けじゃ。そなたがあのものに情けを掛けることで、宮中は大騒ぎになるであろうが、右大臣と左大臣の女御どもの、互いの争いがうまく納まるというものよ。
小桐には苦労を掛けると思うが、この宮中の女官の泥臭いねたみや権力争いが、小桐に向けられるとなれば、女御どもの馬鹿な争いも、しばしは和らぐというものよのう」
と、先帝様は扇で口元を隠し、不思議な言葉を言い残したのでございます。
先帝様が申します各御殿の女御とは、王妃様やそれに準ずる身分の高い側室どものことでございます
さてその先帝が亡くなられた後でございます。桐壺王子は内裏の清涼殿へお入りになり、正式にこの国の帝王として政務を果たすことになりました。
そして心の中で密かに思っていた小桐を、準王妃として迎えようとなさったのでございます。
中略
かのように桐壺帝のかしこき御蔭をば頼りにしていると世間では聞こえながらも、落としめあら捜しを求めたまいしの策略に明け暮れる宮殿内の疵者は多く、小桐様は
「わが身は身寄りもなくか弱きはかない有様にて、帝王様の御寵愛が深ければ深いほど嫉妬やむごい仕打ちに苦しみ、なかなかなる物思いぞし給う」
と、思いけり。
その御局は桐壺の更衣のことなり。月見の宴で失態があってからというもの、桐壺の女御様のことを、王妃様や他の女御どもは再び「更衣」と呼ぶようになりました。
それでも桐壺帝は、内裏の大奥で誰もが反感を買う中で、重臣どもが献上した側室である女御の御方々や、それよりも身分の低い生意気な更衣どもの部屋には目もくれず、
ひと時の隙なく素通りして過ぎさせたまい桐壺帝の御前渡りに、人の御心を引こうとあれこれ様々な趣向を尽くし、お立ち寄りになられるようにお願いしたのでございますが、
げにこれには目もくれず、無言の中で断っているように見えました。
ただ帝王様も人の子、そうした女御どもの誠意ある切実なお誘いを断るのに胸を痛めまして、それを見るのも
「苦しい」
と、桐壺の更衣に清涼殿へ参上させたまうことが多くなりましたが、
余りにも度重なるお誘いのおりおりに、側室どもの嫉妬は増すばかりで、建物と建物をつなぐ打橋や、清涼殿に近い屋根付きの渡り廊下(渡殿)の、
そこかしこじゅうの道々に、あやしき悪い仕掛けわざを施しつつ、小桐様が清涼殿へ行くのを阻止しようとしました。
御送りや迎えに行く人の衣の裾に釘を引っ掛けさせて服を破けさせたり、わざと裾を踏んで倒れさせたり、けがを負わせることもしばしばでございまして、
あるときは先ほどのように糞尿をまき散らすなど、耐えがたくまさに予想外のこともありました。
またある時には、えて避けて通れぬ崖道にも似た、恐ろしい馬道の女御御殿の廊下に戸を鎖し込められて、逃げ場もなくさせたり、こなたあの方多くの女御様が心を合わせ、はしたなくも悪だくみをや意地悪をして、心を煩わせ賜う時も多くありました。
事にふれて数知れず苦しきことのみ多く楽しさにまされば、いと痛々しう思われて、詫しい悲しさを桐壺帝はとても哀れと御覧あそばして、
帝王様が住まわれる清涼殿の西隣に、もとよりさぶらい住まわれたまう更衣の御曹司を他に移させたまいて、帝と共に同行する侍従の控えのお部屋を、上局である小桐の更衣にあけ渡したのでございます。
こうした更衣に対する桐壺帝の優しさに、身の程知らずも良い所だと恨みまして、反感を抱いてやらぬ方など多くございました。
小桐様は病気がちで床に伏していることが多くなりましたが、光の君が三つになりたまう年、御袴着の儀式が執り行われたのでございます。
それは一宮の朱雀皇子の奉りし行事にもにも劣らず、献上された宝物などを管理するお御役所の内蔵寮や、天皇家から代々伝わる由緒ある品々を管理する納殿の役人を呼び寄せ、
「内密の話しじゃぞ」
と、桐壺帝は高価な物を尽くして並々ならぬ贈り物をいみじうさせたまう。
それにつけてもお世継ぎと同等に扱う帝への世の譏りのみ多かれど、この王子は知恵が賢く持ておわす御容貌でございまして、心映えなどたぐい例がないほどありがたく優れておりますれば、
珍しき天童とまで見えし給うを、誰もが憎むに憎めないほど、えそねみ、ほほえましく思いあうのでありました。
道理をわきまえ下に立つ者の心知りたまう人は、国を正しい方向へ導く王族にかかる人も、世に出て高官におわするべきものなりけりと、あさましきまでに御子の才能に目を驚かせ給いしになりました。
小桐様は御病気が重くなったので、静養のために二条の西の外れにある祖母の実家へ帰りたいとお願いしたのでございますが
「わしは、一日たりともそなたと離れとうない。光の宮の行く末も心配じゃ。これからはもっと、祈祷師に強い御祈りをさせよう」
と、申しまして、取り合っては下さいませんでした。
更衣様には宮中の堅い規則がありまして、よほどのことがない限り、外での静養は許されないのでございます。
光の宮様が三歳の暮れになられますと、小桐様の病状はますますひどくなって、今度は今にも死にそうな状態になりました。そして祈祷師によりますと、
顔に死相が現れ始めたと言うのでございます。こうなりますと、宮中の内務官も黙って見過ごすわけには参りません。
「帝王様、女御様の御臨終は間近に迫っております。人の死は最大の汚れ、宮中で死なせる訳には参りません。どうぞ小桐様を実家の祖母の元へお返しする宣旨を御出し下さいませ」
と、内務官は、帝王様にそう進言したのでございます。
帝王様は泣く泣くその御忠告を受け入れることに致しました。宮中の御決まりには逆らうことはできません。
帝王様ご自身も、何回もそのようにして、ご自分の母君や乳母、兄君とも悲しい別れをされたのでございます。
「すまぬすまぬ、そなたとだけは死ぬ時も一緒だと約束したのに、約束を果たせなくなってしもうた。この薄情なわらわを許してたもうれ。今となってはそなたを、もっと早く真家へ帰すべきであった」
と、嘆き悲しんだのでございます。
桐壺の更衣は桐壺帝に抱かれながら、建礼門の外に止めてある牛車に移されました。赤みの増した黒髪が帝王様の腕からこぼれ落ちました。
帝王様は涙を流し、小桐様にしがみついてしくしく泣いています。
「桐壺、わしはそなたを守れなんだ。許してたもうれ」
桐壺帝は滅多に見せない涙を流しました。
「いいえ、私は短くとも幸せでございました」
「桐壺、わしに何か申し残すことはないか」
桐壺帝は更衣の顔に耳を近付けました。
「ああああ・・・帝王様、色紙と筆を準備下さいませ。最後の歌を帝王様に贈りとうございます」
桐壺の女御は、牛車の中から帝王様にだけ聞き取れるかすれた声でそうお願いしました。そして
「何なり申してみよ」
という声に誘われて、和歌を詠みあげたのでございます。
限りとて 分かるる道の 悲しきに いかほしきは 命なりけり
今日限り 分かるる道の 悲しさに ただ欲しき物 命なりけり
と、息も絶え絶えに申し上げたのでございます。
今夜限りでお別れしなければならないと分かっているのですが、帝王様と光の宮のことを考えますれば、もう少し命が欲しゅうございました。
お別れする道の先々で、私ははかない命を嘆き悲むでしょう。光の宮の養育をお願い致します。と、そういう内容の和歌でございました。
小桐様は、夕闇が押し迫った夜になって、牛車に乗せられて宮殿を出ました。その時は息も絶え絶えで、何とか里の御婆婆様の屋敷に到着致しましたが、
まもなくその夜に亡くなったのでございます。騒ぎを聞いた桐壺御殿の女房と乳母達は、泣き崩れて大騒ぎになりました。
光の宮様は、そのような母上様の死がどのような悲しいものか分かろうはずもございません。悲しそうに泣き叫ぶ女官達の顔を、不思議そうに、口に指をくわえたまま・・・・・・
つづく
桐壺編の愛読ありがとうございます。完全版につきましてはアマゾンコムより「かってに源氏物語 桐壺編(ひらがなと漢字)」として電子書籍として発売しております。そちらをご覧になって下さい。700円です。なるべく買っていただくとありがたいです。
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以下は最初の書き始めの一部です
あれはいずれの御ん時にか・・・私の記憶も定かではないのでございますが、確か今から千年も前の、桐壺帝がおわしましたころのお話だったと存じます。
そのころの帝王様におかれましては重臣どもが献上つかわしました女御の御方々、公卿が差し出しました更衣なる女人があまたお仕えしておりまして、
その中に大して際立つほど重要な女人でもない者の中に、優れて御心をときめかせるほど美しい女性がおったのでございます。
その方は桐壺御殿にお住まいの方で、名前を小桐と名乗っておりました。この頃の桐壺帝の御寵愛はこの小桐様のみ注がれておったのでございます。
初めから我こそ我こそはと、他の女人に負けてたまるかと思い上がりしあばたなる良家の御方々、
帝王様の御寵愛を独り占めに致そうと、目障りな者あればねたみ陥れようと、責めぎあいに明け暮れておりました。
同様なるほどにすざましきものありますれば、それより下郎となる身分の低い更衣なる小桐様は、心休まるときなど一時もありません。
朝夕の宮仕えにつけても、人の心のみ気遣い、帝王妃様や、側室の女御様に無礼な振る舞いがありはせぬかと、殺気立った取りまきに目を動かし、
恨みや反感を負うつもりはありけなんと、気配りを続けておったのでございます。
余りにも重苦しさに疲れはて、頭がいと熱くなるほどに病に侵され心細げになりますれば、いよいよ実家に帰りたいと里がちになるのを帝王様は名残惜しいと哀れに思われまして、
これでは冷たくあしらったら男としての体裁がが悪いと、世間の悪い噂も気になさり始めまして、この世で何回も繰り返されました例のごとく、
優しい御もてなしで、里心を引き留めようとなさるのでございます。
三位以上の身分の高い上達部や四位五位蔵人の上人などは、おせっかいにも白い眼をなさいまして、顔をそむけ、これはまばゆいほどはしたない御寵愛と、唐の国で起りました伝説に掛かる事の不吉な兆候に見立て、
世も乱れ悪しき状態に思えなくはないけれど、いよいよ帝王様がおわします天の下にも、無謀な振る舞いをなさる御人の醜い悩み仕草になりはしないかと、楊貴妃の例も引き出でて、
「きっとあのような不幸な成り行きになってしまうだろう」
と、不安を感じてはいましたが、とてもはしたなきこと多かれど、優しい御心映えのたぐいなき清らかな心に、
国の安泰を委ねるのも悪くはないのではないかと、様々な思いが入り混じらいたまうのでありました。
重臣どもが危惧致しておりました桐壺更衣におかれましては、父君大納言は亡くなっておりまして、母君の北の方なむ方におかれましては、
旧家の出身で教養に満ち溢れた親しき器量の持ち主であられましたので、その保護下で育てられました更衣におかれましても、差し当たり世の覚えなき華やかな御方々に比して、
痛み入りますほど少しも劣らず、何事の公けの儀式にも、何の障りなく立ち振る舞いできる知識を持ち給いしかれど、取り立てて経済的にはかばかしい後見人がおらぬとなれば、
事あるいざという時には、なお拠り所もなく心細げになってしまうのでありました。
桐壺の更衣が住んでおりました平安京の内裏の中では、中宮を務めます帝王妃の弘徽殿の女御様を中心に、それに劣らぬ身分の高い側室様が十人ほどおったのでございますが、
帝王様は女好きで何をやっても自由の御身分・・・
「ホホホ・・・いいえ、いいえ」
そうばかりとは申し上げられないのでございますが、宮中内で気に入った女官を見染めることがありますれば側女として迎え、内裏の奥の部屋に住まわせておったのでございます。
その頃の帝王様のお名前は、桐壺帝と呼ばれておりました。桐壺のお名前は、宮中・内裏にある桐壺御殿の名前からとったものでございますが、
住まいの正式名は淑景舎、そのお住まいの中庭に桐が植えられておったので、桐壺御澱と俗的に呼ばれておりました。
桐壺帝はその建物で生まれ養育されましたのでそう呼ばれておったのでございますが、この桐の御殿はみかどが寝起きする清涼殿からしますと、かなり奥の部屋にございました。
このことからしても、桐壺帝の母君は、決して身分の高いおなごではなかったのでございます。
桐壺帝には腹違いの兄君がおりまして、その兄の母君は先帝の王妃様で、今の左大臣の伯母上にあたる方でかなりの実力者ございました。
若き桐壺帝の兄君は、皇太子として、妃の六条の御息所と共に東宮殿で暮らしておられたのでございます。
桐壺王子は幼少で世間知らずでございましたので、内裏を抜け出してはよく東宮殿へ遊びに出掛けておられました。東門から東宮殿を覗きますと、
兄君は決まって池の泉澱で、皇太子妃の六条の御息所様と共に、勉学に励まれ、書物を読んでおられることが多かったのでございます。
そこの勉強の方法というのは他の貴族の者と比べますと、かなり違おうておりました。王族と貴族が七歳になって学問を習う場所は、内裏の外にある学門院と決まっておったのですが、
皇太子夫妻はそれとは別に、付き人の女人から勉学を学ばれておられることが多かったのでございます。
そしてその勉学に励まれていた場所が、池の中にある泉殿という人のわづらわしさから隔離された建物でございして、そこは池に囲まれた中島の中にある一等地の場所でありました。
四方を遮るものがなく、正殿や築山を一望にして見渡せる、御殿でも一番眺めが良い場所でありまして、
こうした所で学ぶことができますれば、学問は苦しむどころか、むしろ楽しい遊びにさえ思えるのでしょう。
このことは桐壺王子がたびたび東宮殿へ足を運ばせ給う理由とも重なったのでございますが、その光景はまるで夢のようで、
雅楽師が池の舟の上から奏でる笛や琵琶の音色が流れる中で、あやしき女人が和歌や漢詩を詠みあげる歌声が、知恩院の御坊様のように、
厳かなお経に似た旋律となって池の周りに響き渡り、安らかなる時が流れておったのでございます。
「青に良し 奈良の都は 咲く花の 薫うが如く 今盛りなり」
女人が和歌を詠み上げる高い響き声が聞こえました。美しい横笛のような流れです。それは雅楽の響きに合わせたかのような旋律がありましたので、
桐壺王子はそれをまねて口ずさみ、すらすら覚えたのでございます。
「青に映え 奈良の都は 桜いろ 薫うが如く なお盛りなり」
すかさず皇太子様が答えます。そこに仕えておりましたのは黄緑色の十二単を着た皇太子妃と、淡い水色の十二単をまとった付き人でした。
「まあ、皇太子様、良うゆうてくれはりました。『今盛り』と、閉じましては不吉でございますもの」
すかさず六条の御息所が皇太子様の歌を批評します。
「そうでございますね。私めもその所が気になっておりました。さすがでございます。皇太子様。奈良の都は、この歌が詠まれた後に滅びてしまいましたもの」
御息所の付き人はにこにこしながらはべりました。
「二人の美女に誉められおっては、わしも首筋がかゆうなるわいな」
皇太子さまは照れくさそうに鳥帽子下の髪を掻きます。
「まあっ」
二人の女人は扇を口に当てて笑い転げます。
「お幸せな方でございます、この方は。ほほほ・・・」
「ははは・・・」 皇太子様が余りにも照れくさそうにするものですから、二人の女人も笑っては、体を揺り動かしておられました。
「所で『青に良し』の青は、何を意味しているのでございましょうな。青い空か、深い緑の山々か」
皇太子様が尋ねます。
「私は杉か檜の青い木立ちに囲まれた中で、ポツリと咲く山の桜は美しいと解釈しておりますの」
「そうでございますね。私もそのような情景かと」
「それでは都の松や樫に囲まれた花も、ここの築山に咲く桜も美しいということでございますな」
「まあ、分かっておいでじゃございませんか、東宮様」
「ははは・・・」
それはそれは楽しそうで、勉強の合間合間に笑い声さえ聞こえて来たのでございます。桐壺王子はそうしたお二人の勉強のようすが羨ましくてたまりません。
東宮殿の衛兵に御座をもってこさせ、泉殿の回廊の下で勉学の様子を聞いて、自分も仲間に加わったようなお幸せを感じておられたのでございます。
そこで勉学を教えて講義をしておりましたのが、何と申しましょうか、小桐という女房だったのでございます。
その当時の宮中では、王族が学問院以外の教授官はおろか、女人などから教育を受けるなどあり得ないことでございまして、皇太子様が
女房と言う使用人から教えを請うなど考えられないことでありました。女は汚れた身分の低い卑しい者、無教養な者と思われていたのでございます。
小桐は大納言様の北の方であられます母君から、和歌や漢詩の教育を受けておりましたので、勉学の才能に優れ、天才的な感覚を持っておりました。
そうした御殿にこっそり来た桐壺王子は、護衛兵が東宮殿の内務官に取り次いでいる間にも、学問の内容が面白くて、知らず知らずの間に盗み聞きなさりました御蔭で、学問が身についたのでございます。
桐壺王子はそばで聞いているだけで、書物のお手本がなかったにも関わらず、内容を良く理解することができました。
そして橋の下から密かに勉強の様子を伺い、理知的で美しい小桐の女房にひそかに恋しさも感じておりました。
でもそれはとうてい叶わぬ夢でありました。小桐様は皇太子妃の付き人であると同時に、兄君が思いを寄せている相手でもありました。
兄君は自分が帝王の位になるのを待って、この女房を王妃に次ぐ側室にするつもりだったのでございます。
しかし、そうした皇太子様の幸せは長くは続きませんでした。皇太子様の母君が急に重い病気を患いまして、この世からお亡くなりになりますと、その王子の皇太子様も、
何者かに呪われていたかのように、ひと月も経たない間に、この世からお隠れになされたのでございます。
それはそれはその時の御所内は大騒ぎで、食事を世話しておりました下家の女官達や、護衛の者の何人かは処刑されて、痛ましい悲劇があったのでございます。
そして結局は桐壺王子が御世継ぎとして皇太子様におなりにあそばしまして、右大臣の娘・春子様と共に東宮殿に住まわれることになりました。
桐壺王子が華やかな衣装で東宮殿へ入宮する一方で、前の皇太子妃の六条の御息所様が宮中を出て行く姿は、誰もが可哀そうで涙を流したものでございます。
つづく
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