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かってに源氏物語 四巻 夕顔編

 この度はこのコーナーへの訪問ありがとうございます。私の知る限り最大に物語性のある夕顔編、

楽しいですね。ご期待ください。

 完全版 夕顔 前編、後編が22世紀アートを通じて、アマゾンより電子書籍として発売されました。 関連した花の写真を折り混ぜた楽しい内容です。まだ夕顔の花の正体を解き明かす写真も多数掲載されております。

 桐壺編同様、是非ともご期待下さい。お求めはアマゾンのホームページで「かってに源氏物語(ひらがなと漢字)」の題名で検索して下さい。700円です。  


 紫式部原作の源氏物語を、様々な方々の参考書を拝見しながら、十一巻賢木まで掻き上げるとは思ってもおりませんでした。

 やはり内容が素晴らしく、小説、物語の形式、表現方法として素晴らしい物があります。古い時代の物語としては世界に負けない内容です。

 五十四巻まで続く源氏物語、何時まで書き続けられるか、お楽しみ下さい。語学力に乏しく申し訳ないのですが・・・・

かってに源氏物語 

     第四巻 夕顔編

 原作者 紫式部

           古語・現代語同時訳 上鑪幸雄

  

 六条渡りの御忍びありき、ひつじの刻のころ、帝が住まう内裏よりまかり出賜う中宿に、大弐の乳母の痛く病に患いて、尼になりけるを見舞いにとぶらわむとて、五条なる家訪ねておわしたり。

「光源氏様、ちょうどこの近くに母の家がございます。病気がちの母の具合が心配で気になっておりますので、しばらく寄り道して様子を見て来たいと存じますが、いかがでございましょうか」

と、惟光が言いました。

 この辺りは内裏から大分離れて小さな家が密集する下町だったのですが、

「そうじゃ、そうじゃ、わしもそのことが気になっておった。乳母がひどい病に臥して尼になったそうじゃな。出家したところで病が軽ろうなるはずもなかろうが、それは相当悪いということじゃろう。

六条に参上するには早すぎる時間じゃゆえ、そちらの見舞いを先に済ませようとしようではないか。良い機会じゃった。もっと早ようお訪ねするべきじゃったが、そなたには済まぬ思いをさせた」

 光源氏様は、御車の簾の中からお答えになられました。

惟光の母、光源氏様にとって大弐の乳母の家は、百坪ほどの土地が割り当てられた下町の一角にありました。

光源氏様は大弐の乳母の世話を受けて、二条にある自分の家で暮らしていたのですが、その乳母の病気が重くなり、この中宿り住まいで静養していたのでした。

「家の中は乱雑に散かっていると思われますゆえ、しばらくこの通りでお待ちくださいませ」

 惟光は、御車の斜め前から申し訳けなさそうにお断りすると、木柱を立てただけの扉のない門から母の家に這入って行きました。乳母の家は、道路からは垣根越しに建物の内部が見えるほど、敷地の狭い家です。

「母君じゃよ、いつ何時、偉い人が訪ねて来ないとも限らぬのだから『家の中はいつも綺麗に整理しとけ』と、いつもそう言っておいたじゃないか」

「そう言ったってお前、わしゃ気分が悪ろうて、悪ろうて、そんな気力などないわいな。体が思うように動かんでな」

 そんな親子の言い争う声が、牛車を降りた光源氏様の耳に筒抜けに聞こえて来ます。

惟光にとってはいつまでも、自分が子供のころの母のような存在でしたので、だらしなくなった母の姿が気に入らぬのです。

「車止めの門の鍵はどこへやったのだ。鎖が外せないではないか」

 そんな親子の会話が聞こえてきます。

 光源氏様にとっては大弐の乳母はまんざら他人でもなかったので、そんな親子の会話を面白く聞いています。

「惟光のやつめ、乳母に小言を言うとは困ったやつだ」

と、笑いながら、随身に命じで乗り物を勝手に屋敷に入れようとしたのですが、


 御車入るべき門は、内側より止め木差したりければ、随身、人として使いに出でて、惟光急ぎ召させるも、なかなか待たせ賜いけるほどに、難しげなる下町の大路の荒れ果てた様を見渡し賜える。

に、家々は板張りの屋根があったり、茅葺があったり、それも新しく拭き替えた屋根があったり、中には朽ち果てて苔が生えたり、草が伸び放題の茅葺の屋根もあります。

 光源氏様は物珍しそうに口笛を吹きならしながら、そうした大路を歩きまわっておったのですが、庶民の暮らしをのぞき見したくなりました。ふと隣に目をやると


この家の傍らに、檜垣というもの新しゅうて、薄い板を斜めに編んだ柵ありけるも、上は、はじとみの押戸を四五間ばかり外に上げ渡して中見ゆるに、

簾なども、いと白う涼しげなるに、おかしき額つきの透き影、あまた三・四人見えて、頭を押し付け簾の中より外をのぞく。

立ちさ迷うらむ人達の、胸より下つ方思いやるに、あながち珍しく丈高きのっぽ人の心地ぞする。いかなる者の集える暮らしならむと、ようす変わりて、あれこれ思い巡らし、中の人たちの生い立ちを思さる。

光源氏様の大路に停めた御車も、六条へ御忍び参る日にちともなれば、痛くやつれし給えり。それは御息所の館へ通う若様の身分を隠すためのもので、先の随身も

「光源氏様の御車なるぞ。道を開けよ」

 などと、町人を追わせ賜わず名乗りを差し控え賜えれば、誰とか知らむと民衆の中に打ち解け賜いて心を開き、興味しんしんに隣を少し差しのぞき賜えれば、少し先の門は、板のしとみの様なる物押し上げて、中の様子も見えたる。

見入れての程なく目に飛び込んだその家は、ものはかなき崩れ落ちそうな住まいで、

「かわいそうに」

と、中で暮らす人々を哀れに思い、いずこか指して栄華を求めたりと思欲しなせば、いずれにせよ世の中は、時を隔てて朽ち果てるは、王宮殿に建つ玉の台も、御殿も同じことなり。

切り掛け建つ板塀の建物に、いと青やかなるかずらの心地良げに、這い回り掛かれけるに、白き花ぞ、おのれ一人、我が物顔に咲き、笑みの眉を開けたる。


「えっ、くしゅん」

 と、咳払いの声がしましたので、光源氏様は

「のぞくな」

 と、警告されたのだと思い、自分の御車の近くに引き返しました。

 隣に目をやると、いまだ上半分は格子になった裏の目隠し板を、四五間ばかり明け渡して、そこから見える奥の几帳の布も、いたって白く涼しげなるようすです。そして何もかも前と同じで、おかしげなる額付きの透き影あたまに見えて、こちらをのぞいています。

 落ち着かず立ちさまようらむ人々の家の中は、二・三人の子供のような落ち着きのない侍女達が居る様子で、はじとみの開けた横木の上から、目から上だけを覗かせていました。

縁側のような板張りの上に立っている様子なので、地面から見上げていなさる光源氏様には、滅多にない、どくろ首の、おかしな大柄の女人に心持ち思えました。

『何だ、大柄の女人が子供のように騒ぎおって』

 と、光源氏様は思われました。大人にしては少し騒がし過ぎます。

『どんな集まりの連中なんだ。けしからん奴らだ』とさらに思われました。

「ねえー、外に誰か高貴な方の御車が止まっているようなようすえ。もしかしたら楠木様のお車かしらねえ」

「そんなことはないわえ。頭中将様はここの家を知らないはずですもの」

「いっそ、奥方様が光源氏様に乗り換えて下さらないかしらねえ。楠木様は怒るし、乱暴だし、私は側にいられるだけで生きた心地がしないわえ」

「あら、私は乱暴でも強い男が好きえ。困った時に何かと頼りになるもの」

 三人は話に夢中になって、外で聞いてる光源氏様が覗いている姿など忘れてしまったようです。

「うそー、あなたって変。いしも叱られて泣いてばかりいたのに。

『こんな所には居られないわ』って、

出て行こうとしていたじゃないの。そんなに頼りになるのでしたら、どうして私達を探し出して下さらないのかしら」

「そうねえ、いなかったらいなかったで、緊張感がなくて退屈よねえ。楠木様にお会いできなくなって、一年も過ぎてしまったのですもの。私たちを見捨ててしまったのではないかしらえ」

「そうかえ、私たちは捨てられたのかえー。玉鬘様が恋しがっておられるというに。幼い姫様にとって、父親がお近くにいないということは、悲しいことだわいえ」

 一番年上らしい侍女は落ち着いた声でゆったりと話しました。

「もしかしたら、私達がここに暮らしているのを、承知の上で会おうとなさらないのかしら。北の方様に止められて」

「そんなことはないと思うえ。ここに私達を幽閉したのは北の方様ですものもの。

『今度うちの亭主に密会したりしたら、そなた達も、撫子の姫君も皆殺にしてしまいますよ』

と、そう言ったそうよ。怖い話え。頭の中将様は、おおかた遠い国へ下ったとでも思っているのではないかしらえ」

「それでは屋敷の外にいる方は誰?」

「どこかの大納言様か、国守か、もしかしたら光源氏様かしら」

「私、見て来よっと」

「お止めなさい。檜垣の外に人の気配がしますよ。誰かに見られたら大変です。早く簾の中にお入りなさい」

 家の奥からこの屋敷の主らしい上品な声がしました。それと同時に童のような侍女は、一斉にネズミが巣穴に逃げるように家の中に消えてしまいました。

 外から中を覗き見している光源氏様には、声は何を言っているのか聞こえなかったのですが、楽しそうな乙女の騒ぎを、自分も仲間に加わったような気持ちで見て楽しんでおられました。

                               中略


六条の御息所様を御訪ねした後の事です。

 霧のいと深き明日の朝、いたく急きそそのかされ追い立てられ賜いて、光源氏様は寝ぶけなる氣色に、内嘆きつつ寝所を出賜うを、中将の乙女

「光源氏様の御帰り姿を見奉り、あの華麗なる姿を見送り賜え」

 と思しく、部屋と廊下を隔てた御格子の蔀をひと間ほど上げて、上衣を掛けた几張を引きやり、見通しを良くしたれば、六条の御息所、御頭を持たげて見出し、送り賜えり。

 御格子の外を歩く光源氏様は、前庭の色々咲き乱れたる花や植木を背にして、通り過ぎがてらに心安らい賜えて足止めされているさま、花や木々の美しさに見とれているさま、げにたぐいなく風流人に思え、庭に映えてなお一層美しく見えたり。

 廊下高欄干の方へ御移りおわするに、中将の乙女、居たたまれなくなって、光源氏様に御会いしようと、御供に出で参りぬ。

 秋の季節に合わせたシオン色の淡い紫の織物に合いたる薄物の裳、朝の光をを浴びて、薄絹の正装した服をあざやかに引き結いたる腰付き、柳の枝のようにたおやかに、雪椿のようになお一層なまめきたりき。

 中将の動きに嫌な予感を感じた御息所様は、そばにいた下付き女房を呼び寄せ

「中将の様子が変じゃ。そなたは急いで子供宿舎の侍童を叩き起こし、急いで庭に出でて、二人の様子を探るように手配せよ。三人に騒ぎながら欄干脇の花を摘み、光源氏様に献上奉るように伝えよ」

 と言いました。

「かしこまりました」

 御息所様は『若い二人の恋心に水を差すのは大人げない』と思いながらも、間違いあってはならんと、急いで遣いを出したのでした。

 光源氏様は金木犀の薫りが漂い、後ろから人の迫り来る気配を感じ、見返り賜いて、あわてて中将の君を角の隅の間、高欄干の物見台に身を潜めるべく、御息所の若き世話女房をしばし手招きして、床に据え座らせ賜えり。

 そこは御息所からは見えざらぬ中秋の名月を眺めるべく角なれば、二人は恋の予感に酔いしびれたまま見詰め合う事と成り賜う。

 優しく話し掛け、背中にそっと手を当て見詰めると、いつまでも打ち解けたらぬ御持て成し。髪の下がり端、目覚ましくはつらつとして切り揃え、その端正な出で立ちの目元を見賜う。

 

咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎうき 今朝の朝顔

咲く花に 移りてふ胸  包めども  折らで過ぎ行き 今朝の朝顔


「このように美しい乙女を目にして、いかがすべきか、心は迷う」

とて言って、白い手を捕え賜えれば、

                             


              中略


 


 光源氏様が夕顔の君に会われましてから、相当の月日が流れました。

 八月十五日、中秋の名月が隈なきあかあかと輝く月影の夜、隙間の多い板屋根から、残り余す所なく明かりが漏り来て、見習い賜わぬ住まいのさまも珍しきに、光源氏様は風流があって、味わいのある家だと感動なさりました。

こんな長屋にいる自分を帝王様がご覧あそばしたならば、どんなに嘆くだろうと考え、六条の御息所が知ったならば、念仏を唱え、刃物を振り回して追ってくるだろうな。

藤壺御殿の準中宮様が御覧になられたならば、長々と説教し、左大臣家の大宮様に叱られますと、涙ながらに

「おやめください」

 とわめくであろうと考えなさるのでありました。

 いづ方もいづれかも、いつまでもかりそめの隠れ宿を尋ねるばかりで進展のない日々に、心はすさんで行くばかりだと、いと忍び難く苦しくなるばかりです。

「これならば誰として事情を知らせず、隠密に二条院へ迎えた方がよいのではないか。もし何らかの手違いでそのことがばれ、噂が聞こえたとしても、帝王様や葵姫に告発文が届くこともあるまい。

もしそうなったとしても、乳母の隣人に心を染め、惚れた者の宿命だとして、はかなく今生の別れをもあきらめねばなるまい」

 と思い巡らすのでした。

 そう考えながらうとうとと眠り賜うに、気が付けば暁近くになりにける。早々と退散賜うべし時刻も迫っておりました。

 隣の家々、怪しき下属の男、大声なるもの聞こえて、若君ははっきりと目覚まして

「なんじゃこれは、騒がしいのう。すぐ近くに誰かいるぞえ」

と思いなされながら聞き耳を立てると、周りから様々な怒鳴り声が聞こえて来ます。

天井を見つめぼんやりした後で周りを見渡すと、粗末な節の多い板壁が迫り、部屋には物が乱雑に散らかっています。あわてて自分が、夕顔の怪しい家で寝過ごしたのだと気付かれました。

板壁の外からは

「哀れなもんよのう。この頃いと寒しや。この季節になっても着物が買えず、夏物一枚かよ。耐えきれん」

と天に向かって怒鳴る声が聞こえ

「まったくその通りだわいな。。今年こそ商売のなりわいがうまくゆくと思っていたのに、これからも頼む所少なく、田舎の行商通いにでも思い掛けねば、借金も返せる見込みが立たんぞよ。いと心細けれ」

「今年は不作というじゃないか、困ったものじゃ。農家とて苦しかろうに。北隣の殿様よ、そなたこそ景気はどうじゃ、聞かせてくれんかや。どんなものか聞き給うや」

「へへん、聞いたところでどうなる。返事は同じことよ。今年の商売は上ったりじゃ」

 などとそっけなく言い交わす声も聞こゆ。互いの恵まれなき貧しさを嘆いて慰め合っているようです。

 いと哀れなるおのが自身の営みに、早くから起き出でて、そそめき騒ぎもほどなき耳元に聞ゆるを、

「添い寝している女も自分も同じ下属の人間だ」と、とても恥ずかしく思したり。

夕顔は自分の不幸な生い立ちがばれてしまったように思え、色気に艶立ち、色っぽく微笑んで好き者に迫りばわむ人は、穴に消え入りぬべき住まいのみすぼらしき様に、自尊心も消えて悩めりかし。

 されど、のんびりのどかにしている別な性格もありて、

「つらきも浮き浮きも人生の傍らで過ごしはべり、痛き事も思い入れたる心の奥底に山ほどあるさま」ならで、

我が客人をもてなし喜ばそうとする有様は、いと艶にわかに子供めかしくて、それなりにこの人に合った生き様にも思われたし。

またこよ上なく粗暴な生い立ちの民衆が、乱がわしき喧嘩模様の話し方に、「それほど誠しやかに大げさに言う必要もあるまいに」

と、隣人達の恥も知らぬはしたなき用意なさを、

「いかなることも下町で暮らす我々の現実の身の上でございます」

と、聞き知りたるさまならば、、なかなか恥掻かんからよりは、やや気取らぬ気質で笑ってごまかす。

「罪がありましたら許してぞ」と、言わんばかりに見えける。

「もうどうでもいいではございませんか。好きなようにして下さり給え」

と、身を委ねるているさま、可愛くもあり。心憎きもある。

 ごぼごぼと二人が静かにしていますと、鳴神様よりも驚ろ驚ろしく、地響きを立てて踏みとどろかす音が聞こえ、

「何事が起きたのじゃ」

という源氏の君の声に、

「あれはもみを打つ丸太杵と唐臼の音でございます」

と答えれば、

そうした騒音と民衆の声も、枕上に響き来たる嵐とも覚ゆる。『あな耳貸しがましき不愉快な音』と、腹立たしくこれにぞ思さるる。

「穴耳塞いだとしてもうるさ過ぎぞえ」

とこれにぞ怒鳴り散らせ賜えれば、

乙女が「あれは杵の音でございます」

と説明しても、何の響きとも聞き入れ賜わず、いと怪しう目覚ましき叫び声の大人ひと叫びのみ聞き賜う。

細々した人々の雑踏のみ多かりし愛人の家に、戸惑っておわします姿、くだくだしき関心のことのみ多かりし、馬鹿げた堕落なり。


「光源氏様、光源氏様ってば。そんな庶民の暮らしなど、どうでも良いじゃございませんか、光源氏様。若君ってば。一体どうなされたのです。どうしてしてそのような下属の暮らしに、心を奪われるのですか、光源氏様」

 かのように、式部丞は嘆くなり。


 しろたえの衣打つ砧の音も、こなたかなたから遠くにかすかに聞き渡され、空飛ぶ雁の音と共に取り集めて、若君の耳に混ざり合って響き、庶民の暮らしにも忍びがたきことも多かりと、思いを巡らし賜う。

道路に面した端近きお増し所でお過ごしなりければ、濡れ縁と庭を隔てた遣り戸を引き開けて、

「何事が起りけるや」

と、二人はもろとも仲良く、下界の通りの暮らし見出だし賜う。

 程なき近き庭に、小さく節の多い、さしゃれたる呉竹あり。前栽の庭木を濡らす露が掛かる姿などは、なおきらきらと輝き、御所も下町もこの世にあるかぎり同じごとく、宝石のようにきらめきたり。

 虫の声々入り乱れが激しく、桧垣壁の中のキリギリスの音だに、間遠く程に聞き習い賜える御耳に、さし当て付けたるように激しく鳴き乱るる明け方の様子を、

なかなかさま変えて心を乱し、悪い予感を打ち消して思さるるも、光源氏様の御心差し一つの浅はからぬる行いに、

「よろずの国の誡めに背いたるは、度重なる罪も許さるるはずない」

と、しみじみ思いなさる様子になめりかし。

 着物の白い袷は薄紫の目立たない、なよよかなる薄着をを重ねて華やかならぬ姿は、いとろうたげに可愛いく、あえかなる心地がして、そこと取りたてて優れたる事もなかりければ、

細やかにたおたおとして恥ずかしげで、自分の主張もの言いたらずる気配、

「あな心苦しい」

と、ただ、いとらうたく愛らしく見ゆる。

ただ大げさな愛嬌だけでは馬鹿げていて、多少は心ばみたるそっけなさや、怒り冷ややか方を少し添えたらば、心もはらはらして、もっと魅力的になると見賜いながら、なお打ち解けて見ま欲しく思されれば、夕顔の君が喜ぶことをせねばと思い賜う。

「いざ、他所へ出掛けようぞ。ただそれほど大した旅ごとではないが、この渡り近き所に、心気安くして人の目を避けて明かさむ隠れ宿あり。かくて、ここの狭い家にいては、いと互いの思いも苦しかりけり」

とのたまえば

「乙女はここで十分でございます」

 と、夕顔の君いわく。

「そうじゃった。この近き渡りに帝がお持ちになっていなさる廃院がござった。そこならば周りの者に気兼ねせず楽しく夜を明かすことができるじゃろう。

こう狭い所に閉じ込められておられては、苦しいことばかりじゃろう」

 と客人は言いなされば

「いかでか、そうばかりとはいいきれませぬ。そのような申し出を受け入れることには、叶えられらん」

と、いと大いらかに言いて笑いたり。

 この世の御習わぬ不倫の契りなどまでに、知り合えて間もなく頼め賜うに、打ち解くる好奇心の心映えなど、怪しく異常なほどまでに様子が変わりて、世間馴れたるお二人とも御見受け覚えねば、

人の思わんところの噂もはばかり賜わで、そのような浅はかな行い許され賜わんことなり。

しかし、源氏の君はそのようなことを気にせず、右近をお近く召し出でて、

「これから近くの屋敷に出かけることに致す。準備せよ」

とお命じになり、御車の隋身、御供の者に召させ賜いて、

「惟光を呼び出し出掛ける支度を致せ。御車をこの屋敷に引き入れ給うを頼むぞ」

と、命じさせ賜う。

 ここにある世話女房の人々も、掛かる御心差しの余りにも愚かならぬ行動を見知れば、

「おやめください。私どもが叱られます」

と、おぼめかしながら、あわてて頼み掛ける声聞こえたり。


その夜は余りにも家の者が不安がり、同乗した右近も光源氏様に心を許さぬので、この近くの大路を御車で散策することに致しました。

明け方も近うになりにけりに、鶏の鳴き声など聞えて来るころ、吉野山の金峰山金剛蔵王に参拝し、『熱心な御嶽精進にやあらん』と覚えたる翁びたる老人の読経の声にぞ聞こえたる。

立ちて人の名を呼び、座して念仏を唱えながら額づく祈りの声ぞ聞こゆるに、立ち居の気配、絶え難けに何十回も行う。いと哀れな気配に、

「朝の露に異ならぬはかなきこの世において、何をむさぼる身の上の祈りにか」

 と、可哀そうに、哀に聞き賜う。

「南無当来導師にすべてを任せます」 とぞ拝むなる。

「あの熱心な彼の祈りを聞きたまえ。この世の物とのみ、簡単には思わざりけり、したたかさではないか」

と哀れがり賜いて感動なさり


 優婆塞が 行う道を  しるべにて 来む世も深き 契りたがうな

 修行者が 行う道を  模範にし  永遠の愛   契りたがうな


 と、源氏の君いわく。

 長生殿にて玄宗皇帝が楊貴妃に誓った古めかしき例をゆゆしく不吉思われて、水鳥が翼並べて飛び立つ仲の良さに引き換えて、釈迦の死後五十六億七千万年後に表れる弥勒菩薩の世を重ね、二人が進むべき道を聞かせ賜う。

 

されど行く先の頼めごと、いとこっちに都合よく思い召したり。

「自分勝手と思えまするぞな、光源氏様」

と、式部の丞は思したり。


 前の世の 契り知らるる 身のうさに 行く末かねて 頼みがたさよ

 前の世の 報いも知りし うさばらし 見かねて悩む 頼みがたさよ


 このようの歌を詠む筋なども未熟めきて、さる浮気女のそれ相応の定めを考えますれば、夕顔の和歌は心もとなかめりと思われ。幼じみて体裁が整わぬのは仕方のない事と、私は思いまする。



       中略




道遠く覚ゆ。十七日の月差し出でて河原のほど、御先駆の松明の灯もほのかなるに、火葬場で働く鳥辺野の方など見やりながら過ぎたるほどに、

物難しき人目を避けたがる葬儀の人々をば、光源氏様は何とも覚え給わず、夕顔のことを思えば掻き乱るる心地し賜いて、おわし着きぬ。

 霊のさ迷える辺りさえ気味悪くすごしきに、粗末な板屋の傍らに堂建てて葬儀を行える尼の住まい、いと哀れなり。御灯明の御堂の人影が、ほのかに透きて見ゆ。

 その板屋には、女一人泣く声のみして、外の祭壇には、にわか法師腹のニ・三人いて、読経の物語となえしつつ、源氏の君が近づくと、わざと大きな声立てぬ念仏ぞする。

 惟光の知り合いたる老婆は、寺々の始めたる初夜の供養も、みな行い果てて、いと締めやかなり。清水寺の方のみぞ光多く見え、人の気配ぞして茂げかりける。

この尼君の子なる大徳の僧は、惟光の父の乳母の子にて、読経の声尊く秀でて厳かに響く御経打ち読みたるに、付き人有難く涙も枯れ果て残りなく思さる。

堂の中へ入り賜えれば、一人遺体から背を向けて右近は屏風隔てて臥したり。それを見た源氏の君は、いかに侘しく過ごしからんと見賜う。

恐ろしい氣配も覚えず。いと労たげなる可哀そうなさまして、夕顔の君はまだ、いささか変わりたるところなし。源氏の君は手をとらえて

「我に今ひとたび声をだに、せめて聞かせ給え。いかなる昔の契りにか、縁あって再び御逢いしたにありけん。

しばしの程に、そなたの側を離れはしたが、心を尽くして哀れに思ほえしを、君を打ち棄てて惑わし給うふがいなさは、いみじき残酷な事に有りしなん、許し給え」

 と、声を惜しまず泣き賜うこと限りなし。

大徳僧たちも誰とは知らぬに、ただ事でない高貴な怪しき方の嘆きと思い、みな涙落としけり。

葬儀も終わり「右近をいざ二条へお連れ致す」

 と、のたまえど、

「年頃から、幼く共にはべりしにより、片時たちとも離れ奉らず馴れ親しむ友と聞こえつる人に、にわかに別れ奉りて、いづこかへ帰りはべらんや。

『いかに薄情なり給い憎き右近よ。主を見捨て逃げる愚か者の恥を知れ。よくものこの顔が見せられた物よ』などと、

夕顔の里の人どもにも言われ給いはべらん。悲しき事をば、さる家の者に知らせず置き去りにして、人に言い騒がれ噂の渦にはべらんが、いみじき恥じらうこと」

 と言いて、泣き惑いて

「煙を手元にたぐいて、夕顔の君を慕い、天国へ参りなん」と言う。

「こと割り切れない事態なれど、さように思い通りならむ例は世の中にいくらでもある。別れと言うものの宿命も悲しからぬはなし。されど去り行く悲運な宿命とあるも、それに係る残された人間も同じ不幸なること。

しかし、同じ不幸者同士なら、命の続く限り生きてこそ忠義と思いはべらんめ。これから暮らしある者に難ある。これは試練だと思い慰めて、我を当てにして頼れめ」

 とのたまい、右近の身の振り方をこしらえても、

「かく言うあなた様の我が身こそは、今にも息止まるまじき危うい心地こそすれ。他人の心配よりも、我が身の心配をなされまし。そのような危なき方は当てにはなりません」

 と右近のたまうも当然で、やはり今の光源氏様は頼もしげなしや。若君は今にも死にそうな御気色なり。

 惟光、

「夜は明け方になりはべりぬならん。早く帰らせ賜いなさるべき」

と言う。光源氏様は留まるのことのみ魅せられて、ここから別れ辛く、胸もつと塞がりて、やっとの思いで出で賜う。

 道いと涙で露けきに、河原は一層いとどしき朝霧に包まれ、いづことなく二条へ帰りづらく、道に惑う心地し給う。

 ありし日々に共に暮らしながら、先ほどの夕顔の打ち伏したりつるさま、二人でじゃれ合い愛を打ち交わし賜いしが、我が紅の御衣の着られたりつるなど、いかなりけん運命の契りかと、道すがら思さる。

 御馬に乗せてもはかばかしくなく、乗り賜うまじき御様なれば、また、惟光、主の後ろに添い抱きかかえおわしまするに、堤のほどに差し掛かるころ、

光源氏様はついに馬より滑り下りて、いみじく絶望感に打ちひがれ御心地惑いければ、・・・・・・


                    つづく



 愛読、ありがとうございます。この夕顔編 完全版につきましては、電子書籍「かってに源氏物語 夕顔編」をお読みくださいアマゾンより電子書籍として販売されております。

 多くの人々に買っていただけますようにお願い申し上げます。


                         上鑪幸雄





かってに源氏物語 

     第一巻 桐壺編

 原作者 紫式部

           古語・現代語同時訳 上鑪幸雄



 桐壺編前半の一部と後半の一部を掲載します


あれはいずれの御ん時にか・・・私の記憶も定かではないのでございますが、確か今から千年も前の、桐壺帝がおわしましたころのお話だったと存じます。

そのころの帝王様におかれましては重臣どもが献上つかわしました女御の御方々、公卿が差し出しました更衣なる女人があまたお仕えしておりまして、

その中に大して際立つほど重要な女人でもない者の中に、優れて御心をときめかせるほど美しい女性がおったのでございます。

その方は桐壺御殿にお住まいの方で、名前を小桐と名乗っておりました。この頃の桐壺帝の御寵愛はこの小桐様のみ注がれておったのでございます。

初めから我こそ我こそはと、他の女人に負けてたまるかと思い上がりしあばたなる良家の御方々、

帝王様の御寵愛を独り占めに致そうと、目障りな者あればねたみ陥れようと、責めぎあいに明け暮れておりました。

同様なるほどにすざましきものありますれば、それより下郎となる身分の低い更衣なる小桐様は、心休まるときなど一時もありません。

朝夕の宮仕えにつけても、人の心のみ気遣い、帝王妃様や、側室の女御様に無礼な振る舞いがありはせぬかと、殺気立った取りまきに目を動かし、

恨みや反感を負うつもりはありけなんと、気配りを続けておったのでございます。

余りにも重苦しさに疲れはて、頭がいと熱くなるほどに病に侵され心細げになりますれば、いよいよ実家に帰りたいと里がちになるのを帝王様は名残惜しいと哀れに思われまして、

これでは冷たくあしらったら男としての体裁がが悪いと、世間の悪い噂も気になさり始めまして、この世で何回も繰り返されました例のごとく、

優しい御もてなしで、里心を引き留めようとなさるのでございます。

三位以上の身分の高い上達部や四位五位蔵人の上人などは、おせっかいにも白い眼をなさいまして、顔をそむけ、これはまばゆいほどはしたない御寵愛と、唐の国で起りました伝説に掛かる事の不吉な兆候に見立て、

世も乱れ悪しき状態に思えなくはないけれど、いよいよ帝王様がおわします天の下にも、無謀な振る舞いをなさる御人の醜い悩み仕草になりはしないかと、楊貴妃の例も引き出でて、

「きっとあのような不幸な成り行きになってしまうだろう」

と、不安を感じてはいましたが、とてもはしたなきこと多かれど、優しい御心映えのたぐいなき清らかな心に、

国の安泰を委ねるのも悪くはないのではないかと、様々な思いが入り混じらいたまうのでありました。

重臣どもが危惧致しておりました桐壺更衣におかれましては、父君大納言は亡くなっておりまして、母君の北の方なむ方におかれましては、

旧家の出身で教養に満ち溢れた親しき器量の持ち主であられましたので、その保護下で育てられました更衣におかれましても、差し当たり世の覚えなき華やかな御方々に比して、

痛み入りますほど少しも劣らず、何事の公けの儀式にも、何の障りなく立ち振る舞いできる知識を持ち給いしかれど、取り立てて経済的にはかばかしい後見人がおらぬとなれば、

事あるいざという時には、なお拠り所もなく心細げになってしまうのでありました。


桐壺の更衣が住んでおりました平安京の内裏の中では、中宮を務めます帝王妃の弘徽殿の女御様を中心に、それに劣らぬ身分の高い側室様が十人ほどおったのでございますが、

帝王様は女好きで何をやっても自由の御身分・・・

「ホホホ・・・いいえ、いいえ」

そうばかりとは申し上げられないのでございますが、宮中内で気に入った女官を見染めることがありますれば側女として迎え、内裏の奥の部屋に住まわせておったのでございます。

その頃の帝王様のお名前は、桐壺帝と呼ばれておりました。桐壺のお名前は、宮中・内裏にある桐壺御殿の名前からとったものでございますが、

住まいの正式名は淑景舎、そのお住まいの中庭に桐が植えられておったので、桐壺御澱と俗的に呼ばれておりました。

桐壺帝はその建物で生まれ養育されましたのでそう呼ばれておったのでございますが、この桐の御殿はみかどが寝起きする清涼殿からしますと、かなり奥の部屋にございました。

このことからしても、桐壺帝の母君は、決して身分の高いおなごではなかったのでございます。

 桐壺帝には腹違いの兄君がおりまして、その兄の母君は先帝の王妃様で、今の左大臣の伯母上にあたる方でかなりの実力者ございました。

若き桐壺帝の兄君は、皇太子として、妃の六条の御息所と共に東宮殿で暮らしておられたのでございます。

 桐壺王子は幼少で世間知らずでございましたので、内裏を抜け出してはよく東宮殿へ遊びに出掛けておられました。東門から東宮殿を覗きますと、

兄君は決まって池の泉澱で、皇太子妃の六条の御息所様と共に、勉学に励まれ、書物を読んでおられることが多かったのでございます。

そこの勉強の方法というのは他の貴族の者と比べますと、かなり違おうておりました。王族と貴族が七歳になって学問を習う場所は、内裏の外にある学門院と決まっておったのですが、

皇太子夫妻はそれとは別に、付き人の女人から勉学を学ばれておられることが多かったのでございます。

そしてその勉学に励まれていた場所が、池の中にある泉殿という人のわづらわしさから隔離された建物でございして、そこは池に囲まれた中島の中にある一等地の場所でありました。

四方を遮るものがなく、正殿や築山を一望にして見渡せる、御殿でも一番眺めが良い場所でありまして、

こうした所で学ぶことができますれば、学問は苦しむどころか、むしろ楽しい遊びにさえ思えるのでしょう。

このことは桐壺王子がたびたび東宮殿へ足を運ばせ給う理由とも重なったのでございますが、その光景はまるで夢のようで、

雅楽師が池の舟の上から奏でる笛や琵琶の音色が流れる中で、あやしき女人が和歌や漢詩を詠みあげる歌声が、知恩院の御坊様のように、

厳かなお経に似た旋律となって池の周りに響き渡り、安らかなる時が流れておったのでございます。

「青に良し 奈良の都は 咲く花の 薫うが如く 今盛りなり」

 女人が和歌を詠み上げる高い響き声が聞こえました。美しい横笛のような流れです。それは雅楽の響きに合わせたかのような旋律がありましたので、

桐壺王子はそれをまねて口ずさみ、すらすら覚えたのでございます。

「青に映え 奈良の都は 桜いろ 薫うが如く なお盛りなり」

すかさず皇太子様が答えます。そこに仕えておりましたのは黄緑色の十二単を着た皇太子妃と、淡い水色の十二単をまとった付き人でした。

「まあ、皇太子様、良うゆうてくれはりました。『今盛り』と、閉じましては不吉でございますもの」

 すかさず六条の御息所が皇太子様の歌を批評します。

「そうでございますね。私めもその所が気になっておりました。さすがでございます。皇太子様。奈良の都は、この歌が詠まれた後に滅びてしまいましたもの」

 御息所の付き人はにこにこしながらはべりました。

「二人の美女に誉められおっては、わしも首筋がかゆうなるわいな」

 皇太子さまは照れくさそうに鳥帽子下の髪を掻きます。

「まあっ」 

二人の女人は扇を口に当てて笑い転げます。

「お幸せな方でございます、この方は。ほほほ・・・」

「ははは・・・」 皇太子様が余りにも照れくさそうにするものですから、二人の女人も笑っては、体を揺り動かしておられました。

「所で『青に良し』の青は、何を意味しているのでございましょうな。青い空か、深い緑の山々か」

 皇太子様が尋ねます。

「私は杉か檜の青い木立ちに囲まれた中で、ポツリと咲く山の桜は美しいと解釈しておりますの」

「そうでございますね。私もそのような情景かと」

「それでは都の松や樫に囲まれた花も、ここの築山に咲く桜も美しいということでございますな」

「まあ、分かっておいでじゃございませんか、東宮様」

「ははは・・・」

それはそれは楽しそうで、勉強の合間合間に笑い声さえ聞こえて来たのでございます。桐壺王子はそうしたお二人の勉強のようすが羨ましくてたまりません。

東宮殿の衛兵に御座をもってこさせ、泉殿の回廊の下で勉学の様子を聞いて、自分も仲間に加わったようなお幸せを感じておられたのでございます。

そこで勉学を教えて講義をしておりましたのが、何と申しましょうか、小桐という女房だったのでございます。

その当時の宮中では、王族が学問院以外の教授官はおろか、女人などから教育を受けるなどあり得ないことでございまして、皇太子様が

女房と言う使用人から教えを請うなど考えられないことでありました。女は汚れた身分の低い卑しい者、無教養な者と思われていたのでございます。 

 小桐は大納言様の北の方であられます母君から、和歌や漢詩の教育を受けておりましたので、勉学の才能に優れ、天才的な感覚を持っておりました。

そうした御殿にこっそり来た桐壺王子は、護衛兵が東宮殿の内務官に取り次いでいる間にも、学問の内容が面白くて、知らず知らずの間に盗み聞きなさりました御蔭で、学問が身についたのでございます。

 桐壺王子はそばで聞いているだけで、書物のお手本がなかったにも関わらず、内容を良く理解することができました。

そして橋の下から密かに勉強の様子を伺い、理知的で美しい小桐の女房にひそかに恋しさも感じておりました。

 でもそれはとうてい叶わぬ夢でありました。小桐様は皇太子妃の付き人であると同時に、兄君が思いを寄せている相手でもありました。

兄君は自分が帝王の位になるのを待って、この女房を王妃に次ぐ側室にするつもりだったのでございます。

しかし、そうした皇太子様の幸せは長くは続きませんでした。皇太子様の母君が急に重い病気を患いまして、この世からお亡くなりになりますと、その王子の皇太子様も、

何者かに呪われていたかのように、ひと月も経たない間に、この世からお隠れになされたのでございます。

それはそれはその時の御所内は大騒ぎで、食事を世話しておりました下家の女官達や、護衛の者の何人かは処刑されて、痛ましい悲劇があったのでございます。

そして結局は桐壺王子が御世継ぎとして皇太子様におなりにあそばしまして、右大臣の娘・春子様と共に東宮殿に住まわれることになりました。

 桐壺王子が華やかな衣装で東宮殿へ入宮する一方で、前の皇太子妃の六条の御息所様が宮中を出て行く姿は、誰もが可哀そうで涙を流したものでございます。


 さてさて、お話は大分脇道へ逸れてしまいましたが、その桐壺王子が帝王様なられましてから十年経った後の話でございます。

帝王様と妃の春子様の間にはすでに王子と王女様が、何人か誕生しておりました。

王子様は右大臣の孫に当たりますから後ろ盾も十分でございまして、次の御世継ぎとして皇太子様になることがほぼ決まっております。

ですが、なにしろ弘徽殿にお住まいの王子は、まだ幼い年齢で病弱ぎみ、まだまだ御一人で暮らせるような年齢でもありません。

ですから東宮殿で誰もお暮らしておられないということは、桐壺帝の世継ぎは正式に誰とも決まっていない・・ということになります。

 一方、次の帝王様の叔父上として権勢をふるうはずでありました左大臣は、前の皇太子がお亡くなりになられましたことで孤立感を高め、途方にくれておりました。

「せめて、先の皇太子妃の世話役ありました付き人の、小桐だけは内裏で暮らせますようお計らい下さいませ」

と、先帝に願い出たのでございます。

先帝様は左大臣の願いを聞き入れ、小桐を養女として迎え、空き部屋になった桐壺御殿に住まわることにしたのでございます。

そして世継ぎに決まった今の桐壺王子をひそかに呼び寄せ、

「そなたにくれぐれもよろしゅう御頼み申し上げるわいのう。その胸の中ほどに、良く良く刻み込んで賜もうれ。わし亡き後も桐壺の更衣である小桐が、暮しに困ることのなきよう面倒を見てやってはくれぬか」

 と、そう申されたそうでございます。

更衣とは身分の低い家柄の御側女のことで、更沙織の綿の衣や、麻の着物を着ていることが多かったのでそう呼ばれておりました。

小桐様は左大臣家の教育係、家臣の娘だったので贅沢はできません。その御両親もよみの国人となられていたので孤独な身の上だったのでございます。

「あのものは身分が低うなれど、美しゅうて繊細な心を持った女人じゃ。美貌もさることながら教養も高うて心が休まる。あのものと語り合うことがあればこそ、そなたの学識に深みが増して、人としての思いやりや、勉学に一層研きがかかるというものよ」

 先帝はそのように仰せになられまして、小桐を引き取るように御命じになられたのでございます。

「それはそれは、しかと心に命じておきまする。私ごときも、あの更衣の小桐の歌には、何かと感服いたしておりました。帝王様の口添えがありますれば、あの者の和歌の弟子として習いとうございます」

 桐壺王子は先帝に願い出ました。そしてその願いが叶えられたのでございます。

「それは良い心掛けじゃ。そなたがあのものに情けを掛けることで、宮中は大騒ぎになるであろうが、右大臣と左大臣の女御どもの、互いの争いがうまく納まるというものよ。

 小桐には苦労を掛けると思うが、この宮中の女官の泥臭いねたみや権力争いが、小桐に向けられるとなれば、女御どもの馬鹿な争いも、しばしは和らぐというものよのう」

 と、先帝様は扇で口元を隠し、不思議な言葉を言い残したのでございます。

先帝様が申します各御殿の女御とは、王妃様やそれに準ずる身分の高い側室どものことでございます


さてその先帝が亡くなられた後でございます。桐壺王子は内裏の清涼殿へお入りになり、正式にこの国の帝王として政務を果たすことになりました。

そして心の中で密かに思っていた小桐を、準王妃として迎えようとなさったのでございます。


 中略


かのように桐壺帝のかしこき御蔭をば頼りにしていると世間では聞こえながらも、落としめあら捜しを求めたまいしの策略に明け暮れる宮殿内の疵者は多く、小桐様は

「わが身は身寄りもなくか弱きはかない有様にて、帝王様の御寵愛が深ければ深いほど嫉妬やむごい仕打ちに苦しみ、なかなかなる物思いぞし給う」

 と、思いけり。

その御局は桐壺の更衣のことなり。月見の宴で失態があってからというもの、桐壺の女御様のことを、王妃様や他の女御どもは再び「更衣」と呼ぶようになりました。

それでも桐壺帝は、内裏の大奥で誰もが反感を買う中で、重臣どもが献上した側室である女御の御方々や、それよりも身分の低い生意気な更衣どもの部屋には目もくれず、

ひと時の隙なく素通りして過ぎさせたまい桐壺帝の御前渡りに、人の御心を引こうとあれこれ様々な趣向を尽くし、お立ち寄りになられるようにお願いしたのでございますが、

げにこれには目もくれず、無言の中で断っているように見えました。

ただ帝王様も人の子、そうした女御どもの誠意ある切実なお誘いを断るのに胸を痛めまして、それを見るのも

「苦しい」

と、桐壺の更衣に清涼殿へ参上させたまうことが多くなりましたが、

余りにも度重なるお誘いのおりおりに、側室どもの嫉妬は増すばかりで、建物と建物をつなぐ打橋や、清涼殿に近い屋根付きの渡り廊下(渡殿)の、

そこかしこじゅうの道々に、あやしき悪い仕掛けわざを施しつつ、小桐様が清涼殿へ行くのを阻止しようとしました。

御送りや迎えに行く人の衣の裾に釘を引っ掛けさせて服を破けさせたり、わざと裾を踏んで倒れさせたり、けがを負わせることもしばしばでございまして、

あるときは先ほどのように糞尿をまき散らすなど、耐えがたくまさに予想外のこともありました。

またある時には、えて避けて通れぬ崖道にも似た、恐ろしい馬道の女御御殿の廊下に戸を鎖し込められて、逃げ場もなくさせたり、こなたあの方多くの女御様が心を合わせ、はしたなくも悪だくみをや意地悪をして、心を煩わせ賜う時も多くありました。

事にふれて数知れず苦しきことのみ多く楽しさにまされば、いと痛々しう思われて、詫しい悲しさを桐壺帝はとても哀れと御覧あそばして、

帝王様が住まわれる清涼殿の西隣に、もとよりさぶらい住まわれたまう更衣の御曹司を他に移させたまいて、帝と共に同行する侍従の控えのお部屋を、上局である小桐の更衣にあけ渡したのでございます。

こうした更衣に対する桐壺帝の優しさに、身の程知らずも良い所だと恨みまして、反感を抱いてやらぬ方など多くございました。

小桐様は病気がちで床に伏していることが多くなりましたが、光の君が三つになりたまう年、御袴着の儀式が執り行われたのでございます。

それは一宮の朱雀皇子の奉りし行事にもにも劣らず、献上された宝物などを管理するお御役所の内蔵寮や、天皇家から代々伝わる由緒ある品々を管理する納殿の役人を呼び寄せ、

「内密の話しじゃぞ」

 と、桐壺帝は高価な物を尽くして並々ならぬ贈り物をいみじうさせたまう。

それにつけてもお世継ぎと同等に扱う帝への世の譏りのみ多かれど、この王子は知恵が賢く持ておわす御容貌でございまして、心映えなどたぐい例がないほどありがたく優れておりますれば、

珍しき天童とまで見えし給うを、誰もが憎むに憎めないほど、えそねみ、ほほえましく思いあうのでありました。

道理をわきまえ下に立つ者の心知りたまう人は、国を正しい方向へ導く王族にかかる人も、世に出て高官におわするべきものなりけりと、あさましきまでに御子の才能に目を驚かせ給いしになりました。


小桐様は御病気が重くなったので、静養のために二条の西の外れにある祖母の実家へ帰りたいとお願いしたのでございますが

「わしは、一日たりともそなたと離れとうない。光の宮の行く末も心配じゃ。これからはもっと、祈祷師に強い御祈りをさせよう」

と、申しまして、取り合っては下さいませんでした。

更衣様には宮中の堅い規則がありまして、よほどのことがない限り、外での静養は許されないのでございます。

光の宮様が三歳の暮れになられますと、小桐様の病状はますますひどくなって、今度は今にも死にそうな状態になりました。そして祈祷師によりますと、

顔に死相が現れ始めたと言うのでございます。こうなりますと、宮中の内務官も黙って見過ごすわけには参りません。

「帝王様、女御様の御臨終は間近に迫っております。人の死は最大の汚れ、宮中で死なせる訳には参りません。どうぞ小桐様を実家の祖母の元へお返しする宣旨を御出し下さいませ」

と、内務官は、帝王様にそう進言したのでございます。

帝王様は泣く泣くその御忠告を受け入れることに致しました。宮中の御決まりには逆らうことはできません。

帝王様ご自身も、何回もそのようにして、ご自分の母君や乳母、兄君とも悲しい別れをされたのでございます。

「すまぬすまぬ、そなたとだけは死ぬ時も一緒だと約束したのに、約束を果たせなくなってしもうた。この薄情なわらわを許してたもうれ。今となってはそなたを、もっと早く真家へ帰すべきであった」

と、嘆き悲しんだのでございます。

桐壺の更衣は桐壺帝に抱かれながら、建礼門の外に止めてある牛車に移されました。赤みの増した黒髪が帝王様の腕からこぼれ落ちました。

帝王様は涙を流し、小桐様にしがみついてしくしく泣いています。

「桐壺、わしはそなたを守れなんだ。許してたもうれ」

 桐壺帝は滅多に見せない涙を流しました。

「いいえ、私は短くとも幸せでございました」

「桐壺、わしに何か申し残すことはないか」

 桐壺帝は更衣の顔に耳を近付けました。

「ああああ・・・帝王様、色紙と筆を準備下さいませ。最後の歌を帝王様に贈りとうございます」

桐壺の女御は、牛車の中から帝王様にだけ聞き取れるかすれた声でそうお願いしました。そして

「何なり申してみよ」

という声に誘われて、和歌を詠みあげたのでございます。


限りとて 分かるる道の 悲しきに いかほしきは 命なりけり

今日限り 分かるる道の 悲しさに ただ欲しき物 命なりけり


と、息も絶え絶えに申し上げたのでございます。

今夜限りでお別れしなければならないと分かっているのですが、帝王様と光の宮のことを考えますれば、もう少し命が欲しゅうございました。

お別れする道の先々で、私ははかない命を嘆き悲むでしょう。光の宮の養育をお願い致します。と、そういう内容の和歌でございました。

小桐様は、夕闇が押し迫った夜になって、牛車に乗せられて宮殿を出ました。その時は息も絶え絶えで、何とか里の御婆婆様の屋敷に到着致しましたが、

まもなくその夜に亡くなったのでございます。騒ぎを聞いた桐壺御殿の女房と乳母達は、泣き崩れて大騒ぎになりました。

光の宮様は、そのような母上様の死がどのような悲しいものか分かろうはずもございません。悲しそうに泣き叫ぶ女官達の顔を、不思議そうに、口に指をくわえたまま・・・・・・


               つづく



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以下は最初の書き始めの一部です



あれはいずれの御ん時にか・・・私の記憶も定かではないのでございますが、確か今から千年も前の、桐壺帝がおわしましたころのお話だったと存じます。

そのころの帝王様におかれましては重臣どもが献上つかわしました女御の御方々、公卿が差し出しました更衣なる女人があまたお仕えしておりまして、

その中に大して際立つほど重要な女人でもない者の中に、優れて御心をときめかせるほど美しい女性がおったのでございます。

その方は桐壺御殿にお住まいの方で、名前を小桐と名乗っておりました。この頃の桐壺帝の御寵愛はこの小桐様のみ注がれておったのでございます。

初めから我こそ我こそはと、他の女人に負けてたまるかと思い上がりしあばたなる良家の御方々、

帝王様の御寵愛を独り占めに致そうと、目障りな者あればねたみ陥れようと、責めぎあいに明け暮れておりました。

同様なるほどにすざましきものありますれば、それより下郎となる身分の低い更衣なる小桐様は、心休まるときなど一時もありません。

朝夕の宮仕えにつけても、人の心のみ気遣い、帝王妃様や、側室の女御様に無礼な振る舞いがありはせぬかと、殺気立った取りまきに目を動かし、

恨みや反感を負うつもりはありけなんと、気配りを続けておったのでございます。

余りにも重苦しさに疲れはて、頭がいと熱くなるほどに病に侵され心細げになりますれば、いよいよ実家に帰りたいと里がちになるのを帝王様は名残惜しいと哀れに思われまして、

これでは冷たくあしらったら男としての体裁がが悪いと、世間の悪い噂も気になさり始めまして、この世で何回も繰り返されました例のごとく、

優しい御もてなしで、里心を引き留めようとなさるのでございます。

三位以上の身分の高い上達部や四位五位蔵人の上人などは、おせっかいにも白い眼をなさいまして、顔をそむけ、これはまばゆいほどはしたない御寵愛と、唐の国で起りました伝説に掛かる事の不吉な兆候に見立て、

世も乱れ悪しき状態に思えなくはないけれど、いよいよ帝王様がおわします天の下にも、無謀な振る舞いをなさる御人の醜い悩み仕草になりはしないかと、楊貴妃の例も引き出でて、

「きっとあのような不幸な成り行きになってしまうだろう」

と、不安を感じてはいましたが、とてもはしたなきこと多かれど、優しい御心映えのたぐいなき清らかな心に、

国の安泰を委ねるのも悪くはないのではないかと、様々な思いが入り混じらいたまうのでありました。

重臣どもが危惧致しておりました桐壺更衣におかれましては、父君大納言は亡くなっておりまして、母君の北の方なむ方におかれましては、

旧家の出身で教養に満ち溢れた親しき器量の持ち主であられましたので、その保護下で育てられました更衣におかれましても、差し当たり世の覚えなき華やかな御方々に比して、

痛み入りますほど少しも劣らず、何事の公けの儀式にも、何の障りなく立ち振る舞いできる知識を持ち給いしかれど、取り立てて経済的にはかばかしい後見人がおらぬとなれば、

事あるいざという時には、なお拠り所もなく心細げになってしまうのでありました。


桐壺の更衣が住んでおりました平安京の内裏の中では、中宮を務めます帝王妃の弘徽殿の女御様を中心に、それに劣らぬ身分の高い側室様が十人ほどおったのでございますが、

帝王様は女好きで何をやっても自由の御身分・・・

「ホホホ・・・いいえ、いいえ」

そうばかりとは申し上げられないのでございますが、宮中内で気に入った女官を見染めることがありますれば側女として迎え、内裏の奥の部屋に住まわせておったのでございます。

その頃の帝王様のお名前は、桐壺帝と呼ばれておりました。桐壺のお名前は、宮中・内裏にある桐壺御殿の名前からとったものでございますが、

住まいの正式名は淑景舎、そのお住まいの中庭に桐が植えられておったので、桐壺御澱と俗的に呼ばれておりました。

桐壺帝はその建物で生まれ養育されましたのでそう呼ばれておったのでございますが、この桐の御殿はみかどが寝起きする清涼殿からしますと、かなり奥の部屋にございました。

このことからしても、桐壺帝の母君は、決して身分の高いおなごではなかったのでございます。

 桐壺帝には腹違いの兄君がおりまして、その兄の母君は先帝の王妃様で、今の左大臣の伯母上にあたる方でかなりの実力者ございました。

若き桐壺帝の兄君は、皇太子として、妃の六条の御息所と共に東宮殿で暮らしておられたのでございます。

 桐壺王子は幼少で世間知らずでございましたので、内裏を抜け出してはよく東宮殿へ遊びに出掛けておられました。東門から東宮殿を覗きますと、

兄君は決まって池の泉澱で、皇太子妃の六条の御息所様と共に、勉学に励まれ、書物を読んでおられることが多かったのでございます。

そこの勉強の方法というのは他の貴族の者と比べますと、かなり違おうておりました。王族と貴族が七歳になって学問を習う場所は、内裏の外にある学門院と決まっておったのですが、

皇太子夫妻はそれとは別に、付き人の女人から勉学を学ばれておられることが多かったのでございます。

そしてその勉学に励まれていた場所が、池の中にある泉殿という人のわづらわしさから隔離された建物でございして、そこは池に囲まれた中島の中にある一等地の場所でありました。

四方を遮るものがなく、正殿や築山を一望にして見渡せる、御殿でも一番眺めが良い場所でありまして、

こうした所で学ぶことができますれば、学問は苦しむどころか、むしろ楽しい遊びにさえ思えるのでしょう。

このことは桐壺王子がたびたび東宮殿へ足を運ばせ給う理由とも重なったのでございますが、その光景はまるで夢のようで、

雅楽師が池の舟の上から奏でる笛や琵琶の音色が流れる中で、あやしき女人が和歌や漢詩を詠みあげる歌声が、知恩院の御坊様のように、

厳かなお経に似た旋律となって池の周りに響き渡り、安らかなる時が流れておったのでございます。

「青に良し 奈良の都は 咲く花の 薫うが如く 今盛りなり」

 女人が和歌を詠み上げる高い響き声が聞こえました。美しい横笛のような流れです。それは雅楽の響きに合わせたかのような旋律がありましたので、

桐壺王子はそれをまねて口ずさみ、すらすら覚えたのでございます。

「青に映え 奈良の都は 桜いろ 薫うが如く なお盛りなり」

すかさず皇太子様が答えます。そこに仕えておりましたのは黄緑色の十二単を着た皇太子妃と、淡い水色の十二単をまとった付き人でした。

「まあ、皇太子様、良うゆうてくれはりました。『今盛り』と、閉じましては不吉でございますもの」

 すかさず六条の御息所が皇太子様の歌を批評します。

「そうでございますね。私めもその所が気になっておりました。さすがでございます。皇太子様。奈良の都は、この歌が詠まれた後に滅びてしまいましたもの」

 御息所の付き人はにこにこしながらはべりました。

「二人の美女に誉められおっては、わしも首筋がかゆうなるわいな」

 皇太子さまは照れくさそうに鳥帽子下の髪を掻きます。

「まあっ」 

二人の女人は扇を口に当てて笑い転げます。

「お幸せな方でございます、この方は。ほほほ・・・」

「ははは・・・」 皇太子様が余りにも照れくさそうにするものですから、二人の女人も笑っては、体を揺り動かしておられました。

「所で『青に良し』の青は、何を意味しているのでございましょうな。青い空か、深い緑の山々か」

 皇太子様が尋ねます。

「私は杉か檜の青い木立ちに囲まれた中で、ポツリと咲く山の桜は美しいと解釈しておりますの」

「そうでございますね。私もそのような情景かと」

「それでは都の松や樫に囲まれた花も、ここの築山に咲く桜も美しいということでございますな」

「まあ、分かっておいでじゃございませんか、東宮様」

「ははは・・・」

それはそれは楽しそうで、勉強の合間合間に笑い声さえ聞こえて来たのでございます。桐壺王子はそうしたお二人の勉強のようすが羨ましくてたまりません。

東宮殿の衛兵に御座をもってこさせ、泉殿の回廊の下で勉学の様子を聞いて、自分も仲間に加わったようなお幸せを感じておられたのでございます。

そこで勉学を教えて講義をしておりましたのが、何と申しましょうか、小桐という女房だったのでございます。

その当時の宮中では、王族が学問院以外の教授官はおろか、女人などから教育を受けるなどあり得ないことでございまして、皇太子様が

女房と言う使用人から教えを請うなど考えられないことでありました。女は汚れた身分の低い卑しい者、無教養な者と思われていたのでございます。 

 小桐は大納言様の北の方であられます母君から、和歌や漢詩の教育を受けておりましたので、勉学の才能に優れ、天才的な感覚を持っておりました。

そうした御殿にこっそり来た桐壺王子は、護衛兵が東宮殿の内務官に取り次いでいる間にも、学問の内容が面白くて、知らず知らずの間に盗み聞きなさりました御蔭で、学問が身についたのでございます。

 桐壺王子はそばで聞いているだけで、書物のお手本がなかったにも関わらず、内容を良く理解することができました。

そして橋の下から密かに勉強の様子を伺い、理知的で美しい小桐の女房にひそかに恋しさも感じておりました。

 でもそれはとうてい叶わぬ夢でありました。小桐様は皇太子妃の付き人であると同時に、兄君が思いを寄せている相手でもありました。

兄君は自分が帝王の位になるのを待って、この女房を王妃に次ぐ側室にするつもりだったのでございます。

しかし、そうした皇太子様の幸せは長くは続きませんでした。皇太子様の母君が急に重い病気を患いまして、この世からお亡くなりになりますと、その王子の皇太子様も、

何者かに呪われていたかのように、ひと月も経たない間に、この世からお隠れになされたのでございます。

それはそれはその時の御所内は大騒ぎで、食事を世話しておりました下家の女官達や、護衛の者の何人かは処刑されて、痛ましい悲劇があったのでございます。

そして結局は桐壺王子が御世継ぎとして皇太子様におなりにあそばしまして、右大臣の娘・春子様と共に東宮殿に住まわれることになりました。

 桐壺王子が華やかな衣装で東宮殿へ入宮する一方で、前の皇太子妃の六条の御息所様が宮中を出て行く姿は、誰もが可哀そうで涙を流したものでございます。



                                 つづく

※この桐壺編は完結しております。全文を詠みたい方は、あとがきを御覧ください。


 夜は眠いし疲れますよね。しかし年を重ねると、夜中に目が覚めて眠れません。そうした時源氏物語を読むのも悪くないかも分かりません。

 原文はなかなか難解だし・・・・


もし、「かってに源氏物語 桐壺編 夕顔」の電子書籍をお求めの方は

アマゾンのホームページより 「かってに源氏物語(ひらがなと漢字)」のキーワードで検索し

申し込んでいたたけると幸いです。700円ですので・・・・お願い。


                          上鑪幸雄

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