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かってに源氏物語 第二巻・帚木編 第十一巻・花散里編 

源氏物語の中でも超難解の部分です。

でもその割には難しくなかった。と思っておりませんか。でも面白かったですよね。

やはり紫式部の源氏物語は素晴らしいです。

難解な部分は皆さんが解析して下さい。


かってに源氏物語 

     第二巻 帚木編

 原作者 紫式部

           古語・現代語同時訳 上鑪幸雄

          

      一


光源氏様は十七歳になられました。役職は近衛兵の中将という位まで昇進しましたが、今だに見習いで、自分の意志で兵を率いて行動することは許されません。

光源氏小将と呼び捨てにされ、名のみ事々しう大物と言い伝えども、さして何の功績も示せず、御年も若ければ、御前様会議においては主張を言い消たれ、否定され給う咎め多かなるに、なかなか自分の意見を押し通すことはできません。

いとど、藤壺の女御様に係る好き事どもを笑われ、

「桐壺帝の末の世にも残る恥さらしよ」

と聞き伝えて、軽びたる二人の名をや、世間に流さむと、隠しろえ、幼い事の親子の愛でをさえも、ふしだらに伝えけん人の物言い、ひどく悪者にしたがる、ふがいなさよ。

 さる話の本当の所は、いと痛く世をはばかり、まめに誠実立ち賜いけるほど真面目で、女御様に対する礼儀正しさは、とても色事に関わる二人とは思えません。

世間の噂になよ引かぬ程おかしき事はなくて、昔話の片野の少将に言わせれば、

「あんな親子の睦まじさが、男女の愛の絡み合いだとは、呆れて物が言えぬわい。高官者どもこそ、あの程度の愛で満足しているのだろう。

男のたくましさを知らぬ。弱虫どもめが。ぶち太い俺のこれを見よ。てめえ等は、雀のあの程度のいちゃいちゃで満足しているのだろうめ」

 とさげすむほど、色事に於いてはとうてい及ばぬと、笑われ給いけむ微細なことになりかし。

光源氏様はそんな高官の好奇心を、『恋愛とは自らが楽しむもので、他人の恋愛に異常に興味を示し、けなして楽しむは異常性愛だ』と、思っていましたので、

「他人の性に興味が持てなくなるまで、御自身が楽しみなはれ」

などと。一言言ってやりたかったのですが、新米の身の上ではそうすることもできません。

「若君こそ、葵姫との夫婦関係がしっくり行っていないではないか」

などと指摘されたら、それこそ面目丸つぶれです。

その葵姫の事でございますが、 まだ光源氏様が近衛府中将などにものし賜いし見習いの時に、内裏の狭い御所のみさぶらい、近衛府勤めは別としても、

「我が家に寄り付かず宿直官舎を寝暮らとし、日常の用向きをし賜いて過ごすとは何事ぞ。左大臣が住まう我が大殿には絶え絶えにして、たまにしか、まかり出賜う訪問などけしからん」

 などと嘆き賜う。

葵姫は大殿を避けたがるのは、藤壺の女御に忍ぶの恋心ありて、

「男女の恋愛沙汰やあるやも」

 と疑い、心を乱していると聞こゆる事もありしかれど、事実はともかくとして、光源氏様の差しも刺されぬ、こうも浮わ突きあだめきたる軽々しき行動に、日頃目慣れたるその場限りの、打ち付けたる物の言い訳、とても許す気になれません。

「人目があるのです。藤壺御殿へ参上するのは御控えなされませ」

とて言えば、

「準中宮は母上同然の御方です。何の遠慮が入りましょうか」

「二身等級以外の親戚は、恋愛関係とみなされます。光源氏様とて、女として惚れているやも」などと咎め賜う。

女に対する好き好きしさなどは、好ましからぬ御本性にて、まれには帝王様の女に愛嬌を振りまくなど、あながちに外面のみ良きにして、本音とは裏腹に引き違へ、御気遣い尽くしたる姿は軽薄あるのみ。

何の取り得のない相手に心尽くしなる事を、また過去の女を心に押し留むる未練の癖なむを、あや憎くにして、葵姫はさるまじき

「こん畜生」

と下品なる御褒むるまじき振る舞いも、時々打ち混じりける。


一方光源氏様の方は、二条の改修の住み家も気になって、時々そちらでも寝泊まりしておりましたが、相変わらずの貧乏暮しです。

家具などの調度品も元服の祝いでいただいた品があるぐらいで、大きな家財道具や生活用品もほとんどありませんでした。

光源氏様は桐壺帝の第二王子と言っても、母方が貧しく、しかも亡くなられておりましたので、そちらからの援助は全くありません。狭い領地とわずかな給金だけでは、財産は一向に増えないのでした。

ただ宮中の女官や町人の間では光源氏は大変な人気でした。時々宮中の豪華な食事が懐かしくて、帝王様や藤壺御殿の女御様を尋ね歩いていると、女官が足を止めて見詰めていたり、

知らせを受けた他の御殿の女御や侍女が、御簾の影から武官になった勇ましい美青年を、浮き浮きしながら覗いたりしていました。 

帝王様が町を行幸されますと、大勢の町人が集まって、光源氏を人目見ようと大騒ぎになります。光源氏様は食事処で武官の仲間とお酒を飲んだり、好きな食べ物を注文したりしていましたので、

最近では御顔もふっくらとしてきて、首筋も太くなりました。髪も後頭部に強く結んでおりますと、額の両目脇も反り上がり、ふくよかで色白なのでとても良き青年です。遊び仲間は、

『若君の体は柔らかくてとても気持ちが良い』

と、指先で腹を突っついて遊んだりしていました。

                 

※この小説は瀬戸内寂聴著の『源氏物語』〈一九九二年上下巻、少年少女文学館、講談社発行〉を参考にして、勝手に想像を巡らしながら書きつづったものです。光源氏やその他の登場人物の家系図、内裏、大内裏〈宮殿〉の見取り図、貴族が暮した寝殿造りの構造、当時の人々の生活用品などにつきましては、瀬戸内寂聴著の源氏物語を御読みになって参考にして下さい。


 なお原文に近い文章につきましては、小学館 昭和58年1月発行

阿部秋生氏、秋山虔氏、今井源衛氏、鈴木日出男氏の校正・訳

完訳 日本の古典14 『源氏物語一』を参考にしております。


       二       


五月雨の長雨しとしとと降り続き、晴れ間無き頃、内裏の者は御物忌み差し続きて外出を控える風習ありて、光源氏様とて、近衛府官舎で長居寝泊まりさぶらう暮らしとなる。を、

葵姫は大殿には参らぬと分かっていながら、おぼつかなく他の女と寝泊まりしているのではないかと恨めしく思したれど、よろづの婿殿の御身支たくを装い、暮らしに困らぬように贈物し賜う。

それは御年若きに似ず、何くれと不自由なきよう珍しきまでに調じて整え、家臣の者を出でさせ給いて世話させつつ、左大臣御息子の君達を、ただ心配の余り遣わす。

この者はあたかも御宿直所に宮仕えを装い、源氏の君に悟られぬように、家の者を監視役とて出で立て勤めさせ賜う。


 あるの夜でございました。近衛の小将が衛兵長のお部屋で宿直をしておりますと、上司の頭の中将楠木様が、光源氏の仕事ぶりを拝見しようと尋ねて参りました。

「ようっ、真面目にやっておられるか若君。一発渇を入れてやろうと思って来てみたのだが、寝てはいないようだな。酒臭くもなさそうだし、まずは合格か。

帝王様の皇子だからと言って、女官を連れ込んだりしたら牢獄入りだからな」

 楠木様はからかうように若君に顔を近づけ、臭いを嗅ぎながら言いました。

「そんなことはしませんよ」

 楠木様は大方寝ているだろうとだろうと思って脅しに来たのですが、光源氏は図書寮の難しい本を持ち出して読んでいたので、楠木様はがっかりです。

 頭の中将様は、にやにや笑いながら光源氏様様子を探っています。

「部隊長殿、どうなされたのですか。こんな夜更けに」

 光源氏は不機嫌になりました。

「新米の小将に、ぶっそうな帝王様の宮殿を安心して任せられると思うか。俺は心配なんだよ。刺客が忍び込んだりしていないかどうか、かがり火が宮殿に燃え移ったりしないかどうか。

『俺が居ない間に大事でもあったら困るだろ。俺の責任だ』などと思うと、安心して眠やれん」

 楠木様はもっともらしく言いましたが、でもそれは嘘です。何か魂胆でもあるのか、にやにや笑っています。

「真面目にやっておりますから、どうぞ御安心してお帰り下さい」

 光源氏は、まだ一人前の武官として認められていないことが悔しくてなりません。

「これを見ろ」

 頭の中将は大きな手のひらを広げて輝く物を見せました。指には大きな指輪が二ケもはめられています。

「どうしたのですか、その指輪」

「これは何だ」

「ヒスイの指輪です」

「じゃあ、こっちは何だ」

 頭の中将はもう一方を、わざと大袈裟に指さして言いました。

「赤いサンゴの指輪です」

「いいだろ、いいだろ、すごいだろ。こんな真っ赤なサンゴの指輪などは滅多にないぞ」

 頭の中将様は手のひらを何回も裏返しながら自慢げに見せびらかしました。どうも酒に酔っているようです。

「どうしたんですか。そんな立派な指輪を持って来るなぞ。部隊長には似合いませんよ」

「そうひがむなよ。これはな、右大臣の屋敷に夜這に行って、四の姫からせしめたものなんだ。夜這いはな、危険も多いが収穫も多いぞ。お前もせいぜい励め」

 頭の中将様は、不気味な笑いを浮かべて言いました。指輪は頭の中将が右大臣家の四の姫から、婚礼を上げる前に奪った物らしいのですが、今夜はそれを見せびらかすために、妻となった四の姫に返したものを再び持ち出して、光源氏に見せびらかしているようです。

「北の方様に怒られてしまいますよ」

 光源氏は大方の様子が分かって来たのでそう言いました。

「お前は難しい本を読んで、恋文でも書く練習をしていたのだろうがな、恋文だけでは相手の女に心が伝わらないぞ。和歌もちゃんと覚えて、したためて添えてやらなくては、女心は動かん」

 頭の中将は、文才に於いて光源氏にかなわないと思っていながらも、自分の武骨さも知らず抜け抜けと言いました。そうした物知らずで遠慮のない所が、頭の中将様の良い所でもありました。

「狙いの相手は決まったか」

「まだ定まった相手が一人もおりません」

「そうだろ、そうだろ。持てない男はつらいよなあ。前にも話しただろ。弓矢は片っ端から多く放った者が勝のだと・・・まぐれでもそのうち一本ぐらいは当たる。そうだろ」

 そう言いながら、部隊長は光源氏の後ろに回り、本を広げて隠すようにしている厨子の下の引き出しを勝手に開けてのぞきました。そこには光源氏にあてた書類や手紙、書籍、道具箱が入っています。

「何をなさるのですか。勝手に開けられては困ります」

 光源氏は、見られて恥ずかしいものはないと思っていたのですが、私有物を勝手に開けられたので困った様子で言いました。

「上官の持ち物検めだ。おとなしくじっとしていろよな」

 光源氏様の正妻の兄君は遠慮をしません。

頭の中将の本当の目的は、母君である大宮様の指図で婿に悪い女が取りついていないかどうか、様子をさぐりに来ているようでした。光源氏のお手紙に、怪しいものがないかどうか調べているのです。

そうしたものが何もないと分かると、楠木様は再び前の方へ戻りました。

「どうですか。満足しましたか」

「ああ。だが男としては多少がっかりだ。真面目過ぎる男はつまらん。どうだ、妹の葵とはうまくやっているか」

 頭の中将は兄君らしく、光源氏様の肩をぽんと叩きました。

「特に問題はないと思います。しかし葵様は左大臣家の姫君ですから、敷居が高くて、容易には近づけません」

「そうだよな、そうだよな。良家の女人はそんな気遣いが必要だから困るのだよ。俺の北の方にしても、俺がせっかくその気になったのに

『今日は気分がすぐれませぬゆえ、御勘弁は下さいませ』

とか、『凶の占いが出ておりますので、今夜は遠慮なさって下さいまし』などと、御高く止まって、わがままで困るのだ」

楠木様は本当に困ったようすで、溜め息を漏らしながら言いました。

「頭の中将様ならば、そんなのお構いなしでございましょう。口をふさいで襲うのが見え見えですよ」

「ははは・・・そうだよな。ところがだ、正妻となるとなかなかそれが出来ないんだよ。遊女や囲い女はその時の気分でどうにでもなるんだがな。

あいつには何だか不思議と遠慮して、手が出せないだよ。正妻とはそういうものらしが、馬鹿げた自分が情けなくなる。手が掛って困るよな」

「そうでございますね。遠慮するのが義務みたいなものとでも言いますか。こちらも変にプライドをもってしまって・・・」

「そうだよ。お前は葵とうまく会話が弾んでいるか」

「最近では少しずつ打ち解けるようになりました。私には財産が少ないゆえ、立ち入ったことには少し遠慮していますが」

「だから良家の女は困るんだよ。侍女に何人も囲まれて大事にされるのは良いのだが、謙虚さと話題がなさ過ぎる。俺の北の方も『右大臣家は左大臣家よりも格が上ですもの』だとか、

『お召し物も左大臣家は品がなさ過ぎます」とか、

『このようなサンゴの指輪など左大臣家にはないでしょう』だとか、軽蔑と自慢話ばかりだ」

「ははは・・」

「何がおかしい。俺の方も実家を馬鹿にされては黙っていられない。

『お前の家庭には思いやりの教育は省略されているんだろ』とか言ってやったよ、

『その指輪にしても不正なわいろで受け取ったものじゃないか』などと、馬鹿にし軽蔑して言うと。もうかんかんになって喧嘩の始まりだ。

無教養でづけづけ言う。特に俺の父君を馬鹿にした話になると、こっちも黙っていられないからな。ぶったりする。そうすると、七日間は口も利いてくれない」

「そうですね。女が黙ってしまうと、こちらはいらいらして行動がおかしくなりますよね。いたたまれなくなって、逃げ出したくなります」

「まったくその通りだ。その点、国守や受領階級の女はいいぞ。王族や重臣の御曹司は、姫達にとって憧れの的だからな。何かにつけて優しく尽くしてくれたり、貢物をしてくれる。

それに地方任務を命じられて父親と遠方へ下ったり、旅に出たり、冠婚葬祭で親の兄弟と顔を合わることも多く、節目節目のところでいとこ同士の付き合いも多い。

あいつらは、やることにしか興味がないから子だくさんだ。話す機会に恵まれて見聞が広いから、京の都のあらゆる噂を知り尽くしている。名所や楽しい遊び場所も知っている。

夫婦となって長く暮らすには、こうした知性と見分が広い女を妻とできれば最高に幸せだがな」

 頭の中将は右大臣の娘と結婚した事に、うんざりした様子です。

「楠木様には新しい妾が出来たと、聞いていますが本当ですか」

「そうなのだ。まあ聞いてくれ。源氏の君。夕顔という女でな、両親は地方官であったらしいのだが、共に亡くなられて、初めて会った時は乳母と二人で暮らしておった。

家は荒れ果てていて貧しかったが、萩と野菊が雑草に埋もれるながらも、美しく咲いている家だった。取り立てて自慢できそうな物はないのだが、何かしら上品な屋敷なのだ。今から二年も前の話だぞ。

 あれは左馬頭・草尾の屋敷を尋ねようとした時だった。偶然その荒れ果てた屋敷を見つけたのだ。家は落ちぶれているが、なかなか風情がある。不思議に思ってぼんやり眺めていると、琴と笛の音色が聞こえて来たのだ。

とても気持ちのいい音でな、どこかで聞いたような音階なのだ。しばらくすると音色が消えたので屋敷を覗いてみると、そこに美しい女が縁側に立っているではないか。

あたかも寂しそうで、誰かを待っているような、そんな感じだった。俺はもう頭がふらふらして、なぜそうしたのか分からんが、女の方へ近寄って行った。吸い寄せられたのだ。

すると女は少し奥へ身を引いたが、逃げようともせず、こちらを見てじっと立っている。しばらくは黙って互いに相手の様子を見ていたが、何と、女の方から俺に軽く会釈をしたのだよ。

 俺はもてるんだよなあ。相手から挨拶をしたということは俺を好きになったということだ。色っぽい目で俺を見詰めている。しかも笑みを浮かべているではないか。

俺は今にも上がりこんで抱きしめようかとも思った。そしたら乳母が現れて、御茶を差し出してくれたのだ。

『もし、よろしかったら、これからもたびたびこちらへお越し下さいまし。あなた様が真面目で信頼おける方だと分かりますれば、姫様も嫌だとは申しますまい』

 と、乳母は申すではないか。

 俺は御茶を飲み干すと、言われるままに

『明日また御伺します』

と、言ってその屋敷を出た。そして三晩続けて通ったのだ。そしたら、とうとう最後の晩に、女を説き伏せて寝床を共にしたのだ。

 とても温かみのある情の深い女だった。子猫のように自分からすり寄って来る。肌もしっとりとしていて、こちらは今にも飲み込まれそうだった。とても気持ちが良かったぞ」

「のろけた話なら聞きたくありません」

 光源氏様は面白がって聞いていたのですが、だんだん楠木様の話が自慢話に思えてきたのでうんざりしました。

「後で分かったのだがな、その家の入口に夜になると夕顔の花が咲いているのだ。名前が夕顔だからその雑草を植えたとは思えないのだが、姫君と言うよりは、年増な遊女の感じだった」

「もううんざりです。聞きたくありません」

「まあ待て。話はこれからだ。その夕顔がな、家内の北の方に、どうも脅されているようなのだ」

「ええっ」

「『いつまでもこのような事を続けていますと、あなたも娘もあの世行きですよ』と言って、館の障子を壊して行ったそうな」

「恐ろしい奥方ですね。しかも、楠木様は御子様まで設けたとのことですから、四の姫も頭に来たのでしょう。その気持ちわかりますよ。ますます恐ろしいことが起こるかも分かりません。怖いのなんのって」

「ああ、俺は精力が強過ぎて困るのだ」

「可哀そうに」

「『あなた様は北の方様に知られてしまった以上、私を捨てておしまいになるのでしょう』と言って、泣きつかれて困るのじゃよ」

「ほほう。頭の中将様はもて過ぎて困るのですな」

 そう言ながら。頭の中将の遊び友達として名高い左馬頭・草尾と、藤式部の丞が現れました。

左馬頭は宮中で飼育している三十頭ほどの、半分を預かる馬牛舎の長官です。おもにそこで働く獣医や世話係の責任者であって、王族や重臣の馬の手配をします。

 しかし、長官ともなると、馬糞の匂う馬牛舎へはめったに脚を運ぶこたはあません。朝堂院の一室でのんびりと構え、部下の報告を受けては、重臣と馬の手配について折衝するだけなのです。

「そうなのだ。俺はもて過ぎて困るのだ」

「ははは・・・。左大臣の御曹司ともなれば、撫男でももてますよ」

 草尾は、頭の中将と、とても親しい間柄のようです。普通ならば楠木様が馬の世話役など相手にするはずはありませんが、不思議と仲がいいようすでした。



        三


「こいつはな、ずるいのだぞ。俺が好きになろうとする女に、すぐちょっかいを出す」

 楠木様は、脇息に持たれて笑っている光源氏様に言いました。光源氏様があぐらを崩しているのに対し、頭の中将と左馬頭が正座したままです。この様子を見ますと、

役職は下でも生まれによる身分は光源氏様の方が上のようです。それもそのはず、光源氏は帝王様の二番目の皇子なのです。財産さえ引けを取らなければ、このような無礼を許すはずはないのですが、貧しい身の上は悲しいものです。

「ちょっかいを出すとはひどいですよ。好きな女を見つけると『中流の女はお前向きだ。俺は身分が高こうて相手にできぬ』といって私に様子を探りに行かせるのですよ」

 草尾は若君に、楠木を叱って欲しいような眼差しを向けます。

「違うわな。わしは生真面目で高貴な生まれだから、めったに中流の女に手を出すわけに行かぬのだ」

「ははん、あの夕顔様の時はどうなのですか。私が自慢して見せたばかりに、横取りしたではないですか。左大臣家ともあろう上流貴族の御曹司が、下の中流の女に手を出すなんて、頭の中将様も落ちたものでございますよ」

 草尾は頭の中将に、正面から向き合って言います。

「違う、違う。お前は陰からこつそり覗いていればそれで満足していたであろうが。あんな女など、どうでも良かったのだ。

こいつはそばに居るだけで、相手が好意を示しているのに一向に手を出そうとしないのですよ。俺は可哀そうに思って、自分の心に忠実に従って、こいつの代わりに実行したまでのことよ」

 頭の中将は草尾の腕を掴んで、今にも友達の口を塞ごうとします。

「中流以下の私が、あんな高貴な女を囲むなんて出来ませんよ」

 左馬頭は、楠木の手を振り払って言いました。

「ほらな」

 そう言いながら、楠木様は草尾の顔を指さして、笑い顔を光源氏様に向けます。

「その上流、中流の区別はどうやって分けるのですか」

 光源氏は不思議に思って尋ねました。

「あくまでも感覚的な問題だとお考え下さいませ。国守や、頭の中将・楠木様と光源氏様は上流。私目程度の役人や藤式部の丞、受領階級、貴族で地方に留まったものは中流と言えるのではないでしょうか。宮廷の各部署の長官や次官も中流でございますよ」

 左馬頭は丁寧な言葉で言いました。

「そしたら下流とはどんな身分を言うのだ」

 今度は頭の中将が聞きます。

「下流とは兵士や侍女程度の階級を言うのですよ。もっと広く言えば職人とか地頭とか。商人でも金持ちは下流とは違いますね。学者の師匠ともなれば、やはり上流でしょうか」

「でも私は屋敷が狭くて財産もないですからとても上流とは言えません。地方から京へ戻って、立派な寝殿造りの大きな家を建てた受領などを見ると、あちらの方が私などよりよほど上流に思えるのですが」

 受領とは国守の代理として地方へ下り、地方での政治、年貢の取り立てを直接行って、俸禄を京の役人に送り届ける次官クラスの役人のことを指します。

国守が京に住まいを抱え俸禄のみを受け取る長官であるのに対し、こちらは現地で指図する家来筋の長なのです。たとえば紀伊守と言えば、紀伊の国の国主・国守のことで、次官・受領は紀伊の介という名前で呼ばれていました。

 地方へ下った受領及の中には税金をごまかして、自分の懐を肥やす役人も多かったようです。光源氏はそうした受領階級の役人や、目の前の二人より財産が少ないことに不満がありました。

「そうなのです。その受領階級の姫君に良い女が多いのでございますよ。金に糸目をつけず高価な衣装や化粧道具を与えたり、

名高い学者に学ばせたり、琵琶や琴を与えて練習させておりますから教養も高いですよ。しかも、ある程度は世間に出歩いていますから物知りです」

「そうだよ。あの夕顔にしても、話しているだけで実に楽しい」

「そうですよね。楠木様を前にしてお勧めするのも何ですが、そうした受領の娘を御側女としてお迎え下さいませ。出世のためのわいろを提供したり、立派な家を建て直したり、いろんな援助が引き出せますよ。

 桐壺帝の第二皇子ならば、大臣にまで出世できるでしょう。そしたらいい役職を欲しがる部下の献上品が、否応でも多くなりましょう。瞬く間に大金持ちですよ」

「私にそんな、ふしだらなことが出来るでしょうか」

 光源氏様は頭の中将を見て言いました。

「できますとも。金と女が手に入る遊びは最高の快楽だ。相手の女に貢がせたとなると『してやったりだ』。征服感が何とも快感だぞ。心身もともに癒される」

「ひひひ・・・。ですが間違っても。下流の女に手を出してはいけませんぞ。惚れて女に貢いだとなれば、財産は減る一方ですからな」

 光源氏様はおぼろげですが、世渡りについて分かったような気がします。

「世渡りが下手で部下を守る余り、上官と喧嘩して出世の出来ない貴族は下流も同然です。世間体を気にしすぎて、義理人情に溺れ過ぎてはいけませぬぞ」

「そうそう中流の女は財産だと思って、どんどん釣りあげればよいのです」

 頭の中将と、左馬頭は若い光源氏をはやし立てるように言いました。

「ですが、葵様のように私の家にお越しならないとなると、どのような女人を招いて家を守らせれば良いのでしょうか。正妻のある私にそのような者に、都合の良い女人が見つかりますでしょうか」

「できますとも。帝王様の第二皇子ともなれば、京で一番の美人だって思いのままですよ。ですがいくら若い美人と言っても、浮気好きな女は困ります。後で殺し合いの波乱がおこりますよ」

「左馬頭には思い当たる節があるようだな」

 くくく・・と笑いながら楠木が言いました。

「とんでもございません。私は飽きてしまった故、追い出したまでです。あれは美人で色気はありましたが、家の掃除や整理整頓がまるで駄目なんです。障子が破れ放題でも、庭に雑草が茂っていても一向に気にせず平気なんですよ。

化粧の仕方や着物の選び方が上手でも、家事に専念できない女人は駄目ですな」

「ですが、化粧を全くしない女人も困りますぞ。髪がぼさぼさで一向に櫛で解かそうとせず、掃除で汚れた衣服を平気でまとっていては下女も同然ですぞ。

そこへ自分の友人や上官が尋ねて来て御覧なさい。面目丸つぶれです」

「その通りです。それにそっけない女も困ります。せっかく男は役所勤めで女房のために働いて疲れて帰っているのに、困ったことを話しても、外で見聞きして楽しかったことを話しても、まったく相手にしない。

他人事のように上の空で、

『あ、そうでしたか。それが私と何の関係があるのですか』

と他人事のように言うだけで、感動しないとがっかりです。美しい新緑の山の景色や、咲き乱れる花を見せても、眠たそうにあくびをしていたのでは、せっかくの楽しい旅行も台無しですよ。

楽しい夕食の時ぐらい愛嬌を振りまいて欲しいではないですか」

「そうだよな。だが情が深すぎて、あれこれ詮索するのも困ったものだぞ。少しでも浮気がばれると、毎日泣き崩れて床に伏せたり、

『実家に帰ります』とか、

『いっそ川に身投げて死にとうございます』とかわめきちらして、そこら中の人に同情を求めてを歩き回って御覧なさい。屋敷内は大騒ぎですよ。なだめることに精一杯で、おちおち夜も眠れないぞ。

疲れて宮殿へ登庁しては仕事さえ差し障りが起こりかねない。家の中が暗くて、息が詰まりそうになるぞ」

「結局は賢くない程度の学識があって、気真面目で、物事に余りこだわらない大らかな女人がよろしかろうかと存じます。

出来ますればそうした素質のある女のお子様を見つけられて、自分の好みにあった女に育てるのが、間違もなくて、一番楽しかろうと存じますよ」。

「なるほどのう」

 左馬頭が余りにも気真面目に言うものですから、光源氏様は確かにその通りだと思いました。今まで接した女人は、どれもこれも一長一短あって世話女房には向かないのです。

「所で、頭の中将様、その夕顔という囲い女は、その後どうなりました」

 聞きたいと思っていることから逸脱していましたので、光源氏様はたまらなくなって聞きました。

「あれは突然いなくなってしもうたのです。家財道具一切もすべて無くなっておりますから、ある程度は前から準備万端にしておいたと思われるのだが、私にはこのような事が起ろうとは夢にも思いませんでした。

あれは私の援助なしには何も出来ない女です。少ないとはいえ、あのような家財道具を持ち運び出せるとは夢にも思いませんでした。なぜあのような大胆なことをしでかしたのかどうか、今も信じられないぐらいです」

「前触れもなく出て行ってしまったのでございましょうか」

 草尾は心配そうに顔を曇らせます。

「そうだ。『北の方様が恐ろしゅうございます。どこか遠くへ移して匿って下さいまし』

とは言っていたのだが、これほど押し迫っているとは考えても見なかった。わずか一日通わなかっただけですよ。大勢で手伝わなくては、こんな簡単に引越しはできません」

「それでその後も音沙汰なしでしょうか。どこへ行ったのかわからないのですか」

 光源氏様は不安そうに聞きました。もしかしたら、

「殺されている」かも知れないと思ったからです。

「そうなのです。ただ、置き手紙が残されておりました。垣根の門の横に、私と夕顔しか知らない木の箱をこしらえてあったのですが、その中に短い手紙と撫子の花が添えられてありました」

「手紙には何と書かれていたのでしょうか」


山がつの  垣ほ荒るとも   をりをりに あはれをかけよ 撫子の露

あばら家の 屋根荒るるとも  時々に   情けを掛けよ  撫子の雨


山奥にあるような汚い家であったとしても、私達は茅葺の屋根に守られて幸せに暮らしておりました。この垣根が朽ち果てようとも、時々は私達のことを思い出して下さい。

撫子の君に落ちる雨露から、私たちを守って下さいませ。

『石で押えた屋根が崩れて、私と娘の玉鬘が死んでしまいます』と、そう書き残してあったのです」

「本当に悲しい手紙ですね。本当は別れたくなかったのでしょうに」

 左馬頭が言いました。

「そうなのです。私の援助なしでは満足な暮しが出来るはずはない。娘の玉鬘がお腹を空かして倒れ込んでいないかどうか。

しくしく泣いて私の名をを呼んでいるのではないか、とても胸が苦しくてたまらんのですよ。あの娘は私に懐いておりましたから」

「こちらの思いを、伝えられないのが歯がゆいですね」

 光源氏様も心配そうに言います。

「そうなのだ。『何も心配いらないから私の前に姿を現しなさい』

と、手紙を書き残したのですが、相手が何を言いたいのか、返事もないのではどうしようもない。


咲き混じる 色はいずれと  分かねども なお常夏に  敷くものぞなき

咲き混じる 色はいずれと  分かねども 我が子に勝る 愛嬌ぞなき


 私は夕顔の子供が一番かわいいと伝えたくて、思っていることを和歌に託して手紙を残しました」

「例の連絡用の箱に入れたのですね」

「そうです。二三日して、その箱を覗きにいったのですが手紙は無くなっていました。しかし一向に相手から連絡の返事がないのです。私は心配やら、連絡をくれないことに腹が立つやら。

正妻に遠慮して身を引くのは良いが、余りにも弱気で心配掛けるのも困ったものです。家庭を守る女は強くないと困ります」

「まあまあいいじゃないですか。そのうちふらりと訪ねてきて。何でもなかったように姿を見せますよ」

 頭の中将がめずらしく弱気な話をしましたので、左馬頭と式部丞は慰めました。

「だといいんだがな。俺のことはそれぐらいにしておこう。左馬頭、お前も相当、今の正妻のことで悩んでいるようではないか。どうしたいきさつで、今の妻と一緒になったのだ」

 とて言って、楠木様は話しをすり替えました。



         四


「そうでございますね、私も草尾殿のお話を聞きたいと思っておったところです。何とも深い因縁があるような。どんな些細な事でも良いから、御聞かし給うれ」

 光源氏様も勉強になると思われまして、御聞きになられました。

「私が大学寮の文章生の時でした。私は式部省の先生をお慕いしておりましたので、御自宅にもよく遊びに御伺いしていたのです。そしたら、そこに身なりの雑な若い娘がおりました。

草花を写生したり、和歌を書いたりして、いかにも勉強しているように装うのです。

『どうしたのですか。勉強ごっこでもしているのですか』

と、私はいつもからかっておりました。

始めの内は逃げ出してすぐいなくなったのですが、そのうち話すようになって親しくなったのです。話をしているうち、その娘は地方へ時々旅行していたらしく、

物知りで学識も高い女だと分かってきました。私が知らないことを良く知っているのです。ついでに漢詩のことを尋ねると、実にうまくすらすらと答えてくれるではないですか。

私は嬉しくなって、大学寮で分からないことをこの娘に聞くようになりました。御蔭で私は成績がぐんぐんと上がったのですよ。私は嬉しくなってこの娘にぞっこん惚れてしまったのです。

貧しい着物を着ておりましたから、始めはそうと知らなかったのですが、どうも先生の娘さんであったらしい。

『どうだ。お互いに好き合っているのなら、夫婦になったらどうだ』

 と、先生がおっしゃるので、私もうれしくなって、ついその通りにしました。四条の家に招いたのですが、十二単を着せると、それが何と美しいのです。私は宝物を得たと喜んでおりました。

 所がでございます。学識があることを良いことに

『その考えは間違っております』とか

『殿方はこうであるべきです』と言って、あれこれ自分の都合のよいように、私をいちいち指図するのです。

『家の物も、余分な物は邪魔ですから片付けましょう』と言って、何もかも蔵にしまうものですから、まるで我が家は学者風で殺風景な家になってしまいました。

酒は止められ、肉食は禁止ですから、娯楽も温かみもまるでないのですよ。子供の頃の思い出の品物や、武者人形を飾っていない家なんてありますか。

『ほこりっぽくなりますから駄目です』

と言うのです。花鳥図の掛け軸を漢詩に掛け替えようとした時は、さすがの私も我慢できなくなって怒りました。それは我が家の宝物だったのです。妻に言わせますと

『それは通俗的で下品なものです』

と、言うのです。学識はあっても、心に温かさと柔軟性さがない女人は駄目ですな」

 草尾が余りにもむきになって話しているものですから、光源氏様と楠木はにやにや笑いながら聞いていました。

「どんなに優れた女人でも、やはり一長一短あるのでしょうか」

「いやそんなことはないさ。草尾は女運が悪いのだ。男の視点が違うんだよ。その点俺の選んだ女は、長所ばかりで欠点がないぞ」

 とて頭の中将が言えば、

「先生の娘さんだって良い所がいっぱいありますよ。ですが亭主が家に帰った時ぐらい、ゆっくり寛ぎたいではないですか」

 とて言って草尾がやり返す。

「『腰紐を緩めてはみっともないです』とか

『冠を昼間に外すものではありません』とか、いちいち言われてごらんなさい。頭に来ますよ

『男は女の奴隷じゃないんだ』

と、つい怒りたくなるじゃないですか。女は従順で頭が多少鈍いぐらいが調度良いのです。賢過ぎる女人には気を付けて下さいませ。光源氏様もそのような女人を家に入れますと、毎日が疲れてしまいますよ」

 草尾の話を聞きながら、光源氏は藤壺の女御様のことを考えておりました。あの方こそがおっとりとして、優しくて、深みのある良い正妻になるに違いない。桐壺帝が好きになったのも分かるような気がしました。

「さあそろそろ夜も白んだので帰るとしよう。朝帰りが知られたら家でまた大騒動だ」

「そうです。そうです。早く帰りましょう。今夜はお騒がせしました」

 頭の中将と、左馬頭と、式部の丞はそう言いながら急いで帰って行きました。


     五

 ちょっとちょっとそなた達、まさかここまでの文章が、私の書いた源氏物語の帚木だとは思っておりますまいな。冒頭はともかく、残りは全くのでたらめでございす。下手くそな文章ではございませぬか。

あの上鑪幸雄という人物、なかなかの曲者でございますぞえ、用心して下さりませ。紫式部と言う私に成り澄まして、このような文章を書くのでございますよ。

平安京の私のような美しい女は、このような下手な文章は書きません。私共はもっと華やかな文章を重んじます。これから書き続けます私の、本物の高貴な文章を、とくと御覧あそばせまし。



 桐壺帝と同じ宮腹から生まれたる近衛府頭の中将様は、光源氏様と同じ年頃の学堂仲間に加わり、特に親しく馴れ親しんでいると聞こえ賜いて、遊び戯れをも

「人よりも心安く馴れ馴れしく振舞いたり」と聞こゆ。

 父君は左大臣と言う高官であるが、もう一方の政敵と言える右大臣の家にも親しく出入りし、中将がいたわり賢付き世話し給う正妻の住み家もここで、右大臣家の四の姫と聞き賜う。

この姫君は、いと物々うしく気性が激しくて、色恋事も好きがましく、あだな姿の妖艶人なり。

 妻の実家に於いても、生まれし左大臣家の里に於いても、我が方のしつらい両方とも援助がまばゆくて、楠木君のい出入りし賜う時にも、

「者どもおーい、今帰ったぞ」

 と、近衛府の部下を何人も打ち連れ、騒々しく聞こえ給いつつ帰宅おわすと聞こゆる。

 楠木様は夜昼かまわず、学問をも遊びをも、もろと共に親しみして、押さ押さぎみに気後れ立ちせず振る舞い、いづこに於いても、

「えっ、あの事も、この事も、裏で楠木様が操っていたのでございますか」

 と、世間の誰もが驚くほど、この方のまつわれ絡み事多く聞こえ給うほどに、自ずからも、かしこまり遠慮する御気遣いは、え置かず、自由奔放に振舞いたり。

心の中に大事に仕舞うべき秘め事をも、隠し会えずなむ行動多くして、大勢の人と睦まじくされきと聞こえ給いける。


 つれづれと、梅雨のうっとうしい日々に降り暮らして、締めやかなる静かな宵の雨に、近衛府の建物も湿りがちになり、殿上人をも、押さ押さ御訪ねする人も少なきに、光源氏様は、

「御宿直所のここも、近衛府の何時もの騒がしい例にしては、のどかなる心地するに、退屈でたまらん」

と、近衛府大殿奥の灯明油近くにて、書物どもなど御読み給い、退屈そうに過ごし賜う。

そこへ非番にも関わらず、頭の中将が部下を二、三人引き連れてやってきました。居酒屋で飲み食いしたらしく、酒臭いにおいが漂ってきます。

「おーい、若君、書物検めに参ったぞ。そこをどけ」

 とて言って、光源氏様を椅子から引き摺りどかしければ、

「突然何事ですか。前触れもなく来ては困ります」と言えども、

「たかが書物検めだろ。そう持った振るな」

 とて、抜け抜けと何のためらいもなく言う。

光源氏様の顔など見向きもせず、近き御厨子なる引出から、色々の紙なる文どもを引きい出で、頭の中将、割り切れなく悠々しく疑いがしかれば、

「さりぬべきやましいことは何もあらねど、御疑いならば少しは見せむ。片端なる疑いこそ晴らすべきも有ればこそ」

 と君、許し賜わねば、

「その打ち解けて、早く片払いしたしと思されむ仕草こそ、忌々しかりべく疑わしけれ。ますます怪しくなったと思えたり。押しなべたる大方の文は、疑いの数にならねど、残りは怪しく思いたり。

程々白々しさに付けて、恋文を書き交わしつつ隠し持つも有るやも知れぬ。まずは見はべり調べなむ」

 と楠木言えば、光源氏様は、

「おのれが爺音めしき根性の折々見せて、持ち顔ならむ夕暮れなどの時にこそ夜這いに出掛けなむに、人の恋文の見所検めはあらんめ。ご自身こそ品行を改めなされ」

 と、腹立たしく怨ずれば、

「それこそは大将の特権だ」とて言って、

「やんごとなく切に隠し賜うべき桐壺帝の文書などは、かのように厳か御装束なる御厨子などに打ち置きし賜うままとし、わざわざ引き出して散らし給うべくもあらず、

 隠し持つ恋文など私物は、神聖な職場に深く取り置き賜うべかんめれば、二の町の大衆酒場で遊ぶかごとく、心安きなく下調べしと思いなるべし。片端おおざっぱに覗き見しつつ見るに、今しばし辛抱などなされませ」

 などと、楠木様が丁寧ながらもしつこく言えば、

「どうぞお好きになられ召し」

 と、源氏の君は小笑いしながら言う。

「よくも様々なるがらくた物どもこそ、大事に仕舞いはべりけり。いい加減に処分なされるべし。肝心な政事の文が見えなくなるではないか。こんな所に恋文など隠し持つものかよ」」

 とて言って、心宛てに「それか、あれか、かの奥のこれか」などと、問うなどして言い当てる中に、言い当つる物もあり。

 光源氏様は頭の中将のしつこさは、妹の葵姫を持て余し離れたる薄情な素行をも『思い寄せて仲良くさせる企みがあるやも』と思い疑うも、隠し持つ女の恋文らしき物は見付からず、困り果てた様子。

自らやっていることの愚かな行動をおかしいと思せど、 今さら止められず、言葉少なにて、とかく言い訳紛らわしつつ、恥ずかしさを取り隠し給いつつ調べなむ。

 光源氏様が頭の中将の書庫を指さし、

「そこにこそ多くの恋文が集へ給うらめ。せっかくこうして多くの人が集まったのだから、少しは開けて見せばや。さてさてなむ、この楠木様の厨子も快く開くべし」

 と、のたまえば、

「御覧じ所の疑いあらむこそ、固く見てはべらめ。上官が手本見せてやろうではないか」などと聞こえ賜うついでに、君も中将の部下と共に中を調べたる。

「女のこれは、下の薄着と難つくまじき証拠、こんないやらしいものを持つとは、楠木殿も固く厳格であるかな」

 とニヤニヤしながら、ようよう現実なむ姿を見賜え知る。他の者も笑えたれば、

「これは部下の物だ。鎗持ちが懐に隠したのを見付け、ぶん取ってとりあえずここに隠した。おれにはそんないやらしい下心はないぞよ」

 とて顔を赤くして言う。

「ははは・・・それは頭の中将、おかしいぞよ。自分が好きで隠したと顔に書いてあるぞよ」

「くくく・・・」

「ははは・・・」

 と他の者が笑えば、

「男はこれぐらいの事をやらないと、やって居られないよ。

 とて言ってごまかす。

「右大臣家の四の姫に言い付けますぞえ」

「うるさい、勝手にするがいい。あんな女など、とめえ等にくれてやるわ。俺は自分から好きで右大臣の四の姫と夫婦になった訳ではないのだ。

『前々から好きで夜這いに行った』と思われてるだろうが、実際は違うのだ」

「それは一体どういうことでございますか」

「右大臣の北の方様から当家に婿養子の話が持ち上がってのう。俺の父君は反対したが、母の大宮様は快くそれを承諾し、俺は入り婿として暮らすことになったのだ。

四の姫を俺が襲って自分の物にしたのは事実だか、あれは右大臣家のお膳立てがあってのことで、わしはうまくはめられてしまった。そうでなければ簡単に襲える訳がないだろ。始めは、

『しめた、うまくやった』と思っていたのだが、今になってようよう考えてみると、うまく利用され、騙されたと思っている。若君は後悔しないようにうまく生きろよ」

 頭の中将は首を垂れ、しおらしくなって言いました。

「どうなさいました、急に」

 楠木様の様子がおかしいので、源氏の君は部隊長の席に座り直し、心配して聞きました


          六  


「ちょっと、ちょっと、紫式部殿、帚木後半のこの内容は何事ですか。まったく理解できませぬぞ」

「ほほほ・・・私の知った事か。もし文句があるならば大納言様に言え。酔っぱらいの屁理屈な論法などには付き合っておられぬわ。

上鑪殿も子供の頃、大勢集まった酔っぱらいの席で、大人に絡まれ、無理やり難解な理論を教え込まれた覚えがあろう。

あれと同じだ。内容などどうでも良い。酒を飲みながら暇つぶしできるなら、この連中はそれで良かったのだ」

「そんな、読者に何と説明すれば良いのです。納得してくれませぬぞえ」

「わしは降りる。ごまかして物語を書くのは、そなたの特技であろうめ。後の事はそなたに任せる。さらばじゃ」

そんな・・・」


「ただ上辺ばかりの情けにあわてて手走り書き、折り節の優等生らしき答えを心得て、気安く相手の思うままに打ち従うばかりは、随分によろしき暮らしも見給う例も多かれど、楽しいばかりとも言えぬ。

誠にその方を取りい出む選び方に『本当に好きだったのか、一生添い遂げて悔いはないか』などと、必ず漏るまじき不利な条件が出て来ては、いと後悔の念固しや」

「それでは楠木殿は、四の姫との結婚を悔いておられる」

「いや、そうばかりとも言えぬ。右大臣家の支援は、わしにとって有利な条件じゃ。しかも我が心得たる自己主張ばかりを、己が自身の考えだとばかりに相手にぶつけやりて、母君を苦しめるなど俺にはできぬ。

身内の人をば不幸に落としめするなど、肩払い憎まれたき事多かりき」

「楠木様は家族が多くて幸せでございます。父君と母君がおられます上に兄弟が八人も、うらやましい限りです」

「そなたも帝王様と言う立派な父君がおられるではないか。それに弘徽殿の女御の子供など、兄弟は何人もおろう」

「よそ腹は敵ではあっても味方ではございません」

「確かに」


親など立ち添いて仲人なども持て崇めて、生い立ち先華々しいと噂を振り撒き、、内なる籠の鳥のごとく匿われる姫君ほどは、礼儀もわきまえて決して悪くはない。

ただ片かど噂だけを聞き伝えて宣伝し、人の心を動かす誇大広告めいた誘惑事も有るめり。容貌、姿、形を賢く打ちお誉め説き、『若やかにて美人』と、噂の中に紛るる無責任な事は無きほどに用心せよ。

それを真に受けて身の世話をさせる女房としたならば、浮気女だったという話もある。そうなるど、はかなき荒び心を人真似して、遊び更け入るることも有るに、自ずから一つ二つ由比付けて飲み歩き、堕落し出ずることも有りつるぞ。

外見の悪い姫君に限って、面倒見る世話人の侍女や、気後れしたがる身内の方をば言い隠し、さて、有りぬべき大袈裟にほめる方をば、繕い従えて招ねび出すに、大袈裟な誉め言葉は用心すべし」

「しかし、私に取って左大臣家の人々は、真正直で良い人ばかりですぞ」

「いやいや、わしの家族のように、世の中はそんな良い人ばかりとは限らぬのだ。それしかあらじと説明を真に受けて、そら似の美人だといかがばかりかは、思い勘違いして破談を下さむこともあり得る。

正妻以外の世話女房などは、しかと本人を見極めたうえで集めなければならぬ。

万が一疑いて、その話は誠かと見持て調べに行くなどして、平均的な美人に見劣りせぬよう、自分の家族としては恥ずかしく無くなむにして暮らすべき」 

と、頭の中将の女性論が熱を上げてうめき口説きたる気色も、光源氏様にすれば自分の事のように恥ずかしげなれば、いと押しなべてそうばかりとは思うもあらねど、我も最近、たまにはそう思し合い、女中女房を求めているやもあらむ。

この楠木様さえ、自分と同じ境遇なのかと打ち微笑み賜いて、

「その片角もなき執り得のない姫君を襲った、間抜けな人はどこにあらむや」

 と、光源氏様がのたまえば、

「いと、さばかりならぬ間抜けなその男どもの心当たりは、誰かとは透かされ言えず、この近くには住み寄りはべらむ。

取る方なく口惜しき絶世の美女の極めと言うなりと、覚ゆばかりに優れたる人とは、千人に一人未満に等しくこそ、この世に存在しはべらめ。

人の品位、位が高く生まぬれば、人に持て賢づかれて何不自由なく身の世話を受け、奥の館で隠るることの暮らし多く、自然にその高貴な気配、こよなく愛する姿に育ちなかるべし。

中程度の品位、位になむ。娘人の心心に己が自身の主張を立てる趣見えて、物事の道理分かるべき他人への思いやり事や、芸事の趣味、多方面に優れたる方々多かるに、注目されるべき。

下の刻みという市民階級の極になれば、我々の身分の高い者にとっては、ことに耳立たず気にすべきもあらずかし」

とて言って、頭の中将は、いと隈なげなる隠し事せぬ気色なるも、ゆかしく人懐っこく見えて、

その身分の分かるべき位の品々や、いかに判断すべきぞ。いずれの女人をを三つの品位に置きて分別し、上流、中流、下流に分くるべきぞ」

「難しい論議だぞえ。一口に言えぬなむ」

頭の中将は頭を強く掻き、ひげ面の目を大きく開けて困った顔をする。

「元の品位は高い身分に生まれながら、家が落ちぶれて身は沈み、位短くて終わる人は、それでも高い身分の品とは言えげもなき。

また平凡な位の家に生まれながら、出世して直人の上達部などまで成り上り、朝廷も我が物顔にて操り、家の内も貢物で飾り立て、権力も財力も大臣に劣らじと思える成り上がり者など、その身分のけじめをば、いかがに判断し分くるべきぞ」

と、光源氏様が問い賜う程に、


「おうおう若君と頭の中将様、なかなか活発に議論なされておいでですな」

とて言って、草尾左馬頭と藤式部のが物忌みの日にて、自宅に居ては不吉な災い起るやもと心配し、近衛府の大殿に籠らむとて参れり。

この二人は世の人々に名の知れた色恋、芸事も好き者にて、物良く言い人惚れ安く親しげなるを、頭の中将、今か今かと待ち取りて、この女どもの品々、格の上下を問う。

「あれは顔は良いが、下の方はさっぱりだ」

「代弁の姫は優しいのだが、しつこくてこっちが疲れる」

「学のないのも困るが、物知り過ぎてはこっちの立場が立たん」

「おっとりして、優しく寄り添ってくれる女が一番ではないか」

などと好き勝手なことを言って、この女どもの品々を割、極め、上下のいずれの位置にすべきか議論を争う。

いとそれぞれの囲い女のことになれば、相手も嫌な顔を見せて、聞きにくきこと多かり。

「父君の出世によって成り上がれども、元より去るべき身分の低い筋ならぬ人は、世人の絶世の美女と思えることもあるやも知れぬが、さうは言えども我々にすれば、世間の見方とは尚異なり。

成り上がり者のあいつらは、下着が汚れ臭うなっても余り気にせん。言葉遣いが下品だし、身だしなみが中途半端だ。金目の物を身に着けてはおるが育ちには勝てんぞよ。芋は芋だ」

と頭の中将言う。

「たもと元々よりは、やんごとなき身分の高い筋なれど、世の流れに振舞う手綱操りき袖の下少なきに、時世に移ろいてなすがままに身を任せ、意欲がないと出世できず家が落ちぶれては上流人とは言えぬ。

過去の栄光に溺れ衰えぬれば、心は心として事足らずやり切れなくて、悪浸るひがみの事どもい出て来る業になりめれば、色取り取りそれぞれに断わりて判断すれば、中流の中の品にぞ置くべき」

藤式部丞、博士と言われるほど英知ありていわく。さらに別の友が、

「受領及と言いて、国守から人の国の統治事に関わりづらい、地方国の政治経済をうまく営み、主や国人に信頼され、かなりの収入がある地頭と、品定まりたる中にも中々の上玉あり。

身分はさほどなくとも、中の品位にあるべき有力者があり。また同じ地頭でも刻み刻み有りて、貧乏な者から国守以上の豪族まで。

その豪族の中の品位ともなれば、上人の列に消しうはあらぬ選り優れい出つべき才女有り、貢物も多く得られるとなれば、頃惚れ良い相手なり。光源氏様は、こうした豪族の娘を愛人になされまし」

と草尾左馬頭は、『自らの女にしたくても相手が望まぬだろう』と未練がましく、若君を見上げながら言い給う。

「生々しい生粋の高官ども上達部よりも、御前様会議においては朝堂院に入室を許されぬ非参議の四位以下の者どもの娘に於いては、世の覚え口惜しからず目立った存在ではないが、中々の美女がおりますぞ。

元の根差し卑しからぬ名家の流れにて、文才や習い事に優れ、大して欲など持たず安らかに身を持て成して遠慮深く家に籠り、熟した女のごとく振舞いたる仕草は、いと乾らかにさりげなく立ち振る舞いて爽やかなりや」

「そうそう、そう言う屋敷に於いては、家の内に行うべき家事ごとなど、はたはた不届きな箇所など無かめるままに、苦労を省かす、客を迎える態度もまばゆきまでに持て成し賢付ける。

そういう娘などの者居て、おとしめ難く御い出で迎え居づる華やかさは、あまた度々巡り合いあるべし。

 そうした女は御所の宮仕えに数多くい出立ちて、思い掛けぬ采配取り出ずる才女の例ども多かりし。高貴な光源氏様は別と致しまして、我々下々の者を思い掛けず出世に導くやも知れぬ」

 藤式部丞は思わず、そうした娘を欲しがるように、両手を前に差し出して抱き締める似などして言えば、

「すべて賑やかわしき教養による、楽しい宮仕え人になりぬるべきにや。おざなりなりぬ大物人なりや。我が家にも、そうした女人を四・五人迎えたいものよ」

 とて言って、光源氏様笑い給うを

「若君とは異なる人の言わむ事としてならともかく、新妻を迎えたばかりの光源氏様が、新婚の今の立場の謹慎期間をもようように心得ず、軽々しく仰せられる。浅はかな」

 と、頭の中将不機嫌になって婿を憎む。

「まあまあ、固いことを言わずとも良いではないか。光源氏様もついつい我々の口車に載せられて口が滑ったまでのことよ」

 とて藤殿が言えば

「さもその通り。若君は至って真面目な方でおわしますぞ」

 と草尾が御諫め致す。


「所でさっき話しました元の品、中流品位の人達でございますが、時世の覚え華々しく権力に打ち合い、やんごとなき知識当りの内々での持て成し気配なる者、宮中に登用すべき。

 宮中に気後れしたらむは更に言わずとも、『何をしてかくこうも、世に生い出けむ。家に埋もれては惜しくはないか』と、言う甲斐なく国家の損失にと覚ゆるべし。

 打ち合いて優れたらむ誘いを断り、謙虚に父母の世話するこれこそは、さるべき本人に重要な事と覚えて、世に知られぬまま一生を終わるも、珍しからぬ事と、私の心も驚くまじ」

「なるほど。そんな知識をもった淑女が、生涯家に閉じこもっておいでとは残念な話よのう」

 とて言って光源氏様が皮肉な笑いを浮かべれば、

「何をそんな他人事のように言っておいでなんですか。上が上の権力者の何がしが、家に乗り込んで説得し、影響を及ぶべき程の事をやりならねば、上が上の上流女は世に打ちい出置き、宮中に暮らしはべらめぬ。そうではございませんか」

 藤殿は若君と頭の中将を、見比べながらむきになって言いました。

「その話はさて置き、私の話をお聞き下され」

 そう前置きして草尾は話し始めました。

「この世にありと人に知られず忘れ去られたかのように、寂しくあばれ家たらむ蔦の絡まるむぐら屋敷の角に、思いの他ろうたげならむ可哀そうな人の、閉じ込められたらむ美女おわし、

『何をこのような所にひっそり暮らしはべるか』と、限りなく珍しく気に掛かる胸騒ぎは覚えめ、のぞき見し給うと、

『如何で、はた又尚も心に掛かりけむか』と、心配に思うにより他に違える事なく近付きしたになむ。すると怪しく深い事情有りげにて、心留まるままに様子を見る仕業になりぬる。

 父の年老いて病もの難しげに苦しく太り過ぎ、うめき声聞こゆるそばに仕える娘有り。兄弟の顔を見て憎らしげに、

「ただ見ていないで、そなた達も手伝いして下され」と言うも、

「介護は女の仕事です。男に穢れた仕事を押し付けない手で下さい」

などと、自分とは親に対する思いやり、異なる意見の相違ある模様で、事なき寝家の奥の部屋内に、いと痛く献身的に親に思いを寄せ上がり、はかなく理知的に介護しい出たる事の技も、結い実りならずと見えたらむ。

片かどにても女一人の世話だけでは、いかが思いの外に効果上がらずとも、おかしからざらむ。優れて厄介な介護義務持たなき方の、逃げ腰選びにこそ責任及ばざらめ。

可哀そうに、善意を持って尽くす者のみが馬鹿を見ると思うべし。さる方にて突き放された親と娘の、棄て難き身の上ものをば思え給え」

とて言って、草尾は周りの人々の顔をそれぞれ確かめながら、意見を求めました。

 藤式部の丞見やれば、我が姉妹どものよろしき世間の評判、聞こえある事実を思いてのたまうに、

「これや、『我が妹どもに、少し物世話させたらどうか』と言いたいのであろうが飛んだとばっちりよ」とや、お手本とは心得やらむ。

「さあ、どうしたものか」

 と、物も言わず。

「いでや、そんな他人事に構っていられるか。上の品と思う人達だに、我々下の者が難しかたげなる世の貧しい人々を、変えようと思ってもどうにもならん」と言う。

 それもそのはず、こうした事は

「我々帝王様にお仕えする身分の高い者が朝廷で論議し、何とかしなければ」と、源氏の君は思すべし」

 と、藤式部の丞は言い、若君の考えを求めるべく、上座を振り向きました。


 光源氏様は眠くなられた様子で見脚を崩し。白き御衣どもの肌着、なよなよ涼しげなるに、軽く直衣ばかりをしとげなく小ざっぱり着なし賜いて、腰の紐なども緩めたままに打ち棄てて足を広げ賜う。

袴も付けず脇息に添い臥し賜える御姿は、ふんどし姿の老人と同じなまめきて、明かりの御火影に揺らめいて、いとめでたく、女に見奉ら欲しく御脚の奥の物見え給う。

この御種溜めには、上が上の品を選りい出てても、形といい、太さといい、長さにつけても、なお飽くまじく立派に見え給う。

頭の中将と、草尾と藤の丞は、それを見ながらにやにや笑い、顔を見合わせながらため息を突いておわします。



           七


「何と言うはしたない」

 左馬頭は、更に話し続けました。

「ここに居る私どもが、様々の人の上の品々ども、男と女について好き勝手に語り合わせつつ論議しても、大方この世に付けて誰からも咎めることは無きとしても、我が妻の者と打ち頼むべき特別な女をも選ぶには、

 あまた多かる中にも、『これこそは』と思えなむ我が思い、なかなか特定して『この女』とは定むるまじかける。

男の公け事に使う身分として奉り、はかばかしき世の堅めと宣伝なるべき妻も、誠のうつわ物となるべき上流貴族の娘を盗り出さむ事には、姑の肩に寄せ掛かるべし機会もなかなか有らずめかし。

我々中流の者は、高官の娘を嫁にしてこそ、出世の道が開けるというものよ」

と草尾は言う。

「しかし草尾は、上級教官の娘を手に入れたとしても。なかなかうだつが上がらぬではないか。いくら上流娘をめとったとしても、本人の努力と才能がなければ『どうにもならん』と言うことだ」

 とて頭の中将が笑いながら、光源氏様を見て顎で指すと、

「人には能力の差と言うものがあるのです。楠木様のように万能に優れた方は滅多におりません。それも左大臣家と言う名家に生まれたからこそ、才能が発揮できるのですよ」

 とて言って、更に話を続ける。

「されど幾ら才能に優れ賢し方とされても、一人二人にして世の中を祭りごちにして政治を仕切るべきならば、様々な良き考えが取り入れられず、わいろのみが蔓延る社会になります。

上の者は下の者に助けられるとしても、下は上の人になびいて胡麻を擦り、事広き役人の心まで意のままに操り、誤った政策だと分かっていながら、譲ろう事の政治になりらむ」

「なるほど、左馬頭の言う通りかも分らん」

「また狭き家の内の、家事ごとの主とすべき人一人を思い巡らすにしても、優しさに足らず、暴力的に言い合い、悪かしるべき大事なことども、思いやり無む無神経な方々多かる。

 失敗しでかしたとあれば夫に食って掛かり、合うさ着るさどっちにしても、悪者にしたがる。なのめならん性格にさて置きても、妻と言う者、大らかに包み慰めありぬべき人の、少なきを覚悟なさりませ」

 そう言いながら草尾が若君を諭すと、

「どうもそれは、そなたの家庭の話のようじゃのう。わしの北の方は良い女御じゃ」

 とやり返す。

「ははは・・・」

「好き好きし夫婦愛の餓え渇きし欲求不満のすさびにて、人の有様を羨ましがる妻はあまた数多く見合わせむ。覗きの好みならねど、

『あそこの旦那を御覧なさい。いつも優しく尽くしているではありませんか』

『いやいや、あの家は嫁がおっとりとして、主人を立てるからうまく行っているのだ』

 などど、一重に思い定めるべき偏見に寄る見比べとするばかりに、連れの良き性格に目が向かず喧嘩になるのです。他所の家のように『同じくはうまくいかなし』とすべし。

 妻を迎える者は我が力入りし主張を考え直し、引き繕うべき意地を通す所なく『相手の心に叶うようにもや』と、多くの趣向から選り抜き、妻に染めつる人の定まり難き理想の優しき人となるべし。

 必ずしも我が思う通りには叶わねど、見染つる愛の契りばかりを捨てがたく大事に思い留まる人は、もの豆やかに尽くすなりと見えて、さてまた平穏に保たれるる女の為にも、心憎く推し測るる幸せな家庭なり」

 とて馬頭が言えば、

「されど何か、世の中の一般的な有様を見給え。情報を集むるままに行動したとしても、妻の心に誠意が及ばず、いと忌々かしき事も少なくなしや。なかなか思い通りには行かぬぞ」

 と、頭の中将言う。

「それはそうです。公達の上なき光源氏様のような御妃選びには、ましていかばかりかの少ない王族の人か、たぐいまれな名門の貴人を賜わむ事となります。

 そうなりますと、かなり我儘な権力者の娘しかもらう事はできません。光源氏様も楠木様も、帝の御許しなしには、好き勝手に女を選ぶ訳には参らないのです」

と、草尾が申す。

「ただ家を守る女房頭は二人とも自由なのですから、どうぞ自分の好みに合った方をお選び下さいませ。容貌かたち汚げなく、若やかなるほどの誠実な人であらねばなりません。

己が自身の主張は塵も付かじと謙虚に身を持て成し、文を書けど才女ぶらず、御程のどかに柔らかい言葉選びをし、眉の御墨付き、ほのかに心もとなく思わせつつ振る舞い、

また爽やかにも見えて、純真しがなしと断るすべなく待たせ、

『嫌です。人が見ておりますからお辞め下さい』

と、わずかなる声聞くばかりに言い寄れど、恐怖心を息の下に引き入れ言葉少なくなるが、いと良く男好きの本心持て隠すなりける。そういう女は家事女房として向いています」

 とて言って草尾が頬ずりをし、女の真似をすれば

「ほほう、草尾はそんなしとやかな女人を家に入れて世話させて居るのか。良く学問院式部の丞の娘が黙っているものよのう」

 とて言って、楠木様が笑う。

「とんでもない事でございます楠木様。我々下っ端の者がそんな女を呼べる訳などないではございませぬか。光源氏様と楠木様の御話でございます。ご勘弁下され。

なよ引かにか弱い女の不遇にして、可哀そうと見て同情すれば、余りにも情けに引き込められてこちらも仕事ならず、相手の意のままに取り成せば、ますます相手は図に乗って強欲にあだめく。

女とはそういう者です。これを始めの難関とすべし。ご注意下さい」

 草尾の話は更に続けます。

「事が中に、なのめなるまじき大臣家などの高貴な後見の方は、物の哀れ知り優し、はかなきついでの情け有り。おかしきに婚姻を勧める方なくても、良かるべしと見えたるに、独立した女です。

まめまめしき家柄の筋を立てて、信頼できる人の話を耳に挟みがちに、美装なき平凡な相手にも、一重に打ち解けたる後見世話ばかりをして、相談にも応じます」

「そうか、そうした大殿の女房を我が家にも一人迎えたならば、家の規律が正しく保てるか」

「そうでございますとも。朝夕の来訪者のの出入りに付けても、公け事、わたくし事の所用で集まった門前のたたずまい、良き事、悪しき事の区別、目にも耳にも留まる早業で仕分けする有様を御覧なさいませ。

 大殿の古女房の裁きは大した物ですぞ。疎き人にはわざと早めに打ち招きばむやは、

『ここはそうした要件には応じられません』と、簡単に追い払い、近くで来訪者見む人の話に聞き分き入るに、

『何事があったのですか』と、思い知るべからむに語りも合わせばや、さも内も心から同情したかのように結い微笑まれ、涙も差しぐみ、悲しみを分かち合う。

 もしくは、あやなき不条理な公け事に腹立たしく意見を合わせ、心を一つにして思い集まる事など多かるを、果たして何について真剣にかは聞かせむと思えば、打ち急かれて人知れぬ思い出話を聞かせて、

『実は私もそのように疑われたことがあったのです。でも自分を信じて毅然と立ち向かいなさい。疑いはいつか晴れるものですよ。

得意げに捕えた犯人が、実は無罪だったという話は幾らでもあります。人違いて分かって、役人の間の抜けた顔、見せたかったですわ。あなた様の夫もきっと無実です』

 と、笑いもせられ、

『少し様子を見ましょう』とも言い、打ち一人他人事たるるに、

『何事ぞ』などと、泡付かに真剣な自分の事のように天を仰ぎいたらむは、いかがは、世話奥女房にするには口惜しからむ」

「そうですとも、なかなかのやり手でございますな。世の中には身分は低くとも、そのままにするにはもったいない女人が数多くおります」

「ただひたぶる無心に、稚児めきて柔らかならむ人を、とかく引き繕いてはなどか積極的に面倒見らざむ。こうした無知な妻は、心もとなく当てにならなく見えるとも、教育によってこれから直し所ある心地とすべし。

 現実にに差し向いて教育して見む程には、人の才能なと分かりません。さても、らうたき見習いの方には罪許し甘く見るべきを、古株が多い中では立ち離れて様子を見た上で決めるべき。

妻には、さるべき必要な事も言いやり、折り節の要所要所に失敗しい出む仕業の、仇な大事にも、些細な豆事にも、我が心の出来事と思い得て、捨てる事なく深い骨折りなからむ事には人は育ちません」

「いやいや、また始まったよ」

「いと口惜しくいらいらし、頼もしげ無き咎めばかりでは、世話してくれる女房もや、なお一層苦しからむ生活事なり。

常は少しそばそばしく離れて心付き突き放し、近寄り難く愛想なき人の女房まで、折り節に付けて、何か、い出張えする小さな用事も有りかし、たまには遠巻きに声を掛けねばなりません。

まして我が本妻となれば尚更でございます。光源氏様、何を遠慮しておいでなのです。たまには大殿へ赴き、お見舞いせぬ事には、可哀そうではありませんか」

などと、左馬頭の隈無き無遠慮な物の言いも、誰の事とは定め兼ねて、痛く打ち嘆く。

「俺は自分の妹の事を引いきに見て言うのではないが、公平に見ても光源氏様の仕打ちは可哀そうに思えまするぞ。たまには葵姫に会って優しい言葉をお掛け下さいませ。 そうすれば葵も随分と心が落ち着くと思います」

 とて言って、楠木様は、源氏の君の意向を伺う。

「どうもそれは胡麻を擦るようで恥ずかしいのよ」

「その遠慮がいけないのです。この草尾を見て下さりませ。出会う女ごとにこまめに挨拶し、機嫌を取ろうとしているではないですか。夫婦の事は恥を掻き捨ててこそ、うまく行くものです」

「そうです。そうするべきです。でもなあ、夫婦間のことになると、なぜか照れ臭いのは事実だ。素直にお世辞など言えぬではないか」

 言葉数の少ない藤式部の丞も同情します。

「ははは・・・確かにそうだ。照れくさい物よ」

「しかし、そうばかり言って甘えていては、新婚の夫婦仲はいつまで経ってもうまく行きません。光源氏様は勉強中の身の上ですから。馬鹿げたお世辞でもどしどし言ってやって下さりませ。

誰だって恥ずかしくて、馬鹿げた優しさだと御思いでしょうが、その内に相手に誠意が伝わります。私だってそうでしたから。その内うまく言えるようになります」

「ははは・・・草尾は生まれ付きの、お世辞の天才だと思うがな」

 とて言って頭の中将がなじれば、

「そのようですね」と言って、源氏様も御笑いになられます。


         八


「今はただ身分高い品の位にも頼らじ。容貌形、器量の良し悪しをば更にも言わじ。学問の有る無しに関わらず、いと口惜しくひねくれて、ねじれ氣がましき嫌みの御覚えだに無くなればそれだけで良い。

ただ一重に物豆やかに地道な、静かなる暮らしが恨めしい。心の趣きならむ平穏な夫婦愛の寄るへき姿こそをぞ、ついの住み家の頼み所にしてはと、今更ながら思い置くべかりける」

左馬頭を取り囲む三人は、今度は何を話すのかと、にやにや笑いながら聞いております。

「余りにも教養ゆゑ良し過ぎても困るが、合う人ごとに心張せ、微笑み打ち添えたらむ愛嬌をば喜びに思い、少し気後れたる遠慮深い方あらむを解きほぐし、満足していただけるよう持て成す。

あながちに、孤独な人を自分から進んで仲間として求め、加えるを拒わまじ。後ろ気安くのどかに見受けき所だに、初めての人には強くは主張せず安心させる。

上辺の情けは自ずから持って付けつべき恥の業をと思い、艶に色気を振りまく者を恥じて、恨み言うべき事も見知らぬ他人事の様にと、とぼけ忍びて耐え抜く。

 上辺は冷たくして純真に操をづくり、連れと心一つにして思い余る時は、ただ一人書物など読むして静かにして過ごす。私の母はまさに良妻賢母でした」

「嘘を突け。そんな満点の女などおらぬぞ」

「まったくその通りです。私には草尾殿の母は、雑で落ち着きのない女だったと思いますが」

 とて式部の丞が言えば、

『そうした母上が突然堪忍袋が切れて爆発してしまったのです』

 と、草尾が言う。

「一体どうしたと言うのです」

「分かりません。誰と言わむ事なく凄き言の葉で怒鳴り散らし、少し落ち着いたならば哀れなる歌を詠み置き、心配忍ばるるべき文の形見をば部屋に留めて、深き山里や、世離れしたる遠くの海づらなどに這い隠れぬる。

『私の母じゃは、時々そうして身を隠すのです』良妻賢母と言っても、余りにも辛抱し過ぎては身が持ちません」

「しかし噂に聞くと、草尾の母上はそんな教養に満ちた方だとは聞かなかったぞ」

「そうですよ。私も田舎者の無骨な小母はんとしか記憶しとらんのですよ」

 とて言って、頭の中将が横から見下せば、光の君と式部の丞は、前後から口を押えて笑う。

「何を言っておいでですか。私には立派な母親です」

「そうか、そうか」

「こうした折、童にはべりし幼い時の思い出として、母に仕える女中女房などの物語読みじお話を聞きて、いと哀れに、

『安寿と厨子王の心深き兄弟愛の、何と素晴らしいことかな』と、涙をさえ浮かべてなむ、母のいない家にてはべりし聞きなむ。

 今思うには、いと軽々しく事更びたる母の衝動的な行動事なり。心差し深からむ考えで当て付けがましく、男を置きて家事を投げ出すなど、言語同断だと思いなされ。

見る目の前の現実に辛きこと有りとも、人の心を見て知らぬように逃げ隠れて、周りの人を惑わし、心配させらるる子供心をも見むとする程に、これほど自分勝手で迷惑な親はありません。

これから長き世の物思いに、笑い者となる。いと味きなき軽率な行動だと思うなり」

「しかし、女を怒らせると怖いぞよ・何をしでかすか分からぬぞよ」

「そうよそうよ、俺は鋏を背中に突き付けられて、危うく傷を負わされそうになったことがある」

「えっ、楠木様もですか。私の女房も包丁を振り回して追って来たことがあるのです。軽い冗談で言ったつもりなのに、よほど虫の居所が悪かったのでしょう。

 光源氏様も気をお付け下さいませ。普段は笑い飛ばして受け流している妻が、突然豹変するのですぞ」

「あるある。若君も用心して下され。女は弱いと思っても、寝ている間に、突然首を切られるかも分かりませんからな」

「そんな・・・」

「はははは・・・冗談ですよ」

「特に物思いに沈む弱い女には気を付けなされ。特に両親のどちらかが亡くなった後では、『心深しや』などと誉め立てられて、仏門に哀れ進みぬれば、尼になりぬかし。

 思い立つぞ初め程の頃は、いと心清く澄めるようにて迷いはないが、いざとなって現世に帰り見、今までの生活がどれほど自由で楽しかったか、知るすべなく後になった今も、元に戻る思い求めても何も得られず。

『痛でで、あな悲し。かくも現実は、はたはた辛い修行の身の上に置かれるとは思いも依らなかった』と、悲しみになりにけるよ。

『浮世の方が、よほど楽しかった』などこのように、後悔しないとも限らないのです。

 あい知れる昔の友が見舞いに寄りてとぶらい、ひたすらに失うとも思い離れられぬ連れの男が、

『どうだ、元気でやっておるか』などと、安否尋ねて来たと聞き付けて涙落とせば、身の世話に使う人、古御用人達の女中女房など、

『夫君の御心は、いとも哀れになりける物を、あったらかしか、恵まれた身の上を、どうして捨てたのです』などと言う。

 額髪を掻き乱し探りて、あえ無く落胆し心細ければ、尼君自ら内心潜み泣いて嘆きぬ事多かし。夫を忍ぶれど、涙こぼれ袖染めぬれば、季節の折々ごとに後悔さえ念じえず、

『私とした事が、どうして前後も顧みず、尼になってしまったのでしょう』などと、悔しき事も多かめるに、仏様もなかなか心汚なしと見賜い、引き入れても、元へは戻さぬと覚悟しつべし。

濁り欲望が占める現世よりも、生半端な仏門の道から浮かび苦しからむ。自分の理想とは程遠い苦難の世界に居ては、

『夫がもっと優しかったならば、こんな事には成らなかった』と、返って憎みよりて、悪しき道にも迷い込んだと、煩悩は漂いぬべくぞ、空しい人生に覚ゆる。

絶えぬ宿世へ思いを寄せる覚悟浅はからで、

『あなたと私の縁は、前世の約束として決められたこと。互いに死ぬまで添え遂げようぞ』と、覚悟決めずして幸せなどあるものか。

尼にも成り切れなさで仏門を尋ね、決意の悟り取り足らむも、子供染みた甘えで、やがて生まれ変わり、別な人とあい添いて暮らしあらむ折りにも、うまくゆくとは思えじ。

 宿命に掛からむ刻みをも甘く、互いの良さを見過ごしたらむ夫婦仲こそ、前世からの契り深く結ばれて、別れるに別れられぬとは哀れならめ。多少の浮気ぐらい大目に見てやった方が、夫婦仲はうまく行くというものです」

 と、左馬頭は長々と夫婦愛につてい説明します。

「しかし草尾、それはおまえの自分勝手な言い訳ではないか。おまえの浮気と惚れっぽさは、日常茶飯事ではないか」

 頭の中将は、余りにも大真面目に持論を説く左馬頭に呆れて、肩を揺り動かし笑いながら言いました。

「違いますよ、私は色目を振りまく女を無視しては、失礼だと礼儀を尽くしているのです」

「しかし、隣の式部の丞を見ろ、軽く会釈をしてやり過ごし、通り抜けてしまうぞ」

「こいつは薄情なんですよ。まったく女の気持ちが分らんとです」

「しかし、宮中の女房連中には、式部の丞の方に人気があるぞよ」

「そりゃ、器量よしだし、学問もありますから当然です」

「それならお前も遊び呆けていないで、本でも読んだらどうだ」

「今さらこの年でそんな気持ちにはなれません。光源氏様、どうぞ何か言ってやって下さいませ。このままじゃ、わたくしが悪者になってしまうではないですか」

「それはひとそれぞれに、自分に合った生き方をしているということだろうよ。草尾のように人目を気にせず、自分勝手な暮らしができたならば、人生は楽しいだろうよ。のう式部の丞」

「若君まで何をおっしゃるのですか。私にだって大きな悩みはいっぱいあります」

「嘘だろ。おまえの悩みがどんな物か、さっぱり理解できん」

 と式部の丞が言うと、草尾は横の男を

「なぬっ」と言って、頭に拳骨をぶつけました。

「我自身も、共に暮らした人も、後ろめたく心置かれ、悲しみに明け暮れじ未練がましく過ごしやは、不幸な人生なむ。私のように気楽な考えで生きた方が、妻とて楽しくなると言うものです。

 また、光源氏様や楠木様のように高貴な身分の方は、名のめならん絶世の美女を好きになり、心が移ろう方が有りとも、やむを得ぬ事で、人を恨みて気色張み、好き勝手になされまし。

連れ合いに背むかんことがあったとしても、はたはた奥がましかり情欲と言うものは、高貴な人には仕方のない事なん。

 心は移ろう方有りとも、見染し心差し、いと欲しく堪らない思いは、さるべき方、玄宗皇帝の寄すがに思いても有りぬべきに、人である限りね何が起こるか分かりませぬ。

北の方様が、左様ならむたじろきに振り回され、家族を捨てて仏門に入るとは、聞くに耐えぬべき軽率なわざなり。あの方に限ってそんなことは有りません。その前に楠木様が殺されてしまいます。」

「しかし、気に入った女を自分の意のままにできるとは、それが上の上の特権階級にだけ許されるとは、随分不公平な話でございますな」

とて藤式部の丞言うと、

「式部の丞はそうしたくても、先立つ金がないではないか。良く言うよ」

 と、草尾がやり返します。

残りの二人はそれを見ながらにやにや笑っています。夜は静まり、油灯りがゆらゆら揺れ動いておりました。

「すべてよろずの事、万事何事も平穏なだらかに、怨ずべき不幸な事をば相手に見知れる様にほのめかし、恨むべからむ夫の節操をも憎からず、遠巻きにかすめて怒りを緩めさせなさば、よろしかろう。

それに付けて寛容な哀れみの心も生まれ、怒りに勝りぬべし豊かで笑いに満ちた人生になりますぞ。多くの人は我が心も、見る周りの人々からも、

『あの夫婦は幸せになったようだ』と、安心して眺めていられるように、治まりもすべし

 余りに無下に打ち緩べ見放ちたるも、心安く労たき思いやりのようなれど、自ずから軽ろき方にぞ覚えられ、無視されたかのようで、生き生きと暮らしはべるは空しかし。

 繋がぬ舟の浮きたるが如く、どこにたどり着くとも分からず、さまよい歩く例も、げに彩なし。

『男と言うものは、妻の内ゲバに苦しんでこそ仕事にやる気が起こり、遊びに歯止めが掛るというものよ』

さうと、はべらめ思わぬか、頭の中将殿」

とて言えば、

「ははは・・・てめえの言う通りだわい」

とて言って、楠木様がうなづく。

「差し当たりて、おかしく魅力的だとも、哀れに嫌いだとも心に入らむ人の、頼もしげ無き恋の疑いあらむこそ、夫婦にとっては大事な生きがいだと思いはべれけれ。

 我が心に過ちなくて関係ないと見過ぐしさば、差し直し後になって浮気を疑いしても、などか現実を見らざらむと覚えて、無関心を装いたれど、それは差しも刺されぬ無理な未練となるにあらじ。

『嫉妬するは相手を好きな事と同じことぞ』とも言える。ともかくも、お互いが心を違うべき節もあらむと思えども、相手をのどかに見して解き放し、知らぬ振りをすべきなむ。

真実を知り過ぎては、返って夫婦仲が悪くなると、言えるでござろう。成り行きを先伸ばしせむ事より、他にやり増す事などあるまじかりけり。知らぬは最大の味方なり」

と言いて、

「我が妹の姫君、葵の上はこの定めに叶い給えり」と思えば、頭の中将は源氏の君の様子を見賜えり。

 源氏の君、打ち眠りて目を閉じ、何も聞いてもいない様子で、三人の議論に言葉混ぜ賜わぬを、

「何事ぞ。私共が光源氏様のことを心配して議論しているのに、居眠りされるとは何事でございすか」

 とて頭の中将が言えば、

「うるさ過ぎるぞえ」

と、騒々しく心悩ましと思うて言えば、頭の中将は、

「けしからん、聞いてなかったのならまだ増しも『うるさ過ぎる』とは薄情すぎますぞえ、若君」

と怒鳴る。

「若君、起きて下され。寝ている場合ではございませぬぞ」

 と、式部の丞が指先で小突き起こせば、

「えっ、まだ何か大変な事でもお話するおつもりですか」

と、若君が驚いて周りを見回す。、残りの二人は

「ははは・・・」と笑いながら、光源氏様と、頭の中将の二人を見て顔を合わせなむ。夜は静まり、更けて参りました。



          九


 馬頭、世の中の道理、物定めの博士になりて、「わしが皆の者に、為になる話を聞かそう」と更にひひらき、多くの事を論じ始めるに至り前置きす。

中将はこの断りを聞き果てむと、

『くだらん』と心入れてあしらい、頭抱え賜えり。

「よろずの事に、何事も他所へ見比べて思せ。木の道に進んだ匠がよろづの物を心に任せて作り出す木彫りも、臨時に持て遊び心から生み出される仏像物も、

 その目的の物と跡も定まらぬは、そば付きしゃれ張みたる心にお告げがあるからで、げにこうも整った仏様にしつべく彫られかりけれと、完成した作品を見て驚く。

時に迷い付けつつ様を変えて、今目かしく流行に変貌した鷹に目移りして、

『なるほど、感心致しました』

と、疑いの目を向けた自分が、おかしき恥ずかしさもあり。

 大事な事としては、誠に麗しき依頼人の、調度の飾りとする目的に定まれる様に、由緒ある物を、難なく生み出しいずることなむ。なお誠の本物か、上手下手かは、様々な諸条件ごとによって見え別れはべる」

「なるほどな。全体の調和を取るか、個別の優劣を取るか難しい問題だよな」

「私なら全体の調和を選びます」

 と、藤式部が言えば、

「私なら個別にして、最上の物を選びます。建物に調和しても、建物はいつ造り変えられるとも限りませんから」と若君が言う。

「まあ、どっちにしても、人の目はその内馴れてしまうものよ」

 中将は皆を取りまとめようとする。

「また絵所に上手な職人多かれど、墨書き匠に選ばれて全体像を描き、次々にさらりと、基本線に劣り勝るともとも思えぬ、けじめなき太し線も描かれて、優劣も見え別れずに作業に掛かれどうまく実が結ぶ。

それは匠職人のなせる技、人の見及ばぬ不老不死の蓬莱の山々、荒海の怒れる魚の姿、唐国の激しき虎や獅子など獣の形、目に見えぬ鬼の顔などの、驚ろ驚ろしく作りたる屏風絵や掛け軸は素晴らしい。

心に任せて一気に書き上げたものであるが、ひときわ鑑賞する人の目驚かして、実物には似ざらめども、さてどこかに有りぬべし世の常の山河のたたずまい、思い出の地にも似ている。

水の流れ、目に覚えある近き人の家いの有様、げに懐かしい景色とそのように見えてしまう。

懐かしく和らいだる田畑の形を静かに描き混ぜて、すくよかなる山の景色、ゆったりとした雲の流れ、木深く人里より世離れして林が幾重にも畳なし、け近き間垣の内をば描けば間もなく絵は完成する。

鑑賞するその人の心知らいに配慮し置きてなむ、上手な絵師はいと勢い事に見る人の思い出の光景など現れるが、悪がれいの下手な絵師は、そうした配慮に及ばぬ所多かめる」

「なるほど上手な絵師は何事もさらりと描いて、実に無駄がないですな。下手な絵師ほど多くを書き足してまとまりがない。なるほど」

「しかし、余りにも簡素過ぎて、墨絵の風景画などは女房連中には人気がありませんぞ。椿を正確に写した繊細な色彩画や、金箔を惜しげなく施した襖絵などは、わしが見ても素晴らしいと思うがな」

「いやいや、金箔を施した屏風絵は帝の周りでは下品な絵だと見なされますぞ。そのような贅沢は宮廷では御法度、何より質素を重んじます」

「それではどのような物が好まれましょうぞ」

「玄宗皇帝の長恨歌とか、竹取物語のかぐや姫が月に昇るさりげない色彩の絵画が好まれます。何よりも有名な場面の題材が多いですね」

「確かにそうでございますな。古典の題材はいつまでも余韻が残ります」

「それはそうとして草尾、話はそれで終わりか」

「いえいえ、まだ話始めに過ぎません。本題はこれからです」

「まったく、いい加減に早く終わらせろよ」

 中将は、くだらないと思いながらも、聞かざるを得ない事情でもあるのか仕方なしに聞き入る。

「手を書き加えたることも深き意味合いのことはなくて、ここあそこかしこの点長に走り書き、そこ端かとなく景色張める家々をば打見るに、角々しく景色立ちたれど、全体像が見えて来ぬ。

なお誠の筋を細やかに書き得たるは、上辺の最初に書いた線は消えて見ゆれど、今一たび取り並べて元の基本線と並べてみれば、なお実になむ、匠の長が最初に描いた基本線が浮かび上がることににより、全体像がまとまりける。

 匠の長は、自分の書いた線がはかなきことだに、消える運命にあることを覚悟はべれして描いている。

 まして人の心の、時に当たりて変化する景色張めらむ気持ちを見る目の情けをば頭に描いて、鑑賞する人に、え頼むまじく感動を呼び起こすように思う給えて描きはべる。

 その初めの筆使いの事、好き好きしく色恋に満ちた抽象画だとも申しはべらむ。これは好き事を極めた者にしか出来ぬ技なり」

 とて言って、再び眠り始めたの源氏の君の近くに寄れば、君も目醒まし賜う。中将いみじく色恋の好き好きしさを信じて、腕で面杖を突きて顎を乗せ給い、源氏の君と向かい居賜えり。

 左馬頭の話は、説法の師の世の断り、無情を説き聞かせむ所の心地するも、かつは人まねしておかしけれど、掛かるついでは、おのおの親しい間柄の睦言、戯れ言とも思え、仲間は仕方なしに聞き入るべしまでのこと。

 ひたすら忍び聞き留め、誰も逆らわずなむ、従順に聞き惚れたように見せる事、それはあたかも礼儀のごとくにありけむ。


「わおー、少し疲れた。ここらで一息入れようぞ。兵長はおるか。ちょっとこっちへ来い」

 とて言って。中将は部下を呼び入れ賜う。

「楠木様、何か御用でございましょうか」

「てめえはな、配膳所へ使いをやり、この四人分の軽い夜食を準備させよ。宿直室へ運ばせるのじゃ」

「此処でなくて、宿直室でございますね。はい、かしこまりました」

「手配が終わったならば此処へ来て、てめえが少将の席に座れ。衛兵隊長の代理を務めるのだ。何かあったら宿直室に知らせろ。我々はそこで作戦会議を行うでな」

「承知致しました」

 隊長は楠木様に規律正しい礼すると、両腕を脇に当てて後ろを振り向き、機敏に走り去って行きました。

「さあ、我々はそちらで議論しましょうぞ」

 と、中将が源氏の君に向かって誘いますと、

「有難い」と言って、源氏の君は立ち上がりぬ。

「左馬頭の話は長くて困るよ」

「そうかのう。わしは丁寧に話したつもりだがのう」

「話が回りくどいのですよ」

 そう言いながら、四人は執務室を出て行きました。


 所用を済ませた後で夜食も終わり、おのおのが好き勝手にくつろいでいると

「早うここへ来て座らぬか。まだ話が残っておるぞ」

 とて言って、左馬頭は机を叩く。

「わしがまだ、いと下郎にはべりし見習い役人の時、哀れと思う貧しい家の人はべりき。

自らを世間に聞こえさせ、哀れを見せ付けつる様に、容貌形など、いと真欲しきにも助けを求めて、行き過ぎる人々の後を見詰めながら暮らしはべらざりしかば、満足した様子も見せず中々浮かばれぬようなり。

 私も若き程の精力に満ちた年頃で、その女人を好き心地になっては、この人を時々泊まりの遊び相手にとも思い、胸に留め暮らしはべらせづつ、いずれの日にか、

『寄るべ』とは思いつつ、そのままにしておったのですが、 ある日思い切って声を掛けると、余りにも騒々しく人を呼ぶなどして大事なるに、とかく言い逃れして、どさくさに紛れ取りつくろいはべりしを、

『人に見られたらどうするのですか。浮気女だと思われたら、どう責任を取るのです。撫男でデブのくせに』

 などと、もの演じ痛く迷惑そうにしはべりしかば、心付き無く嫌われたと思いなむ。

『いと掛からで寛容おいらかなら増しかば、少し面倒みてやっても良いと思いつつ通って来てやったものを』

と思いながら、余りにも、いと許しなく疑いはべりし小言もうるさくて、

『かくこうも数ならぬ顔見せに尋ねた我が身を、てめえは善人か悪人か見もしないで追い立て放したで。馬鹿にするのもいい加減にしろ』

など、かく激しくもこのように思うらむと、心苦しき折々の日々も思いはべりて悩み、自然に相手から心冷めらるる様になむ、足は遠ざかり月日は過ぎてはべりし。

 この真保と言う女への扱い有りよう、元より相手に対する礼儀正しさは失礼ばかり有り過ぎて甘く見たと思えば、思いやりに足らざりける事にも多く有りて、自分を反省する事、数多く有りき。

ならば後になって、いかでこの人の為にはと、無き手わざを無理に考えていで出し、奥れ居たる身内筋の心もなお、口惜しく抱き込まねば未来も見えじと思い、ご機嫌伺いに励みつつ、再び訪ねなむ。

 とにかく何事に付けて、もの豆やかに後見姿を探っていると、涙の露にても心に違うことは無く、私に気が有りもがなと思えりし程に、我が妾にも迎え勧める方と思いしかどと思い、気持ちも伝えし。

 とにかくこの女の心になびき、なよびきて、『自分の醜き姿、形をも正直に見せばや、後になって疎まれなくむ』と、割なく相手を思い繕い、疎き嫌われ者に見られえれば面伏せにして控えめにせむや、

『いずれわしを思わむ様になる』と、憚り恥じて下手に、

『あなた以外は、誰も眼中に有りません。真保殿』

と、操に持て付けて見らるるままに、心も化粧う飾りはあらず、正直に通いはべりしかども、 ただこの憎き魅力的な方、一つなむ心を拒み冷めずして過ごしはべりし。

『そうは言っても、私はあなたを好きになりませぬ』

 その噛み潰した苦虫にも思いせられしはべりし話しよう、とても我慢できませぬ。

『かうも善意を尽くし優しくさせながら、あながちに従い怖じて、わしを避けたがる人はおらんなめり。いかで成敗してくれようぞ』

などと、懲りるばかりの仕業示し脅し、刀を突き付けると、この方も少し宜しくも従順になり、さがなさの意地悪も辞めむと思いて、ここは決め時と思いて脅してみました。

誠に憂いし不安なども思いて、心とは裏腹の耐えぬべきそっけない景色ならば、かば仮にも我に従う心があるならば、真保も懲りなく親しく成りなむと思う給えて従うべし。

 ことさらに情け容赦なくつれなき様を見せ付けて、例の腹立ちの脅しを演ずるに、それでもこの女は意のままにならず。

『かくおぞましく強情ならば、いみじき昔から深く結ばれた契りに従うべきと思えども、絶えに絶えて、また二度とそなたは見じ。真保殿との縁がこれまでの限りと思はば、かく割りなき悪者と思い疑いはせよ。

もし気が変わり、運よく結ばれて、行く先長く見通し楽しみえむと思えば、辛き事多く有りとも、苦しき人生を共に生きると念じて、名のめならん家族を築くと思いなりて覚悟せよ。

掛かる心だに思う人を失せなば、いと哀れな人生となむ』と、こう思うべき」

「人並々に暮らしも楽になり、大人びむに添えて多くの人と知り合いになろうとも、また連れ合いと並ぶ人なく一心同体と有るべき」

 このようになど『賢く教え奉るかな』と思い給えて、我猛々しく言い添えし説得はべるに、少し内笑いて真保が言うには、

「よろずに少しも見立て無く、物氣なき何の取り得無き生い立ちの身の程を見過ごして私に迫り、五万と人数成るこの世もをや念頭になく、

『何時ぞや白い馬に乗った皇子様が迎えに上がらん』

と思いながら待つ女の方は、いとのどかに好い縁談が来ると思いなされて、

そなたが見放したとしても 心やましく焦りもあらず。

辛き心を忍びて思い、絶えて待った甲斐があったと、苦労の傷も治らむ縁談の折りを見付けむと期待し、年月を重ねむ。そなた一人を失ったところで、何の傷も負わぬ。

 曖昧なそなたの下郎の身分を頼みに当てにしては、いと苦しくなむ。生活も成り立たなべければ、祖父の形見に背きぬべき遺言の心の刻みになむ、身分の高い男と添え遂げよ。との理念に反して、共に暮らすは難ある」

 と妬まげに心憎く言うに、腹立たしく成りて、

『そなたこそ貧乏暮らしの分際で、何を寝ぼけた事を言よる。今の自分の立場をわきまえよ。今日も食う物に困っているくせに』

 と、憎げなる言葉どもを、なりふり構わず言い、激しく撒くしののしりはべるに、

『何を頼みもしないのに勝手に押しかけて来やがって、私共の顔をつぶしやがる。今までのいい加減な仕打ち、物悔しさを見せてくれようぞ』と、

女も、え怒りを収めぬ性格の筋にて、私の御指一つを唇に引き寄せて、喰いて噛み砕きはべりし血の色をを見せて、驚ろ驚ろしく過去愚痴て、異常な行動を見せ付けし。

『見やがれ、この撫男。食うに困る家族と馬鹿されたからには、そなたの指を食べ物と思い、噛み砕いて飲み込もうぞ』

 とて言いながら、この真保と言う女は私を蹴とばすではないですか。

『いででで、なにしやがるこの荒くれ女め。掛かる指の傷さえ付きて将来に傷も残りぬれば、そなたとの交じらいを、今後一切すべきにもあらず、恥ずかしめ給うめる司位、官位の役職にも傷が付く。どうしてくれようぞ。

いとどしく何に付けて怨むかは分からぬが、それほど激しく人の指めを噛むとはけしからん。この世を背きぬ愚かな行為、打ち首と宣旨下りぬべき身の上なめり』

など言い脅して、立ち去ろうとすると、

『許して給うれ、左馬頭殿。これもそなたが好きだからこそ、やったまでの事。気が動転してしもうたのじゃ』

 と、言うではないですか。

『さらば、今日こそは最後限りとならめ』と言い残して、かがめて押さえながら真かその家を出ぬ


 手を折りて 合い見し事を 数ふれば これ一つやは 君が浮き伏し

 手を折りて 合い見し姿  数えれば これ一つこそ 君が噛む指


「この指の傷痛むとも、真保殿のこと、え怨みじ」などと、言いはべれば、さすがに女も打ち泣きて、


浮き節を 心ひとつに 数え来て 来や君が手を 別るべき折り

冬の節を 心ひとつに 数え持ち 来や君が指  別るべき日に


 など言いしろい、未練がましくはべりしかども、この真保の性格、誠に変わるべき事とも思い給えずながら、日々時降るまでに残された女の消息も追わずと決めにけり。

今更「悲しまずともまた笑って逢える日が来ようぞ」などと、安否を尋ねる使者も遣わさず、悪がれて悩みながらまかり歩くに、

 加茂神社の河原に出て、臨時の祭りの田楽に出くわせば、心も幾分落ち着きて、音楽と舞に心が和みなむ。

それは夜更けていみじう大粒のみぞれ降る夜で、これかれ考えながらまかり歩き、明るる所に出て真保の事を思い巡らせば、今なお田楽を見る人だに、家路へと思わぬ方は、まだ無かりけり。

あの屋敷の家路に通い、慰めてやろうではないか」と思ったりもする。しかし、今更会ったところでどうにもならないとあきらめはしたが、指の痛みはあの女の悲しみにも思われて胸が痛む。

何とも後味の悪い指食い女であった。その女の記憶は忘れようと思ってもしばらく心から離れられず、内裏渡りの夜番にても気になり、休息の旅寝姿凄まじかるべく、貧乏屋敷に北風が吹き荒れ、

「あの惜別景色張めたる宿の辺りはそぞろ寒く、真保は一人悲しむや」

と、思い給えられしかば、宮殿を抜け出し、

「その後我をいかが思えるか」と、心変わりの景色も見がてら、雪を振り払いつつ、生半可に人目悪く、爪喰うきまり悪さはありるれど、

「さらりとも、今宵日頃の恨みは解けなむ」と、真保が思う給えしに期待し屋敷を訪ねれば、

 灯ほのかに明かりを壁にかけ、萎えた小袖衣どもの厚肥えたる綿入れを、大いなる香炉籠に打ち掛けて、部屋を暖かくし、引き合わすぐべき着物の帷子など、奥が見えるように、わざと打ち上げて、

「今宵ばかりや来むかも」と、待ち受ける様なり。

「されば、我が身を受け入れる景色かよ」と、心おごり高揚するに、

急いで女を抱く。女もまんざら嫌いではなさそうで、自ら唇を求めるなどして営みに励むなむ。さすがにわしが見込んだ女だけあって、良い思いをしたなむ。

心も満足し二人で天井を眺めた後、ふと真保の顔を見ると、そこに居たのは別の女ではないか。

「そなたはどなただ」と聞くと「ここの主人の女中女房です。雑役係をしております」と言う。

几帳の周りを覗くと、正じ身、真保の姿はなし。そこにはさるべき女中女房どもばかり泊まりて「主は何処か」と聞くと、

「親の家に、この夜去りなむ。喧嘩の後渡りぬる」と答えはべり。

艶なる歌など詠まず、気色ばめる消息もせなで、いとひたやかに親の家に籠り、男に情けなかりしかば、あえなき心地にて納得できず、

「性なく、別れを悲しむ心の揺れ無かりしも、おかしいではないか。我を疎みね、簡単に出て行くとはけしからん」と言うと、

「左馬頭様を思う方の女の心や、未練ありけむかも」と言う。

「どうも腑に落ちぬ事ばかり浮かんで、納得できぬ。何か置手紙などないか」と聞くと、「そんな物ありません」と言う。


      十


 また別の女房は、

「差しも指されぬ草尾殿にも見給えざりし二人のことなれど、心悩やましきままに苦しみはべりしに、少し未練がましく投げやりな気持ちで、この家を出て行く事になりし、可哀そうでした。

真保様の着る物、常よりも地味に心留めたる色合い装い、帰りの仕様、いと有らま待たせ欲しくして、くずぐず去り難しよし。さすがに我が見捨てむこの家の後を見詰め、心残り有り気な様なり。

思い出を捨てきれぬさえなむ、この家の寂しさに思いやり、涙を浮かべながら、幾度も後見たりして親の元へ去りぬ」

「ほうれ、見ろ。やはりわしに未練があるではないか」

 とて私が言うと、

「さらりとも思えず別れに絶えて『思いを放つ覚悟をしたようには有らじ』と思い給えて、とかくあなた様に、まだ未練が残っているようでございます。これは真保様から預かりし狩衣でございます。

『私にまだ未練があるようならば渡して給うれ』

 と言って預かっておりました」

とて言って、私に衣を渡しました。その着心地の良い事、丈も幅も私にぴったりでございませんか。

「指噛み女も乱暴に思えても、裁縫と断ち裁きはなかなかの腕前でした」

と、言いはべりしを、

「不愛想には思えても、中々情の深い女ではないか。その後、その指食い女とはどうなったのだ」

 とて、頭の中将が聞き質す。

真保の気持ちに背きもせず、再び訪ねては相手を惑わさむとも隠れ忍びずに思え給えて、優柔不断ながら、輝かしからず、今宵はこのまま引き上げて、折りを見て逢った方がよろしかろうと、

「ただ、有りし成り行きままに、何の手土産も持たずして尋ねるは相手の心に映えなむ行為。今日はこのまま見過くすまじきに留めようぞ。

改めてのどかに気を落ち着け、真保殿の将来を思いならばなむ。合い見て真心を伝えるべき」

など言いしを、

『さらりとも今夜素直に逢うべき』と、女中女房が『思い離れじ』と思い給えしかば、

『しばし相手をじらして、懲らしめさむもよし』の心にて

「しかと今宵、その意向を受け給わった。改めて後日、その本心を聞こうではないか。親の家にて改めて逢わむ」

とも口に出しては言わず、痛く綱引き心にて行動を見せし間に、いと痛く相手が思い嘆きては、私もはかなく不安になりはべりしかば、戯れて恋を楽しみくくなむ、とそう覚えはべりし。

 一重に私を打ち頼みにして暮らしたらむ方は、さばかりにて婚姻に至らるべくなむ、生涯の伴侶と思い給えて、実行に出でらるる。

「私はまだ結婚などしたくはなかった。まだまだ、自由をたのしみたかったのです」

と、草尾が言うと皆も同情する。

「しかし二度もその女を裏切るとなると、今度こそは殺されてしまうぞよ」

「私もそう思いぬ。覚悟して結婚したらどうですか」

 と式部の丞が言えば、

「いやじゃ」

 と草尾はあっさりと言う。

「はかなき仇事の遊びの結末をも、誠の結婚の大事をも、言い合わせたるに叶いなからず、紅葉を染めし竜田姫の鮮やかな色彩にとは言わむにも尽きなからず、はかなき悲運だとも言えましょう。

七夕姫のひたすら一年を待ちわびる下向きな恋の手にも劣るまじく、ひっそりと、世間を騒がせなく様にあるべき。

「その真保の方を具して人生訓を学び、うるさくなむ、女遊びは後腐れないように上手はべりし、切り上げねばなりません」

 とて言って、草尾はいと哀れと思い出蒸し返したり。

「たったそれだれで終わりかよ。味気ないのう。その七夕姫の上手に断ち縫う方をのどめて迎え、永き契りにぞ最後まで添い遂げ合いまし。げにその竜田姫の錦には、また何事にも敷くものあらじ。

狩衣を手縫いして渡すほど下向きならば、女の気持ちに添いて、願いを叶えてやれば満足するものぞ。はかなき花紅葉と言うも、折り節の色合い尽きなくはかばかしくからぬは、露のはかなく消えぬる幻なり。

 左様に粗末な扱いある事により、女どもから敵世とは定め兼ねたる恨みを買うぞや。鋏で刺されぬとも限らん」

とて言いはやし賜う。

「そうは言いましても、当時の下っ端役人としては、生活の面倒など見てやれません。ほどほどの所て縁を切るのが相手のためには一番良いのです。そうは思いませぬか、式部の丞殿」

「ならば最初から手を出さなければ良いものを。中途半端な考えが、一番相手を傷つける」

「そうは言っても、あの助けを求めるような眼差しを無視せよと言うのですか」

「それが余計なお節介なんだよ」

とて藤式部の丞がいえば

「私には、助けを求めている女を無視するような薄情な真似はできません。光源氏様はいかが御思いになりますか」

 と光源氏様に助けを求める。

「わしは何とも」

 と、他人事のようなご返事賜わる。

「そうでございますよ。光源氏様は分別をわきまえて行動する方ですから、のような間違いをする筈はございません」

 とて言って、式部の丞がへつらうと、

「そうだとも、若君はまだ幼いですから、そのような女に心を奪われる機会などある筈はございません」

 とて頭の中将が、子共扱いすると、光源氏様は休息に脇腹を持たれながら、

「何を無礼な事を言いやがる」

とて言って、『むっ」とした顔をなされましたが、何も言わずにこにこしておいでです。


         十一


「さて、また同じころ」

 とて草尾が話し始めると

「えっ、まだ他にもあるのかよ。お前も懲りないな」

 と式部の丞がたしなめる。

「黙れ、わしがまかり通いし二番目の所は、人も香りしびれるほど前の女に比べれば器量が立ち勝り、心ばせ誠に由緒あり家柄と見えるべく、

四季の折々に和歌打ち詠み、掛け軸の文字の走り書き明瞭で、掻い引く琵琶のつま音、琴を弾く手つき、物語を話す口つき、皆たどたどしからずしなやかで、言葉が明確に見聞き渡り話しはべりき。

見る目も事もなく上品はべりしかば、この気品ある賢な者を打ち解けたる方にと思いて、時々隠しろえ、遠くから見はべりし観察の程は、こよなく愛する方になると心に留まりはべりき。

この人真保を失せて後、「我が妻として迎えるべき才女であった」と、後悔するとなればいかがはせむ。他に心当たりも無くて、世話する女中女房も雇えないと成れば、どうしようも無いではないか。

哀れながらも無気力に過ぎぬる暮らしは甲斐なくて、仕事を続ける気力もない。しばしばまかり通い、好き人として馴るるには少し眩ゆくて、艶に好ましき浮ついた事は目に付かぬ所あるに、

かれがれにふとした瞬間のみ色目を見せはべり悩めるほどに、 忍びて他に好きな思い人、心交わせる人ぞ有り氣らしく思えり。

神無月の頃ほい、月満月のごとく輝き屋根を照らす面白き夜、内裏より役所勤めを終えてこの家に、まかり出で様子を見はべるに、ある上人、高官が御車にて来ありて、門番に相槌を打つと、

 やがてかの女出て来てこの車に相乗りはべれば、すぐに動き出し、やがて怪しき空き家にまかり止まらむとするに、この上人、こんなことを言うようなり。

「今宵人、そなたを待つらむ人の宿なむ。怪しく心苦しき偉い方がお待ちしておられる。失礼のないように致せ」

 とて言って、その宿に送り込む。

この女の通いし家は、都の外れにて人影も絶えきぬ道なりければ、荒れたる塀の崩れより間から池の水影見えて、月だに宿る寂しい住み家を今夜の相手と添い寝過ぎむも、

さすがにて不安を感じたのか、なかなか車より降りようとせぬはべりぬかし。もとよりこの案内奉る男とは、さる心をか交わせむにやあらず、役目上の付き合いにや有りけむ。

 しかしこの男痛くすずろき涙にて悲しい顔をし、門近き廊下のすのこ立つ物に尻を掛けて、

「どうしたものか」とばかり考えて月を見る。男はどうも、女を哀れと思うようなる。

庭に咲いた菊、いと面白く霜に打たれて色あざやかに移ろい渡りて、風に競えて舞い散る紅葉の乱れなど、はかない冬を前に尽きる命のはかなさも見えて、哀れとげに見えたり。

懐なりける袖より笛取りい出て吹き鳴らし、催馬楽の


飛鳥井に 宿りはすべし 蔭もよし 身もひも寒し 見まくさもよし

金持ちに 宿りはすべし 暮し良し 身も火も寒し 見ぬ振りも良し


 など、和歌を綴りし歌うほどに、壁より聞こえ来る女の声と、良く鳴る和琴を、慰めるように笛と調べ整えたりける。麗しう胸を掻き乱し合わせたりしほど、懸想には違いあらずかし。

 単調な律の調べは、女物の柔らかな音色を掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも途絶えて、今犯されめきたる物の声なれば、男が見上げたる清く澄めたる月に、折り付きなからず涙す。

 男痛く目出て我慢できず、簾の元に歩み来て女を抱きしめる。

「庭の紅葉こそ、踏み分けたる足跡もなけれ。女の体が減るわけでも、形が変わる訳でもあるまいに」

 とて、大納言が言いて若い男をねたます。男は菊を折りて 


琴の音も 月もえならぬ 宿ながら つれなき人を 引きや泊めける

琴の音も 月も見やらぬ 撫男に  愛する人を  引きや奪われ


「身分の掟に従わざるは世の常に従うとしても、人の情けには悪かめり」

 など言いて、自分の気持ちを伝える。


今ひと声 聞きはやすべき 人のある 時に手な声 残い給いそ

今ひと声 聞き囃すべき  男にぞ  女の声が  残り給いそ

 

など痛く女と再びあざれ襲い掛かれば、女痛う悲しい声繕いて、


木枯らしに 吹き合わすめる 笛の音を 引き留むるべき 言の葉ぞなき

木枯らしに 吹き悲しめる  笛の音を そなた慰むる  言の葉ぞなき 


 と、なまめき男と言葉交わすに、殿上人、男が憎くなるも知らで、女を抱き寄せる。

女はまた琴を哀愁に満ちた盤渉調に調べて、今目かしく憎しみに満ちて掻い弾きたる爪音、かどかどしき上手な演奏では無きにしもあらねど、まばゆき心情の心地なむ調べにしはべりし。

ただ時々打ち語らう宮仕え人などの、あくまで洒落ばみ好きたるは、男の道楽として憂さ晴らしをすべく、さても見る限りは金を与えた代償として、おかしくも有りぬべかし。

 時々にても、さる遊び所にて、不満心を忘れる寄す家と思い給えむには頼もしげなく、一時の差し過ぐいたり人情話と心置かれて、その夜の事に事付けてこそ、

くだらない他人の遊び事として、女を好きになれる気持ちも失せて、その家にはまかり通わず、絶えにしかになむ。

「この二つの出来事を思う給え合わするに、若き時の心だに思い出されて、二人とは深く関わった訳ではないが、なお左様にも思い出話として持てい出たることは、

 いと怪しく頼もしげなく見て知らぬ振りをしたが、強烈な印象として残りはべりき」

「何だ、それでは唯ののぞきと同じではないか。女を助けてかくまうとか、愛人にするなどできなかったのか」

 とて楠木様が言えば

「我々下々の役人には先立つ物があらず。頭の中将様、どうぞ大目に見てやって下され」

 と藤式部の丞がかばう。

「今より後は、ましてさのみ他人事のようになむ、世間の色恋沙汰として成り行きを見守り、噂話として思い給え、聞き流されるるべき。

 御心のままに折らば、女と共に落ちぬべき萩の露、拾わば消えなむと見ゆる玉笹の上のあられ、氷の粒などのごとく、いちいち世の中の色恋に関わっては身が持たぬ。

 艶にあえかなる若き頃の興味深々の頃、好き好きしさのみの好奇心こそ、おかしく一人前の若者として思さるらめ。家に閉じ籠り、何もしない男よりは増しではないか」

 などと左馬頭が弁解す。

「ただ夜這いの覗きのようなことを若君に勧めては、良くないではないか。青年は清く正しく、女に誠実でなくてはならん」

「私は唯の世間話として、光源氏様が退屈しないよう申し上げただけなのです。まして殿上人の役人の話なら、光源氏様とて身内も同然でございましょう」

「そうとも、高官がそのような隠れ家に出掛けると成れば、ますます面白い。身内の私生活を覗いているようだ」

「ほうれ御覧なさい。若君とてああ言っておいででございますよ。色恋事に興味ない訳はありません」

「だがな、興味持ちすぎて、葵の上との夫婦生活に害が及ぶとなれば捨てておけぬ。心に興味ある面白い話は『いつか己がそのようになる』と言うではないか」

「頭の中将殿、私に限ってそのようなことはありませぬ。どうぞ、安心なされ」

 とて源氏の君が言えば、

「その安心なされが信用できぬのだ。色恋となれば抑えが効かぬのでのう」

 と頭の中将が言う。

「ははは・・・」

「へへへ・・・」

「何がおかしい、笑っている場合か」

「今はまだ少年のような御心御有りさりとも、七年瀬余りが程に過ぎ去れば、そのような男女の悲恋も心に思し知りはべりなむことも有りましょう。

 何の何がしが真面目過ぎる若君を子供のようだと馬鹿にし、卑しき堕落にこそ男の本性と誡めにてそそのかさむとも限らぬ。好き渡らむ女に、その気はなくとも心犯せ給え、女を悲しませる事もありましょう。

心ならずとも過ちして 女の背後に隠れ見む人の、固くなまでなる男の憎しみを買い、それは光源氏様の名をも立てつべき不名誉な恥となり、桐壺帝の耳に入りむべきものなりき」

と左馬頭誡む。

中将、例のごとく草尾の話に納得したらしくうなづく。源氏の君、少し片笑みて

「去る事もあり得る」とは疑いながらも、面白く思すべかめり。

「いづ方に付けても、人悪ろくはしたなき情け無かりける身の上物語かな。大納言が頭の中将で、すのこに腰掛ける可哀そうな男が草尾と考えれば、益も白い」

 とて源氏の君言って、笑いおわし座うす。


      十二


「その二つの話はそこまでとし、私の話も聞いて下され。誰の何がしかの話とは言いませんが、世に知れ者の物語をせむ」

 とて前置きし、頭の中将が話し始める。

「三年前の事になむ。四条の西の外れに、いと忍びて見染たりし人の、さてもこれ以上良い女はなかりべかりし気配の、色っぽい美人に成りしかば、正妻にするには身分が低く色つや有り過ぎて、

 添い永がらうべきものとしても思え給えざりし遊女めきしかど、声を掛け馴れ親しみ行くままに、貧しき暮らしも哀れと思いしかば、絶え絶えながらも逢瀬を繰り返すうちに、忘れ得ぬ者に思いなり給いしす。

さばかりにそのような状態になれば、女も打ち解け給いて、私に生活の糧をを頼める男として、

「いい男ぞ」とばかりに、懐いて来る気色も見えてき。

 暮らしを支え頼むに付けては、妾としての扱いに恨めしと思うこともあらむと心ながら覚ゆるを、折々に暇な時間を繕いて共に暮らしはべりしを、時に見知らぬ男が通って来たかのようにそっけなくし、わしを困らせる。

 勤めが忙しく女と久しき途絶えして会えなき時をも、

「通うた、まさか、まだ生きておいでだったのですか。久しく来ないので死んでしまわれたのかと思っておりました」

 などと、知り人とも思い足らず冗談を言い、ただ朝夕に世話する女房らしき持て付けたらむ身内の有様に見えて、愛おしく苦しかりしかば、生活の各方面に頼め渡ることなどもすべきと有りきかし。

 相手は親もなく金にも心細げにて、

「さらば、この人こそは私が待ちに待った人」

こそはと、事に触れて思える作間な愛嬌もろうたげに可愛く成りき。私は、右大臣家の我が妻が妊娠していることを良いことに、このろうたげな家に度々通えしなむ。

「私は妊娠中ゆえ、相手ができませぬ。私に構わず、どうぞ自由に遊んで下さいまし」

とて言われて、こうした遊びは少しも後めいた気持ちもしなかった。

それから一年ほど過ぎて、下町の平凡な夫婦生活に似た平穏な暮らしに馴れ親しんだ頃、近江の国に不穏な動きがあり、兵を率いて出兵せねばならずしばらく都を離れた。

撫子の君に女の子が生まれ、二才になっておった頃の話じゃ。その子が無事なのは、その頃で文の頼りにて知っておったので、この女は、こうのど気きにおとなしくて、出兵に赴任したままでは不安なりき。

「早く御帰りなさいませ。娘の顔も見てやらねば、楠木様を怖がるようになりましょうぞ」

 などと思いながらも、遠慮して家に帰らずとも何も言わぬ。そうした事情があり、久しく撫子の家にまかり通わざりし頃の話である。

この撫子の君との愛の生活をどこで知ったのか、この家見賜う渡りの右大臣家より、情けなく打立て怖がらせること有りしなむらしき。

わしの出兵を知った我が北の方が

「今ぞ」とばかりに。妾を遠くへ追い出しに懸かったとも思える。さる方より便り有り、かすめて思うに、

「このまま頭の中将との色恋あれば、親子もろとも殺害せむもある。北の方様の目の届かぬ地方へでも立ち去れ」とほのめかし、使いの者に剣を握らせ言わせたりける。

この事は後になってこそ聞きはべりしかば、

「さぞ悲しい思いをしただろうに」と、今になって思いける。

 さうとした浮きや恐ろしい事が、遠い都で起こりや有らむとも知らず、近江の国の乱を静めるために奔走しておった自分が、今になって思えば恨めしい。

「一年後、都に帰ると、心には忘れずながら、撫子の君と玉鬘を訪ねることにしたのだが、四条の家は物脱け殻ではないか」

「その玉鬘とは女の御子さまのことでしょうか」

「そうとも、妾の名前は『撫子の君』と呼んでおったが、本当の名前は『夕顔』であったらしい。名前は人を表すと言うが、夜の妖艶な姿はあの女そのものだ。

 いかにも夜に浮き立つ愛人の名前にぴったりではないか。しかし、人前で披露するには色っぽ過ぎる。俺の身分と品格を考えれば『撫子の君』がぴったりであろう」

 とて言って、頭の中将がにやりと笑えば、

「夕顔の名前の方が頭の中将にお似合いでございますよ。大方似た者同士の夫婦と思えまする」

「そうとも、楠木様の女にだらしない姿を見まするに、色男と夕顔はぴったりの連れ合いでございますよ」

 と、式部の丞と草尾がやり返す。

「こやつ。その二人が消息もせで、久しく屋敷に通いしはべりしに、庭に咲き乱れていた撫子の花は、無下に思い悲しませるべく打ちしおれて枯れ果て、。 家は入り口が開かれたままで、隙間風か通り抜けているではないか。

 不安を感じて心細かりければ、幼き者なども有りしに、胸騒ぎ激しく思い患いて、二人の間でしか知らぬ床下の秘密の隠し場所を調べなむ。

するとそこに置手紙と、撫子の花を折りて押し花として起こせたりし。鮮やかな花が手紙と共に添えられているではないか」

 とて話しながら涙ぐみたり。

「さて、その文の言葉は、どの様な事が書かれていたのでございましょうか」

 とて源氏の君が問い賜えれば、

「いやさあ、参ったよ。権力のある者に追いやられたと思えるに、この家を訪ねた時は後の祭りだった。我が妻が追い出したと思える仕打ちに、紛れもなく異なる事もなかりき。

そうだったに違えぬ。そうだと思えるに、胸が高鳴り周りを見渡すはべりしに、


山がつの  垣ほ荒るとも  折々に 哀れは掛けよ 撫子の露

あばら家の 垣根荒るとも  時々に 情けを掛けよ 撫子の雨


 このような和歌が一言残されておった。追いだした者どもに、詳しい事情を書かぬよう脅されたのであろう。床に座り、昔の暮らしを思い出しままに、まかり考え巡らしたりしかば、

 例の裏も表も無き人懐っこさの愛嬌ものから、いと物想い顔にて心を曇らせる悲しみも思い出されて、荒れたる家に降り注ぐ露しげき雨を眺めながら考え込む。

 虫の音に鳴き競えて高鳴る心景色、吹きすさぶ風の音、昔物語りめきて、不倫の愛を引き裂かれた哀れな女に、今も見えしと覚えはべりかし。


咲き混じる 色はいずれと 分かねども なお常夏に  敷くものぞなき

咲き混じる 色はいずれと 分かねども なお我子にし 勝つものぞなき


大和撫子の親を差し置きて、塵をだに我が家の思い出として、子供と暮らした思い出話しなど書き綴り、親の心を取りまとめ書き残す。父親の気持ちが通じたのか天の知らせがあり、


打ち払う 袖も露げき 常夏に 嵐吹き添う 秋も来にけり

打ち払う 袖も濡れる 夕顔に 嵐吹き来る 秋になりけり


「北の方様が私共を追い出しに来ました。家や家具は壊され、背中を足で踏み付けにされ、

『地方へ下り身を隠さねば、その子もろとも殺してしまおうぞ』と脅されてしまいました。我が子を守るためならば出て行くしかありません」

 とはかなげに身を引くように言いなして、豆豆しく怨みたる様も見えず涙を漏らし落としても、いと恥ずかしく愛する人を苦しめる事の無きように、配慮した心遣い見えなむ。

慎ましげに悲しみを紛らわし隠して、

「辛きをも思い知りけり。私共は死ぬしかありなせん」

と見えむは、返って絶望に落ちた者の悪あがきとして、割りなく苦しいものと思いたりしかば、兵を集めて街道を調べさせても、それらしき者の姿は見えず。

屋敷に残した手紙もそのままで、心安く私に甘える姿など見えず、その後また途絶え置きはべりしほどに、二人が後もなくこそ掻き消えて、夕顔との出会いがまるで嘘のように失せにしかなむ。

 まだこの世にあらば、二人して何処をさ迷い、何処で暮らしているのか、「はかなき世にぞ苦しみながらさすらうらむ」

と思いけり。

夕顔の君が哀れと思いしほどに、妾は煩わしげに思い惑わす景色見えましかば、世間からはかくも悪柄さに見えて、爪弾きにさざらまし。

 こよなき別れから、永く過ぎ去り途絶え、それでも返事の手紙も置かずして、去る者に未練を断ち切るようにし成して、暫く永くは姿を見るようもない気配に、過ぎはべりて秋に成りまし。

 かの撫子姫の、らうたくはしゃぎ懐かしはべりしかば、いかで我慢できず度々尋ねむと思い給うるを、今もえ忘れられずにこそ、噂を聞き付け探しはべらねば、夕顔に申し訳なく思いし。

 これこそ左馬頭がのたまえる、はかなき恋の結末として験しになれめ。

「それはそうだわい。草尾の話は単に人を覗いただけで想像に過ぎぬ。頭の中将様のお話は、我が身に感じた体験談として、話が良く伝わります」

 とて式部の丞が言えば、光源氏様は、

「ふふっ」とのみ笑いなさる。

 夕顔が何の連絡も寄越さないのはつれなくて、わしが『辛し』と思いけるも知らで、二人の間柄が哀れに途絶えざりし今も、やんごとなき片思いになりけり。

 今ようよう忘れられそうに成り行く極にあれば、かれこれ、はたはた、たまに振り返りえしも、思い離れず繰り返されて、四季の折々、人やりならぬ自分の浅はかな過ちとして、夜が来るたびに、胸思い焦がるる夕べもあらむと、記憶に覚えはべり。

「これ、この女のことなむ。枝も爪弾く男を頼もしげとせず、わが妻に脅されてあっさり身を引くとは、わしにそれほど惚れてもおらぬ人情なき薄情な方なりける」

「そうは言っても、すでに親のいない母と娘が、頭の中将様を捨てて行くとは、よほどの危険を感じたのでございましょう。今の宮中では、中将様は泣く子も黙る唯一の天下人でございますよ。この方に頼らずして、だれに頼れると言うのですか」

 とて式部の丞が言えば、

「いや、それはない。頭の中将様とてご自身の北の方様に頭が上がらぬようでございますよ。猫なで声で『にゃあ、にゃあ』鳴いて近づいているとか。その滑稽な姿を是非とも見てみたいものですな。ははは・・」

とて言って、草尾がからかう。

「ははは・・・さらば、かの性格の悪いさがな者の女も、思いである方にして忘れ難けれど、差し当たりて近くでからかいながら見むには煩わしくて、良く面倒せずは、草尾も悪きたき薄情者と思われることも有りなむや。

生活に余裕のない下級役所勤めには、御気の毒なことのよう。左馬頭は負け惜しみが強い」

 とて言って、楠木様は光源氏様の左前横からやり返す。

「かの殿上人に抱かれながらも、琴の音掻き鳴らし、物語のせりふ語り進めけむ女の角々しさも、大納言好きたる色事こそ原因があり罪重かるべし。

 楠木様がお話しなされた、この心元なき女の行方知れずも、その原因を疑い相手の女に添うべければ、いずれにと居所も分かり、つい思い定めず普通なりとも、二人が再び会う機会もあらめ」

「わしもそう思っているのだがのう」

「女の心に寄り添うぬるこそ、世の中や平穏になり、平和な暮らしが訪れるべき。

只々かくこそ取り取りに殿上人の責任ある行動が、下々の者に比べこの世を正しい方向へ導くと思える。一部の苦しかるべき殿上人の横暴な振る舞いを止めるべき。

この様々の事の良き限りを取り具採用し、難ずべき草生える悪行の気配交ぜむ人は、この辺りのいずこかに、必ず存在しあらむ」

「なるほど、この世に福をもたらす吉祥天女を思い掛けむとすれば、仏門に法気づき、霊妙に薬しからむ仁徳を身に付けてこそ、また、詫び寂びの風流を身に着けてこそ、世の中は平和になる。偉い人こそ、しかりと身を正し、模範となりぬべけれ」

とて藤式部が言えば、

「これは面白い」

「まったくその通りだわい」と、皆大声で笑いぬ。


      十三  


「式部の丞が所にもぞ、気色ある面白いことは無きしも有らむと覚えたり。少し綴り語り申せ」

 とて頭の中将が言い、藤式部の丞が責められる。

「下が下の中には固い口留めの約束事がございまして、何でにどうした事か、聞こし召した噂所のお話は、他人には聞かせはべらむ決まりとなっております」

 と言えど、頭の中将の君、真面目やかに

「遅し、人の恥ずかしい話を聞いて置きながら、てめえの話したくないでは済まされめ。つべこべ言わず話しやがれ」

 と責め賜えれば、体験した多くの中から、何事を取り上げ申さむと思い巡らすに、

「私がまだ中等科の文章学生に在籍通いはべりし時に、賢き女の実に驚くべき出会いの例をなむ、それをお話することと致しましょう」

 とて言って話し始める。

理知的で美しい女を見給えし、どことなく気に致していたのですが、かの馬頭の申し給えるように、私に気を引く女、学問院へ通う道の途中に有りなむ。

公け事の政治の批判をも言い合わせ、私ざまの世に住まうべき世渡りの心掟を説き、これから世の中がどう変わって行くのか。家族の暮らしにどう影響するのか、大衆の前で演説する有様なり。

心配事思い巡らさむ方への個別の思いやりも至り深く、才能の極めたる話しもなまなまの仙人のごとく、博士気取りで話すものゆえ、こちらも恥ずかしく成って、すべて口開かずべく、呆れて物が言えずになむ、そこにじっとし見てはべらざりし。

「何をぼさっとしているのですか、このびら紙を皆に配って下され」

 とて言って渡すではないですか。

 それは有る博士の元に、学問など指導受けはべるとて、まかり通いし程の通り道に起りしことでなむ。最初は師匠の教え子かと思っていたのですが、何回か話す内にお子様であったらしい。

 この主の娘ども多かりと聞き給えて、はかなき暇を持て余したついでに、言い寄りて話しはべりしを、親聞き付けて何故か杯を持ち出でて、白楽天の婚儀の一節、

「我が二つの道、歌うを聞け」となむ。

聞こえごちに側に座り、空を見ながら照れくさく話しはべりしかど、おさおさと打ち解けて話すもまからず、かの親の馴れ馴れしい心を憚りて、さすがに娘を押し付けるに関づらい、娘を頼む意志はべりしほどになる。

「どうだ娘もさほど悪い女でもなかろう」

 とて言えば、仕方なしに、

「そうですね」と、答えなむ。

 いと私の事を貧しく哀れに思い、後見人になること、寝覚めの二人の語らいにも及んで、結婚したら楽しくなることなど、御身の学問や芸事の才能付きを育てるべく、蔭ながら応援するむね話す。

「どうだ、しばらく夫婦になるを前提に、文をやり取りし、互いに相手の様子を見るのも良かろう」

 とて進めるものですから、仕方なしにそうしたなむ。

 女は朝廷の公け事に仕え奉るべき道々しき決まり事も教えて、いと清げに私とのお付き合いが始まると、恋の消息文にもひら仮名という物書きき混ぜず、無ベ無べしく漢字のみで教材のような文となる。

漢文調の味気ない決まり文句を厳格に言い回しはべるに、こちらも自ずからそれを真似た文章を綴れるようになり、文章博士の家にも、えまかり絶えずして通い、その者を師としてなむ、教えを請うこととなる。

わずか初歩的なる腰折れ文ではありましたが、作る事など習い積み重ねはべりしかば、僅かずつ上達したではないか。今になってもその恩は忘れはべらねど、その女はわしの才能に愛想を尽かし遠ざかりなむ。

今は人妻となった懐かしき親子と時々会うぐらいで、文章の手本を打ち頼むに、この無財の人、なま悪ろならむ軽蔑した振る舞いなど見えむに、私も恥ずかしくなむ。

「今は幸せそうに見えはべりしも遠くから見守り、万が一不幸な事態になったならば、何時かは夫婦に成れるやもと思っています」

「何だ、それでこの縁談は終わりかよ。親の許しがあったのなら、一発、先にぶっ噛かませてやればいいじゃないか。そしたら女も相手の知識もこっちの物じゃないか」

「そうは言っても私にはそんな度胸はありません。こんな無能な男がそんなことをしたら、相手の女に迷惑ではないですか」

「それが余計なお節介なんだよ。わしに言わせれば逆に思いやりが無いと言える」

 頭の中将様は歯がゆくて、今にも一発ぶん殴ってしまいそうな勢いです。

「そんな・・・」

「でも楠木様、式部の丞が言う気持ちも分かります。われわれ財産のない者は先の事を心配して、思い切った行動ができないのです」

「ほうれ御覧ください。草尾殿の言う通りです。それが出来るとしたら、光源氏様にお仕えしている惟光だけです」

 とて言って、藤式部の丞は奥の源氏の君に顔を向ける。少しうとうととしていた源氏の君は、自分の名前を言われて『はっ』とした目を向ける。

「惟光がか。あいつはそんな人間か」

「それはもう有名な話でございますよ。目にする度に女に言い寄っています」

「ははは・・・知らないのは光源氏様だけです。なかなかの曲者でございますぞ」

「わしもそう思う。あれの好き癖は天才的だ。どんなくだらない女にも、献身的に言い寄っている」

「ほうれ、御覧なさい。用心して下さいませ」

「あやつ・・・」とて言って、光源氏様が怖い顔をすると、

「まあ好いではないですか。男はあれぐらいであった方が可愛い」

 とて言って、頭の中将様がなだめる。

「まして世の中は、光源氏様や楠木様など公達の御為に動いております。はかばかしく頼りになる、したたかなる御後見人は、何にしても足かせ帝王様直径の御方に味方させ給わむ。女とて同じです。

下々の者は、はかなし口惜しく不平等とかつ見つつも、ただ我が心に付き宿世の運命に従い、互いに心を引く合う縁ある方が、何処かにおられると思いはべるめれば、男の子端くれとしての我もなむ。

良い縁談があるのをじっと待っております。いずれ誰かと結婚し、仔細なき弱い者には、それなりの生き方が有りまして、努力する者にとって、何の差し支えも有りはべめる」

とて、式部の丞が申せば、頭の中将、何かまだ隠していると思い、残りを言わせむとて、

「さてさて、おかしなりける、したたかな女かな。親の進めるに刃向かい、別な男と添い遂げるはなかろう」

 とて、透かいし心を見抜き賜うを心得ながら、中将は藤殿の鼻の近く渡りを、小突きて語りを急がせなす。

「さて、いざ久しく恩師の家にまからざりしに、物の便りとにて近況を知らせるべくに立ち寄りはべれば、常の打ち解け居たる娘の方には会えはべらで、心悩ましき物腰にてなむ、老いた恩師に出で来て相手し話しはべる。

 伏すぶるにやと痛くやつれて奥がましくも、また良き話し合いの機会なりとも思い賜うるに、この賢し人、

はたはた娘の軽々しきもの振る舞い、怨じすべき恨み事にもあらず、世の道理を思い取りて、『女心は移ろいやすいもの』、縁がなかったと恨みざりけり。あきらめてくだされ」

とて、声も早かりにて面倒臭がるように言うやう。

「月頃、痛風の病が重きにて苦しみに耐えかねて、極熱の草薬を服しておれば、吐く息もいと臭きにより今の姿なむ。これ以上え対面受け給わらぬ。居間の奥当りで改めて語りならずとも、さるべからむ軽い雑事ら相談は受け給わらむ」

 と、いと哀れに同情して、むべむべしく誠実に言いはべりし。一重に何とかは理由も言わず、ただ、

「娘との破談の件、何とも説明受け給わりぬ」とて言って、立ち出で話しはべるに、騒々しくや困った事のようにや覚えけむ。

「この病の臭い香り失せなむ時に、再び立ち寄り給え」

 と、高やかに威圧すべく言うを、聞き過ぐすさむべく不満に思いながらも、御気の毒に思え愛おし。

しばし休みらうべき体調の悪さに御気の毒に思えど、はたはた今話し娘を取り戻しはべらねば、げに娘の匂いさえ華やかに断ち切れて、今の男と添え遂げるもを止めるすべなくて、逃げ目の言い訳を使いて説得す。


ささがにの 振る舞い知るき 夕暮れに 昼間過ぐせと 言うがあやなさ

煮え切らぬ 男が言うや   夕暮れに 明日逢うぞと 言う臆病者


「如何なる優柔不断な男が、今頃になって娘を欲しかったとは、何に事付けて問いてぞや」

と、言いも、話し果てるるを待たずに目の前から走り出ではべりぬるに、追いてすがり、


逢うことの よをし隔てぬ 仲ならば 昼間も何か まばゆからまし

逢うことの 親も認める  仲ならば 昼間も夜も まばゆしからじ


 などと静々控えめに申せば、「さすがに口説くなどは、ここで学んだ効果有り、見事な技にはべりき」

と、恩師が言いはべれば、隣の部屋に居た娘の君達、浅ましいと思いて、

「それはなかれめ。藤式部の丞は未だに、空豆ごとくの未熟者で有りなむ」

とて言って、笑い賜う。

「あの時の女に馬鹿にされた笑い声は一生忘れられません。何処の世界にか男を馬鹿にする娘を見ながら、立ち去って行く親がありましょうぞ。何時ぞや思い知らせ有るべき。

おいらかにあのような女は、鬼とこそ向かい暮らし居たらめ。むか付けきこと」

 と、親子を爪はじきをして憎む。

「そうれ見よ、言わむ方なしではないか。一発、先にぶっ噛ませてやらなくては女になめられるのだ」

と頭の中将は、式部の丞を哀れ目憎みて更に、

「少し良しからむ自慢話の事を申せ」

と責め賜えど、式部の丞は、

「これより珍しき良き思い出事は、私にはさぶらい無むぞと思い給えや。申し訳ありません」

 とて言って、話をこれ以上折りて話さず。


「すべて男も女の話も、話題の少ない悪ろき者は、わずかに世間に知れる方の事を、知る限り残りなく見せ尽くし、中将のご意向に添えさむと思えるこそ愛おしけれ。

 三史五経、学問院で学んだ歴史上の人物、道々しき模範となる方の教えを悟り、いかに我々の人生訓になるか明かさむこそ、互いをいつくしみ愛行の思いやりとなからめ。

などかどうしてかは、女と居わむからに結婚して暮らせば、世にあることの公け事につけても信頼され、私事に付けても、無下に知らず知らずしも出世に至らしめ、必ずしも悪いことではあらむ。

 わざと堕落し、女との色恋を先輩に習い真似ばして試さねばならねど、そうした行動は、先立つものが必要じゃ。わしら二人にゃ、真似しようと思ってもできぬ。

仮に背伸びし、気の進まないまま行動したとしても、その時に限って軽はずみな行動が発覚し、少しも好いことなどない。相手を責め立てるような角あらむ偉い人の、耳にも目にも留まり、ひんしゅくを買うべかる事自然に多かるべし」

「そうなんですよ。我々真面目な者がたまに悪いことをすると、その時に限って発覚し、世間で大騒ぎになる。頭の中将様はしょっちゅう悪いことをしているのに、どうしてばれないのですか」

「そうですよ、不公平です」

とて二人が言えば、

「てめえらは要領が悪いのだよ。遊びが足らんからそうなるのだよ」

 とて言って、頭の中将は笑ってごまかすように聞こゆ。

「そんな」

「さる勢いに流されるままには、女が真名漢字を走り描きて、去るまじき男とも女とも分からぬどっちかの女文になりて、半ば自慢げに知識を振りかざし過ぎて書きたるはみっともない。

女は女らしく平仮名の草書体でなくてはならぬ。漢文を振りかざすは、あな歌て情けなく、この人のたおやかな優しさを見せましかば、謙虚でなお一層理知的で美しい女と見えたる。

心地には差しも、学者振っていると思わざらめども、自ずから恐々しき声に聞こえ読みなされなどしつつ、ことさら自慢げ浸り話す。上郎女房の中にも、こんな生意気な女が多かる事ぞ有りかし」

「そんな、左馬頭殿、それは私こと紫式部の事を指しているのではないかえ。ひどい話しでございますわ。私に隠れてそのような非難をされているなんて。中宮様に言い付けますぞえ。弘徽殿の女御様は怖い御方ゆえ、覚悟なさいまし」

「そんな、紫式部殿、私は一般論を申し上げているのです。紫式部殿の悪口を言っているのではありません。どうぞご勘弁を」

「これから申しますように、 歌読む素人と思える人の和歌は、やがて歌に祭われ踊らされて、おかしき古事の名言をも、初めより取り込みつつ、すざましき強調のみを折々に詠み掛けたるしつこさこそ、物々しき下手くそな文章となれめ」

「そうは言っても、下手でも和歌をもらったからには、御返しせねば人として情けなし」

「ただ、え背きざらむ有名な和歌を真似た人は、上手な歌と自慢しているが、まね事が見え過ぎてはした無からむ。さるべき朝廷の季節ごとの節会歌会など、五月節句の節に急ぎ参る明日、

何の菖蒲の歌も思いし書き積められぬに、絵にならぬ菖蒲の根を軒先に引き掛けて、太いと自慢するは愚かな事。

 九月九日の長陽の満月の宴に、まず固き無難な詩の心を思い巡らせて、何を書こうかと暇なき忙しい折りに、菊の露をかこち寄せ、有り触れた無難な歌を詠もうとするは取り柄無し。。

ついでに顔のしわを伸ばそうと、露を寄せ集めて顔を洗うなどのように、尽きなき生活の営みに合わせさせながらでも、自ずから自然に目を向ければ、良き和歌は暮らしのついでに生まれるもの。

げに後に思えば、おかしくも憐れにも有りえかりける事の多いこと。その折り付きなく目に留まらせぬ日常などを、押し計らず和歌に詠み出でたるは、中々平凡過ぎると、心後れて恥ずかしく見ゆる。

 よろずの何事かにつけても、などかどうしてかはさて置きても、学門に励み身を起こすと覚ゆる折から、時々優れたる考えが湧かぬばかりの心にては、良しばみて情けざたざらむ自棄を避けてなむ、目安やすかる気分転換をしするべき。

 聞く者の心得として、すべて心に知れらむ習い済の事でも、知らず顔にて相手の意欲を失せぬように持て成し、言わま欲しからむ苦言の事をも、一つ二つの節は我慢して聞いて過ぐすべくにあるべし。

年下の者は目上の者を立てるべくなむ、そうあるべかりける。だから、わしが言うことはおとなしく聞け」

 と草尾が言うも、

「うわー、もう我慢ならん。何だお前の理屈っぽい話は、理論ばかりで何をどうしたら良いのか、さっぱり分からないではないか。何を、どうしろと言うんだ」

 とて楠木様は目を擦りながら渋い顔をする。

 源氏の君は、人ひとりの御有様を心の内に思い浮かべ、藤壺の女御様に似たまだ見ぬ女性の事を思い続け賜う、

「私の知る限りでは、女性は奥深く遠慮深く思えますが。漢文に詳しい知識を振りかざして、帝王様や私を困らせる女など一人もおりません。藤式部の丞はどう思われますか」

「それは宮中での身分差がはっきりしているからでございましょう。私や草尾殿のように、女官女房よりも身分が低い者は、不当に学力が無いと馬鹿にされます」

「そうかのう」とて言いながら源氏の君は、これに飽き足らず、また差し過ぎたることもなく、

『藤壺の女御様や女中女房は、慈愛ものし賜いけるかなあ」と、有り難きにも特別扱いの自分の身分に、いとど胸塞がる。

いず方に結論は寄り合わないともなく、はてはて怪しき無駄話事ども成りて、夜を明かし賜う。

「頭の中将様、夜も白み始めましたよ。そろそろ御暇しなければ、北の方様に叱られますぞ」

「そうですとも、あの鋭い爪で顔を引っ掻き回され、そのぶかつい顔に傷か付きますぞ」

「何だと」

「これから子猫のように、にゃあにゃあ鳴きながら右大臣家へお帰りになるのですか。あな恐ろしや」

 とて言って草尾がからかえば、

「こやつ」

 とて言って楠木様は後を追いかける。

「痛い、なにするのですか」

「それぐらいで許して下され」

 という三人の声を遠くで聞きながら、光源氏様は衛門府の詰め所で一人、にこにこしながら交代が来るのを待ちわび、夜を明かし賜いつつ過ごしました。


     十四 最終章


 翌朝宿直も終わり雨も上がったので、明るい日差しに誘われて光源氏様は左大臣家の妻の家に行きました。葵の上の部屋へ案内されると、光源氏様は妻に挨拶をしました。

「御機嫌いかがでしょうか。お変わりございませんでしたか」

 光源氏が言うと、葵の上は

「ええ、少しも。ご宿直、御苦労さまでございました。ずいぶん久しく顔をお見せなさいませんでしたね」

 と、御簾の中からそっけなく言いました。

「宮中の行事で忙しかったのです。早く御伺しなければならぬと思うておったのですが、忙しいがゆえ、つい今日となってしまいました。

あのう、御簾の中に這入ってもよろしいでしょうか。久しぶりに御顔を拝見したいのです」

 光源氏は、妻の御機嫌を取るには近くでお話しするのが一番いいと考えました。

「結構です。お構いなく。どうせ光源氏様は、私なんかより宮殿で過ごしている方が楽しいのでしょうから」

「そんなことはありませんぞ。今日もこうして御伺いしているではあらしゃいませんか。ははは・・・」

 光源氏は妻の鋭い問いに動揺しまいと、耳の後ろに当てようとした手を、慌てて下しました。

「お噂によりますと、光源氏様は藤壺の女房の御殿へ入り浸りとか。おかしいですよ。いい笑い者になっています」

「そんなことはありませんぞ」

「源氏様は妻のある身の上ですから、そのような軽はずみなことは差し控え下さいませ。正妻としての私の立場がございませんもの」

 光源氏は、どうして葵の上が宮殿のことに詳しいのかと不思議でなりませんでした。宮殿には兵士や女官が大勢います。そうした曲者が自分を見張り、左大臣家に内裏の出来事を報告しているのかと思ったりしました。

「私は桐壺帝のお伴をして御伺しているのです。葵様が考えているほどやましくはありません。私にはたった一人の身内の小母上でございますから、大目に見てやっては下さいませぬか」

「どうせ私といるよりも、あちらの方といる方が楽しくて心が落ち着くのでしょう」

「そんなことはあらしゃいません」 

光源氏がなだめようとしても、葵の上の機嫌は一向に良くなりません。

「ここでは何ですから、もっと近くでお話ししましょう。お互いに顔を見ないことには誤解も解けません」

 光源氏は頭中将ならば、こうした場合強引に御簾の中に入り、妻を抱きしめるだろうと思い自分もそうしてみました。

「結構です」

 葵の上は強引に男の腕を振り払いました。

「それでは庭でも散歩しませんか。気分転換にはとても良いですよ。雨上がりで、梅雨の時期としては珍しく綺麗な青空ですから、気分が晴れ晴れするでしょう」

 光源氏様は、葵上の手を握りながら言いました。

「いやでございます。日差しが眩しくて日焼けしますもの」

「夏椿がとてもきれいでしたのに。あれの白い花と黄緑色の葉は新鮮で、とてもさわやかでした。二人で一緒に見物に行きましょう」

「そうでございますとも。雨上がりは空気が澄んで、とても気持ちが好い物でございますよ。ぜひとも御覧にお運びくださいませ」

 とて言って、葵姫付き人の女房がお誘いしたのですが、葵上は、

「結構です」

 と言って、あっさり断ってしまいました。

「何とかお願いできませんか」と光源氏様は頼んだのですが、葵の上は一向に動こうとはしません。

ちょうどその時に侍女が西の対に食事の支度ができましたと知らせに来たので、光源氏様は葵の上に簡単に挨拶すると、そちらへ向かいました。

 食事が終わって昼寝をすると、目が覚めたのは夕方近くになっていました、光源氏様は宿直明けで眠かったのです。

「葵の上はどうしていますか」

 と聞くと

「気分がすぐれなくて寝ております」

 と、近くにいた侍女は答えました。

 光源氏様は仕方がないので、近くにいた侍女をからかったり、琵琶や琴で音合わせをしたり、庭を散策して和歌を書いたりしました。


 軽ろうじて、今日は陽の景色も暖かく、清々しく直れり。かくのみ藤壺御殿に籠りさぶらい賜うもやましく感じて、大殿の葵姫もいと参らせ欲しければ、渋々真家の葵姫の元へ出賜えり。

 大方の左大臣家の景色、人の気配もけざやかに気位高く、雑に乱れる所など混じらじ。なおこれこそは、かの左馬頭が言ったかの人々の、棄て難く取り出でし、歓迎しながらも余所余所しき人々なり。

「左大臣に忠実な真面目人には、自分の言づても頼まれぬべけれ」

と思すものから、余りにも麗しき御有様の御女中女房まで、打ち解け難く光源氏様を見て恥ずかしげに思い静まりて、逃げ出すさまを見て取り付きにくし。

 正殿の中庭が見える廂に出ると、蹴鞠でもして遊んでいるのか、若者の声騒々しくて、中納言の若君、仲司などのようの、押しなべて一人前足らぬ若人ども多く見ゆる。

 ちょうどその時、仲司の若君が勢いよく蹴った球が、運悪く後ろに飛び上がりて池に落ちたので、

「おい、仲司の君、蹴鞠は後へ蹴るのではなく、前に蹴るのだぞ」

 と戯れ事言などのたまいつつ、軒先に腰を下ろす。

暑さに乱れ給える若者の髪や衣服の御有様を、見る甲斐有りと思いしばらく過ごして居たのですが、蹴鞠の遊びが余りにも面白そうなので、

「わしも仲間に入れてくれ」と聞こえたり。

 しばらく若者と蹴鞠を楽しんだ後、

「ありがとう。大分楽しい思いをさせてもらった」

とて言って階段を上がって正殿に向かおうとすると、

「ええっ、もう終わりなのですか。もう少し楽しみましょうよ」

 とて、中納言の君が言う。

「大人はな、色んな用事があって忙しいのだよ」

と源氏の君が言うと、他の一人が

「光源氏様は葵の上様のご機嫌伺いに参るのだよ」と耳元でささやく。

「うるさい」とて心で思いながら縁側の廂の陰で涼んていると、正殿の奥から主の左大臣と葵の上が渡りて近くに座る。

「光源氏様、お元気な様子で何よりでございます」と左大臣は床に拳を突いて挨拶をしました。

「これこれ左大臣殿がお見えじゃ、蹴鞠を続けていい所を見せよ」

 と、源氏の君が庭に向かって言う。

この大殿の主のお出ましに、若者は地面に膝を突いて頭を下げていたのですが、源氏の君の手を叩く合図に、再び遊び始めました。

「葵姫もここへ来て、源氏の君のそばで一緒に蹴鞠を見物したらどうじゃ」

 とて父君が言うと。

「女は恥ずかしくて外へ出られません。母上に『人前に出て顔を見せてはなりませぬぞえ』と、固く言われておりますゆえ」と返事す。

三人がかく打ち解け賜えれば、葵上は未だに白い布の御几帳の内側に隔てておわし、二人の御話し物語を聞き給うを、中々興味ありげに、首を動かして外の動きを覗き見し賜う。

「そんなに気になるなら、遠慮しないでお前もここへ来い」と誘うも、

「嫌でございます」と再び言う。

「この暑きに、どうしても几帳の影がよろしいのですか。風も吹き込まぬと言うに」

とて源氏の君が苦み賜えて申せば、そこにいた女房女中の人々も一斉に笑う。

「あなかま。何を失礼な真似をして笑うのです」

とて言って葵上は制しながらも、脇息に寄り添いにこにこ笑いながらおわす。葵の上にとっては、いと安らかなる御振る舞いなりや。

  

                  帚木編終わり

        

 

      あとがき


 二巻の帚木の題名については詳しい説明はないのですが、この後方違え編の中に出て来る 帚木の・・・と言う和歌に含まれる『空蝉の返歌によるもの』と思われます。

紫式部と致しましては、頭の中将の生い立ちを綴った内容にしたかったのではないでしょうか。生涯の友人でありライバルであったことから、源氏物語に於いては重要な人物です。

 そもそも帚木とはどんな植物なのでしょう。物語に於いて男は木の名前、女は草花の名前が多いので、平安時代にもあったと思われるほうき草、別名コキアでない事は確かです。

 辞書によりますと、信濃国、園原にあったと言われるほうき草のような木、遠くからは見えるが、近づくと影も形も消えてしまう・・・そんな伝説の木のようです。

 転じて男に気を寄せるように見えて、近づくと立ち去ってしまう。そんな男女の恋の例えに使われ、和歌として詠まれることが多いそうです。

 私は頭の中将の人名として紫式部が考えた人名ではないかと思っています。

帚木とは孟宗竹や唐竹のことで、その枝は庭帚として使われることが多かった。

 竹は丈夫で成長が早く、京都北野の竹林を見ても、見た目にとてもが美しい。紫式部にすれば孟宗竹の姿からして、頭の中将の名前にぴったりだと考えたのではないでしょうか。

 竹の別名が帚木であったかどうかは分かりません。しかし、頭の中将にすれば、自分の名前が庭帚と同じである事を許さなかった。

「俺は庭帚のように使用人にこき使われ、泥まみれにされるのかよ」

と、腹が立ったに違いは有りません。

 頭の中将は権力に物を言わせ、紫式部から原稿を奪い、自分の名前に相当する部分を消し去ってしまった。物語の途中に帚木の名前がない事からしても、そんな事があったと考えられます。

このことからして、私は頭の中将を楠木という名前に変えてみました。成長が早く勢力旺盛、今ではその勢力範囲を関東まで広げています。その後の歴史上の人物としても楠木の名前は活躍します。

 頭の中将にこの名前を当ててみると、ぴったりであったような気がします。皆様はどのようにお考えでしょうか。

 ちなみにコキアは夏に掛けての緑色が美しく形も丸く整っています。秋になると真っ赤に紅葉するようで、茨木県常陸那珂海浜公園では丘全体に栽培され、規模も大きく名所となっています。


帚木編と空蝉編の区別は難しい。間に方違え編を加えると、何となくしっくりするような気が致します。


                          上鑪幸雄





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かってに源氏物語 

   第十一巻 花散里編 

 原作者 紫式部

           古語・現代語同時訳 上鑪幸雄


        一

 人知れぬ他人に対する御心遣いからの物思わしさは、何時となく自信を無くした時に現れる事なめれど、

『かくこのように、右大臣家が支配する大方の世につけて、面と向かって苦情を言えぬは情けなき事、この先、何時まで続くやら』

 と、光源氏大将は思いながら、憂鬱な日々を送っておりました。

「源氏の君よ、どうしたと言うのだ。この所元気がないではないか」

 浮かぬ顔の弟君を心配する朱雀帝の御心遣いさえ煩わしう思し、御心の乱るる事のみ勝れば、頼りにする桐壺院の助けもなく心細くて、世の中押しなべて厭わしう思しならるる。

 あれほど好きであった女遊びもめっきり衰えて、ただ二条院に籠り、死を待つ老人のごとく無意味に暮らすは、かって、

「光る君」と呼ばれた華やかさも消えて『今は過去の人物』と扱われ、

『やはり光源氏様も普通の人間であったか』

 と、さすがに嘆きなる事多かり。

二条院に籠る光源氏様を心配した惟光が、

「光源氏様、このように毎日ぼんやり御過ごしなさるは、御体に良くありません。せめて桐壺院に良く尽くして下された女御の方々に、御礼を申し述べてはいかがでしょうか」

 と申し上げますと、空蝉の小君も心配して、

「そうでございます、光源氏様。特に前の麗景殿の女御様は、今は四条のの一画で過ごし、貧しい暮らしをしておられるとか。是非見舞いに行って下さいませ」

 と申し上げました。

 麗景殿の女御と聞こえしは、帝との間に御子宮たちも居わせず、桐壺院がこの世から隠れさせ賜いて後、役目を終えて実家に戻られしを、

「今は頼りにする父君、母君の姿はなく、いよいよ貧乏暮らしが現実のものとなり、哀れなる御有様なる」

 と聞くを、光源氏様も気に掛けておられました。

ただ今はこの源氏大将のわずかな御心遣いに持て隠されて、

『ひっそり過ぐし賜うなる暮らし』と聞けば、

『好きな妹の暮らしはどうなっているのか』と、小君は気掛かりなようすになるべし。

 この御妹様の三の君、内裏の奥渡りにては源氏の君とはかなう、わずかにほのめき賜いし挨拶をする程度の間柄でございましたが、小君にすれば例の似た者同士の御心なれば、さすがに忘れも果て賜わず、

『今頃どうしているのか』気になって仕方がありません。

光源氏様がわざとも持て成し給わむに、人の御心をのみ心配し尽くし、妹君を案じ果て給うべかめるをも、小君はこの頃、残る事なく思し心乱るる事のみ多かりき。

世の哀れの仕ぐさ配には、様々に多種多様あれども、経済的事情に思い居出賜うには、

『御気の毒』にと思し忍び難くて、五月雨の空、珍しく晴れ渡る雲間に時間を見付けて光源氏様を御誘いし、一行は元麗景殿女御の館へと渡り賜う。


                     つづく



       二


 光源氏様は、何ばかりの有名な織物の御装いもなく、至って地味に打ちやつれして御身を整えるに、御車を先導する御前の随身などもなく、一行は忍びて京極中川のほどに到着おわし、川を過ぐるに、

「光源氏様、ご苦労様でございました。丁度中川に差し掛かって参りました。ここらで一休み致しましょう。牛を休ませ、草を与えるには丁度良い所でございます」

 と、惟光が申し上げました。

「それは丁度良い。車に揺られて腰が痛うなってしもうた。小君よ、踏み台を頼む」

 光源氏様は、努めて貧弱な御簾の中からのたまう。

小君が御車の後ろに踏み台を置くと、光源氏様は降りて参りました。小君は、

「ささやかなる家の、木立など細やかに整え、館の雰囲気など豪華に良しばめるに、この辺りはなかなか気品に満ちた別荘地帯でございます」

 と申し上げました。

 川は小さく流れの音もなくて、耳を澄ますと、


『月はおぼろに東山あーあ、霞む夜ごとの、かがり火にー、

夢もいざよう、紅桜あーああ、忍ぶ思いを、振い袖にー、

祇園おーん恋しーいや、だーあらーりいの帯よ

 夏は河原の、夕涼みーい、白い襟足、ぼんぼりにー、

 隠す涙の、口い紅がーああ・・・・』


と、言ったような歌が聞こえて参りました。

屋敷の中には、玄人集団と思える人物が数多くいると思え、良く鳴る筝の琴を、あづま調べに合わせて、和琴や琵琶、つづみ、太鼓など多くの楽器を掻き合わせて、賑わわしく引き鳴らすなり。

光源氏様の御耳に止まりて、そこが門近なる家の入口所なれば、御体を少し差し居出て、のぞき見入れ賜えれば、大きいなる桂の木の追い風に、四月の葵祭の頃、思し居出られ賜う。

「惟光、ここには葵祭に飾る桂の木の、大きな枝が沢山あるぞ。なかなかの名家と見える」

 光源氏様が仰せになられますと、

「これはまた、立派な桂の木でございますな。中の女人どもも、かなりの教養人と御見受け致します」

 と、意味ありげに笑いながら申しました。

「休みのついでに、一度御尋ねしてみようかのお」

 光源氏様は『中の主に受け入れられてもらえるのか』不安げな様子で仰せになられましたが、惟光は『してやったり』と、ニコニコ顔で口を大きく横に開き、

「それは願ってもない事でございます」

 と申しました。

「なに?」

 光源氏様が余りにも驚いた様子だったので、惟光は主人に自分の心を見透かれた様子で恥ずかしくなりました。

その屋敷の中はそこはかとなく威厳ある建物で、気配おかしきを、

「ただひと目見給いし、価値ある宿りなりと御給う。少し休ませてもらおう。ただならす、仲の姫君どもにも後挨拶せねばなるまい。あの琴の調べには覚えがある。

『記憶なきほどに経ける宮殿の女御かな。それとも町の女かな』

覚えおぼろげで、目隠しされたようや」

と、記憶慎ましけれど、四条の女御、もと桐壺帝の側室訪ねのし道中、通り過ぎがてらに安らい賜う。

光源氏様と惟光が門の前に立ち、扉を叩くと、折しもホトトギスの声、けたたましく鳴り渡りて、人の訪問を歓迎するかのようである。

「鳥の声も、人の歌声も、鳴り物の響きも、催し聞こえ顔なれば、

『どうぞお気軽に中へ御はいり下さい。御待ち申し上げておりました』

 と、言っているのでございましょう。あの奇麗な歌声の主を訪ねてみましょうや」

と、惟光は言いました。

 中に入る人々も、光源氏様の気配を感じて催し聞こえ顔なれば。

「これはいけるぞ。間違いなく歓迎されよう」

 と光源氏様のたまうに、小君は御車を押し返しさせて、河原の広い場所に停めに行きました。

 例の惟光、嬉しそうににやにや顔で、屋敷の中に入れさせ賜う。

「どうぞ光源氏様『御はいり下さい』とのことでございます。」

 惟光は引き返すや否や、嬉しそうに言いました。


                             つづく



      三


 落ち返り 絵ぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らいし 宿の垣根に

 落ち返り 昔忍ばる   ほととぎす 思い語らう  宿の垣根に


「昔を忍ばせる君との再会なれば、麻呂もほととぎすと同じ、耐え難く立ち寄った次第」

 と光源氏様は風流に歌いながら、池の向こうの建物に近付いて行きました。迎える側は、寝殿と思しき建物の西の妻先に、大勢の人々居たり。

 惟光は親しげに、見覚えのある女どもと感じ取ったのか、

「へちまの女房どもではないか。会いたかったぞ」

 と笑いながら近づき、光源氏様が向かう先々も聞きし見覚えのある声なれば、

「あな恐ろしや惟光殿。そなたの浮気心には騙されぬぞ」

 と笑い声聞こえたり。

「おっほん、おっほん。そういうそなたも、めっぽうに楽しんでいたではないか」

 惟光は馴れ馴れしい(こわ)作り景色取りて、

「逢いたかったぞ」と、御消息の気遣い聞こゆ。

 光源氏様が強引に主の手を握るなど、若やかなる景色どもすれば、女房どもはおぼつかさめく、恥ずかしげに顔を赤らめ『逃げ腰なる景色』と思うべし。


 ほととぎす 言問う声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空

 ほととぎす 我問う声は そちなれど 頼りにならぬ  五月雨の空


『男心と移り気は、五月雨の空と同じ。ことさらにたどる道は前と同じ』

と、見れば女の態度もそっけなし。

「よしよし

花散りし 庭の梢も 茂り合い 植えし垣根も 絵こそ見湧かぬ

花散りし 庭の桜も 茂り合い 植えし垣根も 面影湧かぬ

           (紫明抄 源氏物語では植えし垣根のみ使用)


と言いたい所だろう、そうはさせぬぞ。このたくましい腕と足が、そなたを喜ばせてやろうぞ」

 とて言って出居づるを、人知れぬ女心には、妬ましうも哀れにも嬉しう思いけり。

『しかし、光源氏様。麗景殿の女御様を訪問する前に中川あたりで道草し、女をからかうは、さも慎むべきことぞかし。紫式部はそのような甘ったれた態度は許しません』 

 と、事割りにも書き居づるあれば、源氏物語の作者はさすがなり。

「光源氏様、そろそろ出発致しましょう。麗景殿の女御様が御待ち兼ねでございますよ」

 御帰りが遅い二人を心配した小君は、寝殿造りの西の妻先に来て光源氏様に申し上げました。

「かようの宴の際は、筑紫の五節がら、十一月宮殿の清涼殿で催される宴なりしばや。大襄会。新襄会の舞姫として推薦しよう」

 と、まず思し出ず。

「小君よ、大襄会の舞姫候補として書き込んでおけ」

 と、光源氏様は仰せになられました。

如何なる時に付けても、光源氏様の御心のいとまはなく、宮殿の運営を御考えるなる態度は、日常に於いても苦しげ成り。

年月を経ても、なおかのように女を見付けては持て成し当り、情け掛け過ぐし賜わむにしても、小まめに御声掛け仕賜うは、なかなか余多の人々に対しての物、思いやり仕草なり。


                       つづく


     四


 かの本意、今回目的の所は、思しやりて『なかなか不運な人であった』と知るべくも、来てみればまったくその通りで、人目もなくうっそうとした森に囲まれ、静かにて平穏な有様を見賜うも、いと哀れなり。

『このような寂しい所で尼に成り、残りの人生を送るには余りにも御気の毒』と、光源氏様は独りごちにつぶやきました。

 まずは女御様の御宅方に上がらせてもらい、昔の思い出や楽しい御物語など聞き答え仕賜うに、

「あの泣き虫の若様がこれほど達者で御出世なされるとは思っても考えておりませんでした。母様の桐壺の更衣殿は、ことごとく身分の低い御方だと、御殿の他の女房どもは馬鹿にしておりましたもの。

その方が亡くなられたとあっては、

『いずれ奥御殿を追い出され、下々の家に養子としてもらわれて行く運命なのでしょう』とばかり思っておりました。光源氏様は運の強い御方でございますよ。よほど桐壺帝に気に入られたのでございましょう。よろしゅうございました」

「麗景殿の女御様には母を大切にして下さり、ありがとうございました。母が桐壺帝の寝所に参ります時に、麗景殿の女御様に預けられた事を良く覚えております。これはわずかばかりの気持ちですが、どうぞ御受取下さい」

光源氏様は幾らばかりの御金を渡しました。

「そのような御気遣いなど、しなくてもよろしゅうございますのに」

「いいえ、どうぞ御受取下さい」

「桐壺帝の亡き後、宮殿では右大臣と、弘徽殿の女御殿が幅を利かせるようになったとか。困った事でございます」

「まったくその通りで私もどうにもなりません」

「私の父君でも生きておりましたら、少しは御役に立てた物を。申し訳ございません」

 麗景殿の女御は昔を懐かしみ、父親が大弁として活躍していた頃を思い出して言いました。二人の間は懐かしい思い出が重なり、つい知らずの間に、随分と夜も更けにけり。

十五夜を過ぎて半分欠けた二十日の月、差し出ずるほどに、いとど小高き屋敷森の影ども、小暗く見え渡りて、近き橘の薫り懐かしく匂いて、

「紫宸殿の宴を思い出しますな」

 と、光源氏様が言いました。

「あれは三月の光源氏様の元服の時でございました。当時の頭の中将楠木との舞を思い出します。二人ともなかなか華麗で若くございました。なかなか見応えのある踊りでございましたよ」

 麗景殿の女御は目頭を押さえ、懐かしそうに言いました。その女御の御気配、ねびに老けたれど、その上品な御振る舞いは、飽く事なきまでに可愛い女としての御用意あり。

「あてに体が小さく上品で『ろうたげに守ってやりたいと思わせるなり』そうでございましたな」

 惟光は後になってそう言いました。

 この弘徽殿の女御様は『優れて華やかなる歌や舞の御覚えこそ無かりしかど、睦ましう懐かしき方に思いしたり仕ものを。謙虚で争いを好まぬ御人柄であった』

などと、思い居出聞こえ賜うに付けても、昔の幼き事が書き連ね思い出されて、

「あの頃は宮殿の誰もが敵と思われて苦しゅうございました」

 などと、打ち泣き賜う。


                      つづく

 

       五


「ほととぎす 先ほど在りつる垣根の所にや、別の鳥が来て、同じ声に打ち泣く。いい女の所にや、男が慕い来にけるよ」

 と、思さるほど、ここの麗景殿の所も艶に魅力的なりかし。


 いにしえの こと語らえば ほととぎす いかに知りてか 古声のする

 語らえば  昔の事を  ほととぎす  いかに知りてか 古声に鳴く

         (古今集 源氏物語ではいかに知りてかのみを使用)


 など、光源氏様は忍びやかに打ち誦し、鼻声で舞い賜う。


 橘の 香を懐かしみ ほととぎす 花散る里を 訪ねてぞ問う

 橘の 香り懐かし  ほととぎす 花散る里を 訪ね華やぐ


 橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き

 橘の 花散る里の ほととぎす 片思いしつ 鳴く日そ多き

        (万葉集 大伴旅人 源氏物語にはなし 引用かも)


 光源氏様は、昔の桐壺帝健在の頃を懐かしみ、麗景殿の女御様と御逢いしましたが、いにしえの忘れ難き慰めには、なお参りはべりぬ。今の右大臣天下を一掃するまでは、喜べぬべかりけり。

「光源氏様、そう昔の事を懐かしんでばかり致しても何も始まりません。私は仏門の道に救いを求め幾分心が和らぎましたが、光源氏様はまだ若こうございます。これは修行と御考えに成り、じっと耐えて下さいませ」

 女御様はうつむき加減に、僧頭巾を揺らしながら言いました。

「ああー、何と有難い慰めの言葉でございましょうか。今では右大臣に遠慮して、亡き桐壺帝の世の中を話す人など、誰一人おりません。人は時勢に逆らえないと分かっておりながら、私は今だにあきらめることもできません」

 光源氏様は両手を広く床に付けながら、涙ぐみ言いました。

「光源氏様、そう悲しい事ばかりではございますまい。いつかきっと運が開けて参りますよ」

「こよなう様々な人々に御会いしてこそ、紛れる事も、数多く添う事もありはべりけれ。人は皆、大方の世に従う物なれば、良き時代の昔語りも掻き崩すべき人、少なく成り行くを、

 私は黙ってみておられないのです。まして如何につれづれも、右大臣に対しては見て見ぬ振りをして、紛れもなく、

『強い者には巻かれろ』の風潮が漂っていると思さるらん」

 と聞こえ賜うに、

「いと更なる厳しい世なれど、物事をいと哀れに思し続けたる優しい心の御景色、光源氏様は決して浅からぬも、これはすべて人の求める御様からであるにや。必ず光源氏様を必要とする世の中になりますよ。

 それまでは何事も、我慢、我慢でございます。その内にきっと良い事もございましょう」

 女御様は多少無理をして笑いながら言いました。

「この世の中は、多く哀れぞ添いにける」

 光源氏様は多少慰められた御気持ちになられました。


                            つづく



      六 (最終回)


「 人目無く 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまと成りけれ

  人目無く 荒れたる家は 橘の 花こそ君に 捧げ奉れり


 御持て成しは何もできませんが、この家で自慢できるものは橘の薫りだけでございます。西側の家には妹の花散る里がおります。光源氏様、どうぞ立ち寄って下さいませ」

 とばかり、和歌をのたまえる。さわ言えど、人々には、いと異なる好き好きありけり。

『麗景殿女御の妹が二条院の紫の上に比べて魅力的な女か、果たしてそうばかりも言い切れないではないか』

 と、光源氏様は思し比べらるる。


 西端の部屋となりし西面には、

「花散る里はおるか。源氏の君が御見舞いに参ったぞ。このような寂しい所で暮らすとは御気の毒な事じゃ」

 と大声でわざとでもなく、忍びやかに打ち振る舞い賜いてのぞき賜えるも、人の訪問は珍しきに添えて、世に目馴れぬ高い位の御殿様なれば、花散里は慌てて。

「ああー、どう致しましょう。急に来られましても何も準備致しておりませんわ。姉上も困った物でございますわ。それならそうと、何故早く知らせて下さらないのでしょう」

 と、荒れ家の辛さも忘れて、御持て成しに困り果てぬと思うべし。

「奥御殿の麗景殿で、そなたを度々見かけた事はあったが、面と向かってじっくり話す事はなかった。どうした事か今頃になって、気掛かりになってのう。麗景殿の女御を訪ねたついでに立ち寄ったのじゃ」

 光源氏様は言い訳する自分もおかしいと苦笑いし、申し訳なさそうに言いました。

「光源氏様の訪問はとてもうれしゅうございますわ。宮殿では私など見向きもなさらなかったですもの。それが急にこのように親切にしていただきますと、なんだか恐ろしゅうございますわ。その目的が何か分からないですもの」

「そう、そっけない事を言うな。目的など何もない。父君が帝の位の時、麗景殿の女御様とそなたには大変世話になった。それでこうして御礼が言いたかったのじゃ。少しの気持ちじゃ。これを取って置け」

 光源氏様は懐からわずかばかりの金を取り出すと、花散里に渡しました。

「うれしゅうございます。こんな寂しい所ですけれど、気が向いた時にはどうぞ、何時でも御足をお運びくださいませ。私共は何時でも歓迎いたしますわ」

「それは有難い」

 光源氏様は万が一の場合、避難場所が増えた事に喜びを感じました。

 何やかんやと花散里と話しながら、例の藤壺の女御様や、六条の御息所様、葵の上などと比べて、

『自分か随分安っぽい振る舞いをするようになったな』

 と感じておりました。

『こんな下級の女を相手にしてどうするのだ。宮殿で弱い立場になった憂さ晴らしか。中川の女は親しく振舞っても心を許さなかった。桐壺院が亡くなられるとこうも変わる物か。しっかりしろ、光源氏』

 光源氏様は少し反省させられておりました。

 例の花散里や麗景殿の女御と懐かしく語らい賜うも、本来の自分のあるべき闘争心から遠ざかり、ただ負け犬として、

『現実から逃避しているな』と思さぬ事も心の底に在らざるべしと思えり。

 仮にも見賜う限りは、押しなべて三位上下の際にあらず、身分の低い者に甘んじて付き合う様々に付けて、今は堕落していると思える。

『言う甲斐なしや』と思さるるは、

『情けなしに有りけれ。頑張らにや。憎いげなく自分を大事にしてくれる人を大切にし、我も人も情けを交わしつつ過ぐし賜う辛抱強い人になりけり。何時か右大臣と弘徽殿の女御を見返してやろうぞ』

 光源氏様は今の自分の立場が分かって来たような御気持ちになられました。

『それをどうしようもなく相無しと思う人は、好き勝手にやらせておくが良い。とにかく変わる世の中の筋道としては、事割の世のさが、欲望むき出しと思いなし、耐えるしかあるまい』

 と、思い賜う。

先ほど有りつる中川の垣根も、さようにて有様変わる当りなりけり。

「わしを見限ったな。覚えておれ」

 と光源氏様は思い賜う。


                      花散里の巻おわり


 ※何となく物足りなく短すぎる花散里の巻ですがこれで終わりです。紫式部も光源氏の前途が危なく物語を書き進める気力を失ったのかも分かりません。

                       上鑪幸雄




夜は眠いし、疲れるし、ふうー、もう疲れた。

でも終わりも見えかけたし、頑張りましょうね。

お休みなさい。ではなく

お読みなさい。ご苦労様でした。

この帚木編、中略の部分に付きましては、今年九月以降に販売される予定です

「かってに源氏物語 帚木・空蝉編」に掲載いたします。

気長にお待ちください。



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