第91話 名前という祈り
息子が生まれてから、僕らは、名前をどうするか、何日も、話し合いを重ねていた。
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「晴信さんの名前って、確か、武田信玄からとったんだよね」
ある夜、葵さんが、そう尋ねてきた。
「うん。父さんが、つけてくれたらしい」
僕は、少し苦笑しながら、答えた。
「戦国最強の武将と同じ名前を、貧乏で、いじめられっ子だった僕が、名乗ってたんだから。名前負けも、いいところだよ」
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「そんなことないと思うけどな」
葵さんは、そう言って、微笑んだ。
「今の晴信さん、十分、強いと思うよ。事業を成功させて、大和さんを、あそこまで支えて」
その言葉に、僕は、少し照れくさくなった。
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「息子には、どんな名前を、つけたい?」
葵さんに、そう聞かれて、僕は、しばらく、考え込んだ。
偉大な名前を、つけることも、考えなかったわけではない。
でも、あの、名前負けし続けた日々を思い出すと、あまりに大きすぎる名前を背負わせることに、少し、躊躇いがあった。
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「大きすぎる名前じゃなくて」
僕は、そう切り出した。
「もっと、素直な祈りみたいなものを、込めたいんだ」
「祈り?」
「うん」
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「僕の人生、振り返ってみると、いつも、誰かに、支えられてきた。航さんに、そして、大和に」
僕は、そう続けた。
「航さんの『航』の字と、大和の『大』の字。この二人から、一文字ずつ、もらいたいと思ってる」
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「大航……?」
葵さんが、そう呟くと、僕は、首を横に振った。
「読み方は、もう少し、柔らかくしたい。『大翔』って書いて、『ひろと』って読ませようと思う」
「大翔……。ひろと」
葵さんは、その響きを、確かめるように、口にした。
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「大和のように、大きな心を持って。航さんのように、自由に、羽ばたいてほしい」
僕は、そう説明した。
「そして、何より」
僕は、少し、声を落とした。
「名前に、追いつこうと、必死にならなくていい。自分らしく、生きてくれたら、それでいい。そう、思ってるんだ」
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その言葉に、葵さんは、しばらく、何も言わずに、僕を見つめていた。
「いい名前だと思う」
やがて、そう言って、頷いてくれた。
「晴信さんらしい、優しい名前だね」
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こうして、僕らの息子は、「大翔」と名付けられることになった。
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「お前の名前は、名前負けだった」
息子を抱きながら、僕は、心の中で、そう語りかけた。
「でも、それでよかったのかもしれない。名前に追いつこうと、必死にもがいたからこそ、今の僕がいる」
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「大翔、お前には、そんな苦労を、させたくない」
僕は、小さな寝顔を見つめながら、続けた。
「ただ、大和のように、大きな心で。航さんのように、自由に。そして、何より、お前らしく」
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武田信玄という、歴史上の英雄と同じ名を持ちながら、机の下で震えていた、あの日の自分。
そこから、多くの人に支えられ、ようやく、自分の足で立てるようになった、今の自分。
その全ての道のりを、僕は、この息子の名前に、静かに、刻み込んでいた。
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名前とは、時に、重荷になる。
それでも、その重荷を、いつか、自分の力で、乗り越えられる日が来る。
そのことを、僕は、誰よりも、よく知っていた。
だからこそ、この名前は、重荷ではなく、祈りとして、息子に、贈りたいと思った。




