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何があっても、友でいてくれ  作者: 中原九尾
第5部 その後編

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第86話 彼女が見ていたもの

 ※この話は、珍しく、私――高橋葵の視点で綴ることにする。


     *


 絵を描くことが、昔から、好きだった。


 人と話すのは、あまり得意ではなかった。クラスの輪の中心にいるようなタイプでもなかった。それでも、ノートの端に、絵を描いている時間だけは、誰にも邪魔されない、私だけの世界だった。


     *


 将来、絵で食べていきたい。そんな夢を、密かに抱いてはいたけれど、現実は、そう甘くなかった。


 美大には進まず、地元の短大を出て、事務職として、細々と働きながら、趣味程度に、絵を描き続けていた。


 プロになる自信も、勇気も、正直、なかった。


     *


「Suki」の絵師募集を見つけたのは、本当に、偶然だった。


 ダメ元で、応募した。返事が来るなんて、ほとんど期待していなかった。


 だから、採用の連絡が来た時、私は、信じられない気持ちで、何度もメールを読み返した。


     *


 武田晴信さんとの、最初のやり取りは、事務的なものだった。


 でも、彼が、私の絵を、本当に大切に扱ってくれていることが、メールの端々から、伝わってきた。


「イメージ通りです、ありがとうございます」


 その短い一言に、私は、何度も、救われた。


     *


 食事会で、初めて彼に会った時、思っていたよりも、ずっと、内向的で、優しい人だと感じた。


 事業を成功させている経営者、というより、どこか、繊細さの残る、一人の人間として、私は、彼に、興味を持った。


     *


 交際が始まってからも、正直、不安がなかったわけではない。


 彼は、いつも忙しく、事業のことで、頭がいっぱいのように見えた。


 それでも、私に対しては、いつも、誠実だった。忙しい合間を縫って、時間を作ってくれる、その姿勢に、私は、少しずつ、心を許していった。


     *


 結婚を決めた時、私は、彼のことを、もう十分に理解しているつもりだった。


 でも、それは、大きな思い違いだった。


     *


 あの日、彼が、桜井大和さんという人物について、初めて詳しく語ってくれた時、私は、正直、大きなショックを受けた。


 これほどまでの恩人の存在を、私は、何も知らなかった。


 夫のことを、理解しているつもりでいた自分の、浅はかさを、思い知らされた瞬間だった。


     *


「なんで、今まで、話してくれなかったの」


 そう聞いたとき、彼は、少し困ったように答えた。


「話すタイミングが、なかったっていうか……。それに、正直、うまく言葉にできる自信がなかったんだ」


 その答えに、私は、複雑な気持ちを抱いた。


     *


 でも、同時に、理解もできた。


 命を助けられたこと、会社を守ってもらったこと。そんな大きすぎる恩を、日常会話の中で、軽々しく口にできるはずがない。


 彼が、それを、ずっと、一人で抱え込んできたことに、私は、むしろ、切なさを覚えた。


     *


 大和さんに、初めて会った日のことを、私は、今でも、よく覚えている。


 噂に聞いていたような、恐ろしい人ではなかった。不器用で、素直になれなくて、でも、根っこのところに、誰よりも優しい心を持っている人だと、すぐに分かった。


     *


「桜井さんがいなかったら、私は、今、こうして、晴信さんと一緒にいられなかったかもしれない」


 あの日、私が、大和さんに伝えた言葉は、決して、社交辞令ではなかった。


 心の底から、そう思っていた。


     *


 夫が、大和さんの恩返しのために、あれほどまでに、必死になる姿を見て、私は、時々、複雑な気持ちになることもあった。


 もっと、自分や、家庭のことにも、目を向けてほしい。そう思う瞬間も、正直、あった。


     *


 それでも、私は、夫の決意を、最後まで、支えたいと思った。


 なぜなら、大和さんを救おうとする夫の姿こそが、私が惚れた、彼の本質だと、気づいたからだ。


 優しくて、不器用で、一度決めたことは、簡単には諦めない。そんな夫の姿を、私は、誰よりも近くで、見てきた。


     *


 大和さんが、アメリカで、王座を獲得したという報せを聞いた時、私は、夫と一緒に、心の底から、喜んだ。


 それは、単に、夫の恩人が成功したという喜びだけではなかった。


 この数年間、夫婦二人で、大和さんの再起を、必死に支えてきた、その全ての時間が、報われたような気がしたからだ。


     *


 今、私は、絵師としての仕事を続けながら、家庭を守り、そして、夫と大和さんの、これから先の人生を、静かに見守っている。


 自分自身の夢を、完全に叶えられたとは、まだ、言えないかもしれない。


 それでも、この場所で、この人たちと共に生きていくことに、私は、確かな幸せを、感じている。


     *


 これから先、私たちの家族に、どんな未来が待っているのか。


 その全てを、私は、これからも、静かに、見届けていきたいと思っている。

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