第6話 オッサンと呼ばれる男
「いやあ、立ち話もなんだしさ。まあ上がってけって」
航さんはそう言うと、僕が何か答える前に、もう部屋の奥へと戻っていってしまった。
「……いや、俺は別に呼んでねえけど」
大和がぼそりと呟く。けれど、僕を追い返すつもりはないようで、玄関先で突っ立ったままの僕を、顎で部屋の中へ促した。
初めて足を踏み入れた大和の部屋は、高校生の一人暮らしにしては、驚くほど片付いていた。壁際にサンドバッグ用のスタンドらしきものが畳まれて置かれているのが、少し意外だった。
「お茶がいいか、麦茶がいいか。あ、コーヒーもあったかな……いや、これインスタントだから微妙か」
「あ、えっと……お構いなく」
「遠慮すんなって。いやあ、同級生が遊びに来てくれるなんて、大和にとっちゃ何年ぶりの快挙だろうな」
「オッサン、余計なこと言うなよ」
大和が低い声で牽制する。航さんは、その言葉を軽く笑い飛ばしながら、麦茶を三つ、テーブルに並べた。
その一連のやり取りに、僕は少し驚いていた。大和が、こんな風に誰かに軽口を叩き返すところを、初めて見た気がしたからだ。
*
「武田くん、だっけ。いつも大和がお世話になってます、って言えるほど、こいつ友達いないんだけどな」
「オッサン」
大和が低く睨む。航さんは涼しい顔で受け流していた。
「あ、いえ、こちらこそ……その、大和くんには、色々助けてもらって」
「ああ、聞いたよ。クラスで揉め事があったんだって?」
航さんの声色が、少しだけ変わった気がした。それまでの飄々とした調子は変わらないまま、けれどその奥に、ふっと真剣な色が滲む。
「まあ、大和のやったことは褒められたことじゃないよ。理由がどうあれ、手を出すのはよくない。それは、こいつにも散々言ってる」
そう言ってから、航さんは僕の目を見た。さっきまでの軽い調子が、少しだけ落ち着いた声に変わる。
「でもまあ――君を助けたことについちゃ、俺は間違ってなかったと思ってるよ」
その言葉に、僕は何と返していいか分からなかった。ただ、胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じていた。
誰かにそう言ってもらえたのは、初めてだった。
*
「にしても、お前がここに来るとはな」
大和が、麦茶を一気に飲み干しながら言った。
「あの日、礼を言いに来たときは、あんな態度取っただろ。てっきり、二度と関わってこないと思ってた」
「それは……」
僕は言葉に詰まった。正直に言えば、僕自身もよく分かっていなかった。なぜ、あそこまでして大和に近づこうとしているのか。
助けてもらった恩、というだけではない気がする。
もっと単純に――誰かと、こんな風に言葉を交わすこと自体が、僕にはずっと欠けていたのかもしれない。
「別に、迷惑なわけじゃねえよ」
大和が、目を逸らしながらそう言った。それが精一杯の照れ隠しだということに、僕は気づいていた。
*
帰り際、玄関先で靴を履いていると、航さんが見送りに出てきた。
「武田くん」
「はい」
「大和のこと、これからもよろしくな。口は悪いし、愛想もないし、たぶん誕生日も覚えてもらえないと思うけど。根は悪くないから」
「はい、僕でよければ」
航さんは、悪戯っぽく笑った。
「また遊びに来いよ。出せるのは麦茶くらいだけどな」
「あ……はい、ありがとうございます」
僕はもう一度頭を下げて、アパートを後にした。
なんてことのない、ただの世間話のような時間だったはずなのに、帰り道、僕の足取りは、来たときよりも少しだけ軽かった。
誰かの家に「また来いよ」と言われる。そんな当たり前のことが、僕にとっては、ずいぶん久しぶりのことだった。




