第40話 止められない拳
「大和、もう大丈夫だから」
もう一度、僕はそう声をかけた。
でも、大和は動かなかった。地面に倒れている男の一人に、ゆっくりと歩み寄っていく。
「大和……?」
その背中に、僕は、得体の知れない違和感を覚えた。
*
大和は、倒れている男の襟元を、無言で掴み上げた。すでに意識が朦朧としている様子の男を、そのまま引き起こす。
「な、なにしやがる……!」
男が、掠れた声で抵抗しようとした。でも、その声は、次の瞬間、大和の拳によって、掻き消された。
「大和、やめろ……!」
僕は、慌てて駆け寄った。でも、その時にはもう、大和の拳は、止まっていなかった。
一撃、また一撃。
男は、もう抵抗する力すら失っているように見えた。それでも、大和の拳は、止まらなかった。
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「大和、もういいから……! やめてくれ……!」
僕は、必死に大和の腕を掴んだ。でも、その力は、まるで意味を成さなかった。まるで、僕という存在が、その瞬間、大和の目に映っていないかのようだった。
「なんで、止めてくれないんだよ……!」
僕の声は、涙で震えていた。恐怖と、混乱と、そして、目の前の友人に対する、言いようのない恐れが、僕の中で渦巻いていた。
大和の目には、僕の知っている優しさも、いつもの飄々とした軽口も、何もなかった。
ただ、燃え尽きることのない、何か巨大な感情の塊だけが、そこにあった。
*
僕は、後になって、あの瞬間の大和の心の中を、少しだけ理解することになる。
それは、単に僕を助けた興奮でも、正義感でもなかったのだと。
航さんを失った喪失感。伸び悩むキャリアへの焦り。晴信が高みへと昇っていくのを見ながら抱えていた、比較という名の毒。
それら全てが、この瞬間、行き場を失った感情として、大和の拳に乗り移っていたのだと。
「なんで、俺だけ……」
後になって、大和は、ぽつりとそう漏らしたことがある。
「あの時、あいつらを殴ってる間、頭の中で、そればっかり考えてた気がする。なんで俺だけ、こんな場所で燻ってるんだろうって」
目の前の男たちに向けられていたはずの怒りは、いつしか、彼自身の人生に対する怒りへと、すり替わっていたのかもしれない。
*
「やめろ……! 大和……!」
僕は、何度も何度も、その名前を呼び続けた。声が枯れるほどに。
どれくらいの時間が経ったのか、正確には分からない。
やがて、大和の拳が、ようやく止まった。
肩で息をしながら、大和は、自分の手を見つめていた。その手は、血で汚れていた。
「……あ」
小さく、声が漏れた。まるで、今しがた自分がしたことに、初めて気づいたかのような声だった。
*
周りを見渡すと、五人の男たちは、誰一人として、まともに立ち上がれる状態ではなかった。
遠くから、サイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。誰かが、通報してくれたのだろう。
「大和……」
僕は、震える声で、その名前を呼んだ。
大和は、僕の方を振り返った。その目には、先ほどまでの燃えるような何かは消え、代わりに、深い後悔と、戸惑いが浮かんでいた。
「……俺、何やってたんだろうな」
その呟きに、僕は、何も答えられなかった。
僕を助けるために始まったはずのことが、取り返しのつかない結果へと、変わってしまっていた。
その事実の重さを、僕らは、まだ本当の意味では、理解できていなかった。




