第36話 素人の危うさ
「正直に言わせてもらいますけど、この体制は、危ういですよ」
ある日、事業拡大に伴って契約した経営コンサルタントが、オンライン会議の画面越しに、そう切り出した。事務所を構える余裕もまだなく、スタッフ同士のやり取りは、いつも画面越しで行われていた。
「知名度が上がれば上がるほど、良からぬ人間に狙われるリスクも高まります。今の御社は、正直、その辺りの意識が、あまりにも手薄です」
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言われてみれば、その通りだった。
僕らのスタッフは、皆、同世代のエンジニアや、事業に興味を持って集まってくれた人間ばかりで、防犯や危機管理の専門知識を持つ人間は、誰一人としていなかった。しかも、全員がリモートで、それぞれの自宅から作業しているような状態だった。
「セキュリティって、システム面のことだけじゃないんですか?」
画面の中で、スタッフの一人が、そう尋ねると、コンサルタントは、苦笑しながら首を振った。
「システムのセキュリティも大事ですが、それ以上に、経営者自身の身の安全や、会社の資産を狙う人間への対策が必要なんです。特に、御社のように急成長している会社は、格好の標的になりやすい」
その言葉に、画面越しの空気が、少し重くなった。
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「具体的には、どうすればいいんですか」
僕がそう尋ねると、コンサルタントは、少し困ったような顔をした。
「正直、そこは私の専門外なんですよね。経営全体は見られますが、身辺の安全とか、危機管理となると、また別の専門家の領域になります。一度、専門の危機管理コンサルタントか、警備会社に相談してみることをお勧めしますよ」
「分かりました。近いうちに、相談してみます」
僕は、そう答えた。本気で、対応するつもりだった。
でも、日々の業務に追われる中で、その優先順位は、いつの間にか、後回しになっていった。「専門家に相談する」という、たったそれだけのことすら、着手できないまま、時間だけが過ぎていった。
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資金調達の交渉、新機能の開発、メディア対応。目の前の業務は、次から次へと押し寄せてきて、「いつか対応すべきこと」は、常に「今すぐ対応すべきこと」の後ろに追いやられていった。
「専門家への相談の件、どうなってますか?」
コンサルタントに、何度かそう聞かれるたびに、僕は「近いうちに」と答えるだけで、具体的な行動には移せずにいた。
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その頃から、少しずつ、不穏な気配が忍び寄っていた。
僕個人のSNSアカウントや、公開しているメールアドレス宛に、身元のはっきりしない人間からの連絡が、何度か届くようになっていた。「取材をしたい」「投資の相談をしたい」といった、一見もっともらしい口実だったけれど、詳しい素性を尋ねると、はぐらかされることが多かった。
「なんか、最近、変な連絡多くないですか?」
オンライン会議の中で、スタッフの一人が、そう漏らしたことがあった。
「まあ、有名になった分、変な人も寄ってくるってことなんでしょうね」
僕は、軽くそう答えるだけで、それ以上、深刻には受け止めていなかった。
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ある夜、遅くまで自宅で作業をしていた僕は、ふと窓の外に目をやったとき、アパートの近くに、見慣れない車が停まっていることに気づいた。
黒い、ワンボックスタイプの車だった。中に人が乗っているのかどうかも、外からは分からなかった。
その時は、単なる偶然だと思い、深く気にせず、作業に戻った。
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振り返れば、あの頃、危険を知らせる兆候は、いくつも僕の周りに現れていたのだと思う。
それでも、日々の忙しさと、根拠のない楽観が、その兆候の重要性を、僕に見過ごさせていた。
――自分だけは、大丈夫だろう。
そんな、何の根拠もない油断が、この頃の僕の中に、確かにあった。
その油断の代償を、僕はまだ、支払っていなかった。




