第3話 静寂の教室
それから一週間、僕と大和の間に、これといった会話はなかった。
彼は相変わらず、休み時間になるとイヤホンをして机に突っ伏し、誰とも関わろうとしない。クラスメイトたちも、遠巻きに見るだけで、話しかけようとする者はいなかった。
けれど、僕は妙に彼のことが気になっていた。
助けてもらった、という負い目のようなものもあったし、何より――「別に、お前のためにやったわけじゃねえよ」というあの言葉が、ずっと引っかかっていた。
あんな目をする人間が、本当に理由もなく暴力なんて振るうだろうか。
そう思いながらも、話しかける勇気は出ないまま、数日が過ぎた。
*
きっかけは、些細なことだった。
体育の授業で使うジャージを、僕は忘れてしまった。見学扱いになるのは仕方ないとして、問題は着替えの時間だ。誰かに借りるあてもなく、更衣室の隅で立ち尽くしていると、
「……ほら」
声のした方を見ると、大和が予備のジャージを放って寄越した。
「え……」
「一枚多く持ってきてる。使えよ」
それだけ言うと、彼はさっさと着替えて出て行ってしまった。
なぜ予備のジャージなど持っているのか、聞く暇もなかった。後になって知ったことだが、彼はよく忘れ物をする生徒で有名だったらしい。皮肉なことに、それが今、僕を助けていた。
その日の放課後、ジャージを返しに行ったとき、僕は初めて彼と少しだけ、まともに言葉を交わした。
「ありがとう。助かった」
「別に」
素っ気ない返事だったが、以前のような刺々しさはなかった。僕は思い切って、聞いてみることにした。
「なんで、いつも一人でいるの?」
大和は少し黙ってから、面倒くさそうに答えた。
「別に、好きでそうしてるわけじゃねえよ。ただ――」
言葉が途中で止まる。
「……こっちに来て、まだ二週間だしな」
それだけだった。それ以上、彼が語ることはなかった。
でも、その一瞬だけ見せた表情に、僕は何かを感じ取った。強さの裏に隠された、孤独のようなもの。
それは、僕がよく知っている感覚だった。
*
数日後、僕は大和に、忘れ物のノートを届けるよう先生に頼まれた。彼の自宅――正確には、彼が一人暮らしをしているアパートだ。高校生が一人暮らしをしているという事実に、僕は少し驚いた。
教えられた住所を頼りに、僕はそのアパートを訪れた。呼び鈴を鳴らすと、しばらくして扉が開いた。
出てきたのは、大和ではなかった。
三十代後半か、四十代前半だろうか。整った顔立ちで、大和より少し歳を重ねたような、それでいてどこか似た空気をまとった男性だった。
「あ、えっと……武田です。桜井くんに、ノートを届けに……」
「ああ、クラスの子か」
男性は柔らかく笑った。それから、家の奥に向かって声を張り上げた。
「おーい、大和! お前の同級生が来てるぞ!」
「は? 誰だよ」
奥から聞こえてきた声に、少し面倒くさそうな響きが混じっていた。玄関先に姿を見せた大和が、僕の顔を見て一瞬驚いたような表情を浮かべる。
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「先生に、ノート届けてって頼まれて……」
僕がそう言うと、大和は小さくため息をついた。それから、傍らの男性を見て、面倒くさそうに、けれどどこか親しみのこもった声で言った。
「オッサン、いちいち騒ぐなよ」
オッサン、と呼ばれたその人は、まるで気にした様子もなく笑っていた。
僕はまだ知らなかった。
この「オッサン」と呼ばれる人物が、これから僕の人生にとって、父親のような存在になっていくことを。




