第19話 空白
航さんがいなくなってから、しばらくの間、僕らの生活には、目に見えない「空白」があった。
月に何度か、大和のアパートを訪れれば、当たり前のようにそこにいたはずの人。冗談を言い、軽口を叩き、時々真剣な顔で人生を語ってくれた人。
その不在は、思っていた以上に、日常の隅々に染み渡っていた。
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大学は、変わらず続いていた。講義に出て、課題をこなし、時折大和のアパートに顔を出す。表面上は、今までと変わらない生活に見えた。
でも、大和の部屋を訪れても、以前のような温度感はなかった。
「今日は、練習あるから」
そう言って、大和が早々に切り上げることが増えていった。悪気があるわけではないと分かっていた。ただ、彼は彼なりに、何かを埋めようとしているように見えた。
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大和は、以前にも増して、練習に打ち込むようになっていた。
ジムに行けば、誰よりも長く居残り、誰よりも多くのラウンドをこなす。会長からも、「無理しすぎるなよ」と、時々窘められているらしい。
「体、大丈夫なの?」
あるとき、僕がそう聞くと、大和は素っ気なく答えた。
「別に、平気だよ。動いてないと、変なこと考えちまうからな」
その「変なこと」が何なのか、僕には聞けなかった。聞いてはいけない気がした。
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僕自身も、何かに没頭することで、喪失感を埋めようとしていたのかもしれない。
大学の勉強に、以前よりも力を入れるようになった。航さんの「学力とは学ぶ力」という言葉を、まるで呪文のように、心の中で繰り返しながら。
でも、どれだけ勉強に打ち込んでも、心のどこかに空いた穴は、埋まらなかった。
夜、一人で部屋にいるとき、ふと航さんの顔を思い出すことがあった。あの飄々とした笑顔、少し呆れたような、それでいて優しい眼差し。
もう二度と、その顔を見ることはできない。
その事実が、時々、実感を伴って僕を襲ってきた。
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連絡の頻度は、少しずつ減っていった。
以前は、大和から「暇なら来いよ」と誘われることも多かったが、それも次第になくなっていった。僕からも、以前ほど積極的に連絡を取らなくなっていた。
どちらが悪いというわけではなかった。ただ、それぞれが、それぞれの喪失と向き合う時間を、必要としていたのだと思う。
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ある日、母が僕に聞いた。
「最近、大和くんとは会ってるの?」
「たまに、ね」
「そう。無理しないでね、お互いに」
母のその言葉に、僕は少し救われた気がした。
母もまた、航さんのことを覚えていた。晴信の恩人として、そして、大和との縁を繋いでくれた人として。会ったことはなくても、息子の変化からその存在の大きさを感じ取っていたのだろう。
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振り返ってみれば、あの頃の僕らは、それぞれのやり方で、航さんのいない世界に適応しようとしていたのだと思う。
大和は拳を通して。僕は、勉学を通して。
それぞれの「埋め方」が、少しずつ、二人の間に見えない距離を作っていくことになるとは、当時の僕らは、まだ気づいていなかった。
ただ、心のどこかで、こう思ってはいた。
――このくらいの距離感は、悲しみが落ち着けば、また元に戻るはずだと。
その予感が、実は少しずつ外れ始めていることに、僕らはまだ、気づいていなかった。




