第18話 通夜の夜
通夜の会場に着いて、僕は少し驚いた。
こぢんまりとした会場を予想していたのに、そこには、思っていたよりもずっと多くの人が集まっていた。
スーツ姿の男女、身体つきからしてスポーツ関係者だと分かる人たち、そして航さんと同年代らしい男性のグループ。受付で聞こえてくる声から、トレーナーとして通っていた接骨院の関係者や、コラムを書いていたボクシング専門誌の編集者らしき人もいることが分かった。
祭壇に飾られた遺影の脇には、白木の位牌と共に、俗名と行年が記された紙が置かれていた。
行年四十三。
その数字を見て、僕は改めて、航さんが逝ってしまった現実を突きつけられた気がした。
まだ、四十三歳だったのだ。これから先も、まだまだ長い時間があったはずなのに。
*
受付の近くで、一人の女性が、ハンカチを目に当てて肩を震わせていた。歳の頃は、航さんと同じくらいだろうか。隣にいた別の女性が、その背中をさすっている。
嗚咽混じりの会話が聞こえた。
女には縁がなかった、と航さん自身は笑って言っていた。けれど、こうして心から彼の死を悼んでいる女性が、確かにここにいる。結婚という形にはならなかったのかもしれない。それでも、航さんは、こんなにも多くの人に、慕われ、頼られていたのだ。
母は、大和からの連絡で事情を知り、「せめて挨拶だけでも」と、一緒に来てくれていた。
「この度は、ご愁傷様でございます」
母が、下柳の祖父母に頭を下げる。祖父母は、力なく頷き返していた。
*
喪服姿の大和は、いつもよりずっと痩せて見えた。
僕は、彼の隣に座り、ただ、何も言わずにいた。何を言えばいいのか、正直分からなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、今の大和には、どれも上滑りするような気がした。
「大和」
「……なんだよ」
「隣、いていいよね」
「……好きにしろよ」
それだけのやり取りだったけれど、大和は、僅かに肩の力を抜いたように見えた。
*
焼香の順番が回ってきたとき、僕は、遺影の中の航さんを見た。
いつもの飄々とした笑顔が、そこにあった。まるで、「辛気臭い顔すんなよ」とでも言われているような気がした。
僕は、心の中で語りかけた。
――ありがとうございました。あなたのおかげで、僕は前を向くことができました。
その言葉が、届いているかどうかは分からない。それでも、伝えずにはいられなかった。
*
通夜が終わり、外に出ると、冬の冷たい空気が、頬を刺した。
大和は、一人、駐車場の端で、ただ夜空を見上げていた。
「大和」
「……なんで、こんなことになったんだろうな」
誰に問うでもなく、大和はそう零した。
「もっと早く、体のこと気にしてやれてたら。もっと、無理させないようにしてやれてたら」
「大和のせいじゃないよ」
「分かってるよ、そんなこと」
苛立ちを含んだ声だった。けれど、それはきっと、自分自身への苛立ちだったのだと思う。
「ただ、悔しいんだよ。何もできなかったことが」
その言葉に、僕は深く頷いた。それは、僕自身も、同じように感じていたことだった。
*
「なあ、大和」
「……なんだよ」
「航さんが言ってたこと、覚えてる?」
「何があっても、友達でいろって話か」
「うん」
僕は、夜空を見上げながら、続けた。
「僕、あの言葉を聞いて、思ったんだ。航さんみたいな大人に、僕もなりたいって」
「オッサンみたいに?」
「うん。迷ってる誰かに、ちゃんと言葉をかけられるような。航さんが僕にしてくれたみたいに」
大和は、しばらく黙っていた。それから、小さく笑った。
「柄でもないこと言うなよ、お前らしくもねえ」
「そうかな」
「ああ。でも――」
大和は、少し間を置いてから、続けた。
「悪くねえと思うぞ、それ」
その言葉に、僕は少しだけ、救われた気がした。
*
葬儀を終えたその日から、僕らはそれぞれの日常に戻っていった。
大和は、悲しみを振り切るように、これまで以上に練習に打ち込むようになった。僕は、大学の勉強に、そして航さんのような大人になりたいという、まだ漠然とした目標に向かって、歩みを進め始めた。
二人で過ごす時間は、少しずつ減っていくことになる。それぞれが、それぞれの道で、航さんという存在の穴を埋めるように、必死に前を向こうとしていたからだ。
このときの僕らは、まだ知らなかった。
この選択が、やがて二人の間に、埋めがたい距離を生んでいくことになるとは。
それでも――航さんが遺してくれた言葉だけは、二人の心の中に、確かに根を張っていた。
何があっても、友達でいる。
その約束だけは、この先どんな困難が訪れても、決して色褪せることはなかった。




