第17話 最期の言葉
その日は、朝から病院に呼び出された。
大和からの短いメッセージを見て、僕は講義の途中で席を立った。何かがあったのだと、直感的に分かった。
病室に着くと、下柳の祖父母と、大和がすでに来ていた。ベッドの航さんは、目を閉じたまま、静かに呼吸をしていた。
「先生の話じゃ……今日、明日が山だって」
大和が、小さな声でそう教えてくれた。その声は、震えを必死に抑えているようだった。
僕は、かける言葉が見つからなかった。ただ、ベッドの傍らに立ち尽くしていた。
*
しばらくして、航さんが目を開けた。
「お、二人とも……揃って来てくれたのか」
声は掠れていたけれど、その口調には、いつもの飄々とした調子が、僅かに残っていた。
「オッサン……」
大和の声が、震えていた。いつも気丈に振る舞っている彼の、そんな声を聞くのは初めてだった。
「なんだよ、辛気臭い顔しやがって。俺はまだ、喋れてるだろうが」
軽口を叩こうとする航さんに、僕は涙が込み上げてくるのを、必死に堪えていた。
「武田くん」
「はい」
「大和のこと……これからも、頼むな」
「はい……分かってます」
航さんは、小さく頷いた。それから、大和の方を見た。
「大和」
「……なんだよ」
「お前は、もう大丈夫だ。自分の力で、ちゃんとここまで来た」
「オッサンのおかげだろ」
「半分はな」
弱々しい声だったけれど、その軽口には、確かな温かさがあった。
*
航さんは、しばらく黙ってから、二人を見比べるように、ゆっくりと視線を動かした。
「なあ……お前ら二人にさ、一つだけ、頼みがあるんだけど」
「なんだよ、改まって」
大和が、涙を堪えるように、乱暴な口調でそう返した。
「何があっても……」
航さんの声は、そこで一度途切れた。呼吸を整えるように、小さく息をついてから、続けた。
「何があっても、ずっと、友達でいてくれ。お前らが、お互いに何かあったとき、支え合える相手でいてくれ。それだけが、俺の願いだ」
その言葉に、僕は、こらえきれず涙が溢れた。
「はい……絶対に」
僕がそう答えると、大和も、声を詰まらせながら頷いた。
「当たり前だろ、そんなの……言われなくても」
航さんは、満足そうに、小さく笑った。
*
夕方になり、看護師から、そろそろ面会時間を切り上げるよう促された。祖父母は泊まり込む予定だったが、僕は、大学もあるからと、一度病院を後にすることになった。
「また、明日来ます」
そう告げて、僕は病室を出た。まさかそれが、航さんとの最後の言葉になるとは、その時は思ってもいなかった。
*
その日の深夜、大和から電話がかかってきた。
電話越しに聞こえてきたのは、これまで聞いたことのない、大和の泣き声だった。
言葉はいらなかった。それだけで、僕は全てを理解した。
航さんは、祖父母と大和に見守られながら、静かに息を引き取ったのだという。
電話越しに嗚咽を漏らす大和に、僕はかける言葉を持たなかった。
ただ、電話をつなげたまま、朝が来るまで、二人でずっと黙っていた。
その沈黙だけが、あの夜、僕らにできる、精一杯のことだった。




