第九話 再始動の朝、軍靴の調べ
休暇が明け、ベリルは実家の温もりを背に、再び領都へと戻っていた。
駐屯地の重厚な石造りの門をくぐると、革の匂いと鉄のぶつかり合う音、そして兵士たちの荒い呼気が混じり合う、彼にとってのもう一つの日常が広がっている。
「――、小隊長! お帰りなさい!」
「小隊長、実家はどうでした? 美味いもん食ってきましたか!」
整列していた部下たちが、訓練の手を休めることなく次々に声を投げてくる。ベリルは苦笑いしながら、ひらひらと手を振った。
「ああ、おかげで少し体が重いくらいだ。……おい、セドリック。盾の重心が左に寄ってるぞ。昨夜飲みすぎたんじゃないか?」
「げっ、なんで分かるんですか……」
「顔色が酒瓶と同じ色しているからな。三周走って抜いてこい」
周囲からどっと笑いが起きる中、ベリルは上着を脱ぎ、袖を捲り上げて訓練の輪の中に混じった。
「よし、今日は五人一組での模擬戦をやる。相手は木偶じゃない、実戦だと思ってかかれ」
ベリルの号令とともに訓練が再開される。その中で、以前の行軍以来ベリルを強く慕っているデニスが、並々ならぬ気合で木剣を構えていた。
対戦相手は、ベテラン兵士のアルノー率いる体格こそ良いが動きの鈍そうな年嵩の兵士たちの組だった。それを見たデニスは、内心で勝てると確信する。
(小隊長が見ているんだ。あんな鈍い相手、俺一人で十分だ。ここで手柄を見せてやる!)
盾を構えて歩み寄るアルノー組の隊列が少し崩れる
デニスはそれを見逃さなかった。
「俺に続け!」 と仲間との歩調を完全に無視し、猛然と地を蹴った。
背後から「待て、デニス!」と仲間の制止が飛ぶが、功を焦る彼の耳には届かない。
デニスは一直線に相手の隊列の隙間へ突っ込み、大振りの一撃を見舞おうとした。
しかし、彼が「鈍い」と侮った相手は、静かに呼吸を合わせ、デニスが踏み込んだ瞬間に隊列が割れた。
一人が盾でデニスの剣を強引に弾き上げ、生じた隙に、左右から容赦のない木剣の追撃が飛ぶ。血気盛んな心情を見透かされたデニスは誘い込まれたのだった。
「甘く見るんじゃねぇぞ小僧」アルノーが呟く。
「あぐっ……!?」
みぞおちを鋭く突かれ、さらに足を払われたデニスは、無様に地面へ転がった。呼吸が止まり、あまりの痛みに蹲るデニスの元へ、ベリルが静かに歩み寄る。
「……デニス。相手を格下だと侮ったか」
ベリルの声は低く、しかし冷徹だった。這いつくばるデニスの襟首を掴み、ベリルは彼を無理やり引き起こす。
「いいか、今のが本物の戦場なら、お前の命はそこで終わっていた。勇み足で死ぬのはお前の勝手だが、お前が消えた穴を埋めるために、隣の仲間も死ぬことになるんだぞ」
ベリルは痛みに顔を歪めるデニスの目を見据え、その肩に重く手を置いた。
「手柄を立てようとするな。英雄になろうとするな。戦場では、隣の奴と肩を並べて一歩を踏み出せる臆病者こそが生き残る。五人で一人の生き物のように動け。それが協調だ。わかったな」
「……は、はい。すみませんでした……小隊長」
涙目になりながらも、デニスが今度は仲間と視線を合わせ、土にまみれた剣を拾い上げるのを見届け、ベリルは全体を見渡した。
「一人が突出して手柄を立てる必要はない。隣の奴の呼吸が乱れたら、そいつの隙を埋めてやれ。……俺たちは英雄の集まりじゃない、家族だ。全員で飯を食い、全員で眠る。それが一番の勝利だぞ」
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昼時。訓練場の隅で、部下たちと車座になって座る。 差し出された蒸した芋と干し肉を、ベリルは自分の水筒の水を分け合いながら頬張った。
「小隊長、今度はオレにもその『バラ肉の香草焼き』ってのを食わせてくれよ。実家の自慢話ばっかりずるいぜ」
ヘルガが耳をピクピクさせながら目を輝かせる。
「はは、わかったよ。今度またボアを狩ってこよう。ただし、今日の午後からの演習を、一人も脱落せず完遂できたらな」
「よっしゃ! 気合入ったぜ!」
午後の風が、訓練場を吹き抜けていく。 ベリルは若者たちの活気から視線を外し、装備品の手入れをするため、一人静かに詰所へと足を向けた。




