第六十九話 大地の怒り
王国軍の防衛線は、もはや糸一本で繋がっているに等しかった。
「……これまでか…」
ジュリアス王子は折れた剣を握り直し、隣に立つ王国騎士団長ジークハルト・ベルシュタインと視線を交わした。二人の瞳には、死を覚悟した者の静かな光が宿っている。
後方の救護幕では、クラリス・ローゼンとアイリス王女が、震える手で負傷者の手を握り、ただひたすらに神へ祈りを捧げていた。
前線では、ヴィクトール・グレイスタイン辺境伯のもとバレン・ガルドス、エリス・ラングレンたちが、押し寄せる帝国兵を斬り伏せながら血路を維持していた。
体力は限界を超え、鎧は返り血で染まっている。それでも彼らは一歩も引かず、戦いながらもその視線は遠く帝国軍の背後を捉えていた。
「……来るぞ。あやつが、やると言ったのだ!」 辺境伯が叫ぶ。
(………お願い………)
エリスは天を仰いだ………
その時だった。 足元から、これまで経験したことのない不気味な震動が這い上がってきた。
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「地鳴りだ! 総員退避! 遅れるな、所定の場所まで駆けろ!」
辺境伯の怒号が響き渡り、王国軍の角笛が悲鳴のように吹き鳴らされる。王国軍が蜘蛛の子を散らすように、あらかじめ示し合わせていた後方へ後退を開始した直後、平原の均衡が完全に崩壊した。
――ゴォォォォォォォォン!!
鼓膜を突き破らんばかりの轟音とともに、大地がその巨大な口を開いた。 軍勢を動かし、バルカス・ドラクロワの最後の一撃によってとどめを刺された地盤が、連鎖的に瓦解を開始したのだ。
「な、何だ!? 地面が……地面が割れるぞ!」
帝国軍の中央突破を指揮していた『蒼氷の伯爵』ユースタス・ベルンは、馬の足元が唐突に消滅する感覚に襲われた。
冷静沈着な彼が、生まれて初めて絶望に顔を歪ませる。
「馬鹿な……こんな馬鹿なことが……!」
落馬した彼を待っていたのは、無慈悲に広がる亀裂だった。精強な重装騎兵たちが、悲鳴を上げる馬とともに濁流のような土砂の中へと次々と吸い込まれていく。
本陣付近でベリルを追い詰めていた『鉄槌』バルカス・ドラクロワもまた、自らが引き起こした破壊の代償に直面していた。
「ぐあぁッ!? なぜだ、地面が……!」
その巨体と重厚な鎧が仇となり、崩れゆく斜面で踏ん張りが利かない。かつてない戦慄が脳髄を駆け抜け、誇り高き戦鎚使いは足元から暗黒の底へと引きずり込まれていった。
そして、執念に燃えてベリルを追っていた『紅蓮の鴉』セレス・ヴァレンタイン。
「待てっ……行かせるか……っ!私と闘えっ」
あと数歩でベリルの背に届くというところで、彼女の足元の土が爆発したように弾け飛んだ。
「何故だ!!何故だあああああッ!!」
「すまない……生憎、自分の為に闘うのは得意じゃないんだ……」
ベリルに伸ばした手は空を切り、漆黒の鎧は土煙の中に飲み込まれて消えた。
地割れからは巨大な土煙が舞い上がり、帝国軍の誇る軍勢を、その野望ごと暗黒の底へと引きずり込んでいった。
それを見届けた王国軍の面々は、震える拳を強く握り込んだ。
「やった……。本当にやり遂げたのか、ベリル……!」
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後方にいたゾルタン・ディートリヒが激しい地鳴りに気づき、慌てて天幕を飛び出した。
だが、その瞳に映ったのは、もはや「軍隊」と呼べるものではなかった。 目の前に広がっているのは、巨大な陥没穴と、深淵へと消えていく兵たちの絶叫、そして天を覆うほどの土煙のみ。
「……何だ、これは……。一体、何が起こったのだ……」
ゾルタンの顔から血の気が引き、膝ががくがくと震え始める。呆然と立ち尽くす彼の脳裏に、以前報告を受けた「ガンダル砦」の不可解な敗戦が鮮烈に蘇った。
(ベリル・ガスト……)
ゾルタンは、天を仰ぎ、絞り出すような声で戦慄を口にした。
「これは大地の怒りなのか、私は……決して手を出してはいけない者に、手を出してしまったというのか……?」




