第六十八話 大地を穿つ
「ハァッ……、ハァッ……!」
剣を杖代わりに、ベリルは膝をつきそうになる体を支えた。
「もう、終わりか?……楽しませて貰った褒美だ、尻尾を巻いて逃げても構わんぞ」
『鉄槌』バルカス・ドラクロワが不敵に笑う。
いつもはそんな安い挑発に乗らないベリルだが、今回ばかりは彼の心に熱い何かが込み上げた。
「俺は…俺は…俺は!臆病者なんかじゃない!!!」
ベリルは絶叫と同時に全力で大地を蹴り、神速でバルカスへ斬りかかる。
ベリルの全力の重く速い打ち下ろしに、バルカスは咄嗟に受けるよりも戦鎚の柄でいなすことを選択する。
ベリルの剣先は吸い込まれるように地面へと叩きつけられた。
だが、その直後だった。地面に叩きつけられたはずのベリルの剣が、まるで最初からそれを予期していたかのように、しなやかに跳ね上がった。バルカスの受け流しの勢いをそのまま回転力に変え、下からバルカスの顎を狙う鋭い斬り上げに転じたのだ。
――キィィィン
バルカスの兜が弾け飛ぶ。そして、その顔には深く大きな傷が刻まれた。
「隊長っ!」
その声にベリルが気がつくとガストンとライアンが草むらから顔を出して呆然と一騎打ちの行く末を見守っていた。
視界の端では、他の隊員たちが必死の咆哮を上げ、狙撃し、帝国兵を撹乱し続けている。
だが、その乱戦の向こうから、明らかに異質な殺気が迫っていた。
漆黒の鎧を閃かせ、怒りに顔を歪ませた『紅蓮の鴉』セレス・ヴァレンタインの一隊だ。
(……まずいな。あの女の目は、完全に俺だけを捉えている)
セレスの猛進と、本陣に集結しつつある帝国軍の軍勢。その動きを見定め、ベリルは残った体力を振り絞り、喉を震わせた。
「ガスト隊、離脱しろ! 平原の外へ向かって全速力で駆けろ!」
その叫びが響いた瞬間、隊員たちの間に緊張が走った。
「ほら指示が出たぞ! ぐずぐずするな!」
マルクが、迷いを断ち切るように野太い声を上げる。
「お、おい、逃げるぞガストン!」
「お、おう…」
「早くしなさいよ!ほら、 立ち止まるんじゃない!」
ミラが後続の隊員たちを叱咤し、背中を押した。
「北西だ、あそこなら安全だ。姿勢を低く保て」 シオンが先導する。
「でも、足が……!」
疲労で足がもつれ、速度の落ちたニコが顔を歪める。
それを見た巨漢のガラムが、迷わずその細い体を横抱きに抱え上げた。
「俺にしがみついてろ! 舌を噛むんじゃねえぞ!」
「ヴァルター、左だ! 固まるな、散開して走れ!」
ライアンが冷静に指示を出し、歩幅の短い者や負傷した者を、体力のある者が担ぎ、引きずるようにして神速の撤退を開始する。彼らの動きに躊躇はなかった。
「どこを見ている! 貴様の相手は俺だと言ったはずだ!」
バルカスの怒号とともに、巨大な戦鎚が横からベリルの腹部を捉えた。
「ぐっ……、はぁあッ!」
防御が間に合わず、ベリルの体は木の葉のように後方へ吹き飛ばされる。
「これで終わりだ、王国軍のネズミめ!」
怒り狂ったバルカスは逃さぬとばかりに跳躍し、渾身の力で戦鎚を撃ち下ろした。
――ドォォン!
腹に響く衝撃波が走り、地面が陥没する。
――ドォォン!
ベリルは土を噛みながら必死に横へ転がり、間一髪で直撃を回避した。
「往生際の悪い奴だ。だが、次で最後だ。貴様のその細い体ごと、大地に埋めてくれる!」
血まみれのバルカスは丸太のような腕の筋肉を膨張させ、全神経を集中させて戦鎚を頭上高くに掲げた。空気が震え、周囲の帝国兵さえもその圧力に気圧されて足を止める。
「砕けろぉぉぉッ!!」
大地を打ち砕かんばかりの、渾身の一撃。破壊の意志を宿した戦鎚が、ベリルのいた場所へ向けて爆発的に叩きつけられた。
――ズゥゥゥゥゥン!!
その瞬間、凄まじい衝撃が平原を突き抜けた。それは単に地面を叩いた音ではない。バルカスの一撃が、文字通り大地を穿ったのだった。
土煙が舞い上がる刹那、ベリルはすでに動いていた。衝撃を追い風にするかのような異常な反応速度。
音もなく神速の足捌きで、ベリルは瓦解し始めた戦場から脱兎のごとく逃走を開始した。




