第六十五話 死ねない理由
急峻な崖を駆け降りるガスト隊の背後で、ノースウォール霊峰が遠ざかっていく。
剥き出しの岩肌を蹴るブーツの音が、焦燥を駆り立てるように荒々しく響いていた。
麓まであとわずかという地点で、先頭を走っていたベリルが唐突に足を止めた。
「隊長!? どうしたんだ、急に!」
ガストンが荒い息を吐きながら問いかけ、隊員たちが不安げに顔を見合わせる。
ベリルは冷静な眼差しで、眼下に広がる凄惨な戦場を指し示した。
「ここから先は俺は別行動をとる。お前たちはマルクに従い最短距離で本隊へ向かい、辺境伯を援護しろ。あとの指揮は任せたぞ」
「……別行動? 隊長、一人で何処に行く気ですか」
マルクが声を落とし、背後ではバルト爺さんが深く刻まれた眉間の皺をさらに寄せた。
ベリルは視線を、帝国軍のさらに奥、禍々しいオーラを放つ一団へと向けた。
「敵の攻勢の要、バルカス・ドラクロワを直接討ち取る。あの大男が健在な限り、王国軍の防衛線はいずれ食い破られる。……奴を仕留めるのは、前線に集中している今しかない」
その言葉に、隊員たちの間に戦慄が走った。バルカス・ドラクロワ――帝国軍最強の『鉄槌』を、単独で討ち取ろうというのだ。
「馬鹿な! 無茶です、隊長!」 デニスが叫ぶ。
「死にに行くようなもんです! 私たちと本隊に合流して、立て直すべきです!」
ミラが必死に訴え、ヴァルターがベリルの行く手を阻むように立ち塞がった。だが、ベリルは静かに首を振った。
「これは命令だ。お前たちの命をこれ以上、私の独断に付き合わせるわけにはいかない」
「ふざけるなッ!」
マルクが、これまでにない怒声でベリルの言葉を遮った。その瞳には、熱いものが溢れている。
「俺たちがいつ、あんたの都合で動いてるなんて思ったんだ! 俺たちは, あんたが信じた勝利を一緒に掴みたいからここにいるんだ!」
「そうです! 死ぬまで一緒だって、あの時決めたんですよ!」
マルクとデニスが涙を流しながら訴え、隊員たちの叫びがベリルの胸を突いた。
「オレたちはずーっと一緒だぜ」
「いまさらだよねー」
「隊長、この戦いが終わったら一等いい酒を奢ってくださいよ」
「おい!馬鹿!やめろ!!」
彼らは恐怖で震えながらも、誰一人としてベリルを見捨てて生き残ることなど考えていなかった。
沈黙が場を支配する。ベリルは天を仰ぎ、深く、長くため息をついた。
「……まいったな。お前たちのような強情な部下を持った覚えはないんだが」
ベリルは自嘲気味に笑い、腰の剣を抜き放った。その切っ先は、もはや迷いなく帝国軍の心臓部を指している。
「いいだろう, 全員ついてこい。……これじゃあ、うかつに死ぬこともできないな」
「応!!」
力強い歓声が上がった。死地へ向かうとは思えないほど、彼らの士気は高く、澄んでいた。
一陣の突風となり、ガスト隊は平原へと駆け出す。その狙いはただ一つ、帝国軍最強、バルカスの首のみ。




