第六十四話 鳴動せぬ大地
戦場は、一瞬にして地獄の様相を呈した。
「「「うおおおおおっ!!」」」
鉄と鉄がぶつかり合う轟音が平原に響き渡り、両軍の兵たちが泥と血にまみれながら激突する。
踏み荒らされた草地は瞬く間にぬかるみへと変わり、鉄錆と血の臭いが風に混じって鼻腔を刺した。
最前線では、返り血を浴びた大盾隊が、帝国軍の猛攻を壁となって食い止めていた。
その中心で、ジュリアス王子が愛剣を振るい、迫りくる敵兵の喉元を切り裂く。
「退くな! ここが我らの正念場だ! 王国の誇りを示せ!」
王子の咆哮が戦場に響き、絶望に傾きかけた兵たちの魂を繋ぎ止める。
その傍らでは、王国騎士団長ジークハルト・ベルシュタインが暴風のごとき立ち回りを見せていた。身の丈ほどもある大剣を一振りするごとに、帝国兵を軍馬もろとも薙ぎ払い、数人の兵が空中へと弾き飛ばされる。
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一方、帝国軍の陣営からその光景を冷徹に眺めていたユースタス・ベルンは、不敵に口角を上げた。
「逃げも隠れもしないとは。期待に応えて、その首を射抜いてあげよう」
ユースタスが魔弓から放つ必殺の氷の矢が、空気を切り裂く鋭い音を立ててジュリアスを狙う。
だが、その軌道に割り込むように、爆ぜる炎と鋭利な風の刃が放たれた。
「……目障りですわ。死にたがりは貴方の方でしょう?」
「兄上には指一本触れさせない!」
クラリスとアイリスが放った迎撃魔法が空中で氷の矢を焼き尽くし、衝撃波が周囲の帝国兵をなぎ倒す。
遠距離からの狙撃が防がれたと見るや、ユースタスは忌々しげに魔弓を叩きつけた。
「埒が明かないな。……全軍、中央に突撃! 私が直接、王子の喉笛を裂いてやる!」
彼の号令とともに、帝国軍の精鋭たちが一点に集中し、王国軍の中央へと雪崩れ込んでいく。
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凄まじい荷重が平原の中央にかかる。帝国軍が一点突破を狙って密集し、王国軍がそれを死守しようと全戦力を注ぎ込む。
数万の人間と軍馬、そして鉄の塊が一箇所に凝縮される。まさに、ベリルの狙い通り、崩落の条件は完璧に整っていた。
「……まだか!? なぜ崩れない!」
グレイスタイン辺境伯は、馬の手綱を握る手にじっとりと汗を滲ませていた。
戦況は膠着しているが、数で勝る帝国軍の圧力は凄まじく、王国軍の防衛線はじりじりと削り取られていく。骨が砕ける音、断末魔の叫び。誰もが心の内で、悲鳴に近い焦りを抱き始めていた。
「ベリル……早くしてくれ! このままでは!」
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ノースウォール霊峰の断崖の上。 眼下に広がる戦場を見下ろし、ベリルは静かに目を細めていた。
「霧が晴れたな。……どうやら地下の熱は上手く伝わったようだ」
「見てください、隊長。王国軍も予定通りの位置に布陣しています」
「ああ、氷の洞窟もほぼ溶け出したはずだ。地盤の強度は限界まで落ちているはずだが……」
ベリルは、眼下で繰り広げられる凄惨な殺し合いを、食い入るように見つめていた。
帝国軍は狙い通り、中央に戦力を集中させている。しかし、数拍、数十拍の沈黙が続くばかりで、大地は沈黙を保ったままだ。
「……失敗、したのか……」
ベリルの声に、これまでになかった苦い焦燥が混じる。計算の狂いか、あるいは氷の融解が完全ではなかったのか。 もはや、奇跡を待っている時間はなかった。このままでは王国軍は、平原の上で磨り潰される。
「ッ……総員、山を降りるぞ! これより本陣に合流し、直接援軍に向かう!」
ベリルは号令をかけ、崖下へと駆け出した。 大地が牙を剥かぬのなら、自らの剣で地獄を切り拓くしかない。




