第五十五話 英雄の武功、戦鬼の罠
戦場の中央、真空が生じたかのような錯覚を周囲に抱かせる一角があった。
辺境伯騎士団長バレン・ガルドスと、帝国軍左翼大将グスタフ・クローネ公爵。 巨躯を誇る二人の一騎打ちは、もはや常人の踏み込める領域を超えていた。
「ハァッ!」
グスタフが唸りを上げ、重厚なハルバードで薙ぎ払う。空気を引き裂く一撃を、バレンは大剣の腹で受け流し、火花を散らしながら肉薄した。
「流石は帝国の宿老よ!重い一撃だ……早く引退してくれっ!」
「抜かせ! 辺境の狂犬がッ!」
鍔迫り合いのたび、金属が軋む嫌な音が響き渡る。周囲の兵たちは、敵味方の区別なく、この伝説的な死闘に目を奪われていた。
「すげえ……騎士団長も、敵の爺さんも、こんな打ち合い見たことがねぇ……!」
ガストンが、戦いを忘れたかのように口を開けて見入る。隣にいたヘルガも、手に持った剣を握り直すことさえ忘れ、興奮に頬を紅潮させていた。
「これが、本物の英雄の戦いってやつか!……かっけぇぇっ!」
「お前ら! 浮ついてる暇があるかッ! 周りを見ろ!」
二人の後頭部を叩くような勢いで、マルクの怒号が飛んだ。
「ここは戦場だ! 釘付けになって首を落されたいのか!」
マルクの叱咤に二人は我に返るが、それでも一騎打ちの結末を見届けずにはいられなかった。
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均衡が崩れたのは、数十合を超えた頃だった。
連撃による疲労か、あるいはバレンの膂力が勝ったか。グスタフのハルバードが、わずかに一歩、反応を遅らせた。
「そこだッ!」
バレンの大剣が、下から掬い上げるような軌道で放たれた。
凄まじい衝撃とともに、グスタフのハルバードが中空へと跳ね飛ばされる。
「……見事なり」
グスタフが呟いた瞬間、銀光が走った。 バレンの渾身の一振りが、帝国大将の首を鮮やかに跳ね飛ばした。
「敵将、グスタフ・クローネ! このバレン・ガルドスが討ち取ったり!」
バレンの咆哮が戦場を支配した。その瞬間、グレイスタイン軍からは、大地を揺らすような怒号の歓声が沸き起こった。
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「見たか! これでこの戦、俺たちの勝ちだぜ!」
ライアンが剣を掲げ、勝利の美酒を確信したように笑った。
だがその時、シオンが殺気立つ。
「どうした、シオン」
「小隊長、何かがおかしいぞ……風が変わった……」
常に冷静なミラが、周囲を漂う不自然な空気に気づき、顔を強張らせた。
「そうね、何かしら……何か、おかしいわ。戦のさなかなのに、静かすぎない……」
突如として、視界を遮っていた霧が急速に晴れていく。
そこに現れた光景に、勝利に沸いていた辺境伯軍は戦慄した。 自分たちの背後に続くはずだった王国軍本隊の姿が、一部の諸侯の軍勢のみ残してどこにもなかったのだ。
「馬鹿な……孤立しているだと!? 王国軍は何をしている!」
ヴィクトール・グレイスタインが、血の気の引いた顔で叫んだ。
その絶望に追い打ちをかけるように、帝国の本陣から、低く不気味な角笛の音が鳴り響く。
「……逃がさないよ、王国軍の誇り高い騎士さんたち」
背後の草むらから、伏兵たちが一斉に立ち上がる。 その先頭に立つのは、燃えるような赤い髪をなびかせた女傑。『紅蓮の鴉』セレス・ヴァレンタイン。
「お掃除の時間だ。一羽も残さず、焼き尽くしてあげなさい!」
帝国軍最強の「爪」が、疲弊した辺境伯軍の背中に突き立てられた。




