第五十話 銀影と狩人
カノープス平原の北側。 アステリア王国軍の右翼に布陣したグレイスタイン辺境伯軍は、静寂の中でその時を待っていた。
突如、重く立ち込めていた霧が陽光に裂かれ、一瞬の晴れ間が訪れる。その視界の先、帝国軍左翼に翻る旗印を認め、辺境伯騎士団の間に鋭い緊張が走った。
「……敵軍左翼、あの紋章は。間違いありません、『不動の巨壁』グスタフ・クローネです」
第四守備隊長ベルトルト・ハインが、愛馬の手綱を握り直し、低く呟いた。
『不動の巨壁』と渾名される帝国最古参の将。目前には、人の背丈をゆうに超えるを超える大盾を隙間なく並べた重装歩兵の列が、地平線を遮るようにそびえ立っている。
「手筈通りだ。我ら辺境伯軍が先陣を切り、あの巨壁を抉じ開ける!」
グレイスタイン辺境伯の力強い号令が、平原に轟いた。
王国軍の作戦は、精強な辺境伯軍を右翼から突出させて帝国軍左翼を強引に切り崩し、その間に王国軍本隊が濃霧を遮蔽物として平原北側、右翼へと旋回。帝国軍左翼を北から包囲し、一気に飲み込むというものだ。
「各員、詠唱開始。……焼き払いなさい」
副団長エリス・ラングレンが銀髪をなびかせ、魔導杖を水平に構えた。
「大気を揺らせ、炎の槍!」
エリス率いる第二守備隊の魔導騎士たちが一斉に魔力を解放する。
放たれたのは、熱量で空気を歪ませる数百の炎の帯だ。それはグスタフ陣地の前列を正確に捉え、鉄の大盾を真っ赤に加熱させると同時に、着弾の衝撃で帝国軍の堅牢な陣形を物理的に跳ね上げた。
だが、帝国軍にとって真の恐怖はそこからだった。
「凍てつく牢獄に果てなさい。――氷晶の抱擁」
エリスが杖を鋭く一閃させる。 先ほどまで炎に焼かれ、赤熱していた盾の城壁が、次の瞬間には氷点下の冷気に曝された。
急激な膨張と収縮。物理の法則を超えた温度変化に鉄の強度は限界を迎え、名工の手による大盾が陶器のように脆く砕け散った。
「対極の二属性を扱うなんて!」
「馬鹿な……我らの巨壁が、こうも容易く……!」
「魔法だけじゃない!!来るぞ!『銀影』だ!」
防御を無効化された帝国軍の目の前で、エリスが愛馬を蹴った。
銀髪を閃かせ、文字通り「銀の影」と化した彼女は、魔法の残滓が舞う中を神速で駆け抜ける。杖の先端から魔力の刃を伸ばし、恐怖に慄く敵兵の間を縫うように斬り伏せていく。魔法の猛威と、それ以上に速い『銀影』の剣筋。その蹂躙ぶりに、帝国軍前衛には「あの女に関われば、魂まで凍てつく」という戦慄が瞬く間に広がった。
「盾が浮いたぞ! 野郎ども、叩き込め!」
爆炎と氷の破片が舞う中、第五守備隊長ガルガ・ドムが咆哮を上げた。
「俺たちの前で、盾を並べていられると思うなよ!」
ガルガ率いる獣人主体の第五守備隊は、通常の騎兵が足を取られるような難所を、獣人の跳躍力で無力化しながら肉薄する。
あちこちで雄叫びと悲鳴が入り乱れ混乱が深まっていく。彼らは爆煙に紛れて敵の側面に回り込み、指揮官の指示が届かぬ混戦の中、帝国兵を次々と仕留めていった。
「怯むな。逃げるヤツは放っておけ!指示を出しているヤツを最優先で狙え」
「無駄打ちするんじゃない、急所を良く狙え、自身のない奴は馬を狙え!」
混乱する帝国軍の隙を、第六守備隊長シグリッド・ヴァルマは猛禽のように見極めていた。
『魔獣殺し』の異名を持つ彼女の部隊は、混迷の中で陣形を再構築しようとする将や、盾を支える要の兵を、一矢一殺の正確さで確実に排除していく。
「エリス副団長の魔法で視界を奪い、ガルガが陣をかき乱し、シグリッドが指揮系統を断つ。……相変わらずの見事な連携だ」
ベルトルトは、長槍隊を率いてその背後を固めながら、辺境伯騎士団による「快進撃」の幕開けを確信した。
帝国軍左翼、グスタフ・クローネの防陣は、開戦からわずか数刻で、辺境の猛者たちによる苛烈な猛攻に晒され、その鉄の城壁が端々から崩れ始めていた。




