第五話 ガスト家の食卓と、不戦の休息
論功行賞の喧騒から数日。ベリルは一週間の休暇を得て、実家のあるガスト騎士爵領唯一の集落であるリンツ村へと向かっていた。
小さな村だが特産の葡萄酒とチーズは領都でも中々の評判だ。
父が十五年前に戦死してから、十五歳で家督を継いだベリル。自分を後回しにして五人の弟妹を養い、独立させてきた彼にとって、ここは守るべきものの原点である。
道中、軍人としての気配を消し、お人好しの長男の顔に戻ったベリルが古びた屋敷の門を潜ると、家の奥から激しい足音が響いた。
「兄さん……! ベリル兄さん!」
玄関を飛び出してきたのは、末妹のリナだった。十五歳になった彼女は、家政の一切を切り盛りするしっかり者だが、父親代わりとして育ててくれたベリルの姿を見るなり、幼い頃のようにその胸に飛び込んできた。
「リナ、ただいま。……ははは、苦しいよ。そんなに力を込めたら」
「だって、全然帰ってこないんだもの! 怪我してない? どこも痛くない?」
ベリルの頬や腕を、壊れ物を確かめるように触れるリナをなだめながら、ベリルはふと尋ねた。
「リナ、カイルはどうした? 姿が見えないが」
「カイル兄さんなら、あそこよ。ベリル兄さんが帰ってくるまでに少しでも強くなるんだって、毎日あんな感じ」
リナが指差した庭の奥から、ヒュン、ヒュンと空を切る鋭い音が聞こえてきた。末弟のカイルが汗だくになって一心不乱に木剣を振っている。
ベリルの姿を認めると、カイルは弾かれたように駆け寄ってきた。
「ベリル兄さん! お帰りなさい! ……あの、今回の休暇中、少しでいいからまた僕に剣を教えて。兄さんみたいに、立派な騎士になりたいんだ」
「ははは……立派な騎士か……それは構わないが変な癖は身につけるなよ。カイルも来年から騎士学校なんだからな」
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その夜、ガスト家の食卓は、久しぶりの賑やかさに包まれた。 長男ベリル、三男カイル、そして三女のリナ。そこへ、近所のお産の手伝いを終えた母親のエルナが帰宅した。
「お帰りなさい、ベリル。……また少し、逞しくなったわね。無事でいてくれて、本当にありがとう」
エルナはベリルの手を優しく握り、慈しむように微笑んだ。
夕食の時間、リナが腕を振るった、チーズたっぷりのブロッコリーのポタージュを囲む時間が始まる。
ジャガイモの甘みと濃厚なチーズが溶け合う、若草色のポタージュ。最大のこだわりは、あえて形を残したブロッコリーのホクッとした食感で、とろけるスープの中で鮮やかな彩りと大地の甘みが弾ける。
「うん、美味しいよリナ。また腕を上げたな」
「ありがとう!お母さん、また今度別のお料理教えてね」
「うふふ、今度は何がいいかねぇ」
「そんなことよりベリル兄さん!明日、絶対に稽古をつけてよ!」と身を乗り出すカイルに、リナがすかさず口を挟んだ。
「そんなことって何よ!もう、カイル兄さんばっかりずるい! ねえベリル兄さん、明日は私のお手伝いもしてよね。お庭の力仕事、溜まってるんだから。ベリル兄さんにしか頼めないんだからね」
「ああ、分かっているよ。朝はカイルの稽古をしよう、昼からはリナの手伝いだ」
ベリルは匙を止め、少しだけ困ったように、しかし幸せそうに笑った。
「カイル。……強いっていうのはな、敵を倒すことじゃない。こうして家族で笑って、温かいスープを飲める時間を守ることだ。俺が戦場から無傷で帰ってくるのは、お前たちの顔を忘れたことがないからだよ」
リナはそんな兄の横顔をじっと見つめ、少しだけ不安げに微笑んだ。
「……ねえ兄さん。西の隣国がまた騒がしいって聞いたわ」
国境付近の小競り合いはこの地では珍しくないが、リナは不穏な気配を感じ取っていた。ベリルの瞳の奥に、一瞬だけ鋭い光が宿った。だが、それは瞬き一つで消えた。
「大丈夫さ。俺は逃げ回るのだけは得意だからね。危なくなったら、真っ先に逃げてくるよ」
湯気の向こうで、家族の笑い声が絶え間なく響く。何物にも代えがたい戦果は、この穏やかな食卓そのものだった。
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夜が更け、家族が寝静まった頃、ベリルは一人、中庭で月を仰いだ。




