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不戦の外套〜臆病者と蔑まれた騎士の英雄譚〜  作者: nyancos


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第四十六話 静かなる誘導

 辺境伯邸の一室。


 親衛隊長カイト・ヴァナレンは、目の前の机に広げられた図面を指先で叩いた。その対面に座るベリルは、支給されたばかりの漆黒の外套がどうにも落ち着かないのか、窮屈そうに肩をすくめている。


「……以上が、今夜の晩餐会における配置だ。ガスト隊は外周および、庭園に面した回廊の哨戒を任せる。あなたは私に同行してください。ガスト隊長、あなたの隊は『特例』での編入です。他の親衛隊員たちとの摩擦は私が抑えますが、あなたの方でも問題は起こさないでほしい」


 カイトの涼やかな瞳が、ベリルを値踏みするように射抜く。ベリルは力なく笑いながら、手元の図面を覗き込んだ。


「……善処します。ただ、この東側のバラ園から厨房の搬入口へ続く経路……ここなどは、人の出入りが重なりますね。柱の影になる配置も多い。ここから侵入された場合、この位置の警備からは死角になりませんか?」


 ベリルは、自身が感じた違和感を率直に指摘した。しかし、カイトは自信に満ちた表情で首を振る。


「そこは既に検討済みです。警備の巡回周期を調整し、空白時間が生まれないように計算してあります。あなたが心配するような隙はない。それよりも、ガスト隊の配置を乱さないことだけを考えてくれればいい」


 カイトの完璧な自負を前に、ベリルはそれ以上口を開くのをやめた。


(……巡回の周期、か。確かにそうだが、人の動きには必ず揺らぎが出る。あそこは柱の装飾の影が重なれば、一瞬だけ視線が途切れる『道』ができるような)



---


 晩餐会が始まると、会場内は貴族たちの芳醇な香水の匂いと、弦楽の調べに包まれた。


 ガスト隊の面々は、ミラに口を酸っぱくして言われた通り、彫像のごとく直立している。

 もっとも、ヘルガは隙を見て給仕の持つトレイの数と料理の種類を数えており、セドリックは葡萄酒の銘柄を遠目に鑑定しようと必死だったが。


 ベリルはカイトの傍らに立ち、会場内の人の動きを無機質に観察していた。招待客の視線、談笑する貴族たちの僅かな表情の強張り、巡回する警備の足取り。


(……さすがは辺境伯閣下の晩餐会だ。警備の者から給仕まで皆隙がない。あの女性給仕の立ち居振る舞いも見事なものだ。歩く際、膝から下の振りが僅かに鋭い。まるで、いつでも地を蹴って跳べるかのような……)


 ベリルは小さく溜息をつくと、隣に立つカイトに向かって、場違いなほどのんびりとした声をかけた。


「……ヴァナレン隊長。あちらの柱に飾られている装飾……あれは随分と手が込んでいますね。夜風に揺れると、つい目を奪われてしまいます。あそこに立っている警備の者も、私のように見惚れてよそ見をしていなければ良いのですが」


「ガスト隊長……今は警備の最中です。集中して下さい」


 カイトの言葉に、ベリルは「すいません、田舎者なものでつい気になって」と苦笑いしながら、さらに興味深げに一人の客を指差した。


「それから、あちらの青いドレスの御婦人はどなたでしょう。実に優雅で、あの方の周りだけ空気が止まっているようです。……おや、あそこにいる女性給仕の方も。凛としていて所作が美しいですね。何か特別な訓練を受けているのでしょうか」


「……いい加減にしたまえ、ガスト隊長。今は警備の最中です。婦人の身元を詮索したり、給仕の所作を眺める時間ではない」


 カイトは、この男がなぜここまで緊張感のない雑談を振ってくるのかと、明確な苛立ちを覚えた。そこへ、料理の並んだテーブル付近で、落ち着きなく鼻をひくつかせているヘルガが目に入る。


「おっと、すいませんヴァナレン隊長。うちのヘルガが料理に夢中になっているようです。少し注意してきますので、すいませんが少し外します」


 ベリルは申し訳なさそうに頭を下げ、会場の隅へと姿を消した。 一人残されたカイトは、苛立ちを抑えながら、ベリルが先ほど指した「美しい所作の給仕」に改めて目を向けた。


(……待て。あの給仕、客に飲み物を勧める際、視線が一度も相手の顔に向いていない。どこを見ているんだ……?)


 カイトは全ての使用人を把握していた。その記憶と照らし合わせ、瞬時に判断を下す。騒ぎを起こさぬよう、周囲の親衛隊員に目配せだけで「ゆっくりと、網を絞るように動け」と指示を飛ばした。


 だが、その微かな空気の変化を、女性給仕は見逃さなかった。包囲を察知した彼女は、トレイを置くと同時に滑らかな足取りで移動を開始し、ベリルが指摘していた「装飾の影」を突いて裏庭への細道へと飛び出した。


 しかし、その曲がり角の先には――。


―――ドンッ


「うわぁっ!? な、なんだぁ!?」 「ぎゃっ!?」


 逃走を図った給仕が、運悪くそこで巨大な肉料理の骨にかじりついていたヘルガと正面衝突した。


「 なんだよ、オレの飯を邪魔する奴は!」


 ヘルガが反射的に給仕を組み伏せる。そこへ、カイトが息を切らせて追いついた。


「!!!あなたは……ここで何をしているのですか」


 カイトが呆然と問いただすと、ヘルガは組み伏せた給仕を押さえつけたまま、口に含んでいた骨をぺろりと舐めて答えた。


「あぁ? 隊長が『ここでこれでも食べてろ』って、この骨付き肉をくれたんだよ。まったく、いいところで邪魔しやがって」


 カイトは絶句した。ベリルはヘルガを叱りに行ったのではなく、あらかじめ逃走経路の出口に、彼女を配置していたのだ。


 カイトは捕らえた給仕を引きずり、近くの別室へ連行する。しかし、その部屋の扉を開けた瞬間、カイトは再び息を呑んだ。


 そこには、先ほどベリルが優雅だと言っていた青いドレスの婦人が、猿轡を噛まされ、椅子に縛り付けられていた。そしてその横には、困ったように頭を掻いているベリルの姿。


「すみません、この御婦人の袖口から毒針のようなものが見えたのでこちらへお連れしました。今はルナの魔法で眠っています」


(給仕は連絡役か陽動だったか……本命は婦人……)


 カイトは、拘束された婦人と、捕らえられた給仕を交互に見た。


「……ガスト隊長。あなたは、最初から……」


 カイトの問いに、穏やかに微笑んだ。


「いやぁ、大事になって晩餐会が台無しにならなくて良かったですね。……さ、警備に戻りましょう」


 ベリルはどこまでも「平凡」な小隊長の背中で、騒がしい部下のもとへと歩いていった。

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