第四十話 祝杯と、尾ひれのついた武勇伝
辺境の埃を落とし、安らぎを求めて酒場『跳ね馬亭』の扉を開けたベリル・ガストを待っていたのは、地響きのような合唱と怒号に近い笑い声だった。
「――だから! あの時マルクさんが『手近にあるもんは全部投げろ!』って叫ばなきゃ、今ごろデニスの奴はワイバーンの胃袋の中だったんだぜ!」
ライアンがジョッキを振り回して叫んでいる。
「俺なんて予備の砥石から、食べかけの干し肉まで投げたんだぜ? おかげでワイバーンが『なんだこいつら!?』って顔して一瞬怯んだのさ!」
「笑わせるな、俺とガラムたちが盾を並べて『鉄蓋』で風圧を凌いでなきゃ、石を投げる前に全員崖下だったよ」
ヨハンが胸を張ると、ガラムも無言で深く頷いた。
そんな喧騒の渦中に足を踏み入れ、呆気に取られているベリルに、エルザがいち早く気づいた。彼女は弾けるような笑顔で駆け寄ってくる。
「おかえりなさい、英雄さん! 今夜は一段と賑やかよ、主役のお出ましね!」
エルザがベリルの背中を叩き、強引に店内の中心へと案内する。あまりの騒ぎに眉を寄せたベリルは、カウンターの隅で上機嫌にジョッキを傾ける男を見つけた。
「……何の騒ぎだ? …………お前か、エリック」
ベリルが呆れたようにその隣へ腰を下ろすと、義弟のエリックは悪戯が成功した子供のような顔で笑った。その声に反応するように、輪の中心でヘルガがガツンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「あんたたち、自分たちの手柄ばっかり並べてんじゃないよ! 真打ちのご登場さ!」
ヘルガの視線の先に、座ったばかりのベリルの姿。店中の客が静まり返り、一斉に彼を注視する。ヘルガはニヤリと不敵に笑い、ベリルを指差した。
「いいか、そもそも最初にワイバーンが襲撃してきたとき、真っ先に囮になってオレたちを岩陰に逃がしたのは誰だ? 『――俺が相手だ! お前たちは岩陰に逃げろ!』ってな。あの背中……オレは惚れちまったね。あれこそが真の戦士さね」
「「「小隊長ぉぉぉぉ!!!!」」」
店内のボルテージが爆発する。ベリルが反論する間もなく、今度はセドリックが割って入り、ベリルの肩を組んだ。
「そうだ! だが一番の見せ場はその後よ! 腰を抜かしたデニスに奴が襲いかかろうとした瞬間――俺たちが石やら剣やら、手当たり次第に投げつけて注意を引いた、その刹那だ! 影のように踏み込んだ小隊長が、こう仰ったんだ!」
セドリックがベリルの無精髭を撫でる仕草を真似て、わざとらしく声を低く響かせる。
「『――下がっていろ。ここは俺が受けて立つ』」
「「「うおおおおお!!! シびれるぅぅ!!」」」
「で、一太刀で尾を斬り落とし、奴を斜面の下へ叩き落とした! 興奮して追いかけようとした俺たちを、背中で制してこうだ!」
セドリックが舞台俳優のような悲壮感を漂わせ、キメ顔で言い放つ。
「『追撃はするな。……お前たちは先に行け』」
「「「カッコよすぎるーーー!!!」」」
店中が感動の嵐に包まれ、あちこちで「小隊長に乾杯!」の唱和が巻き起こる。ベリルはぐったりと肩を落とし、目の前のエールを煽った。
「……そうじゃないんだ。確かに逃げろとは言ったが、違うんだ、そうじゃない……」
隣で爆笑していたエリックが、ようやく息を整えてボソリと囁いた。
「……いいじゃないか。一刀で空の支配者を地に落とした英雄。これからは『龍尾斬りのベリル』とでも名乗るか?」
その言葉に、少し離れた席で静かに酒を飲んでいたミラが、わずかに視線を上げた。
「……素敵じゃない。『龍尾斬りのベリル』。あなたに相応しい二つ名だわ」
ミラの落ち着いた声が酒場に流れると、それが決定打となった。
「「「龍尾斬りのベリル! 龍尾斬りのベリル!!」」」
他の客たちを含めて全員が一斉にその二つ名を連連呼し、足を踏み鳴らす。あまりの熱狂に、ベリルはもはや項垂れるしかなかった。
「よっしゃあ! 今日は俺の奢りだ! 全テーブルにエールを運んでくれ!」
セドリックがジャラリと重たい報奨金の入った袋を高く掲げて宣言すると、歓声は怒号へと変わる。
「……帰ってくる前には、タダ酒を飲ませてくれてもいいくらいだって言ってた癖に。馬鹿な奴」
隅の席で果物を頬張りながら、ルルが呆れたように鼻を鳴らした。
エリックは楽しそうにその光景を眺め、ベリルの肩を親しげに叩く。
「……ははは、いい仲間たちじゃないか。そうそう、ベリル。明日はうちにこいよ。アニスも子どもたちも、みんなお前を待ってるぜ」
「……ああ。土産を持っていくよ」
ベリルは小さく溜息をつき、ようやく口角をわずかに緩めて、エールを飲み干した。




