第三十九話 静かなる凱旋
三ヶ月に及ぶガンダル砦の守備任務を終え、第五小隊の面々は、慣れ親しんだ領都エストレアの堅牢な城門を仰ぎ見ていた。
「おい、見てろよ。今頃、俺たちの活躍はエストレア中に知れ渡ってるはずだぜ」
ライアンが土埃に汚れたブーツを鳴らし、乱れた髪を指先で整える。
「ガレリア帝国軍三千を一人残らず殲滅したんだぜ? 凱旋パレードとまではいかなくても、街の酒場が『英雄の帰還だ!』ってな具合に、タダで飲み放題にさせてくれてもおかしくねぇよな?」
セドリックもまた、重い歩兵盾を背負い直しながら、誇らしげに胸を張っていた。
しかし、門をくぐった彼らを待っていたのは、いつもと変わらぬ日常の風景だった。
行き交う商人たちは荷馬車の通行を優先させろと怒鳴り、露店の老婆は欠伸をしている。小隊の姿に気づいた顔見知りの門番にいたっては、面倒そうに手を挙げただけだった。
「……なんだ、『不戦の外套』、第五小隊か。予定より一日遅かったな。さっさと駐屯地へ行け、道が塞がる」
その冷淡な反応に、小隊の熱気は急速に冷え込んでいった。
「……おかしいな。英雄の帰還だぞ?」
ライアンの呟きも虚しく、彼らは拍子抜けしたまま、重い足取りで駐屯地の正門を抜けた。
だが、駐屯地の中庭に足を踏み入れた瞬間、隊員たちの背筋に冷たい緊張が走った。 そこには、本来ここにいるはずのない人物――辺境伯、ヴィクトール・グレイスタインが、重厚なマントを翻して立っていた。
「……大儀であった、第五小隊諸君」
ヴィクトールの厳格な声が響く。彼は整列した隊員一人一人の顔を見渡し、微かに口角を上げた。
「ガンダル砦、見事守り抜いた。この地を預かる者として、貴公らの献身に心からの賛辞を贈る。報奨金に加え、上物の葡萄酒の樽を五本、そして特産のチーズを各人に振る舞おう」
豪華な報奨に一瞬沸き立ちかけた隊員たちだったが、続くヴィクトールの言葉に冷や水を浴びせられた。
「……ただし、一点。今回のガレリア帝国軍一個連隊を殲滅した事実は、ひとまず一切の口外を禁ずる。領民に余計な動揺を与えぬための箝口令だ。貴公らの功績は、このヴィクトールと一部の重臣の胸の内、あるいは王家への極秘報告の中にのみ刻まれる。……良いな?」
「……はっ」 ベリルが短く応える。
背後でライアンたちが「やっぱりか……」と目に見えて肩を落とした。チヤホヤされない現実に、隊員たちは一様に落胆の色を隠せなかった。
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辺境伯邸の執務室。 重厚な扉が閉まると、ヴィクトールは椅子に深く腰掛け、ベリルとヴァルターを凝視した。
「さて……ベリル。現地からは、地形が変わっていたとも報告が上がっているが……。一体、あそこで何が起きた。お前の口から詳しく聞かせてもらおう」
ベリルは淡々と、しかし詳細に語り始めた。カスパールの裏切り、嵐と地形を利用した罠、そして絶望的な戦力差をいかにして覆したのか。
報告を聞くヴィクトールは、身を乗り出すようにして聞き入っていた。その指先がわずかに震え、膝に置かれた拳が白くなるほどに握り込まれる。溢れ出る熱を抑えきれないかのように、彼の双眸は爛々と輝いていた。
さらにヴァルターが、道中で遭遇したワイバーンをベリルの冷静な指揮によって、損害を出さずに撃退した件を補足すると、ヴィクトールの目が見開かれた。
「……ワイバーンを退けたというのか? 飛竜相手に、一人の脱落者も出さず……。ベリル、貴公の差配、見事としか言いようがないな」
信じがたい手際の連続に、老練な辺境伯は感嘆の溜息を漏らし、ただ目の前の二人を凝視するしかなかった。
沈黙を破ったのはヴァルターだった。
「父上。私はベリル小隊長の下で、騎士としての武力以上に大切なものを学びました。ベリル・ガスト殿こそ、私が求める真の騎士道と感じております」
「今後も我が師として学びたい。……引き続き、第五小隊へ残ることをお許しください」
迷いのない嫡男の嘆願に、ベリルは、
「ははは…滅相もございません、私など師と呼ばれる器では……」と、困惑した様子で恐縮しきりであった。
ヴィクトールは深く息を吐き、静かに頷いた。
「……よかろう。引き続き精進せよ。ベリル、この件は王都へも通達済みだ。功績を鑑み、騒動が落ち着き次第、貴公への叙勲も検討されるだろう。……しばらくは休暇だ。ゆっくりと疲れをを癒すといい」
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執務室を辞し、邸の長い廊下を歩いていた時のことだ。 角を曲がった拍子に、ベリルは一人の女性とすれ違った。
辺境伯騎士団副団長『銀影』エリス・ラングレン。
彼女はベリルの横を通り過ぎる際、ふと足を止め、鋭い視線を向けた。
「……お前が、あの『不戦の外套』か?」
エリスの翡翠色の瞳には、報告にある信じがたい戦果への疑念と、獲物を定めるような好戦的な色が混じっていた。
「……ふん。どのような姑息な手を使ったかは知らぬが、私はお前のような軟弱者など認めない」
冷たく言い放つと、彼女はベリルの返答を待たず、金属音を響かせて去っていった。 背中に突き刺さるような彼女の視線の余韻を感じながら、ベリルは「静かな休暇」そう長くはつづかない予感を感じていた。




