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不戦の外套〜臆病者と蔑まれた騎士の英雄譚〜  作者: nyancos


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第三十四話 欺瞞の対価

 地下室に響くのは、壁を伝い落ちる水の音と、低い唸りを上げる風の音だけだった。


 マルクとヨハンは、椅子に拘束されたボリスを冷徹な目で見下ろしている。


「一体何の真似だ!!貴様ら、こんなことをしてただで済むと思うなよ!」


「ボリス、お前とカスパールが悪巧みをしていることはわかっている。明日の夕刻、お前は隊をどこに配置するつもりだ。どのような指示を受けている」


 マルクの鎌をかけた問いに、ボリスは自嘲気味に鼻で笑い、縛られたまま首を振った。


「……悪巧み、一体何のことだ? 」


「しらばっくれやがって!明るみになった以上、隠し立てしてもお前の為にならんぞ!カスパールにいくら貰った!王国騎士の風上にもおけん奴だ!!」



「笑わせるな。俺はカスパール卿には全く相手にされていない。一昨年、あのヴィンセントとかいう執事が来てからは特にな」


 ボリスは吐き捨てるように言葉を続けた。


「俺はただの守備隊長だ。卿からは、明日の夕刻は市街南の街道沿いを重点的に固めるよう命令されているだけだ。野盗の襲撃に備え、見張っていろとな!」

「軍事顧問を気取るあの執事の入れ知恵だろうが、現場の俺たちに説明など一切ない。誇り高き守備隊を、ただの案山子扱いしやがって……」



 ヨハンが冷徹な声を上げ、ボリスの鼻先に一枚の地図を突きつけた。


「誇り高き守備隊だと……おめでたい男だ。もう街中に相当数のガレリア帝国兵が潜んでいるんだぞ。この役立たずが!」

「そしてお前たちが間抜け面で南の何もない街道を睨みつけている間に、西の関所を越えて上がってきたガレリア帝国軍の本隊と合流し、気付いた時にはガンダルは落ちている。いいか、敵軍はもう既に集結を始めているんだぞ」


「なっ……ガンダル砦を落とすだと? カスパール卿がそんな、敵軍を招き入れるような真似をするはずが……」


「お前たちが帝国の侵攻から最も遠い南へ遠ざけられたのが何よりの証左だ。街が落ち、砦が陥落すれば、街にいるお前の家族はどうなると思う? 侵攻のど真ん中に放り出されるんだぞ」


 ヨハンの言葉が、ボリスの心臓を射抜いた。ボリスの顔から一気に血の気が引き、地図を凝視したまま小刻みに震え始める。


「馬鹿な……。俺たちは街を守るために、あの場所を死守しろと……。それでは、俺たちは何も知らぬまま、祖国を売る手助けをさせられていたというのか!」


 ボリスは力なく項垂れ、しかし確かな覚悟を込めて、絞り出すような声で言った。


「なんてことだ……………クソッ、カスパールの野郎、どこまでも俺を馬鹿にしやがって」


 ボリスは顔を上げ、二人を真っ直ぐに見据えた。


「わかった、協力する。カスパールの思い通りにさせてたまるか。守備隊全軍を動員する。守備隊しか知らぬ抜け道もすべて話す。だから頼む……街を、守らせてくれ。俺はどう動いたらいい」



---


 そして迎えた決行当日の夕刻前。嵐はさらに激しさを増し、叩きつける雨粒が庁舎の石壁を鳴らし続けていた。


 庁舎のバルコニーの軒下、暴風雨にさらされながらも、アルノーは石像のように動かず、豪雨の帳を見つめていた。


 バルトたちが山を削る音も、ライアンたちが酒場で上げた喧騒も、この豪雨がすべてを遮断してくれている。だが、山育ちの耳は、雨音に混じる微かな違和感を聞き逃さなかった。


(……合図だ。廃村のガレリア軍が進軍を始めたか)


 東の関所の方角から、微かに「鹿の鳴き声」を模した笛の音が届く。それに応じるように、庁舎の通用口に一人のフードを深く被った男が現れた。


 すると中から長身の執事が現れ、フードの男に何か渡すと中へ戻っていった。周囲を執拗に警戒しながらその男は、懐から自分の笛を取り出すと、街中に潜むガレリア帝国兵へ向けて「集合」の旋律を吹き鳴らした。


 短く、不自然に途切れる合図。それを確認するや否や、男は北の穀物倉庫へ合流するために、雨に濡れた路地を急ぎ足で駆け出した。


 アルノーは音もなく屋根を伝い、男の背後を追った。激しい雨が気配を消し、濡れた瓦を蹴る音さえ雷鳴が飲み込んでいく。


 男が人通りの途絶えた路地裏に入り、合流地点を目前にしたその刹那だった。背後に漂う異質な気配に気づき、男が振り返ろうとした瞬間、アルノーは死神のように頭上から舞い降りた。


「……っ!?」


 声は出なかった。アルノーの短剣が、喉仏を正確に貫いていたからだ。アルノーは崩れ落ちる体を無音で支え、壁際に座らせる。男の事切れた瞳には、窓の外で荒れ狂う雨と、闇に紛れて動き出したベリルたちの影はもう映っていなかった。


「……この雨だ。流石に鹿も鳴きやむぞ」


 アルノーは男の懐から笛と密約の書状を抜き取ると、返り血を拭うこともせず、再び雨の世界へと姿を消した。カスパールの描いた筋書きは、今この瞬間、静かに狂い始めていた。

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