第三十三話 咆哮の産土
降り続く雨は、もはや天が底を抜けたかのような狂乱を見せ、関所の背後にそびえる山肌をドロドロの泥海へと変えていた。
漆黒の闇の中、バルト爺さんが泥まみれの図面を広げ、叫ぶように声を上げる。
「ガラム! 下手の法面だ。そこを切り崩して楔を打ち込め! 削った土は全部運んで、その真上の斜面に盛り上げろ。頭を重くして一気に滑らせるんだ!」
「応よ! 全員、聞いたか! 下を削って上に盛るんだ。山の理を完全にぶち壊してやるんだ。足元に気をつけろ、滑ったらそのまま崖下だぞ!」
ガラムの号令と共に、隊員たちが泥濘に這いつくばって鉄槌を振るう。硬い岩肌に鉄の楔が食い込む金属音が響くが、それは暴風と遠雷の轟鳴にすぐさま飲み込まれていった。
一方、山の上方では別の隊員たちが、溢れんばかりの水を湛えた貯水池の縁を必死に削り広げていた。バルト爺さんが算出した「大軍を押し流す水量」を確保するための強行工事だ。
「爺さん、池の縁がもう限界だ! 今にも決壊しそうだぞ!」
「まだだ、あと半尺広げろ! それと、堤の芯に爆薬の導線を回せ。ただ崩れるんじゃねぇ、爆圧で『水の壁』を一気に押し出すんだ!」
バルト爺さんの枯れ木のような指が、爆薬をねじ込むべき亀裂を鋭く指し示す。その傍らで、ミラは濁流の中に膝を突き、粘土層が露出した地面に両手を深く埋めていた。
「……もっと奥へ。水の精霊たち、土の芯まで飽和させて……滑り台を作るの……」
ミラの魔力が地中に浸透するにつれ、粘土層が不気味な震えを帯び始める。作業が佳境に入ったその時、頭上で「ミリミリ」という嫌な音が響いた。
「逃げろ! 崩れるぞ!」
ガラムが叫ぶと同時にバルトの襟首を掴んで引き寄せた。直後、岩と泥の塊が、つい先刻まで二人がいた場所を怒涛の勢いで通り過ぎていく。
「……ひゅう、危ねぇところだったな。爺さん、生きてるか?」
「へっ、こんなところで逝きやしねぇよ。見ろ、今の崩落で爆薬を仕掛ける穴が丁度よく開きやがった。手間が省けたぜ」
バルト爺さんは震える手で顔の泥を拭うと、ニヤリと笑って信管を岩の隙間に押し込んだ。
隊員たちも恐怖を押し殺し、再び泥まみれのスコップを振るい始める。削り出した土を法面の上部へ運び、不安定な重りとして積み上げていく。
「よし、ミラ。粘土層の具合はどうだ?」
「……準備、できたわ。あとはきっかけ一つで、この山はもう自分を支えられない……」
ミラが青ざめた顔で手を離すと、そこには人知れず完成した「処刑台」が鎮座していた。貯水池には爆薬が仕掛けられ、法面は削り取られた土の重みで悲鳴を上げている。バルトは満足げに鼻を鳴らし、関所の灯りを見下ろした。
「完成だ。あとは合図を待つだけだぜ。野郎ども、引き上げるぞ。雨が俺たちの足跡を消してくれるうちにな」
一団は嵐の闇へと消えていき、あとにはただ、牙を剥く準備を終えた山と、止ぬ雨音だけが残された。




