表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不戦の外套〜臆病者と蔑まれた騎士の英雄譚〜  作者: nyancos


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/28

第三話 泥濘の回収

 月明かりさえない漆黒の森を、第五小隊は急ぎ足で突き進んでいた。激しい雨が地面を叩き、道は底なしの泥濘と化している。


「……はぁっ、はぁっ……小隊長、……!」


 新兵のデニスが息を切らして訴えると、先頭を行くベリルは即座に歩みを緩めた。


「ああ、すまないデニス。焦らせてしまったな。……皆、足元は大丈夫か? 泥に足を取られて挫かないように気をつけてくれ。怪我をしたら元も子もないからな」


 ベリルは申し訳なさそうに眉を下げ、部下たちの顔色を一人ずつ覗き込む。その姿は戦場の指揮官というより、重い荷物を背負った弟妹たちを気遣う長兄のようだった。


「小隊長、お人好しが過ぎますよ。今は一刻を争う救出任務なんですから」


 副官のマルクが苦笑いしながら肩をすくめる。その横を、狼の獣人ライアンが音もなく追い抜いていった。


「ライアン、頼んだぞ。……アルノー、どう思う?」


 ベリルの問いに、最後尾を歩いていた古参兵アルノーが、雨に濡れた顔を上げた。


「……死臭が混じり始めてるな。手遅れになる前に、動くべきだろうな」


 ベリルの顔からお人好しな笑みが消え、短く乾いた指示が飛ぶ。


「わかった、各員配置に付け。マルク、弓隊を左右の斜面に展開。崖下の影を優先して叩け。ヨハン、ガストン、正面の泥地を切り開く。デニス、お前は俺の斜め後ろで負傷者の回収を支ろ。……行くぞ」



 前方のすり鉢状になった泥地。そこでは、魔獣の群れに囲まれ、今にも決壊しそうなレオン・ボルドー率いる小隊が、泥に足を取られ無様に足掻いていた。


「ガストン、道を作れ!」 ベリルの号令に、虎の獣人ガストンが咆哮と共に飛び出した。


「おう! どきな、もやしっ子共が!」


 ガストンは沈み込む泥をものともせず、人間二人分はある大盾を正面に突き出し、魔獣の群れを力任せに弾き飛ばす。


 泥濘の中では誰もが動けないはずが、彼の剛脚は底の岩盤を捉えているかのように力強い。


「ヨハン、右翼を締めろ! 崩れるなよ!」


「言われなくても分かってる! 野郎ども、道から逸れるな!」


 ヨハンが歩兵を統率し、ガストンが抉じ開けた隙間を瞬時に壁で固定する。その完璧な連動の中に、ベリルが滑り込んだ。


 襲いかかるシルバーウルフに対し、ベリルは腰の得物を引き抜く。薄黒い刃が動くたび、獣の眉間には深い断絶が刻まれた。


 撫で斬るというよりは、刃自体の重みで圧し切るような一撃。切っ先が触れた瞬間、獣の骨は抵抗を許されず音を立てて砕け、咆哮を上げる間もなく泥に沈んだ。


 デニスは、その横顔を見て背筋が凍るような思いがした。

 ベリルの視線は、常に背後の負傷者や部下たちの足元、さらに泥濘の深さに向けられている。飛びかかる獣をいなす所作は、まるで邪魔な藪を払い除けるかのように淡々としていた。


「慌てるな。ボルドー隊、盾を合わせろ。今、道を作る」


 孤立していた兵士の襟首を掴んで引き寄せると、自分の背後へと送り出した。

 そこではセドリックが「ほらよ、死にたくなきゃ俺に捕まれ!」と、軽口を叩きながら負傷者を回収していく。



「遅いぞ、ガスト!! 貴様、わざと遅れたのではあるまいな!!」


 救われたはずのレオン・ボルドーが、恐怖の裏返しでベリルに怒鳴り散らす。


「申し訳ありません、ボルドー卿。不徳の致すところです」 ベリルは罵声を浴びながらも、手は休めない。


「マルク、合図を送れ。ヨハン、左右へ展開してボルドー殿たちを引き抜け。ガストン、沈んだ馬車を押し上げろ! デニス、肩を貸せ。……よし、全員いるな。退くぞ」


 ベリルの采配により、泥に沈みかけていたボルドー隊に再び脈動が戻る。彼は罵声を浴びせられながらも、泥まみれになった兵たちを一人ずつ丁寧に、安全な陣の内側へと誘導していった。


「小隊長、あんな奴のことなんて放っておけばいいのに」

  デニスが隣で負傷者を担ぎながら、悔しげにぼやく。


「まあそう言うな、デニス。彼らにも帰りを待つ家族がいるだろう。……さあ、急ごう。夜明け前には、温かい粥を皆に食べさせてやりたい」


 ベリルは困ったように笑い、最後尾で退路を塞ぐように盾を構えた。 泥を被り、罵倒されてもなお、彼の外套だけは不思議と汚れを弾いているように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ