第ニ十九話 不協和音の街
駐在期間も中頃に差し掛かった、ある日の朝。ガレリア帝国側への関所を視察予定のベリルのもとにカスパールが訪ねて来た。
「土砂崩れだと?」
ベリルの問いに、執政官カスパールは丸い顔に作り笑いを張り付け、深く頷いた。
「左様でございます。あそこは先の大雨で西の関所へ続く旧道が崩れましてな、立ち入り禁止にしているのです。今は地元の猟師たちが修復に当たっておりますが、軍の方々が立ち入って、万が一にも事故があっては私の責任問題になります。……ねぇ、ヴァルター様?」
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ヴァルターは退屈そうに鼻を鳴らした。
「構わんさ、小隊長。わざわざ泥にまみれに行く趣味はない。あの狸親父がそう言うなら、大人しく砦で茶でも飲んでいればいい」
結局、視察は中止となった。だが、ここから「上手くいかない一日」が本格的に始まった。
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「……駄目じゃったわ、小隊長。どこも庁舎の注文で手一杯だから待ってくれだとよ」
バルト爺さんが、修理を断られた備品を抱えたまま、力なく首を振った。
「街の鍛冶屋を三軒回ったが、どこも同じ返事でな。今日は一文の得にもなりゃしなかったわい…」
「そうか…まあ急ぐ物ではないが、仕方がないな。それは手間をかけさせたねバルト爺さん。ご苦労さん」
ベリルが溜息をつきかけたその時、砦の重い扉が勢いよく開き、荒々しい足音が響いた。
「おい、ニコ! 肉屋のオヤジ、これっぽっちしか売ってくれなかったぜ! 庁舎の注文が先だとよ」
低い怒声と共に現れたのは、牛の半身を軽々と担いだヘルガだった。顔にを歪ませ、彼女は担いでいた肉をドサリと床に投げ出した。
「まぁまぁヘルガ、落ち着いてよ。ヘルガが食べる量を減らしてくれたら、これだけあればじゅうぶんもつから」
ニコの言葉に、ヘルガはさらに鼻息を荒くした。
「オレの食い扶持減らしてまで庁舎の狸親父はどんだけ食うんだよ! あぁ、腹が立つ!」
「ヘルガ、そんなにカリカリすんなって。肉がねえなら鹿でも狩ってこようぜ」
隊員たちとカードをしていたガストンがニヤリと笑いながら加わった。
「昨晩、見廻りしてたらよ、山の方で鹿がやけに鳴いてやがった。ありゃあ結構な数がいるぜ」
「……あれは本当に鹿かしら?」
ミラが冷ややかに、しかし確信を持って言葉を挟んだ。
「指笛みたいな音だったもの。アルノー、あんたもそう思ったでしょ?」
アルノーは、鋭い視線をカードへ向けたまま静かに頷いた。
そこへ、ずぶ濡れのセドリックが戻ってきた。
「あら、セドリック。お酒の神様にでも見放されたの? 素面で帰ってくるなんて、明日には槍でも降ってきそうね」
ミラの軽口に、セドリックは肩をすくめた。
「客がいっぱいで入れなかったんだ。どこの宿も酒場も、今は景気が良いみたいだぜ。雨の中出て行って損したぜ…」
「ははは、そりゃ残念だったな。たまには休めってことだろ。神様がお前の体を気遣ってんだ」
「ふん…おまけにあいつら、仲良くお揃いのブーツを履きやがって………裏地の赤いやつ……ここらで流行ってんのか?」
その言葉に、カードを睨んでいたライアンが顔を上げた。
「……赤い裏地……あぁあれか……前にお前の奢りで飲みに出た晩、ほら、庁舎の裏口でこそこそ荷運びしていたのっぽの男、確か同じ靴を履いていただろ…………そういや、お前は酔いつぶれてたな」
「あん?これのことか。俺も履いてるぜ。上物でな、昔、ガレリア帝国軍のやつらからカードで何足か巻き上げてやったのさ」
アルノーが、ぼそりと低く呟き、セドリックに足を上げて見せた。
「セドリック、予備を貸してやるからよ、それを履いて今から仲間に入ってこいよ。一杯奢ってくれるかも知れんぞ」
その一言に、張り詰めていた空気が弾けたように一同は爆笑した。
「……くだらん」
ヴァルターが吐き捨てるように言ったが、その口角はわずかに上がっていた。
笑い声の喧騒の中でベリルはハッとして眉間にシワを寄せ、葡萄酒をひと息に飲み干した。




