第十八話 鋼の円陣
茂みを引き裂き、姿を現したのは「アイアングリズリー」だった。鋼の如き硬度を持つ灰色の毛並みに覆われた巨獣だが、その瞳は血走っており、落ち着きなく周囲を威嚇している。
「……アイアングリズリーか。本来は山奥の深いところに縄張りを持つはずだが……迷い出てきたのか」
副官のマルクが、弓を構えながら冷静に分析する。続けて、彼は獲物を見定めるような鋭い視線で付け加えた。
「凶暴な割に臆病な奴だ。ひどく驚かせてやれば、すぐに縄張りへ逃げ帰るだろう」
ベリルは頷き、静かに重心を落とした。
「深追いして暴れられるのが一番面倒だ。手短に済ませるぞ」
「正面、来るぞ! 歩兵班、構えろ!」
歩兵長ヨハンの号令で、大盾が壁を築く。突進してくる巨獣に対し、ヨハンはタイミングを合わせ、盾の面で叩きつけた。
ドォォォン!!
一撃で仕留めるためではなく、あくまで怯ませるための衝撃。巨躯がわずかに後退し、魔獣が驚きに目を見開いた瞬間、ベリルが背後の老兵に短く合図を送った。
「バルト爺さん、お願いします」
「へっへ、任せな、新兵器だ。こいつの度肝を抜いてやるよ。お前ら目と耳を閉じておけ!」
小隊の荷を守っていたバルト爺さんが、手慣れた手つきで懐から小瓶を取り出し、魔獣の足元へ放り投げた。彼が調合した、音と光に特化した閃光爆薬だ。
――カッ!!
凄まじい光と、森が震えるほどの轟音が炸裂する。視覚と聴覚を同時に激しく揺さぶられたアイアングリズリーは、恐怖に震え上がり、一目散に山奥の縄張りへと引き返していった。
「……なぜだ! なぜ討伐せぬ!」
静まり返った森に、ヴァルターの鋭い声が響いた。
「あれほどの魔獣、放置すればまた人を襲うかもしれん。騎士ならば、この場で引導を渡すのが責務ではないのか!」
ベリルは鞘に剣を収めると、淡々と答えた。
「あれは本来、臆病な魔獣です。縄張りへ返してやれば、わざわざ山を降りて人を襲うことは無い。それに、アイアングリズリーを安易に狩れば、主を失ったその場所に、より狡猾なオークやゴブリンが入り込んで増えてしまう。我々にとっては、そっちの方がよほど厄介なんですよ」
「な……魔獣の縄張りの都合まで考えていると言うのか!?」
「そんな高尚な話じゃありません。討伐が必要な魔獣は狩りますが、場合によっては追い払うだけにする。こうして適度に強い主を置いておくことが、結果として近辺の街道や集落に魔獣を寄せ付けない防壁になる。それがこの森を安全に抜けるための、現場の知恵です」
正義や名誉ではなく、その後の森の力関係まで計算に入れ、周辺の安全を副次的に守る。その合理性に、ヴァルターは言葉を失った。
デニスは剣を鞘に収めながら、呆然としているヴァルターを一瞥して鼻で笑った。
「……おい、あんたが一人で突っ込んでりゃ、今頃その甲冑ごと中身はぐちゃぐちゃだったぜ。あいつは鉄板を紙みたいに引き裂くんだからな」
「……」
ヴァルターは拳を握りしめたまま、何も言い返すことができなかった。
「よし、行軍再開だ。日は高いが、森の機嫌が変わる前に距離を稼ぐぞ」
ベリルの合図で、小隊は再び道なき道へと足を踏み出した。ガンダル砦までの道のりは、まだ始まったばかりだった。




