第十五話 預かりものは、金の卵か厄介者か
朝霧がまだ辺境伯邸の庭園を白く包んでいる頃、ベリルは辺境伯の呼び出しを受け出頭した。
豪華な装飾が施された応接室。主であるヴィクトール・グレイスタイン辺境伯は、ひどく困り果てた父親の顔でベリルを迎え入れた。
「――単刀直入に言おう。ベリル、当家の嫡男であるヴァルターを、貴公の第五小隊で預かってほしい」
ベリルは、口に含みかけた最高級の紅茶を危うく吹き出しそうになった。
「……は? い、今、なんと仰いましたか?」
「ヴァルターを、貴公の部隊に配属させる。今日からだ」
「閣下、冗談が過ぎます! 恐れ多いにも程がございます!」
ベリルは椅子を鳴らして立ち上がり、狼狽を隠せずに両手を振った。
「我が第五小隊は、いわば『不戦の外套』。戦場を這いずり回り、耻辱にまみれて逃げ延びることしか能のない臆病者の集まりです。辺境伯家の高貴な血を引くお方を置くような場所ではございません!」
ベリルは必死に代替案を絞り出した。この重圧から何としても逃げ出さなければならない。
「もし武芸を学ばせるのであれば、他にも適任はおります! 例えば、『不落の盾』バレン・ガルドス騎士団長の部隊はいかがでしょう。あるいは、『銀影』魔導騎士エリス・ラングレン副団長は。彼女の卓越した魔導剣術こそ、ヴァルター様が学ぶべき理想の騎士像です!」
しかし、ヴィクトールは悲痛な面持ちで首を振った。
「……ベリル。貴公は、我が最愛の息子が命を落としても良いと言うのか?」
「えっ……? いえ、そのような滅相もない……」
「バレンのところはいかん。あやつの苛烈なしごきに、繊細なヴァルターが壊れてしまったらどうする。それは貴公が最も良く知っているであろう。エリスはもってのほかだ。あやつは身内であろうが容赦がない。あそこへやれば、あの気位の高い愚息は三日と経たずに心を壊してしまう」
ヴィクトールは立ち上がり、芝居がかった仕草でベリルの肩を掴んだ。
「あれは大事な、大事な我が子なのだよ。過保護だと笑いたければ笑うがいい。だが、私はあの子に生きていてほしいのだ」
ベリルは言い返せなかった。 親心という正論を盾にされ、絶句するベリルに対し、辺境伯は獲物を網にかけた確信とともに目を細めた。
「貴公の『不戦の外套』は、傷ひとつ負わずに凱旋すると言うではないか。……ならば、戦いを避け、その逃げ足の速さの真髄をヴァルターにも授けてやってくれ。貴公であればそんな指示にも『専念』してくれるのであろう?」
(……『専念』…………ヴィクトール様はまだ先日のことを根に持って…………)
「貴公なら、息子を戦場の死線から遠ざけ、安全に家路へ導いてくれると信じている。……頼んだぞ、ベリル。これは『親』としてのお願いだ」
「…………承知いたしました」
絞り出すような声で答え、応接室を出たベリルの足取りは、戦場に向かう時よりも重かった。
「逃げ足を教えろ、か。……まずは、全力でこの現実から逃げ出したいのは俺の方なんだがな」
ベリルが溜息をつきながら詰所へ戻ると、そこには一人の青年が立っていた。
仕立ての良い士官服を寸分の乱れもなく着こなし、腰には騎士学校の卒業記念に贈られたであろう業物を帯びている。
辺境伯家嫡男、ヴァルター・グレイスタイン。
彼は、無精髭を蓄え、使い古された装備を纏ったベリルを、感情を排した冷徹な眼差しで見据えた。
「――あなたが、第五小隊長のベリル・ガルド殿ですか。父上の命に従い、本日より配属されました。……私は騎士学校を首席で卒業しております。なぜこのような『噂』の部隊に身を置く必要があるのか、未だに理解に苦しんでおります」
揺るぎない自負と、隠しきれない困惑。 理想を絵に描いたようなエリート士官と、逃げ回ることで生き残ってきたベリル。 最悪の出会いから、第五小隊の新たな日常が動き出す。




