第十四話 深淵の告白
駐屯地の第五小隊詰所は、もはや酒場というより戦場に近い騒ぎになっていた。辺りに葡萄酒の芳醇な香りが漂う。
長テーブルの中央に鎮座する葡萄酒一樽は、注がれるそばから消えていく。上質なはずの酒は、ガストンたちの下卑た笑い声とともに、荒っぽくジョッキへぶちまけられていた。
「いいか、よく見とけよ!」
ガストンが真っ赤な顔で椅子の上に立ち、腰の剣を抜く真似をして見せた。
「俺が一番乗りで部屋に踏み込んだ時だ。一番デカい野盗が、俺の殺気を感じて腰を抜かしやがった! あいつ、俺が吠えた瞬間に、恐怖のあまり立ったまま白目剥いて気絶しやがったんだぜ! まさに一歩も動かさぬ必殺の気迫よ!」
「嘘をつけ!」
すぐさまライアンが野次を飛ばす。
「お前が部屋に入った時には、もうあいつら隊長の煙と音にやられて白目剥いてただろうが!」
「お前、気絶してるそいつの顔を覗き込んだ瞬間に、そいつがいびきをかいたもんだから『ひぇっ!』って情けない声出して尻餅ついてただろ! 俺は見たんだぞ、お前の股間が葡萄酒より濃い色に染まってたのをな!」
「ぎゃははは! とうとう不戦の外套を汚しちまったか!」
詰めかけた兵士たちがテーブルを叩いて爆笑する。
「うるせえ! 違うわ! あれは……あれだ、俺ぁ尻餅はついたがな、その時にテーブルに腰をぶつけた拍子に、上にあった酒が落ちてきただけだ! 決して漏らしたわけじゃねえ!」
ガストンが必死の形相で叫ぶ。だが、ミラが呆れたように鼻で笑い、葡萄酒を煽りながら言い放った。
「……どっちにしろ、恐れおののいて腰を抜かしたのは事実ね」
「………………………」
一瞬の静寂の後、その一言で、詰所は先ほど以上の爆笑に包まれた。
「おいガストン、今自分で尻餅ついたって認めやがったな!」
「いびきに驚いて腰抜かしたって白状したようなもんだぜ!」
「ああ、そうさ! 俺ぁビビって尻餅をついたが、漏らしてねえ! 断じてな!」
顔を真っ赤にして叫び続けるガストンに、窓際で見ていたベリルが苦笑まじりに助け舟を出した。
「ガストン、もうそれくらいにしておけ。それ以上誇りを失うと、もうお前には何も残らないぞ」
「小隊長までそんな! 俺ぁまだ、戦士としての矜持の欠片くらいは持って……!」
情けない声を上げて絶望するガストンの姿に、詰所はまた一段と沸き上がる。
ライアンはガハハと笑いながら、ミラの皿にあったチーズをフォークに刺して食べた。それを見て、ミラが冷ややかに笑いながらライアンへ視線を向けた。
「ライアン……あんたも人のこと笑ってるけど、ロープで崖から降りる時にずっと私の腰にしがみついていたのは誰かしら……」
「ちょっっっ!!! ミラ!!! 誰にも言わないでくれって言ったじゃねえか!!!」
ライアンの慌てふためいた絶叫が響き渡る。一拍置いて、周囲の兵士たちが一斉に冷ややかな視線を浴びせた。
「「「 情けねえ…… 」」」
詰所は、先ほどのガストンの時をも上回る爆笑の渦に包まれた。
ベリルは立ち上がり、残ったチーズに蜂蜜をかけてヘルガの前に置くと、喧騒から少し離れた窓際で、夜風に目を細めた。
ジョッキに残った葡萄酒を飲み干しながら、ふと、戦利品として回収された装備の山を思い出す。
(……野盗のわりには、あいつら装備の質が良かったな。あの矢、どこかの工廠で作られた規格品に見えたけど……。まあ、どこからか盗み出したのか。よくある話か)
小さく息を吐き、ジョッキの縁を指先でなぞっていたその時、詰所の扉が開き、伝令の兵が顔を出した。
「ベリル小隊長! 辺境伯閣下より、明朝、執務室へ出頭せよとのご命令です!」
「わかった、伝えておいてくれ」
ベリルが短く応えると、伝令は足早に去っていった。背後では、ガストンとライアンがまた新しい言い合いを始め、ミラがそれを冷たくあしらっている。
ベリルは空になったジョッキに再び酒を注ぐと、心地よい喧騒の中に身を預けた。
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その頃。 月明かりが差し込む辺境伯の自室では、主である辺境伯が重厚な椅子に深く腰掛け、報告を聞いていた。
「……そうか。あの頭目、なかなか口を割らなかったか」
辺境伯の声には、忌々しさと共に奇妙な感心が混じっていた。
「は。顔に傷があり人相こそ変わっておりましたが、正体はガレリア帝国の没落貴族。かつてあちらで名の知れた剣の使い手だった男に相違ありません」
辺境伯は、机の上に置かれたガレリア帝国の隠し紋章が入ったナイフを手に取り、その刃先をじっと見つめた。
「ふん、貴族への復帰でも餌にされたか。……野盗として略奪を繰り返して治安を乱しつつ、我が領の防衛体制や兵の動きを探っておったというわけか。帝国め、手の込んだ真似を」
「書状を書く、王都へ使いを出せ」
「はっ」
辺境伯はナイフを机に置くと、暗い窓の外へ目を向けた。
「国内に手引きした内通者がおるな。面白い。受けて立とうではないか」
ベリルの知らないところで、この勝利は「事件の終わり」ではなく、「戦争の始まり」へとその姿を変えていた。




