第十ニ話 風の囁き、予兆の影(後編)
作戦は、詰所の隅で交わされた密談から始まった。ベリルが地図を指差し、マルクとミラにだけ小声で事の次第を告げると、二人の表情が凍りついた。だが、次の瞬間には、その双眸に暗い光が宿る。
「……なるほど、騎士道とは無縁の地獄だな」
マルクが唇を歪めてニヤリと笑うと、ミラもまた静かに口角を上げた。
準備が整い次第、マルク率いる小隊の半数が、北口へ向けて隠密に出発した。 残された南口では、ベリルが崖上へ向かう四人に命を下す。
「ミラ、ルル、ライアン、バルト。お前たちはここで剣も弓も置いていけ。鎧もだ」
「はあ!? 作戦中に丸腰になれってのか、死ねって言ってるようなもんだろ!」
ライアンが声を荒らげた瞬間、バルトが手にした鍛冶槌で、彼の頭を遠慮なく小突いた。
「やかましいわ、バカタレ」
四人は足音を殺すために靴に布を巻き、崖上へと登った。
明け方にアジトの真上に到着すると、ミラが香辛料と硫黄を混ぜ、慎重に火を熾した。
「風の精霊よ、お願い」
ミラが風の精霊に命じて毒の空気を野盗たちに気づかれないようにゆっくり流し込む
日が昇り谷間が明るく照らされだした頃
「……来たわ。一人、二人……。足元がふらついてる」
ミラの囁きに、鼻を真っ赤にしたライアンが小声で応じる。
「ゲホッ、当然だろ……。こんなもん四六時中吸わされて、まともに立ってられる方がバケモンだぜ」
「おい、見張りが出てきたぞ」
バルトが顎で示した先、見張り台から数人の男が飛び出してきた。だが、彼らは涙目になり大きく咳とくしゃみを繰り返したり嘔吐したりと右往左往している。
「……バルト爺、角笛を」
「分かっとる。……おいライアン耳を塞げ」
バルトが角笛を短く三度吹き鳴らした。
「これで出入り口の隊長たちが耳を塞ぐってわけか」
ライアンの言葉が終わるか終わらないかのうちに、足元から地響きのような唸りが伝わってきた。
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「角笛の合図だ。それでは始めよう」
そこで初めて作戦の全容を聞かされた一同は、戦慄し、顔を見合わせた。
「全員、耳に綿と蜜蝋を詰めろ。俺が合図したら次に昼すぎまで、盾を叩き続けろ。休みなくひっきりなしにな」
「剣を抜かずに……これだけでカタをつけるんですか……?」
谷の入り口で角笛の合図を聞いたベリルは、待機していた隊員たちへ向き直るり、剣を振り上げた。
「始めろ」
ベリルの合図と共に、地獄の演奏が始まった。
――ガァァァァァン!! ガァァァァァン!!
激しく甲高い金属音が谷の入り口へと吸い込まれていく。それはさながら雷鳴のごとく激しい音となり谷の奥地へと降り注ぐ。
それが谷の両側から束になって轟雷となり襲いかかる。
しかし、一時間、二時間。金属を打ち鳴らす単調な作業は、隊員たちの体力を奪っていく。
「おい、手が止まってるぞ!」
耳を塞ぐ轟音の中、ベリルは腹の底から声を張り上げ、盾に寄りかかりそうになっていたガストンの肩を激しく叩いた。ガストンは滝のような汗を拭い、大袈裟な身振りで自分の腹を叩き、口を大きく開けて空腹を訴えた。
「隊長……さすがに、腹が減って、力が出ねえ……!」
形相だけで察したベリルは、鞄からのニコ特製サンドイッチを取り出し、ガストンの開いた口へ強引にねじ込んだ。続けて、水筒の水を溢れんばかりに流し込む。
「ごふっ、ご……っ、おおおおお!!」
嚥下したガストンの瞳に活力が戻る。彼は腕で口を拭うと、再び鍛冶槌を握り直し、今日一番の重い一撃を盾へと叩きつけた。
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昼過ぎ。 崖上のミラから二度目の合図が送られてきた。 ベリルが剣の鞘でガストンの腕を制すと、地響きのような爆鳴が止み、耳の奥が痛むほどの静寂が戻った。 ベリルたちはここでようやく耳から綿を抜き、谷の奥へと慎重に進み始めた。
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夕刻前、影が谷底を深く覆い始める頃、ようやくアジトへ到着した第五小隊が目にしたのは、外傷一つなく、ただ廃人のように泡を吹いて転がる男たちの山だった。
「……捕縛しろ。一人も漏らすな」
ベリルは冷淡に言い放ち、転がる野盗たちを一瞥した。 騎士の戦いとは程遠い、あまりに実利的で冷徹な勝利。夕闇が迫る沈黙の谷で、呆然とする隊員たちの前を、ベリルはただ一人、次の指示を出すべく無言で歩き出した。




