90.苦しい一夜
深夜、私は目を覚ました。
しかし、それはたまたま目覚めたのではない。
尋常でない腹痛と吐き気で目覚めたのだ。
「ううっ……!」
慌ててトイレに走り、すぐに吐いた。
何とか間に合ったが、もう少し遅れていたら廊下で吐いていただろう。
それだけでなく、下痢もした。
いくら出しても腹痛は収まらず、吐き気も残ったままなので、文字通り上からも下からも出続ける。
これは……何かおかしい。
十中八九食あたりだと思うが、前世でたまにあったような軽いものではない。
「何だろう……刺身かな……」
今晩食べたもので当たりそうなのと言えば、生ものである刺身かマルテロくらいだが、それで当たったことはない。
第一、そうだとすれば母も同じことになっているはずだ。
そう思っていたら、母が起き出してくる音がした。
そしてそのまま隣のトイレに入り、出てこなかった。
壁越しに吐く音が聞こえてきたので、どうやら母も私と同じ状況になっているようだ。
となると、やはり夕飯に食べた何かで当たったのか。
それにしても……耐え難い苦しみだ。
トイレから出られないばかりか、まともに立って歩くこともままならない。
猛烈な吐き気と腹痛で、意識が朦朧として動けなくなり、眠気など当たり前のように吹き飛んだ。
しかも、それは何時間経っても収まる気配がない。
気絶しそうな……というか、むしろ気絶したほうがマシなのではないか、と思うほどの苦しみだった。
翌朝。
結局私も母も一睡もできず、一晩中地獄のような苦しみを乗り越えた。
日が昇る頃には、なんとか症状が落ち着き、母共々ベッドに戻れる程度になっていた。
そして、そこで母にこんなことを言われた。
「そうだ、アリア……マルテロって、冷蔵庫開けてすぐに入ってたやつだった?」
「うん……白い皿に入ってたやつね」
すると、母は衝撃的なことを言った。
「あれ、豚肉よ?」
その一言に、私は凍りついた。
「えっ……?豚肉、って……」
どうやら、母が後で使おうとミンチにして冷蔵庫にしまっていた豚肉だったらしい。
それを、私がマルテロと思って出して……。
「どうしよう。医者に行かなくて良いかな?」
この世界でも、獣肉を生で食べるのは禁忌だ。
母にも、昔から「肉を食べる時は、しっかり火を通すこと。お腹を壊すからね」と言い聞かされている。
なのに、私たちはそれをやってしまった。
しかも加熱不足とかではなく、純粋な生肉をマルテロと間違えて……。
「そうね……とりあえず様子を見て、ぶり返すようであればゼギタリス薬を使いましょう。あれ、食あたりにも効く薬だから」
その後、半日ほど注意深く様子を見たが、幸いにも悪くならなかったので、薬は飲まずに済んだ。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、それは母も同じなようで、「アリアは悪くない」と言ってくれた。
「考えてみれば、私のせいね。マルテロとよく似たものを置いておいて、しかもそれをあなたに言ってなかった。何ならマルテロがどこにあるのか正確なことも言ってなかったし……ごめんね」
母に、割と真剣に謝られてしまった。
まあ、私にも非があるとは思うが……お互いに相手を責められないだろう。
二人して、同じように苦しい夜を過ごすことになったのだから。
それにしても、これほどまでに重い食あたりを起こしたのは一年生の時以来だ。
あの時はノエルが同定を誤ったキノコが原因だったが、今回は私のミスが原因だ。
マルテロはネギトロにかなり近い見た目をしているが、同時に豚肉のミンチとも似ている……考えてみればそうだ。
でも、まさかそんなものが同時に冷蔵庫にあるとは思わなかった。
今回の件で改めて、食の安全には本当に気をつけなければならないな、と痛感した。
死にはしないまでも、その苦しみは言葉にならないほどのものだ……可能な限り、避けるようにしなくては。




